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「'''いつでも夢を'''」(いつでもゆめを)は、[[1962年]]([[昭和]]37年)[[9月20日]][[日本ビクター]](音楽事業部。後の[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]])からされた[[橋幸夫]]と[[吉永小百合]]の[[デュエット]][[楽曲|曲]](VS-807モノラル)で、橋の27枚目、吉永の3枚目の[[シングル]]。
「'''いつでも夢を'''」(いつでもゆめを)は、[[1962年]]([[昭和]]37年)に発された[[橋幸夫]]と[[吉永小百合]]の[[デュエット]][[楽曲|曲]]橋の27枚目、吉永の3枚目の[[シングル]]。[[第4回日本レコード大賞]]受賞曲


翌[[1963年]](昭和38年)1月11日には『[[いつでも夢を (映画)|いつでも夢を]]』として[[映画]]され、[[ヒット曲映画化作品]]となった。同映画でも[[主題歌]]として使用されている映画の主題歌として作られたではなく、先に楽曲があって後から映画が[[製作#映画での製作|製作]]されたものであり、映画でも橋と吉永が[[主]]を務めている。
翌[[1963年]](昭和38年には、橋と吉永の[[主演]]による同名のドラマ[[映画]]『[[いつでも夢を (映画)|いつでも夢を]]』[[製作#映画での製作|製作]]・公開され、[[ヒット曲映画化作品]]となった(本曲が映画の主題歌として作られたではなく、先に楽曲があって、それをもとに映画が製作されたという順である)。本曲は同映画で[[主題歌]]として使用されている。


通販CD-BOX『[[魅惑のムード歌謡デラックス]]』など、多くのコンピレーションアルバムに収録されている。
{{Main2|同名の映画|いつでも夢を (映画)}}


== 概要 ==
== 収録曲 ==
; オリジナル盤
橋のデビューに関わり、吉永の担当であった武田京子ビクターディレクターの企画で、両者の師であった[[佐伯孝夫]](作詞)、[[吉田正]](作曲)に提案し実現した。武田は「これは、考えに考え抜いた企画というではなく、ごく自然に私の頭の中に浮かんできたこと」と述懐している<ref>武田京子「夢のコンビ誕生まで」『橋幸夫・吉永小百合 夢のコンビ』(MBK3083)1963年12月 ビクター出版株式会社 2頁</ref>。
: [[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター]] VS-807
:* 規格:7インチシングルレコード
:* 発売当時の価格は290円。
: A. '''いつでも夢を'''(作詞:[[佐伯孝夫]]、作曲・編曲:[[吉田正]]
: B. '''あすの花嫁'''(作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正

; 再発盤(1984年)
: ビクター SV-8527
:* 規格:7インチシングルレコード
: A. '''いつでも夢を'''
: B. '''[[若い東京の屋根の下]]'''(作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正)


== 作 ==
佐伯の詞がでると吉田のにより作曲されたが、作曲にあたって吉田は、吉永が歌いやすいよう吉永に少し比重を置いたという<ref>ビクターエンタテインメント『吉田正大全集〜1948-1997』1997/9 解説書19頁そ他参照</ref>。当時は両者とも多忙な日々を送っていたためスケジュールが合わず、別々にレコーディングした音源を一つにミキシングして発売したという。なお吉永の歌が[[オーケストラ]]と合わず、やむなくピッチを上げてオーケストラと合わせた。その特徴的な歌詞と、まだ[[舟木一夫]][[西郷輝彦]]などもデビューしておらず、橋が若き王者して人気を極め、吉永も若手女優として高い人気を誇っており、その二人の初デュエット曲として発売当初より話題となり、発売から「1ヶ月で30万枚という驚異的な記録をたて……半年すぎた翌年5月には100万枚を突破した」<ref>『別冊近代映画』1966年4月臨時増刊号 22巻第7号(通巻281号) 130頁</ref>。累計売上は260万枚を記録している<ref>{{cite news|和書|title=[夢の現場で]日本の唱歌を歌う橋幸夫 心の取り戻すために|newspaper=[[毎日新聞|毎日新聞東京朝刊]]|pages=18|date=1997-06-30|accessdate=2021-05-26}}</ref><ref>{{cite news|和書|title=こんな世こそ童謡唱歌だ 日米歌手対談 橋幸夫 / グレッグ・アーウィン (その1)|newspaper=毎日新聞東京夕刊|pages=14|date=1998-03-13|accessdate=2021-05-26}}</ref>。
[[File:Yoshinaga-Sayuri-Hashi-Yukio-1.png|thumb|240px|[[吉永小百合]]と[[橋幸夫]]]]
橋のデビューに関わり、吉永の担当であった[[日本ビクター]]音楽事業部(のちの[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]])ディレクター・武田京子の企画で、両者の師であった[[佐伯孝夫]](作詞)、[[吉田正]](作曲)に提案し実現した。武田は「これは、考えに考え抜いた企画というではなく、ごく自然に私の頭の中に浮かんできたこと」と述懐している<ref>武田京子「夢のコンビ誕生まで」『橋幸夫・吉永小百合 夢のコンビ』(MBK3083)1963年12月 ビクター出版株式会社 2頁</ref>。

