「ひねり飛車」の版間の差分
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|▲ 歩<br />第15手 ▲3六飛まで}} |
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'''ひねり飛車'''(ひねりびしゃ)は、[[将棋]]の戦法の一つ。別名'''縦歩取り'''(たてふどり)。 |
'''ひねり飛車'''(ひねりびしゃ)は、[[将棋]]の戦法の一つ。別名'''縦歩取り'''(たてふどり)。 |
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江戸時代末期に成立したとされる。古くは「児玉屋組」と呼ばれた。 |
[[江戸時代]]末期に成立したとされる。古くは「児玉屋組」と呼ばれた。 |
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==概要== |
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長い間戦法として認められず、田舎将棋と蔑まれていたが、[[升田幸三]]らが定跡を整理して公式戦で成果を挙げたため、一般に認知されるようになった。自分だけが2歩を手持ちにできる |
長い間戦法として認められず、田舎将棋と蔑まれていたが、[[升田幸三]]らが[[定跡]]を整理して公式戦で成果を挙げたため、一般に認知されるようになった。 |
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*自分だけが2歩を手持ちにできる |
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*[[振り飛車]]の理想形とされる[[石田流]]に組んで主導権を握れる |
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「縦歩取り」というのは、その名の通り、縦から[[歩兵|歩]]を狙う戦法。つまり[[先手]]なら(普通は先手にしかできないが)△3四歩を狙って、2六にいた[[飛車]]を3六へ寄る(もちろん後手は取られないようにする)。この後この飛車を左翼へと転換する(これが |
「縦歩取り」というのは、その名の通り、縦から[[歩兵|歩]]を狙う戦法。つまり[[先手]]なら(普通は先手にしかできないが)△3四歩を狙って、2六にいた[[飛車]]を3六へ寄る(もちろん後手は取られないようにする)。この後この飛車を左翼へと転換する(これが「ひねり飛車」の由来)。△3四歩を狙った手が損になるような気がするが、△3四歩を守るには△3三[[金将|金]]しか手段がない(△8四飛もあるが、飛車の働きが不自由になるので指されない)。つまり、相手の左金を三段目に釣り上げて悪形にするのが▲3六飛の狙いである。後手は悪形にされて固い囲いができなくなる。あとは左翼から攻め込んで勝負がつく。 |
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==ひねり飛車の衰退== |
==ひねり飛車の衰退== |
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後手が上記の局面を打破するための対策が立てられた。△3四歩を省略すれば△3三金の悪形にする必要もなく、3六へ寄った飛車は単なる一手損になってしまう。3六に飛車を動かさなくともいいようだが、後手の飛車 |
後手が上記の局面を打破するための対策が立てられた。△3四歩を省略すれば△3三金の悪形にする必要もなく、3六へ寄った飛車は単なる一手損になってしまう。3六に飛車を動かさなくともいいようだが、後手の飛車に8六に居座られると、飛車を左翼に振るため▲7五歩が指せなくなり、△3四歩がないにもかかわらず、飛車を3六に持っていかなければならない。これは、飛車を[[ネコ|猫]]、△3三歩を[[ネズミ|鼠]]に例えて'''ネコ式縦歩取り'''と呼ばれた。金を三段目に上げないので後手の囲いも固くなる。これが一時期ひねり飛車が指されなくなる原因だった。 |
