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「ドラえもん」の版間の差分

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* 『月刊コロコロコミック』
* 『月刊コロコロコミック』
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** [[1979年]] - [[1996年]]
* 『たのしい幼稚園』
** [[1970年]]1月号 - [[1973年]]10月号
連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して『月刊コロコロコミック』2002年4月号から再掲載されている。ただし毎年1月号から3月号は映画原作が掲載されるため休載となる。
連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して『月刊コロコロコミック』2002年4月号から再掲載されている。ただし毎年1月号から3月号は映画原作が掲載されるため休載となる。



2012年1月20日 (金) 00:43時点における版

『ドラえもん』の主要人物の像(高岡おとぎの森公園内「ドラえもんの空き地」より)
ドラえもん
ジャンル 児童漫画SF漫画
漫画
作者 藤子・F・不二雄[† 1]
出版社 小学館
その他の出版社
中央公論社FFランド
掲載誌 小学館の学習雑誌
コロコロコミック
てれびくん
レーベル てんとう虫コミックス
発表期間 1969年 - 1996年
巻数 全45巻(てんとう虫コミックスの短編) 他
その他 レーベル・巻数の詳細は#単行本を参照
テンプレート - ノート

ドラえもん』は、藤子・F・不二雄[† 1]による日本児童漫画SF漫画作品であり、また同作品に登場するキャラクターの名前でもある。

概要

本作は「小学館」の発行している学年別学習雑誌で連載されていた漫画作品である。作品タイトルは、本作の登場人物の名前からきている。

勉強もスポーツも駄目でドジばかりの小学生「野比のび太」と、未来(22世紀)から来たネコ型ロボットドラえもん」の日常生活を描いた作品である。舞台となる時代は、基本は現代であるが、タイムマシンで過去や未来へも行き来する。

劇中でのドラえもんは、ロボットとして扱われる事がなく、普通の人間関係を築いている[1]

本作において欠かすことのできない要素であり、作品の魅力の一つとなっているのが、不思議な効力を持った数々のアイテム「ひみつ道具」である。

日本での知名度は高く、テレビアニメコンピューターゲームなどのメディアミックスが行われている。

作品内容

典型的なプロットは「のび太の身にふりかかった困難を、ひみつ道具で一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものである。

このプロットは、作者の描くSF(すこし・不思議、Sukoshi Fushigi)[† 2]を反映しており、当時のSFの唱える "if"(もしも) についての対象を想定した回答であるといえる。

あらすじ

ドジばかりの少年「野比のび太」。お正月をのんびりと過ごしていると、の引出しから、のび太の子孫「セワシ」と未来のロボット「ドラえもん」が現れる。

未来の野比家では、のび太が残した借金がセワシの代まで及んで困っているという。悲惨な未来を変えるために、セワシが世話係として連れてきたドラえもんと暮らす事になるのび太。

ドラえもんはポケットから「ひみつ道具」を取り出しのび太を助けてくれる。のび太は道具に頼りがちになりながらも、時には反省し学んでいき、少しずつ未来はより良い方向へと進んでいく。

物語の変化

本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった[2]。しかし、連載が進むにつれて、次第にギャグ漫画の特色が薄くなり、作品のストーリー性が強くなっていった。

読者層が小学校在学の児童全学年と広範囲に展開されている為、読者の年齢差を意識して、内容面まで描き分けられて連載されていた。小学1年ならひみつ道具の楽しさが描かれ、小学4年からは、のび太の成長などのストーリー性が強くなり、小学6年になると、複雑な内容も増えてくる[2]

当初、ドラえもんとのび太は「世話役と世話をされる者」だけの関係だったが、物語が進むにつれて、2人の仲が変化してくる。世話係の役目を終えて未来へ帰ったドラえもんは[3]、使命を負ってではなく、のび太の元へと再び現れる[4] [2]

作品の来歴

ドラえもん連載期間(読み切り、半年未満の連載、及び大長編は除く。黄色は他誌と同時掲載。詳細は「連載誌」の項を参照)

1969年より、小学館の学年誌(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」。1話ごとに完結する短編として執筆。タイトルロゴは赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている[1]

藤子・F・不二雄が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編)。ただしその一部[5] [6] [7] [8] [9] [10]は、執筆当時のチーフアシスタントであるたかや健二による執筆[11]

『ドラえもん』本編連載のほか、1974年には、ドラえもんの妹ドラミを主人公に据えたスピンオフ作品『ドラミちゃん』が連載され、のちに『ドラえもん』本編に統合された[2]

1973年に初めてテレビアニメ化し、日本テレビ系で半年間放送した。放送期間延長の話が出るほどの人気を博していたが、制作会社の社長の突然の辞任により打ち切りとなる。1979年にテレビ朝日系でテレビアニメ化され、同局の看板番組までに発展を遂げる。2005年に制作スタッフを一新し、放送を続けている。

1980年からはアニメーション映画の原作として長編[† 1]の執筆を開始し[2]、これを『大長編ドラえもん』と称している。『ドラえもん』の長編作品であり、映画公開に先行して『月刊コロコロコミック』で連載された。通常執筆するのは1話完結型の短編作品だが、『大長編ドラえもん』は1つの長編を数回に分けて連載し、単行本も『ドラえもん』からと独立した『大長編ドラえもん』シリーズとして発行している。映画にふさわしくスケールの大きな舞台で、のび太が仲間と協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。この頃は『大長編ドラえもん』を含めると8本の雑誌に同時連載していた。

