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=== 国際大会への挑戦 ===
=== 国際大会への挑戦 ===
その後アイルランド自由国は1937年に「エール」、1949年にはイギリス連邦から完全に独立して「アイルランド共和国」に国名を変更した。この間絶え間なく国際大会への挑戦が続いていたが、ことごとく退けられていた。
その後アイルランド自由国は1937年に「エール」、1949年にはイギリス連邦から完全に独立して「アイルランド共和国」に国名を変更した。この間絶え間なく国際大会への挑戦が続いていたが、ことごとく退けられていた。


[[FIFAワールドカップ|W杯]]は[[1990年]]の[[1990 FIFAワールドカップ|イタリア大会]]で本大会初出場ベスト8入りを果たした。[[1994年]]の[[1994 FIFAワールドカップ|米国大会]]でもベスト16入り。[[1998 FIFAワールドカップ|1998年・フランス大会]]では[[1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選|予選プレーオフ]]で[[サッカーベルギー代表|ベルギー]]に敗れ、3大会連続本大会出場はならなかったものの、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年・日韓共催大会]]の[[2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選|予選]]で[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]、[[サッカーオランダ代表|オランダ]]と同じグループという激戦区の中、オランダを蹴落としてグループ2位となりプレーオフに回る。プレーオフでは[[2002 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]第3位<ref>2002年・日韓共催大会の欧州予選は9組に分けて行われ、各組1位国は自動的に本大会出場権獲得。2位国はプレーオフに回ることになっていたが、その中でも抽選で選ばれたグループの1チームがアジア予選3位国との大陸間プレーオフに回る規定となっていた。</ref>の[[サッカーイラン代表|イラン]]と対戦し、1勝1敗ながら総得点で上回り<ref>第1戦(ホーム)は2-0で勝利。第2戦(アウェー)は0-1で敗戦。</ref>2大会ぶりの本大会出場権獲得。本大会のグループリーグでは[[サッカードイツ代表|ドイツ]]、[[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]という、またしても激戦区を突破。決勝トーナメント一回戦では[[サッカースペイン代表|スペイン]]と対戦、1 - 1で延長戦でも決着せず[[PK戦]]にまでもつれたが2 - 3で敗退。[[2006 FIFAワールドカップ|2006年・ドイツ大会]]の予選では、[[サッカーフランス代表|フランス]]、[[サッカースイス代表|スイス]]などと同組になり、[[サッカーイスラエル代表|イスラエル]]の躍進で激戦区となった。結果、2位とは勝ち点1差の4位で敗退した。[[2010 FIFAワールドカップ|2010年・南アフリカ大会]]の予選では、前回優勝国[[サッカーイタリア代表|イタリア]]と2試合とも引き分けるなど健闘し、グループ2位でプレーオフへ。そのプレーオフではフランスと対戦し、1勝1敗。総得点数ならびに[[アウェーゴール]]数も並んだため延長戦にもつれ込んだが、その延長前半に相手の「決勝ゴール」を許し、2大会ぶりの本大会出場を逃した。だが、その「決勝ゴール」はフランスFW[[ティエリ・アンリ]]の左手に当たってのアシストによるものだったことが確認されており、物議を醸した<ref>{{cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/10southafrica/text/200911230002-spnavi.html |title=アンリのハンドが巻き起こした衝撃 (1/2)2010年W杯南アフリカ大会欧州地区予選プレーオフ |publisher=スポーツナビ |date=2009-11-24 |accessdate=2010-09-05}}</ref>。その後[[2014 FIFAワールドカップ|2014年大会]]、[[2018 FIFAワールドカップ|2018年大会]]、[[2022 FIFAワールドカップ|2022年大会]]はともに欧州予選で敗退している。
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[[UEFA欧州選手権|UEFA EURO]](欧州選手権)は[[UEFA欧州選手権1988|1988年・西ドイツ]]大会で初出場し、グループステージ最終戦で引分以上なら準決勝進出だったが優勝した[[サッカーオランダ代表|オランダ]]に0-1で敗れ敗退。以降、5大会続けて予選敗退となったが、[[UEFA欧州選手権2012|2012年ウクライナ・ポーランド共催大会]]で6大会ぶりに本大会出場権を獲得した。だが本大会では3連敗でグループリーグ敗退となった。[[UEFA欧州選手権2016|2016年フランス大会]]も2大会連続で本大会に出場し、初めてグループリーグを突破したが、ベスト16で[[サッカーフランス代表|フランス]]に敗れた。
[[UEFA欧州選手権|UEFA EURO]](欧州選手権)は[[UEFA欧州選手権1988|1988年・西ドイツ]]大会で初出場し、グループステージ最終戦で引分以上なら準決勝進出だったが優勝したオランダを相手に0-1で敗れ敗退した。以降、5大会続けて予選敗退となったが、[[UEFA欧州選手権2012|2012年ウクライナ・ポーランド共催大会]]で6大会ぶりに本大会出場権を獲得した。しかし、本大会では3連敗でグループリーグ敗退となった。[[UEFA欧州選手権2016|2016年フランス大会]]も2大会連続で本大会に出場し、初めてグループリーグを突破したもののベスト16でフランスに敗れた。


