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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

初めの一歩!

2014-07-20 15:26:05 | 教育
 私は、大学まで北海道内で育ち、東京都で教職の道を歩み始めた。

 土地勘もない、親戚、知人、友人もいない所での教員生活は、
不安だけのものだった。
 しかし、茶色の雪解け道で汚れた春の北国の街並みから一変し、
東京都江戸川区の小学校の校庭は、明るい太陽の日射しがこぼれていた。
その校門に初めて立ったとき、私はこれから好運に恵まれた日々がスタートするような、
そんな気持ちになっていた。

 当時、東京を中心とした首都圏は、
人口増に伴う新校ラッシュで、教員の大量採用が続いていた。
 私の赴任した小学校も、その年は私を含め男2名女1名が新規採用教員として着任した。

 私は5年担任となった。
最初の体育の授業では、準備運動の一環として校庭を三周、列を作って軽く走らせた後、
北海道弁とも知らず「こわいか?」と子どもたちに尋ねた。
「ううん。」という返事に、「じゃ、もう三周。」とそれを2回も繰り返したのだった。
私は、ハアハアと苦しそうな子どもの姿を見て、
「なんでこわいって言わないの?」と訊いていた。
 北海道では、『くたびれた』『疲れた』『体がつらい』『体がきつい』ときなどに
『こわい』と言うのである。

 こんな有り様の私だったが、それ以上にひどかったのは授業であった。
 私は、発問の仕方一つ心得ておらず、ただただ面白おかしく、
漫談調で子どもの笑いを誘いながら授業を進めていた。

 ある日、一緒に着任した同じ年齢の男性教員が、国語の研究授業を行った。
 その授業は、物語の読みを深めるものだったが、
主人公の気持ちを考え、活発に発言する多くの子どもたちの様子に
私は凄い衝撃を受けた。
 一人一人が自分の思いを語り、
それを真剣に聞き入る子どもと担任。
私は、その時初めて授業のあるべき姿を知った。

 楽しい授業とは、子どもの笑いを誘い、面白おかしくその時間を過ごすことではない。
新しい発見や感動を多くの友達と一緒に作り出すことが授業であり、
それこそが楽しさなのだと、彼の授業から教えてもらった。

 私は、その日以来、あんな授業ができるようになりたいと思うようになった。
私に明確な目標ができた瞬間だった。
 しかし、そんな授業を私ができるようになったのは、それから20年も先のことになった。

 同期の教員が私に示してくれた授業のあり方、
それなくして教員としての私はなかったと思う。
 あれから40数年がたった今も、
あの授業を驚きの目で見つめていた私自身を鮮明に思い出すことができる。




近くの畑では豆の花が満開
 

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