1987年以降は作者の体調面の問題もあり、短編の連載は少なくなった。大長編を除く、作者本人の手による最後の単発作品は、全3回の集中連載作品「ガラパ星から来た男」(第45巻収録)となっている。

1996年に藤子・F・不二雄が逝去した後も、藤子・F・不二雄プロの萩原伸一(むぎわらしんたろう)および岡田康則は、「大長編ドラえもん」シリーズの続巻を2004年まで執筆した。ただし藤子プロ執筆の巻は「まんが版映画シリーズ」として、藤子・F・不二雄本人が執筆した巻とは区別されている。

ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。ただし、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として岡田康則(単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は既刊3巻。純粋な漫画版を執筆するのではなく、外伝漫画を執筆することもある。

2004年には、すべての作品を収蔵した「ドラえもん文庫」が開設された。 作者の出身地で知られる富山県高岡市高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。 収集家の間でも入手困難とされる初版初刷の単行本第1巻から第10巻を含む全45巻を所蔵している。書籍の内容は、雑誌に掲載されていた全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めたものである。

掲載誌

いずれも小学館からの発行。

  • 『よいこ』
    • 1970年1月号 - 1971年4月号、1972年10、11月号、1973年2月号 - 10月号
  • 『幼稚園』
    • 1970年1月号 - 1971年3月号、1972年10月号、1973年3月号 - 12月号
  • 『小学一年生』
    • 1970年1月号 - 1974年3月号、1975年3月号、1975年9月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号、1990年4月号
  • 『小学二年生』
    • 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号
  • 『小学三年生』
    • 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年1月号 - 5月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年3、4月号
  • 『小学四年生』
    • 1970年4月号 - 1986年7月号、1987年4、5月号、1988年6月号 - 1990年11月号、1991年1月号、(1991年3、4月号[† 3]
  • 『小学五年生』
    • 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年12月号
  • 『小学六年生』
    • 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、(1989年4月号 - 1990年12月号)、(1991年12月号[† 4]
  • 『てれびくん』小学館
    • 1976年12月号 - 1977年8月号、1979年5月号 - 1983年3月号
  • 『小学館BOOK』(『小学館ブック』)
    • 1974年1月号 - 3月号、5月号 - 9月号
  • 『別冊少年サンデー』
    • 1973年6月号 - 1974年3月号(全10回、すべて学年雑誌の再録)
  • 『増刊少年サンデー』
  • 『月刊コロコロコミック』
  • 『たのしい幼稚園』

連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して『月刊コロコロコミック』2002年4月号から再掲載されている。ただし毎年1月号から3月号は映画原作が掲載されるため休載となる。

作品数

ドラえもん学の提唱者である横山泰行は、総数を1344としている。内訳は以下の通りである。

  • 『小学一年生』:187話
  • 『小学二年生』:203話
  • 『小学三年生』:233話 (「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学四年生と同時掲載)
  • 『小学四年生』:235話 (「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学三年生と同時掲載)
  • 『小学五年生』:184話(23話は小学六年生と同時掲載)
  • 『小学六年生』:184話(23話は小学五年生と同時掲載)
  • 『てれびくん』:54話 (うち、7話は別冊付録のもの)
  • 『小学館BOOK』:8話 (連載当時は「ドラミちゃん」というタイトルで、設定が微妙に異なっていた)
  • 『少年サンデー増刊』:4話
  • 『月刊コロコロコミック』:21話(うち、17話は大長編ドラえもん[† 5]を指す)
  • 〈てんとう虫コミックスアニメ版〉:1話
  • 『よいこ』:27話
  • 『幼稚園』:26話
  • 『入学準備小学一年生』:1話
  • 〈てんとう虫コミックス〉:1話

誕生の経緯

『ドラえもん誕生[† 6]』によれば、締め切りが迫る中、新連載の構想が浮かばないという切迫した状況にも関わらず、作者である藤子・F・不二雄は、アイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、などと考えながら空想にふけってしまう。さらに、過去にもアイディアが思い浮かばないまま、ドラネコのノミ取りを始めてしまったという経験があったことなどを回想しているうちに、ついに締め切りになってしまう。そして、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下り、娘の起き上がりこぼしにつまずいた瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、「ダメな人間を便利な機械で助ける」という内容も、自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという。

上記のように連載直前までキャラクターが決まっていなかったため、前月に掲載された予告[12]は、タイトルも、メインキャラクターであるドラえもんの姿も描かれていないという、異例のものであった。安孫子素雄(藤子不二雄)によれば、藤子・F・不二雄はドラえもんのキャラクターを作る際に、ネコのデッサンを漫画化したものを多数描いていたという[13]

海外展開

『ドラえもん』は漫画・アニメ・映画ともに翻訳され、特に東アジア東南アジア諸国で人気作品となっている。1970年代にはすでに香港で、そして台湾中国語の海賊版が出版されており、また日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が横行した。

そのため韓国や中国などでは、日本の本家『ドラえもん』の方がコピーであると、過去に誤解されたこともあった[14]。海賊版は現在でも東南アジアで広く見られている。

また、木村純一プロデューサー(当時)によると、東南アジアにおいてのアニメ版は視聴率が70パーセントを超えることもあるという[15]