佐伯の詞ができると吉田の手により作曲されたが、作曲にあたって吉田は、吉永が歌いやすいよう吉永に「少し比重を置いた」という<ref>ビクターエンタテインメント『吉田正大全集〜1948-1997』1997/9 解説書19頁その他参照</ref>。当時は両者とも多忙な日々を送っていたためスケジュールが合わず、別々にレコーディングした音源を一つにミキシングして発売したという。なお吉永の歌が[[オーケストラ]]と合わず、やむなくピッチを上げてオーケストラと合わせた。


歌詞に登場する「あの子」については、橋は当初は吉永を連想して歌っていたが、吉永も共に歌唱していることに気付き、上にいる[[妖精]]のような存在を連想して歌うようになったという。
歌詞に登場する「あの子」については、橋は当初は吉永を連想して歌っていたが、吉永も共に歌唱していることに気付き、上にいる[[妖精]]のような存在を連想して歌うようになったという。


== ヒット・受賞と影響 ==
詞・曲ともに明るい憧憬にあふれたこの楽曲は、[[第4回日本レコード大賞]]の大賞を受賞し、1962年を代表する楽曲となり、[[1960年代]]の[[高度経済成長|高度成長期]]を象徴する楽曲となった。その後も長い間、日本国民に愛された楽曲として人気を保っている。長年にわたり[[ラジオ番組|ラジオ]]や[[テレビ番組|テレビ]]の各番組で流され、この楽曲へのリクエストも多い。そのため、発売当時はまだ生まれていなかった世代にもこの曲はよく知られている。
王者歌御三家」の[[舟木一夫]][[西郷輝彦]]デビュー前である)と人気若手女優の初デュエット曲という顔合わせや、その特徴的な歌詞が発売当初より話題となり、発売から「1ヶ月で30万枚という驚異的な記録をたて……半年すぎた翌年5月には100万枚を突破した」<ref>『別冊近代映画』1966年4月臨時増刊号 22巻第7号(通巻281号) 130頁</ref>。累計売上は260万枚を記録している<ref>{{cite news|和書|title=[夢の現場で]日本の唱歌を歌う橋幸夫 心の取り戻すために|newspaper=[[毎日新聞]]東京朝刊|pages=18|date=1997-06-30|accessdate=2021-05-26}}</ref><ref>{{cite news|和書|title=こんな世こそ童謡唱歌だ 日米歌手対談 橋幸夫 / グレッグ・アーウィン (その1)|newspaper=毎日新聞東京夕刊|pages=14|date=1998-03-13|accessdate=2021-05-26}}</ref>。


1962年末、[[第4回日本レコード大賞]]を受賞。
発表翌年の[[1963年]]1月11日には、[[いつでも夢を (映画)|同名の映画]]([[日活]]作品、監督:[[野村孝]])が封切られ、同作品についても橋と吉永が揃って出演した([[浜田光夫]]、[[松原智恵子]]、[[野呂圭介]]、[[信欣三]]、[[内藤武敏]]らが共演)。同映画でもこ曲は主題歌として使用され、劇中で吉永の「[[寒い朝]]」、橋の「[[潮来笠]]」などとともに歌唱されている。