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しかし[[1986年]]頃からの[[塚田スペシャル]]の流行を受け、[[1992年]]頃にそれを応用し打開した。[[相掛かり]]での戦法なので似ているといえば似ている。これによって▲3六飛に代わる▲2四歩が考え出され、後手は▲2四歩を打たれる前に8六の飛車を撤退させるのが主流となった。先手に一手損させるのは美味しいが、それよりも▲2四歩からの仕掛けが厳しいためである。しかし△3三金が不必要となったため、囲いが固くなり、先手の勝率が低いのは確かである。本家の塚田スペシャルは決定的な対抗策が出てしまって廃れたが、ここにそれが受け継がれている。 |
しかし[[1986年]]頃からの[[塚田スペシャル]]の流行を受け、[[1992年]]頃にそれを応用し打開した。[[相掛かり]]での戦法なので似ているといえば似ている。これによって▲3六飛に代わる▲2四歩が考え出され、後手は▲2四歩を打たれる前に8六の飛車を撤退させるのが主流となった。先手に一手損させるのは美味しいが、それよりも▲2四歩からの仕掛けが厳しいためである。しかし△3三金が不必要となったため、囲いが固くなり、先手の勝率が低いのは確かである。本家の塚田スペシャルは決定的な対抗策が出てしまって廃れたが、ここにそれが受け継がれている。 |
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== 主な指し方 == |
== 主な指し方 == |
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創始者は[[丸田祐三]]。後手が飛車先を交換してきたとき、8筋に歩を打たずに▲9七[[角行|角]]と上がり、2歩を手持ちにして主導権を握る指し方である。かつてはひねり飛車における代表的な指し方だったが、相掛かりの[[新旧対抗型]]が指されなくなったこともあり、従来6二に上がっていた右銀を7二と上がるなど後手の対策が進んだため、現在では上級者の対戦ではほとんどみられない指し方になったが、初心者向け定跡書などでは現在も掲載されている。 |
:創始者は[[丸田祐三]]。後手が飛車先を交換してきたとき、8筋に歩を打たずに▲9七[[角行|角]]と上がり、2歩を手持ちにして主導権を握る指し方である。かつてはひねり飛車における代表的な指し方だったが、相掛かりの[[新旧対抗型]]が指されなくなったこともあり、従来6二に上がっていた右[[銀|銀将]]を7二と上がるなど後手の対策が進んだため、現在では上級者の対戦ではほとんどみられない指し方になったが、初心者向け定跡書などでは現在も掲載されている。 |
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玉を坊主美濃(2七歩のない[[美濃囲い|片美濃囲い]])に囲うのが特色。 |
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△3三金の悪形を何とかしようと考え出された |
:△3三金の悪形を何とかしようと考え出された。この「たこ」は(海にいる「[[タコ|蛸]]」ではなく)空に浮かべる「[[凧]]」である。この戦法は、△3三金を4四から飛び立たせ、△2二角の「ヒモ」を頼りに攻めていく戦法である。ただ、玉が薄くなるので現在では全く指されていない。升田幸三が考案し、命名者は[[加藤治郎 (棋士)|加藤治郎]]とされている。 |
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== ひねり飛車を得意とした棋士 == |
== ひねり飛車を得意とした棋士 == |
2009年3月12日 (木) 02:06時点における版
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ひねり飛車(ひねりびしゃ)は、将棋の戦法の一つ。別名縦歩取り(たてふどり)。 江戸時代末期に成立したとされる。古くは「児玉屋組」と呼ばれた。
概要
長い間戦法として認められず、田舎将棋と蔑まれていたが、升田幸三らが定跡を整理して公式戦で成果を挙げたため、一般に認知されるようになった。
などの数々の利点から一時期は将棋必勝法ではないかと考えられ、プロ棋士の人気戦法第三位になったこともある。