漫画は1991年以降、東アジア、東南アジア、ヨーロッパを中心に翻訳がなされている。中国・台湾・マレーシアなどの中国語表記は長らく"机器猫"、"小叮噹"などとなっていたが、原作者サイドより原音に近い発音に変えてほしいとの要請があり、1997年以降の正規出版物は"哆啦A夢"に統一されている(未だに「小叮噹」と書いてあるものはまず海賊版)。それと同じく韓国表記は"도라에몽"(読みは「トラエモン」または「ドラエモン」)、その他の国のほとんどは"Doraemon"となっている。

アニメーションは他に中南米(ブラジルコロンビアチリアルゼンチンエクアドルボリビアパラグアイベネズエラパナマメキシコプエルトリコドミニカ共和国ニカラグアコスタリカ)、ヨーロッパスペインイタリアフランス)、アラビア語圏(アルジェリアチュニジアリビアサウジアラビアカタールUAEオマーン)、東アジア韓国香港台湾)、東南アジアインドネシアマレーシアタイ王国)、南アジアインド)、ロシア連邦イスラエルでも放送された。アメリカ合衆国に関しては、1985年にCNNテッド・ターナーが50話分の放映権契約を結んだものの、未だに放映されていない[16]常にドラえもんに頼りきっているのび太のイメージが自国の子供に悪影響を与えるというのが理由とされている。[要出典]

本作が出版された主な国および地域は、香港、台湾、中国、韓国、ベトナムマレーシアシンガポールタイ王国インドネシアキプロスイタリアスペインフランスである。スペインではスペイン語(カスティーリャ語)、カタルーニャ語を含む5言語で出版された。東南アジア諸国では、ママがドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする[2]という特徴が見られる。

ベトナムでは、海賊版が1000万部を売り上げていた。正規版を出版するにあたっては、それまでの原作者に支払われるべき印税をもとに、「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された[13][17]

また、各国のコミック雑誌(香港青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている[18]

受賞歴

作風や舞台設定

作品の連載開始は1969年12月発売の1970年1月号。

主人公は、東京都[† 7]に住む8月7日生まれ[† 8]の小学4年生、野比のび太[† 9]

登場人物

本作に登場する人物たちは、作者の少年時代に周りにいた友人や人々がモデルとなっているとの説がある。

藤子・F・不二雄の少年時代の友人の間では「ジャイアンのモデル」と目されている者もいるという[22]。作者の自叙伝である「まんが道」の少年時代編においても、番長格の少年が登場する。のび太については、自身の子供時代をモデルにしたと作者本人が語っている[† 10]。作者の少年時代は、運動能力が低く、いつも漫画を描いていたらしい[23]。さらに、源静香については作者の理想の女性を描いたものだとする説がある[24]

舞台設定

作品の舞台となる、のび太の住むは、東京都の練馬区にある「月見台」という町である[25][1]。「多奈川」という大きなが流れている[26][1]

地球上で絶滅した恐竜が地底では生き残っており、恐竜が進化した恐竜人も存在する。また、雲の上には天上人、海底には海底人宇宙には地球外生命体も存在する。

のび太の家
本作の主人公、野比のび太が住む。のび太の部屋は、窓の下が玄関上の屋根に面しており、のび太は屋根の上で昼寝や日光浴などをすることもある[1]
空き地
のび太の家の近所にある空き地土管が3本、ピラミッド状に積み上げられている。子供たちが集まっておしゃべりしたり、野球をしたりと、子供たちの憩いの場となっている。のび太の幼少時、またのび太の父の小学生時代には木材を多く置いていた。このことから単なる空き地ではなく、本来は材木を管理する企業が資材置き場として用いていた敷地の可能性がある[† 11]
ジャイアンのリサイタルは、ここで開かれることが多い。
学校の裏山
学校の裏にある山で、のび太の憩いのスポット。山の頂上には「千年杉」と呼ばれる木がそびえ立つ[27]
近辺のガケからは、新種の三葉虫[28]や大型肉食恐竜の化石[29]が発掘されている。
団地の建設で一部掘り崩されたり[30]、宅地開発の対象になったり[31]、ゴルフ場建設が計画されたり[32]など、造成の対象にもされており、25年後には頂上にヒルトップマンションという名のマンションが建設され、千年杉は姿を消している[33]
未来の世界
ドラえもんが生まれた時代は22世紀
天気気象庁で制御しており、農作物や経済の動向などをふまえた上で厳正に決めている[34][1]台風は上陸する前に消してしまっている[35][1]
タイムマシンが普及しており、時間旅行をする際のルールとして「航時法」という法律が制定されている。
24世紀には、航時法の違反を取り締まる組織「タイムパトロール」の本部がある[1]

時代設定

作品の長期化にともない、初期と近作とではその時代風俗の描写にも適宜応じた変遷が見られる。

第25巻収録「竜宮城の八日間」での現在は1982年、第33巻収録「ハリーのしっぽ」での現在は1985年とされている。第16巻収録「りっぱなパパになるぞ!」では、のび太としずかが結婚してマンションに住み、息子のノビスケがのび太くらいの年齢となった近未来が2002年とされている。第3巻収録「白ゆりのような女の子」では、のび太の父親であるのび助についての戦時中における学童疎開の話がある(当時10歳前後であるとするとのび助はおよそ1930年代生まれ)。しかし、テレビアニメ第2作第1期「タイムマシンでお正月[36]」では1940年生まれという設定となっている。母親である玉子の少女時代は新設定[要出典]では1980年代である。