発表翌年の1963年1月11日には、[[いつでも夢を (映画)|同名の映画]]([[日活]]作品、監督:[[野村孝]])が封切られ、同作品についても橋と吉永が揃って出演した([[浜田光夫]]、[[松原智恵子]]、[[野呂圭介]]、[[信欣三]]、[[内藤武敏]]らが共演)。この曲は同映画の主題歌として使用され、劇中ではこの他に吉永の「[[寒い朝]]」、橋の「[[潮来笠]]」歌唱される。
なお、他に橋が[[美空ひばり]]と共演した映画『ひばり・橋の花と喧嘩』([[1970]][[松竹]]作、監督:[[野村芳太郎]])では「いつでも夢」の橋とひばりの[[デュエット]]によるバージョン使われている(こちらは[[コンパクトディスク|CD]]化されていない模様)。


また、同1963年3・4月開催[[第35回選抜高等学校野球大会|第35回選抜高校野球大会]]では、[[選抜高等学校野球大会入場行進曲|入場行進曲]]として採用された。
楽曲・映画両方のヒットを受け、同1963年春に開催された[[第35回選抜高等学校野球大会]][[選抜高等学校野球大会入場行進曲|入場行進曲]]採用された。


2005年に[[日本放送協会]](NHK)が行った「[[スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜]]」では、本曲が紅組22位にランクインした。
『[[NHK紅白歌合戦]]』では、[[1962年]][[第13回NHK紅白歌合戦]][[1970年]][[第21回NHK紅白歌合戦]]、[[1990年]]の『[[第41回NHK紅白歌合戦]][[1998年]][[第49回NHK紅白歌合戦]]』と合計4回歌唱されているが、いずれも橋のソロでの歌唱であった。


2007年には「[[日本の歌百選]]」に選出された。
橋と吉永が[[音楽番組]]で[[デュエット|一緒に歌唱]]している映像は、[[1968年]][[12月27日]]に[[TBSテレビ|TBS]]系列で放送された『[[日本レコード大賞]]10周年特番』(カラーのビデオ映像)のものが現存する。


== 各媒体での使用 ==
1960年代を代表するヒット曲として、後述のとおり多数の歌手により[[カバー]]されている。[[コマーシャルソング|CMソング]]としても多数使用され、[[1992年]]には[[サントリー]][[烏龍茶]]のCMで[[中国語]]で歌われたバージョンも存在した(ただし橋・吉永本人の歌唱ではない)。他に[[中日ドラゴンズ]]監督時代の[[星野仙一]]が出演した[[第一製薬]]の胃腸薬「[[第一三共ヘルスケア#製品|センロック]]」のCM([[替え歌]]、こちらも本人歌唱ではない)、吉永出演の[[シャープ]][[薄型テレビ|液晶テレビ]]「[[アクオス|AQUOS]]」CM(こちらは[[サザンオールスターズ]]のメンバーでもある[[桑田佳祐]]・[[原由子]]夫妻のデュエット)でも使用された。[[2017年]]からは、吉永小百合が出演する[[ソフトバンクモバイル]]のテレビCMで使用された。
=== 映画・テレビ番組での歌唱 ===
* 橋が[[美空ひばり]]と共演した映画『ひばり・橋の花と喧嘩』(1970年[[松竹]]作、監督:[[野村芳太郎]])では本曲を橋とひばりが歌唱している([[コンパクトディスク|CD]]化されていない{{独自研究範囲|模様|date=2022-10}})。
* 『[[NHK紅白歌合戦]]』では、いずれも橋のソロで、1962年の[[第13回NHK紅白歌合戦|第13回]]、1970年の[[第21回NHK紅白歌合戦|第21回]]、1990年の『[[第41回NHK紅白歌合戦|第41回]]、1998年の[[第49回NHK紅白歌合戦|第49回]]合計4回歌唱された。
* 橋と吉永が[[音楽番組]]で[[デュエット|一緒に歌唱]]している映像は、1968年12月27日に[[TBSテレビ|TBS]]系列で放送された『[[日本レコード大賞]]10周年特番』(カラーのビデオ映像)のものが現存する。
* 2013年3月31日放送の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[今夜も生でさだまさし]]』でサブタイトルに使用され、橋と[[さだまさし]]が歌唱した(また、吉永もVTR出演)<ref>[https://web.archive.org/web/20161101164540/http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/21652/632770/],goo</ref>。