「縦歩取り」というのは、その名の通り、縦から歩を狙う戦法。つまり先手なら(普通は先手にしかできないが)△3四歩を狙って、2六にいた飛車を3六へ寄る(もちろん後手は取られないようにする)。この後この飛車を左翼へと転換する(これが「ひねり飛車」の由来)。△3四歩を狙った手が損になるような気がするが、△3四歩を守るには△3三金しか手段がない(△8四飛もあるが、飛車の働きが不自由になるので指されない)。つまり、相手の左金を三段目に釣り上げて悪形にするのが▲3六飛の狙いである。後手は悪形にされて固い囲いができなくなる。あとは左翼から攻め込んで勝負がつく。
ひねり飛車の衰退
後手が上記の局面を打破するための対策が立てられた。△3四歩を省略すれば△3三金の悪形にする必要もなく、3六へ寄った飛車は単なる一手損になってしまう。3六に飛車を動かさなくともいいようだが、後手の飛車に8六に居座られると、飛車を左翼に振るため▲7五歩が指せなくなり、△3四歩がないにもかかわらず、飛車を3六に持っていかなければならない。これは、飛車を猫、△3三歩を鼠に例えてネコ式縦歩取りと呼ばれた。金を三段目に上げないので後手の囲いも固くなる。これが一時期ひねり飛車が指されなくなる原因だった。
しかし1986年頃からの塚田スペシャルの流行を受け、1992年頃にそれを応用し打開した。相掛かりでの戦法なので似ているといえば似ている。これによって▲3六飛に代わる▲2四歩が考え出され、後手は▲2四歩を打たれる前に8六の飛車を撤退させるのが主流となった。先手に一手損させるのは美味しいが、それよりも▲2四歩からの仕掛けが厳しいためである。しかし△3三金が不必要となったため、囲いが固くなり、先手の勝率が低いのは確かである。本家の塚田スペシャルは決定的な対抗策が出てしまって廃れたが、ここにそれが受け継がれている。
主な指し方
先手
- 丸田流
- 創始者は丸田祐三。後手が飛車先を交換してきたとき、8筋に歩を打たずに▲9七角と上がり、2歩を手持ちにして主導権を握る指し方である。かつてはひねり飛車における代表的な指し方だったが、相掛かりの新旧対抗型が指されなくなったこともあり、従来6二に上がっていた右銀将を7二と上がるなど後手の対策が進んだため、現在では上級者の対戦ではほとんどみられない指し方になったが、初心者向け定跡書などでは現在も掲載されている。
- 勝浦流
- 創始者は勝浦修。勝浦の別名から「カミソリ流ひねり飛車」とも呼ばれた。通常の石田流では左銀を6七に上がって攻撃に使うことが多く、ひねり飛車においてもそれが当然視されていたが、銀を5七に上がり場合によっては囲いの一つとして利用しようという指し方が考案され、一時流行した。ひねり飛車の玉の薄さを補うための工夫である。特にたこ金に有効とされ、ひねり飛車持久戦型として定跡となっている。ただし攻撃力が若干落ちるため、後手にも右金を自由に使われてしまうことがわかり、ひねり飛車を衰退から回復させるまでは到らなかった。
- 升田式
- 升田幸三が升田式石田流と並んで多く採用し、加藤一二三・中原誠を破った独特な指し方で、玉を坊主美濃(2七歩のない片美濃囲い)に囲うのが特色。
- 7八銀型
- 創始者は青野照市で、青野流とも呼ばれる。通常の相掛かりの序盤では角頭を守るために7八には金を上がるが、初めからひねり飛車を狙っている場合は銀を7八に上がることもある。左金を円滑に5八に持っていける点が長所である。プロの将棋においてはほとんど見られない。
その他、塚田泰明・豊川孝弘らが創始したと思われる超急戦型(玉を囲わない)もある。
後手
- たこ金
- △3三金の悪形を何とかしようと考え出された。この「たこ」は(海にいる「蛸」ではなく)空に浮かべる「凧」である。この戦法は、△3三金を4四から飛び立たせ、△2二角の「ヒモ」を頼りに攻めていく戦法である。ただ、玉が薄くなるので現在では全く指されていない。升田幸三が考案し、命名者は加藤治郎とされている。
- 金美濃
- 正式名称はないが、△3三金と上がらずに玉を2二まで深く囲う形である。場合によっては右金も利用して金銀3枚の堅陣となる。現在、ひねり飛車対策として最も指されている。
- 左美濃・穴熊
- やや変則的な手順によることが必要だが、左美濃・穴熊に囲う場合もある。
ひねり飛車を得意とした棋士
- 丸田祐三 - 丸田新手9七角を発案
- 勝浦修 - カミソリ流ひねり飛車を考案
- 升田幸三 - 晩年愛用した
- 加藤一二三 - 新手を対羽生善治戦で発案し、勝利した
- 森雞二 - 『一閃!森流ヒネリ飛車』の著者