しかし実際の1980年代よりも街並みは古く描かれており、道路の側溝蓋もコンクリート製ではなく木製であるなど(のび太がしばしば踏み破り足を汚水に突っ込む)、初期設定の1960年代に近い。また、西新宿の副都心やサンシャインシティといった高層ビル街はほとんど描かれない。

藤子・F・不二雄自身の中にある設定として、他の作品との時代関係は固定していたと述べている[要出典]。たとえば、『ドラえもん』の数年前として『パーマン[37]、ほぼ同時期の設定として『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『ウメ星デンカ[38]』など、数十年後として『21エモン[39]』など。

ドラえもんの道具にも時代の変化がみられる。初期においては白黒テレビをカラーテレビに変える道具等といった22世紀にはまず需要がないと思われる道具も登場した。

誤植や訂正

初版においては、作品中、名前が間違っていたり、現実の世界では成り立たない展開が少なからずあった。作者自身が勘違いしていたものや、単なる編集ミスなどが理由である。単行本の改訂版では、多くが訂正されている。ただ、訂正された結果、ストーリーが不自然になってしまったケースもある。

間違いではないが、連載後に台詞がふさわしくない表現となっている等の理由で、カットや台詞の修正が行われたケースもある。また、長年の連載のため、連載時点では真実とされてきたことが間違いであることがわかり、最新版では断りを入れるものもあった。

主な間違い・誤植とされている内容
てんとう虫コミックス12巻 『ゆうれい城へ引っこし』
ドラえもんとのび太がどこでもドアでドイツのミュンヒハウゼン城に出かけた際、ドラえもんの「日本で午後2時というとこっちの十時にあたるのか」、「午後六時。ドイツ時間だと午前二時」「午前五時。日本時間ではまだ夜だ。」という台詞があり、ドイツの方が8時間早い描写となっていたが、実際には逆で日本の方が8時間早い(時差も参照)。その後の改訂版では、「日本で午前八時というとこっちの0時にあたるのか」、「午後六時。日本時間だと午前二時」「午前五時。日本時間では真っ昼間だ。」と訂正されている。しかし、この話の冒頭にのび太のパパが物件探しから帰ってくるシーンがあり、帰ってくる時間が朝となり、明らかに不自然になっている。
てんとう虫コミックス13巻 『ハロー宇宙人』
UFOマニアである円番がスネ夫に「やあ、滑川くんか」と言っており、しかも送り仮名に「なめかわ」とまで綴られていた。当初、作者の藤子・F・不二雄の出身地である富山県高岡市の近くに滑川(なめりかわ)市があることから、作者が混乱して「滑川」と書いていたとされていたが、この話が連載された少年サンデー増刊76年8月10日号では「骨川」と書いてあったことから、単なる校正ミスであった。当然ながら、コミックスの改訂版では「骨川」と訂正されている。
てんとう虫コミックス42巻 『宇宙完全大百科』
のび太が、宇宙完全大百科で自分の事を調べてみると、「野比のび助 野比玉子の長男 勉強もスポーツも苦手……」となっていたが、単行本では「のび助」の部分が「のび太」に変更された。のび助と玉子の長男という意味だったのを、勘違いして変えたと思われる。
台詞がカット・訂正された、加筆された内容
てんとう虫コミックス第2巻 『かならず当たる手相セット』
のび太のパパが「あわれなこじき。おめぐみを」と言ってるシーンがあるが、改訂版では「わたしにお金でも食物でもおめぐみを」という台詞に変えられている。ちなみに、他にも「こじき」という台詞はあるが、そこの部分は「ホームレス」に訂正されている。
てんとう虫コミックス第6巻 『ネッシーが来る』
ネッシーがいると主張しているのび太がロバート・ケネス・ウィルソンが撮影されたとされるネッシーの写真を用意したが、この写真自体が1994年にねつ造であることが発覚した。その後の改訂版では、写真の下に「※ただし、この写真は1994年、トリック写真と判明」という説明が加えられた。

作品の受容

自他ともに認める作者の代表作であり、日本の「マンガ」を代表する作品として、国際的に知られている。本作を執筆中に藤子・F・不二雄が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた。
一方で作者存命中に本作が爆発的なヒットをした事で、本作の出版物のみならずアニメなどのメディア・おもちゃなどのグッズが“ 巨大産業 ”化してしまい、作者が本作にかかりっきりの慢性多忙状態となってしまった。このため、それまで定期的に発表していた短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の連載が不可能になるなどの弊害も生じた。

知名度

藤子・F・不二雄は「オバケのQ太郎」(合作)以降、「パーマン」「ウメ星デンカ」を小学館の学習雑誌および『週刊少年サンデー』に連載しており、本作はそれを引き継ぐ形で学習雑誌に連載された。しかし、「ウメ星デンカ」までは存在した『週刊少年サンデー』での連載はなかった。計6誌に連載されていたにもかかわらず、はじめはあまり注目される漫画ではなかったという[2]。実際、1973年に最初のアニメ化がなされたが、わずか半年で終了してしまう。その翌年には、最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は続行された。

しかしその後、1974年の単行本(てんとう虫コミックス)発売、1977年の『コロコロコミック』創刊を経るにつれ、知名度も上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた[40]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画化され、それらのヒットにより人気は決定的なものとなった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録[41]。2000年度末時点で全世界で1億7000万部以上売られており[42]、小学館を代表する作品となっている。

日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートで第1位にランク入りした。また近年ではドラマの台詞や芸人のネタなどに使われることもある。