=== 映画テーマソング ===
[[2005年]]にNHKが行った「[[スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜]]」では、本曲が紅組22位にランクインした。
* 作曲者・吉田正の故郷である[[茨城県]][[日立市]]が舞台となっている2019年の映画『[[ある町の高い煙突]]』でエンディングテーマとして使用。


=== コマーシャルソング ===
[[2007年]]には「[[日本の歌百選]]」に選出された。
2017年に、吉永小百合が出演する[[ソフトバンクモバイル]]のテレビCMで[[コマーシャルソング|CMソング]]として使用された。このほか、橋・吉永本人の歌唱ではないもの(カバー)のCM使用については後述。

[[2013年]]3月31日放送の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[今夜も生でさだまさし]]』でサブタイトルに使用され、橋と[[さだまさし]]が歌唱した(また、吉永もVTR出演)<ref>[http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/21652/632770/],goo</ref>。


=== 『あまちゃん』での使用 ===
=== 『あまちゃん』での使用 ===
2013年上期の[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[あまちゃん]]』では、主人公の天野アキ([[能年玲奈]])をはじめとする[[海人|海女]]たちがこの歌を歌いながら海女[[漁]]に出るなど、劇中で様々な人物によって歌唱されている。天野夏が20代であった1960年代のヒット曲であることと、脚本担当の[[宮藤官九郎]]が「本曲がドラマの世界観を表している」判断したことからこの曲が採用された<ref>[http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/13/681783/],goo</ref>。
2013年上期のNHK[[連続テレビ小説]]『[[あまちゃん]]』では、主人公の天野アキ([[能年玲奈]])をはじめとする[[海人|海女]]たちがこの歌を歌いながら海女[[漁]]に出るなど、劇中で様々な人物によって歌唱されている。天野夏が20代であった1960年代のヒット曲であることと、脚本担当の[[宮藤官九郎]]が「本曲がドラマの世界観を表している」判断したことからこの曲が採用された<ref>[https://web.archive.org/web/20161101164350/http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/13/681783/],goo</ref>。


第116話(同年[[8月13日]]放送)では橋が本人役で出演し、天野夏([[宮本信子]])とのデュエットでこの曲を歌った。このバージョンは、同2013年8月28日にビクターエンタテインメントから発売された『[[あまちゃん 歌のアルバム]]』に収録されている。
第116話(同年[[8月13日]]放送)では橋が本人役で出演し、天野夏([[宮本信子]])とのデュエットでこの曲を歌った。このバージョンは、同2013年8月28日にビクターエンタテインメントから発売された『[[あまちゃん 歌のアルバム]]』に収録されている。
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橋は朝が苦手なため、朝の連続テレビ小説はこれまでほぼ視聴したことはなく、『あまちゃん』も最初は視聴していなかったが、息子である[[橋龍吾]]より『あまちゃん』を1度観るよう促され、途中から視聴しはまっていったという。そのため、出演オファーがあると思っていなかった。
橋は朝が苦手なため、朝の連続テレビ小説はこれまでほぼ視聴したことはなく、『あまちゃん』も最初は視聴していなかったが、息子である[[橋龍吾]]より『あまちゃん』を1度観るよう促され、途中から視聴しはまっていったという。そのため、出演オファーがあると思っていなかった。