== FIFAワールドカップの成績 ==
== FIFAワールドカップの成績 ==

2022年11月13日 (日) 08:28時点における版

サッカーアイルランド共和国代表
国または地域 アイルランドの旗 アイルランド
協会 フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド
愛称 The Boys in Green
監督 アイルランドの旗 スティーヴン・ケニー英語版
最多出場選手 ロビー・キーン(146試合)
最多得点選手 ロビー・キーン(68得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1926年3月21日イタリア
0-3
最大差勝利試合 1983年11月16日マルタ
8-0
最大差敗戦試合 1982年3月27日ブラジル
0-7
FIFAワールドカップ
出場回数 3回(初出場は1990
最高成績 ベスト8 (1990)
UEFA欧州選手権
出場回数 3回
最高成績 ベスト16 (2016

サッカーアイルランド共和国代表(サッカーアイルランドきょうわこくだいひょう、: Republic of Ireland national football team: Foireann sacair náisiúnta Phoblacht na hÉireann)は、フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド(FAI)により編成されるアイルランド共和国サッカーのナショナルチームである。

一般的には「(サッカー)アイルランド代表」と呼称されるが、1922年アイルランド自由国が成立する以前のアイルランド全域を代表したナショナルチームアイルランド代表および後継のサッカー北アイルランド代表と区別するため、ここではen:Republic of Ireland national football teamに倣って項目名を「アイルランド共和国代表」とする。

概要

アビバ・スタジアム

ユニフォームの色は緑。国旗の色であり、アイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリック三位一体を説いたときに使用したシャムロックの色である。このシャムロックはアイルランド代表のシンボルになっている。

ホームゲームは原則としてダブリンのアビバ・スタジアム(旧名ランズダウン・ロード)で開催している。ランズダウン・ロードが改修中の時期は、ゲーリック体育協会が所有するクローク・パークを一時的に使用していた。

選手の選考

小国であり、また有望な選手が少年期よりイングランドスコットランドのチームのユースにスカウトされて海外に渡ってしまうため、代表選手には国内でプレーする選手がほとんどいない。国内リーグの規模や予算も小さなもので、トップの数チームを除けばセミプロ状態のチーム・選手がほとんどである。また、ほとんどの代表選手は国内リーグを経ずに直接イングランドのプレミアリーグおよびその下部組織から選手生活を始める。また、何人かの代表選手はイングランド生まれ、イングランド育ちの選手であるが、アイルランド系の選手を積極的に発掘するという方針により多くの英国籍の選手がアイルランド代表に招集されている。2002年ワールドカップ直前キャンプにおけるチーム内部の衝突の原因の一つも、アイルランド系英国人である監督のミック・マッカーシーとその出自に不満を抱くアイルランド生まれ・アイルランド育ちである主将のロイ・キーンとの対立であった(サイパン事件)。国内リーグの人気は低く、ほとんどのアイルランド人は隣国のプレミアリーグ(中でもアイルランドとのつながりが強いリヴァプールFCマンチェスター・ユナイテッドFC)、およびスコットランドのケルト系チームであるセルティックFCに熱狂している。