アニメ版を1979年から放送しているテレビ朝日は、2011年5月に「ゴーちゃん。」が登場するまで自局のイメージキャラクターがいなかった。その為、アニメ版が人気を得てからはテレビ朝日の実質的な顔としての役割も果たしており、様々な番組や広報誌などでもドラえもんの絵や人形が使用されていた。現在も、災害発生時の募金活動では「ドラえもん募金」と名前が冠されている。

高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが登場している他、千葉大学の入試問題で「『ドラえもん』の道具を一つ選んでそれが実現可能かどうか検討せよ」という内容の小論文が課されたり、2002年のセンター試験総合理科で『ドラえもん』の道具が取り扱われたりしている。更に、2006年の武蔵野美術大学の入学試験において、「『ドラえもん』を幾何図形を用いて再デザインせよ」といった問題が出るなど、日本では一般的な知識として扱われている。

2002年には、『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[43]

2005年日本財団ニューヨークで行った展覧会「リトル・ボーイ:日本の爆発するサブカルチャー作品」は、本作を日本の文化にとって重要な作品として位置づけている。

各著者からの評価

小林よしのりは、『ドラえもん』は子供たちにとっての基礎であり、『コロコロ』にはずっと載っていなければならない漫画だと語っている[44]

作家の瀬名秀明はエッセイ『おとぎの国の科学』において、「私は物語の基礎を『ドラえもん』と『コロコロコミック』から学んだ」と記述し、小説『八月の博物館』は、藤子・F・不二雄先生を真似ることで自分のルーツを探ろうと思って書いたと述べている。

また、辻村深月は『ドラえもん』を"私のオールタイムベストテン"の筆頭に挙げており[45]、『ドラえもん』をテーマの1つにした小説『凍りのくじら』を発表している。『ドラえもん』に関するコラムも雑誌等に執筆している[46]

一方で江川達也は、「『ドラえもん』などという子供に有害なアニメを放送するテレビ局や漫画を載せる出版社の良識を疑う[47]」と、否定的な見解を示している。その理由として、のび太が成長しないことや、道具を使った悪事(タイムマシンを利用した金儲けなど)を読み手に働かせる漫画であることなどを挙げている。自作の『まじかる☆タルるートくん』は意識的に『ドラえもん』に似せ、「『ドラえもん』に充ち充ちている偽善を、構造的にはよく似た作品を突きつけることで暴きたかった」とし、「便利な道具に安易に頼りすぎて、しっぺ返しを喰らうのではなくて、本丸は未熟なアイテムに翻弄された上で、必ず最後にはトラブルを自分で解決しなくてはならない」点が、『ドラえもん』と一番大きく違うとしている[48]

作品論としては、『ドラえもん』と童話の関連性を指摘したものがある[49]。例えば島田裕巳は、「特殊な能力を与えられた人間がそれを乱用し、最後にそのむくいを受けるというパターンは世界の伝統的なおとぎ話のパターンであり、それを取り入れることで長い間人気を保ってきた。」と分析している[50]

世間からの評価

1981年時点での親や教師の感想[51]には、『ドラえもん』は他の漫画・アニメと異なり、刺激的・暴力的なシーンが少なく健全であるといった意見がある[† 12]。一方で、「(『鉄腕アトム』、『巨人の星』と比較して)のび太は何もせず、楽をして夢を叶えているのは問題」といった批判的な意見も存在している。そして、それらの意見を収集した坂田稔は、「人生に自分からぶつかっていかないで、ただいいこと、楽なことを何もしないで期待しているような世代が、これからしだいに社会を領してくるのではないかと思われるのである。」と結んでいる。

このような意見に対して作者の藤子・F・不二雄は、のび太は読者が目標とすべき理想像には描かれていない点、『ドラえもん』は珍道具が日常生活に及ぼす影響を描く漫画であり、道具の入手方法には重きを置いていない(ポケットから取り出すのは効率的手段である、効率的であることが悪いこととは思わない)点を挙げ、反論している[13]

著名なファン

出版物

単行本

本節では『ドラえもん』の各単行本の概説を記載する。『大長編ドラえもん』については大長編ドラえもん#単行本を、各単行本の書誌情報については#書誌情報を参照。

本項では、単に未収録作品と示している場合、てんとう虫コミックス (TC)『ドラえもん』全45巻へ収録されていない作品を示す。下記以外に最初のアニメ化に合わせて虫プロ商事虫コミックスにて初の単行本が刊行される予定があったが、発行の前に虫プロ商事が倒産したため幻になったといわれている[要出典]