== 収録曲 ==
=== 駅発車メロディ ===
作曲者の吉田正の故郷が[[日立市]]であることにちなみ、同市内の[[常磐線]]の[[大甕駅]]・[[常陸多賀駅]]・[[日立駅]]・[[小木津駅]]・[[十王駅]]において、上りホームの[[発車メロディ]]として使用されている。
# '''いつでも夢を'''
#* 作詞:[[佐伯孝夫]]、作曲・編曲:[[吉田正]]
# '''あすの花嫁'''
#* 作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正


2020年2月14日からは、[[いつでも夢を (映画)|同名映画]]の撮影が行われた[[日活撮影所|日活調布撮影所]]の最寄り駅である[[京王線]]の[[布田駅]]において、[[発車メロディ|接近メロディ]]として採用された<ref name=":0">{{Cite press release|和書|title=布田駅・京王多摩川駅の列車接近メロディーが映画の主題歌に変わります!|url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2019/nr20200206_melody.pdf|publisher=京王電鉄/調布市|format=PDF|date=2020-02-06|accessdate=2020-02-13}}</ref>。なお、これは[[京王電鉄]]と[[調布市]]の[[地域おこし|地域活性化]]事業「映画のまち調布」との[[タイアップ]]によるもので<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=(2月6日発表)布田駅・京王多摩川駅の列車接近メロディーが映画の主題歌に|url=https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1580973687680/index.html|website=調布市ホームページ|accessdate=2020-07-27|language=ja|publisher=|date=2020-02-06}}</ref>、同日より同じ調布市内にある[[京王相模原線]]の[[京王多摩川駅]]でも、接近メロディに[[映画]][[主題歌]]([[シャル・ウィ・ダンス? (曲)|シャル・ウィ・ダンス?]])が採用されている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。
* 発売元:[[日本ビクター]](現:[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]]

* 発売当時の価格は290円。


== カバー ==
== カバー ==
多数の歌手により[[カバー]]されている。
* [[ペギー・マーチ]] - シングル「霧の中の少女」B面。英題は「ITSUDEMO YUME O」。作詞・作曲のクレジットは「T.Saheki、Angelis、T.Yoshida」。英語詞(サビの一部分は日本語)でカバー([[1964]])。
* [[ペギー・マーチ]] - シングル「霧の中の少女」B面。英題は「ITSUDEMO YUME O」。作詞・作曲のクレジットは「T.Saheki、Angelis、T.Yoshida」。英語詞(サビの一部分は日本語)でカバー(1964年)。
* [[佐良直美]] - アルバム『[[鈴懸の径 -佐伯孝夫 優しい詩集-]]』に収録([[1972]])。
* [[佐良直美]] - アルバム『[[鈴懸の径 -佐伯孝夫 優しい詩集-]]』に収録(1972年)。
* 梅暁洲・姜小青「いつでも夢を 中国語バージョン」 - シングル発売。またサントリー烏龍茶の景品CDなどに収録([[1992年]])
* 梅暁洲・姜小青「いつでも夢を 中国語バージョン」 - シングル発売。また[[サントリー]][[烏龍茶]]のCMに用いられ、同商品の景品CD(1992年)などに収録。
* [[原由子]]・[[桑田佳祐]] - [[2000年]]12月「液晶[[アクオス]]」[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]ソングとして制作。原のソロアルバム『[[東京タムレ]]』(2002年)に収録。
* [[原由子]]・[[桑田佳祐]] - 2000年12月「液晶[[アクオス]]」[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]ソングとして制作。原のソロアルバム『[[東京タムレ]]』(2002年)に収録。
* [[吉田拓郎]] - アルバム『[[こんにちわ (アルバム)|こんにちわ]]』に収録。([[2001]])。
* [[吉田拓郎]] - アルバム『[[こんにちわ (アルバム)|こんにちわ]]』に収録。(2001年)。
* [[天童よしみ]] - アルバム『花飾り〜天童よしみオリジナルベスト・アルバム〜』に収録(2001年)。
* [[天童よしみ]] - アルバム『花飾り〜天童よしみオリジナルベスト・アルバム〜』に収録(2001年)。
* [[桑島法子]] - アルバム『[[Flores〜死者への花束]]』に収録(2001年)。また、ベストアルバム『HouKo ChroniCle』にも収録([[2015年]])
* [[桑島法子]] - アルバム『[[Flores〜死者への花束]]』に収録(2001年)。また、ベストアルバム『HouKo ChroniCle』(2015年)にも収録。
* [[五木ひろし]] - アルバム『哀愁の吉田メロディを歌う』に収録([[2004年]])
* [[五木ひろし]] - アルバム『哀愁の吉田メロディを歌う』(2004年)に収録。
* [[遊佐未森]]・[[檀れい]] - アルバム『淡雪』に収録([[2012年]])
* [[遊佐未森]]・[[檀れい]] - アルバム『淡雪』(2012年)に収録。
* [[徳永ゆうき]]・[[近藤春菜]] - アルバム『ゆうきのうた-故郷編-』に収録([[2014]]、UPCH-20368)。
* [[徳永ゆうき]]・[[近藤春菜]] - アルバム『ゆうきのうた-故郷編-』(2014年、UPCH-20368)に収録
* [[ダ・カーポ]] - アルバム『45周年記念 日本のうたファンタジー』([[2017]])。
* [[ダ・カーポ (歌手グループ)|ダ・カーポ]] - アルバム『45周年記念 日本のうたファンタジー』(2017年)に収録
* [[はやぶさ (コーラスグループ)|はやぶさ]] - シングル『[[未来はジョー! ジョー!#通常盤Bタイプ|未来はジョー! ジョー!]]』(2017年)に収録。
* [[音楽隊 (海上自衛隊)|海上自衛隊東京音楽隊]]、[[三宅由佳莉]] - アルバム『[[シング・ジャパン―心の歌―|シング・ジャパン ―心の歌―]]』に収録(2017年、編曲:[[義野裕明]])
* [[音楽隊 (海上自衛隊)|海上自衛隊東京音楽隊]]、[[三宅由佳莉]] - アルバム『[[シング・ジャパン―心の歌―]]』(2017年)に収録。

