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07/10/28
更新(07/10/27初版) |
07年10月19日 出立(東京→昭和) ふだんは、浅草駅07:10発の田島行き快速に乗れば、田島駅10:55 発昭和行きのバスに間に合う。その次は、浅草駅09:10発で、田 島駅で1時間25分待ちで、14:10発昭和行きバス。その次は、 浅草駅13:50発で、田島駅で20分待ち、18:10発昭和行き。その後 は、、もうない。 では、浅草駅09:10発に間に合うように参ろうと予定を立てた。 ところが、最近JRが「新宿から会津へ3時間半!」との宣伝で新宿駅発の 特急が運行している。新宿駅10:35発「特急スペーシアきぬがわ 3号」で田島駅27分待ちで、14:10発昭和行きバスに間に合う ことがわかった。 これが間違いの元であった。 朝の8時半には自宅を出た。昭和館についたのは午後7時過ぎ、10時間半 ほどを費やした。なんでそうなるの! 長くなるので、この件は後で別ページを作ることにして、次にすすむ。
07年10月19日 夜(昭和)
いつの頃か風来のお坊さんでも立寄られたか。賛詞を綴って宿泊費でも棒引き したか。それはわからない。 「南山」が片付け(当を得ていれ)ば、後は簡単である。
いつでも多くの木々が芽を伴って茂る。 このめでたさを寿(ことほ)げば、ここは常しえ(とこしえ、千歳)のまつり ごと(斎)の地である。 そういえば、この床の間の左上には天井と壁の間に神棚も祀られている。 という字はわからないが、天領地だった ので、「公の木をウ冠で守る」とでも意味させるのかネ。 「四時」とは春夏秋冬、つまり、いつでも。「九」は「数多く、無数」の意であろう。 ホントかい。わがんねだ。 と、ここまで書いてからパソコンのおまけの辞書で「南山」を引くと、「南 山の寿」という定型があり、『「詩経‐小雅・天保」にあり人の長寿を祝う語』とある。 と、ここまで書いてから自宅で検索してみた。真筆であれば、巌谷一六氏 (巌谷小波の父らしい)ということになるが、、 巖谷一六(1834〜1905)、近江人で、名は修、字は誠卿、号を一六・古梅・迂 堂などと称し、明治二十四年に貴族院議員、詩文や書など多芸人、特に書(中 沢雪城に師事)に秀でて明治初期の三大家(日下部鳴鶴・長三洲・巖谷一六) の一人でもある。とあった。 おまけ:一六居士修の真贋 07年10月20日(昭和) 朝景色。昭和館2階より。 左:左上方の大木の下に旧診療所の廃屋あり。 右:玄関前庭。
07年10月21日(法事)
五年祭並びに五十年祭の儀 ニ礼ニ拍手一礼
07年10月21、22日(すこしだけ奥会津風物)
07年10月22日(昭和:舟鼻峠あたり) 続く、、07/10/28記 (甚) |
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