サポーター

W杯や欧州選手権などでのアイルランドサポーターの多さは有名である。人口400〜500万人程度の小国にもかかわらず、地元での試合ばかりか敵地や中立地での試合にも多くのサポーターが観戦に訪れる。

二三四拍子での「アイルランドコール」や、好プレーには大きな拍手を送るなど、アイルランドサポーターの応援スタイルは、隣国イングランドとほぼ同じといっていい。また、暴力沙汰を起こす事はなく他国サポーターにも非常に友好的なため、各方面で絶賛される事が多い[1]

歴史

誕生

現在のアイルランド共和国に相当するアイルランド26県が英愛条約によってアイルランド自由国としてイギリスから分離したのは、1922年である。それ以前はアイルランド全島で、統一された協会アイリッシュ・フットボール・アソシエーション(IFA)と「アイルランド代表」を有していた。しかし、アイルランド26県がイギリスから分離したため、これらの地域では英愛条約締結後の1921年にアイリッシュ・フットボール・アソシエーションから分離したサッカー協会が設立された。これがフットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド(FAI)である。

一方でアイリッシュ・フットボール・アソシエーションはイギリスに残ったアルスター6県で存続したため、それまでの協会と、その協会によって編成されていた「アイルランド代表」の経歴はIFAと、「北アイルランド代表」と呼称されることになったナショナルチームに継承されることになった。

アイルランド自由国では独立後も、条約容認派と反対派によってアイルランド内戦が引き起こされ情勢が安定しなかった。国内情勢が影響し、国際試合の開催は遅れに遅れ、1926年3月21日に初めての国際試合がダブリンで開催された。相手はイタリアでこの試合でアイルランド自由国代表は0-3で敗れたが、これが新興国家アイルランド自由国代表の第一歩であった。

国際大会への挑戦

その後アイルランド自由国は1937年に「エール」、1949年にはイギリス連邦から完全に独立して「アイルランド共和国」に国名を変更した。この間絶え間なく国際大会への挑戦が続いていたが、ことごとく退けられていた。

W杯1990年イタリア大会で本大会初出場を決め、ベスト8入りを果たした。1994年アメリカ大会でもベスト16入り。1998年・フランス大会では予選プレーオフベルギーに敗れ、3大会連続本大会出場はならなかったものの、2002年・日韓共催大会予選ポルトガルオランダと同じグループという激戦区の中、オランダを蹴落としてグループ2位となりプレーオフに回る。プレーオフではアジア予選第3位[2]イランと対戦し、1勝1敗ながら総得点で上回り[3]2大会ぶりの本大会出場権獲得。本大会のグループリーグではドイツカメルーンという、またしても激戦区を突破。決勝トーナメント一回戦ではスペインと対戦、1-1で延長戦でも決着せずPK戦にまでもつれたが2-3で敗退した。2006年・ドイツ大会の予選では、フランススイスなどと同組になり、イスラエルの躍進で激戦区となった。結果、2位とは勝ち点1差の4位で敗退した。2010年・南アフリカ大会の予選では、前回優勝国のイタリアと2試合とも引き分けるなど健闘し、グループ2位でプレーオフへ回った。そのプレーオフではフランスと対戦したが、1勝1敗に終わる。総得点数ならびにアウェーゴール数も並んだため延長戦にもつれ込んだが、その延長前半に相手の「決勝ゴール」を許し、2大会ぶりの本大会出場を逃した。だが、その「決勝ゴール」はフランスFWティエリ・アンリの左手に当たってのアシストによるものだったことが確認されており、これが物議となった[4]。その後2014年大会2018年大会2022年大会はともに欧州予選で敗退している。