藤子・F・不二雄大全集〉を除き、全て選集。特記のない限り小学館からの発行。

てんとう虫コミックス〉全45巻
計823話収録[52]。収録されている作品は、藤子・F・不二雄が自ら選抜した作品である。この為、全45巻へと収録されなかった作品、未収録作品が500話以上存在し、特に幼年誌「よいこ」「幼稚園」での掲載53作品は全て未収録である。
『ドラえもん』開始時に学年誌の編集長していた井川浩によると、当初単行本化は予定されておらず、原稿料の値上要求に対する対案として提示された物であった。しかし小学館社長が売れ行きを怪しみ承認が得られなかったため、社員に採点をさせて高評価の話だけを収録する形で社長を説得、最終的に第6巻までという事で社長の承認を得る。このため、第6巻の最後には最終回のひとつである「さようなら、ドラえもん」が収録されている。しかし売れ行きが好調であったため、第7巻以降も続刊される事となった[53]
中編「ガラパ星から来た男」の連載終了後、同編を収録した第44.5巻が『月刊コロコロコミック』1994年9月号の別冊付録として発行されている。「ガラパ星から来た男」は後に第45巻にも収録された。
ドラえもん プラス』〈てんとう虫コミックス〉全5巻
2005年 - 2006年
てんとう虫コミックス『ドラえもん』に未収録の作品を集めた単行本。計103話収録(うち、計47話は藤子不二雄ランド掲載経歴あり)。連載初期作品も点在する。
『ドラえもんカラー作品集』〈てんとう虫コミックススペシャル〉全6巻
1999年 - 2006年
てんとう虫コミックス『ドラえもん』に未収録(計119話。うち、計31話は藤子不二雄ランド掲載経歴あり)の作品を当時のカラー原稿で収録した単行本。カラー掲載の関係で、低学年向け作品ばかりである。
『ドラえもん巻頭まんが作品集』〈てんとう虫コミックススペシャル〉既刊2巻
2004年 - 刊行中
てんとう虫コミックス『ドラえもん』の巻頭作品を収録。
〈My First BIG〉既刊85巻
2002年 -
コンビニ向け廉価版。
『ドラえもん傑作選』〈てんとう虫コミックスワイドスペシャル〉既刊1巻
1999年 -
〈小学館コロコロ文庫〉全18巻
1994年 -
文庫版。337話収録。基本的には『てんとう虫コミックス』収録の話をテーマごとに掲載している。ロボット編、スネ夫編、ドラミ編に未収録作品がある。
〈小学館コロコロ文庫デラックス〉全10巻
2000年 -
文庫版。286話収録。小学館コロコロ文庫の「ドラえもん」収録作品ばかりである。
〈藤子不二雄自選集〉全7巻
1981年発行
全10巻で発売された藤子不二雄自選集の第1巻から第7巻まで。計93作品収録で若干描き足しがされている話もある(てんとう虫コミックスではこの描き足し作品は未収録。藤子不二雄ランド、ぴっかぴかコミックスなどで読める作品もある。大全集では描き足しされた作品を完成形として掲載している)。現在絶版。
『藤子・F・不二雄 自選集 ドラえもん』全2巻
1998年
〈藤子不二雄自選集〉の計7冊を全2冊にまとめたもの。収録作品は自選集と相違ない。
〈カラーコミックス〉全6巻(および映画版全4巻)
1979年 - 1982年発行
小学館がコロコロコミック増刊号という位置付けで発行したB5サイズの4色刷。全22冊刊行のうち、ドラえもんの短編作品を収録したのは全6冊である。全部で102話収録されており、『てんとう虫コミックス』未収録話が多かった(発刊当時はほとんどの作品が未収録であった)が、計2作品[54]を除き、後に藤子不二雄ランド、カラー作品集などに掲載された。また、映画版ドラえもんとして、のび太の恐竜~のび太の海底鬼岩城までが発刊された。いずれも現在は絶版。
中央公論社〈中公コミックス 藤子不二雄ランド〉全45巻
1984年 - 1990年発行
第35巻までは初出掲載を基準に『てんとう虫コミックス』収録(計10作品[55]を除く第37巻までのほぼ全話)と未収録話を拾遺しながら掲載。第36巻以降は『てんとう虫コミックス』から収録した新編集となっていた。計832話収録(うち130話はてんとう虫コミックス単行本未収録。そのうち、プラス、カラー作品集で計47話収録。尚、後述の『藤子・F・不二雄大全集』ではFFランド掲載分も単行本収録扱いである)。巻末には「ウルトラB」、「チンプイ」が掲載されているものが多い。現在絶版。
『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS Doraemon』既刊10巻
2002年 - 刊行中[56]
『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS AUDIO版 DORAEMON』既刊2巻
2009年 - 刊行中
別売りとして、iTunesでネイティブスピーカーによる台詞の英語発音が有料配信されている。
ぴっかぴかコミックス〉全18巻
2004年 - 2008年発行 (刊行中だが一部は品薄状態)
全18巻。低年齢向けの作品を集めた単行本。『てんとう虫コミックス』収録済みの作品を中心に207話収録。63話の未収録作品(うち、20話は藤子不二雄ランド収録経歴あり)を含む。また、単行本として初めて幼年誌掲載作品も載せられた。
『ドラミちゃん』〈ぴっかぴかコミックス〉全1巻
2007年
ドラミちゃんが主役となる話を収録。計8作品。
『カラー版 ドラえもん』〈ぴっかぴかコミックススペシャル〉全1巻
2005年
現在は品薄状態。幼年誌「よいこ」「幼稚園」連載作品が中心となっており、いずれも『てんとう虫コミックス』未収録。
『デジタルカラーセレクションドラえもん』〈てんとう虫コミックススペシャル〉既刊6巻
2004年 - 刊行中
藤子・F・不二雄大全集〉全20巻の予定[57]、既刊14巻
2009年7月 -
未収録作品を含む全作品収録の完全版。学年繰り上がり収録によって連載時と同じ順番での収録。全20巻を予定。