* コマーシャルにおけるオリジナルカバー
== 駅発車メロディ ==
** [[第一製薬]]「[[第一三共ヘルスケア#製品|センロック]]」 - [[替え歌]]。[[星野仙一]]が出演<ref>[https://bunshun.jp/articles/-/5774 タイガースを18年ぶりの優勝に導いたでっかいオヤジ――追悼・星野仙一] 文春オンライン、2018年1月9日</ref>。
作曲者の吉田正の故郷が[[日立市]]であることにちなみ、同市内の[[常磐線]]の[[大甕駅]]・[[常陸多賀駅]]・[[日立駅]]・[[小木津駅]]・[[十王駅]]において、上りホームの[[発車メロディ]]として使用されている。
** [[サントリー]]「[[烏龍茶]]」 - Chai 中国語カバー。

2020年2月14日からは、[[いつでも夢を (映画)|同名映画]]の撮影が行われた[[日活撮影所|日活調布撮影所]]の最寄り駅である[[京王線]]の[[布田駅]]において、[[発車メロディ|接近メロディ]]として採用された<ref name=":0">{{Cite press release|title=布田駅・京王多摩川駅の列車接近メロディーが映画の主題歌に変わります!|url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2019/nr20200206_melody.pdf|publisher=京王電鉄/調布市|format=PDF|date=2020-02-06|accessdate=2020-02-13}}</ref>。なお、これは[[京王電鉄]]と[[調布市]]の[[地域おこし|地域活性化]]事業「映画のまち調布」との[[タイアップ]]によるもので<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web|title=(2月6日発表)布田駅・京王多摩川駅の列車接近メロディーが映画の主題歌に|url=https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1580973687680/index.html|website=調布市ホームページ|accessdate=2020-07-27|language=ja|publisher=|date=2020-02-06}}</ref>、同日より同じ調布市内にある[[京王相模原線]]の[[京王多摩川駅]]でも、接近メロディに[[映画]][[主題歌]]([[シャル・ウィ・ダンス? (曲)|シャル・ウィ・ダンス?]])が採用されている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。