UEFA EURO(欧州選手権)は1988年・西ドイツ大会で初出場し、グループステージ最終戦で引分以上なら準決勝進出だったが優勝したオランダを相手に0-1で敗れ、敗退した。以降、5大会続けて予選敗退となったが、2012年ウクライナ・ポーランド共催大会で6大会ぶりに本大会出場権を獲得した。しかし、本大会では3連敗でグループリーグ敗退となった。2016年フランス大会も2大会連続で本大会に出場し、初めてグループリーグを突破したもののベスト16でフランスに敗れた。

FIFAワールドカップの成績

開催国 / 年 成績
ウルグアイの旗 1930 不参加
イタリア王国の旗 1934 予選敗退
フランスの旗 1938
ブラジルの旗 1950
スイスの旗 1954
スウェーデンの旗 1958
チリの旗 1962
イングランドの旗1966
メキシコの旗 1970
西ドイツの旗 1974
アルゼンチンの旗 1978
スペインの旗 1982
メキシコの旗 1986
イタリアの旗 1990 ベスト8 5 0 4 1 2 3
アメリカ合衆国の旗 1994 ベスト16 4 1 1 2 2 4
フランスの旗 1998 予選敗退
日本の旗大韓民国の旗 2002 ベスト16 4 1 3 0 6 3
ドイツの旗 2006 予選敗退
南アフリカ共和国の旗 2010
ブラジルの旗 2014
ロシアの旗 2018
カタールの旗 2022
合計 出場3回 13 2 8 3 10 10

UEFA欧州選手権の成績

UEFA欧州選手権 UEFA欧州選手権・予選
開催国/年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
フランスの旗 1960 予選敗退 2 1 0 1 2 4
スペインの旗 1964 6 2 2 2 9 12
イタリアの旗 1968 6 2 1 3 5 8
ベルギーの旗 1972 6 0 1 5 3 17
ユーゴスラビアの旗 1976 6 3 1 2 11 5
イタリアの旗 1980 8 2 3 3 9 8
フランスの旗 1984 8 4 1 3 20 10
西ドイツの旗 1988 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 2 8 4 3 1 10 5
スウェーデンの旗 1992 予選敗退 6 2 4 0 13 6
イングランドの旗 1996 11 5 2 4 17 13
ベルギーの旗 オランダの旗 2000 10 5 3 2 15 7
ポルトガルの旗 2004 8 3 2 3 10 11
オーストリアの旗 スイスの旗 2008 12 4 5 3 17 14
ポーランドの旗 ウクライナの旗 2012 グループリーグ敗退 3 0 0 3 1 9 12 7 4 1 20 8
フランスの旗 2016 ベスト16 4 1 1 2 3 6 12 6 4 2 22 8
欧州連合の旗 2021 予選敗退 9 3 5 1 7 6
合計 3/16 10 2 2 6 6 17 129 52 41 36 189 141

歴代監督

選手

主な歴代選手

主要大会のメンバー

個人記録

脚注

  1. ^ とはいえ、彼らを「悪臭をまきちらしている」と人種差別的に批判した杉山茂樹のように、彼らに批判的な論者もごく少数ながら存在している
  2. ^ 2002年・日韓共催大会の欧州予選は9組に分けて行われ、各組1位国は自動的に本大会出場権獲得。2位国はプレーオフに回ることになっていたが、その中でも抽選で選ばれたグループの1チームがアジア予選3位国との大陸間プレーオフに回る規定となっていた。
  3. ^ 第1戦(ホーム)は2-0で勝利。第2戦(アウェー)は0-1で敗戦。
  4. ^ アンリのハンドが巻き起こした衝撃 (1/2)2010年W杯南アフリカ大会欧州地区予選プレーオフ”. スポーツナビ (2009年11月24日). 2010年9月5日閲覧。
  5. ^ a b http://www.rsssf.com/miscellaneous/ier-recintlp.html

関連項目

外部リンク