雑誌

『ドラえもんクラブ』
1994年に隔月刊誌として発刊された雑誌。全4号。連載途中で中断した『ドラえもん のび太と雲の王国』の完結編や、未収録作品なども再録されていた。
『ドラえ本』
ドラえもんグッズ大図鑑として1997年から不定期に発刊され、グッズ大図鑑としつつも3号には、てんとう虫コミックスに未収録の作品をフルカラーで2本再録している。
1999年12月に発売された『ドラえ本 3』を最後に完結したと思われていたが、2007年より毎年、映画の公式ガイドブックとして『映画ドラえ本』が発刊されている。
ぼく、ドラえもん
2004年2月20日より毎月5日と20日の月2回発行の雑誌。全25号。創刊号は低価格でDVDも付いていたため売り切れが相次ぎ、急遽増刷された。てんとう虫コミックス『ドラえもん』に未収録の作品を毎号2から4話程度付録として収録しており、往年のファンを惹き付けた。本誌、付録を含め全103作品収録。うち、79作品が未収録(うち、12作はカラーコミックス、47作は藤子不二雄ランドでの掲載経歴あり。また、後にドラえもんプラスで34作品、てんとう虫コミックススペシャル『ドラえもんカラー作品集』で1作品が掲載された。本誌のみの掲載作品は20作品(大全集除く)である)。
もっと!ドラえもん
2005年4月25日発売。『ぼく、ドラえもん。』に続く雑誌。全5号。付録としてフィギュアが付く。また『オバケのQ太郎』など、他の藤子・F・不二雄作品情報も掲載された。第4号ではスネ夫のフィギュアがつく予定がしずかのフィギュアが付いていた(次の第5号でスネ夫、しずか、シークレットのフィギュアが付けられた)。

書誌情報

特記のない限り、著者は藤子・F・不二雄。〈中公コミックス 藤子不二雄ランド〉のみ中央公論社より、その他はすべて小学館より発行。『大長編ドラえもん』については、大長編ドラえもん#書誌情報を参照。

関連項目

参考文献

出版物の節に記載されている書籍以外で、本項で主に参照した文献を挙げる。なお、ドラえもんに関する書籍はここで挙げたもの以外にも多数出版されている。

  • 『藤子・F・不二雄の世界―完全保存版(ワンダーライフ・スペシャル)』小学館、1997年、ISBN 978-4091025692
  • 小学館ドラえもんルーム編『ド・ラ・カルト―ドラえもん通の本』小学館文庫、1997年、ISBN 978-4094160413
  • 小学館ドラえもんルーム編『ドラえもん深読みガイド―てんコミ探偵団』小学館、2006年、ISBN 978-4092591035
  • 南博編『現代社会の心理(1)ドラえもん研究 子どもにとってマンガとは何か』ブレーン出版、1981年、ISBN 978-4892425103
  • 米澤嘉博『藤子不二雄論―FとAの方程式』河出書房新社、2002年、ISBN 4309265499

脚注

注釈

  1. ^ a b c 当初は藤子不二雄名義で発表。藤子不二雄名義を経て藤子・F・不二雄名義に。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "name"が異なる内容で複数回定義されています
  2. ^ 本来のサイエンスフィクションのSFではない
  3. ^ 『小三』と同時掲載
  4. ^ 『小五』と同時掲載
  5. ^ 絶筆作品である『大長編ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』も含めている
  6. ^ 『ドラえもん』ができるまでの過程を描いた漫画作品。1978年発行『コロコロコミックデラックス ドラえもん・藤子不二雄の世界』初出(現在絶版し、雑誌『ぼく、ドラえもん。』第25号の付録冊子『ドラえもん てんとう虫コミックス未収録作品集』にも再録)
  7. ^ 練馬区月見台、あるいは田無市大字田無。詳細は野比のび太を参照
  8. ^ 「ぼくの生まれた日」の雑誌での初出(『小学四年生』1972年8月号掲載)では、生年は1962年されており、てんとう虫コミックスで単行本化される際に「1964年」に変更された。藤子不二雄ランドの単行本では「10年前」とされ、藤子・F・不二雄自選集でもその設定は引き継がれた。
  9. ^ 漫画では4年生、アニメでは5年生。雑誌掲載時は雑誌ごとに学年が異なっていた
  10. ^ ただし学童疎開体験については時代設定の関係上父親ののび助の体験として描いている)
  11. ^ テレビアニメ第2作第2期「夢まくらのおじいさん」(2010年6月11日放送)では、敷地の奥にある倉庫には「石田材木」の看板が見える。テレビアニメ第2作第1期においても、空き地の奥に倉庫を配置することがしばしばあった。
  12. ^ しかし、原作では「ジャイアンがのび太を殴る」「ジャイアンがスネ夫の持ち物を脅し取る」「のび太がしずかの入浴シーンを覗く」などの行為が描かれてる。
  13. ^ 『ドラえもん プラス』スペシャルパックは〈小学館プラスワン・コミックス〉。
  14. ^ 当初、第38巻までは藤子不二雄名義、第39巻は藤子不二雄名義で発行。増版時に藤子・F・不二雄に変更されている。
  15. ^ 自選集全10巻のうち7巻までが「ドラえもん」
  16. ^ 大全集としての通巻巻数も同じ。
  17. ^ ( ) 内はFFランドの通巻巻数。