== 収録 ==
* [[魅惑のムード歌謡デラックス]]
* [[連続テレビ小説「あまちゃん」オリジナル・サウンドトラック]]
* [[あまちゃん 歌のアルバム]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[いつでも夢を (映画)]]
* [[ヒット曲映画化作品]]
* [[1962年の音楽]]
* [[1962年の音楽]]
* [[日本の歌百選]]
* [[日本の歌百選]]
* [[デュエット]]
* [[あまちゃん]]


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2024年5月11日 (土) 14:22時点における版

「いつでも夢を」
橋幸夫/吉永小百合シングル
B面 あすの花嫁
リリース
規格 7インチシングルレコード
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 佐伯孝夫(作詞)
吉田正(作曲)
ゴールドディスク
橋幸夫/吉永小百合 シングル 年表
いつでも夢を
(1962年)
若い東京の屋根の下
(1963年)
橋幸夫 年表
成田の花太郎
(1962年)
いつでも夢を
(1962年)
わが胸に歌は消えず
(1962年)
吉永小百合 年表
草を刈る娘
(1962年)
いつでも夢を
(1962年)
かわいい花の物語
(1962年)
試聴
いつでも夢を - JVCKENWOOD Victor Entertainment提供のYouTubeアートトラック
テンプレートを表示

いつでも夢を」(いつでもゆめを)は、1962年昭和37年)に発表された橋幸夫吉永小百合デュエット。橋の27枚目、吉永の3枚目のシングル第4回日本レコード大賞受賞曲。

1963年(昭和38年)には、橋と吉永の主演による同名のドラマ映画いつでも夢を』が製作・公開され、ヒット曲映画化作品となった(本曲が映画の主題歌として作られたのではなく、先に楽曲があって、それをもとに映画が製作されたという順である)。本曲は同映画で主題歌として使用されている。

通販CD-BOX『魅惑のムード歌謡デラックス』など、多くのコンピレーションアルバムに収録されている。

収録曲

オリジナル盤
ビクター VS-807
  • 規格:7インチシングルレコード
  • 発売当時の価格は290円。
A. いつでも夢を(作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正
B. あすの花嫁(作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正)
再発盤(1984年)
ビクター SV-8527
  • 規格:7インチシングルレコード
A. いつでも夢を
B. 若い東京の屋根の下(作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正)

制作

吉永小百合橋幸夫

橋のデビューに関わり、吉永の担当でもあった日本ビクター音楽事業部(のちのJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)ディレクター・武田京子の企画で、両者の師であった佐伯孝夫(作詞)、吉田正(作曲)に提案し実現した。武田は「これは、考えに考え抜いた企画というではなく、ごく自然に私の頭の中に浮かんできたこと」と述懐している[1]

佐伯の詞ができると吉田の手により作曲されたが、作曲にあたって吉田は、吉永が歌いやすいよう吉永に「少し比重を置いた」という[2]。当時は両者とも多忙な日々を送っていたためスケジュールが合わず、別々にレコーディングした音源を一つにミキシングして発売したという。なお吉永の歌がオーケストラと合わず、やむなくピッチを上げてオーケストラと合わせた。

歌詞に登場する「あの子」については、橋は当初は吉永を連想して歌っていたが、吉永も共に歌唱していることに気付き、上にいる妖精のような存在を連想して歌うようになったという。

ヒット・受賞と影響

若き王者歌手(「御三家」の舟木一夫西郷輝彦はデビュー前である)と人気若手女優の初デュエット曲という顔合わせや、その特徴的な歌詞が発売当初より話題となり、発売から「1ヶ月で30万枚という驚異的な記録をたて……半年すぎた翌年5月には100万枚を突破した」[3]。累計売上は260万枚を記録している[4][5]

1962年末、第4回日本レコード大賞を受賞。

発表翌年の1963年1月11日には、同名の映画日活作品、監督:野村孝)が封切られ、同作品についても橋と吉永が揃って出演した(浜田光夫松原智恵子野呂圭介信欣三内藤武敏らが共演)。この曲は同映画の主題歌として使用され、劇中ではこの他に吉永の「寒い朝」、橋の「潮来笠」が歌唱される。

楽曲・映画両方のヒットを受け、同1963年春に開催された第35回選抜高等学校野球大会入場行進曲に採用された。

2005年に日本放送協会(NHK)が行った「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、本曲が紅組22位にランクインした。

2007年には「日本の歌百選」に選出された。

各媒体での使用

映画・テレビ番組での歌唱

映画テーマソング

コマーシャルソング

2017年に、吉永小百合が出演するソフトバンクモバイルのテレビCMでCMソングとして使用された。このほか、橋・吉永本人の歌唱ではないもの(カバー)のCM使用については後述。

『あまちゃん』での使用

2013年上期のNHK連続テレビ小説あまちゃん』では、主人公の天野アキ(能年玲奈)をはじめとする海女たちがこの歌を歌いながら海女に出るなど、劇中で様々な人物によって歌唱されている。天野夏が20代であった1960年代のヒット曲であることと、脚本担当の宮藤官九郎が「本曲がドラマの世界観を表している」と判断したことからこの曲が採用された[7]

第116話(同年8月13日放送)では橋が本人役で出演し、天野夏(宮本信子)とのデュエットでこの曲を歌った。このバージョンは、同2013年8月28日にビクターエンタテインメントから発売された『あまちゃん 歌のアルバム』に収録されている。

橋は朝が苦手なため、朝の連続テレビ小説はこれまでほぼ視聴したことはなく、『あまちゃん』も最初は視聴していなかったが、息子である橋龍吾より『あまちゃん』を1度観るよう促され、途中から視聴しはまっていったという。そのため、出演オファーがあると思っていなかった。

駅発車メロディ

作曲者の吉田正の故郷が日立市であることにちなみ、同市内の常磐線大甕駅常陸多賀駅日立駅小木津駅十王駅において、上りホームの発車メロディとして使用されている。

2020年2月14日からは、同名映画の撮影が行われた日活調布撮影所の最寄り駅である京王線布田駅において、接近メロディとして採用された[8]。なお、これは京王電鉄調布市地域活性化事業「映画のまち調布」とのタイアップによるもので[8][9]、同日より同じ調布市内にある京王相模原線京王多摩川駅でも、接近メロディに映画主題歌シャル・ウィ・ダンス?)が採用されている[8][9]

カバー

多数の歌手によりカバーされている。

脚注

  1. ^ 武田京子「夢のコンビ誕生まで」『橋幸夫・吉永小百合 夢のコンビ』(MBK3083)1963年12月 ビクター出版株式会社 2頁
  2. ^ ビクターエンタテインメント『吉田正大全集〜1948-1997』1997/9 解説書19頁その他参照
  3. ^ 『別冊近代映画』1966年4月臨時増刊号 22巻第7号(通巻281号) 130頁
  4. ^ 「[夢の現場で]日本の唱歌を歌う橋幸夫 心の取り戻すために」『毎日新聞東京朝刊』1997年6月30日、18面。2021年5月26日閲覧。
  5. ^ 「こんな世こそ童謡唱歌だ 日米歌手対談 橋幸夫 / グレッグ・アーウィン (その1)」『毎日新聞東京夕刊』1998年3月13日、14面。2021年5月26日閲覧。
  6. ^ [1],goo
  7. ^ [2],goo
  8. ^ a b c 布田駅・京王多摩川駅の列車接近メロディーが映画の主題歌に変わります!』(PDF)(プレスリリース)京王電鉄/調布市、2020年2月6日https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2019/nr20200206_melody.pdf2020年2月13日閲覧 
  9. ^ a b (2月6日発表)布田駅・京王多摩川駅の列車接近メロディーが映画の主題歌に”. 調布市ホームページ (2020年2月6日). 2020年7月27日閲覧。
  10. ^ タイガースを18年ぶりの優勝に導いたでっかいオヤジ――追悼・星野仙一 文春オンライン、2018年1月9日

関連項目