出典

  • x巻は、てんとう虫コミックス『ドラえもん』での収録巻数を指す。
  1. ^ a b c d e f g h 小学館ドラえもんルーム編 『ドラえもん深読みガイド』
  2. ^ a b c d e f g 小学館ドラえもんルーム編 『ド・ラ・カルト』
  3. ^ 第6巻収録「さようなら、ドラえもん」
  4. ^ 第7巻収録「帰ってきたドラえもん」
  5. ^ 「ヤメサセロボット」(『小学二年生』1982年12月号掲載、単行本未収録)の全体
  6. ^ 「空中つりセット」(『小学一年生』1982年12月号掲載、単行本未収録)
  7. ^ 「さかさカメラ」(『小学四年生』1981年12月号掲載、単行本未収録)の扉以外全て
  8. ^ 第26巻収録「空気中継衛星」
  9. ^ 「しずちゃんとスイートホーム」第35巻収録
  10. ^ 「サカユメンでいい夢見よう」第36巻収録
  11. ^ 『Neo Utopia別冊 129.3』ネオ・ユートピア、1998年発行
  12. ^ 『小学四年生』1969年12月号
  13. ^ a b c 『藤子・F・不二雄の世界』(1997年)
  14. ^ 小学館:藤子・F・不二雄ワンダーランド ぼくドラえもん09
  15. ^ 「テレビ秋の陣 地上波の模索(下) アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。
  16. ^ 横山泰行『ドラえもん学』(PHP研究所、2005年)120頁
  17. ^ 子どもの未来と世界について考える懇談会
  18. ^ List of non Japanese Doraemon versions[1]
  19. ^ a b 日本漫画家協会賞受賞者、社団法人日本漫画家協会。
  20. ^ 小学館漫画賞:歴代受賞者、小学館。
  21. ^ 受賞の記録、朝日新聞。
  22. ^ テレビ朝日系『ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』2006年2月19日放送
  23. ^ ドラえもん公式サイト インタビューチャンネル 藤子・F・不二雄先生
  24. ^ しずかちゃんのモデルはヘップバーン?!、横山泰行(2004年、10月6日)。初出は朝日新聞2006年4月1日朝刊。
  25. ^ 第15巻収録「不幸の手紙同好会」、第24巻収録「虹谷ユメ子さん」
  26. ^ 大長編「のび太と竜の騎士」ほか
  27. ^ 第26巻収録「タイムカプセル」、第28巻収録「大ピンチ! スネ夫の答案」など
  28. ^ 第11巻収録「化石大発見!」
  29. ^ 『ドラえもんプラス』第2巻収録「全体復元液」
  30. ^ 第33巻収録「さらばキー坊」
  31. ^ 『大長編ドラえもん のび太の日本誕生』
  32. ^ 『大長編ドラえもん のび太とアニマル惑星』
  33. ^ 第26巻収録「タイムカプセル」
  34. ^ 第12巻収録「天気決定表」
  35. ^ 第41巻収録「野比家は三十階」
  36. ^ 1980年1月1日放送
  37. ^ 第19巻収録「影とりプロジェクター」でそれを示唆する記述があり、第24巻『めだちライトで人気者』で明確となる
  38. ^ 第32巻収録「なんでも空港」
  39. ^ 第32巻収録「オンボロ旅館をたて直せ」
  40. ^ 『ドラえ本』第1号
  41. ^ 山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、ISBN 4886960111)p.118
  42. ^ 出版月報
  43. ^ Asian Heroes - Doraemon、TIMEasia.com
  44. ^ 『リラックス』2003年4月号
  45. ^ 『本の雑誌』2009年8月特大号
  46. ^ 『Quick Japan』vol.64など
  47. ^ 『サイゾー』2003年3月号 江川式勉強法
  48. ^ 江川達也『"全身漫画"家』光文社新書
  49. ^ 南博編(1981年)渋谷重光による論評
  50. ^ 島田「漂流する現代の宗教―ドラえもんという神は若者を救うのか」『エコノミスト』1992年3月31日号、p91
  51. ^ 南博編(1981年)
  52. ^ ドラえもんKnol (ドラペディア)』にて、横山泰行による調査。
  53. ^ この段落は、安藤健二「第一章 ポケットの中の悪夢 05「どん底」からの復活」『封印作品の憂鬱』洋泉社、2008年12月1日初版発行、ISBN 978-4-86248-338-6、97-98頁 を参照。
  54. ^ 「動物キャンディー」「しょうげき波ピストル」の計2作品
  55. ^ 「人間あやつり機」「のび太の恐竜」(短編)「ドンブラ粉」「宝さがしごっこセット」「悪の道を進め!」「あらかじめ日記はおそろしい」「おかしなおかしなかさ」「サンタえんとつ」「忘れものおくりとどけ機」「いたずらオモチャ化機」の計10作品は同誌に掲載されなかった。
  56. ^ 小学館:イングリッシュ コミックス ドラえもん
  57. ^ a b 「『ドラえもん』“学年繰り上がり式”連載史」『月報』1-1(『ドラえもん』〈藤子・F・不二雄大全集〉第1巻付録)、2009年7月、第2頁
  58. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  59. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  60. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  61. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  62. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  63. ^ 『ドラえもん 傑作選』”. 小学館:コミック. 小学館. 2009年10月25日閲覧。
  64. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  65. ^ 『ドラえもんスペシャル ドラミちゃん』”. 小学館:コミック. 小学館. 2009年10月25日閲覧。
  66. ^ 『カラー版 ドラえもん / 1』”. 小学館:コミック. 小学館. 2009年10月25日閲覧。
  67. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  68. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  69. ^ 発売日は以下の出典を参照。
  70. ^ 発売日は以下の出典を参照。

外部リンク


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