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「ダイエー」の版間の差分

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m 一旦復旧。ノートで合意形成をお願いします
何が一旦復旧なのか分かりません。自分の好きな店だけ残して、他は議論せずに除去しているだろうが。チェーンストアのどこに一覧や今後の予定を掲載していいとあるのか説明しろ。
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== 店舗 ==
== 店舗 ==
{{予定|date=2011年12月|section=1}}
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=== 現在の店舗 ===
{{Main2|現行店舗については、[http://shop.daiei.co.jp/shop/ShopSearchTop.do 店舗一覧]}}
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=== 過去に存在した店舗 ===
{{See|過去に存在したダイエーの店舗}}
{{See|過去に存在したダイエーの店舗}}


=== 店舗ブランド ===
{{See|ダイエーグループの商業ブランド}}
{{See|ダイエーグループの商業ブランド}}

=== 開業予定の店舗 ===
* 南浦和ショッピングセンター(仮称、2012年着工予定)
*: ダイエーとしては久しぶりのショッピングセンターの建設となる<ref>http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/111130500043.html ダイエー、南浦和にショッピングセンター計画</ref>。

* 草加店(3代)(2012年4月開業予定) [[埼玉県]][[草加市]]
*: [[ダイエー草加店|草加店]](2代)の跡地に出店予定。

* 赤羽店(2代)(2012年2月開業予定) [[東京都]][[北区 (東京都)|北区]]
*: [[ダイエー赤羽店|赤羽店]](初代)のフーズ&リビング館の跡地に再出店予定。ファッション館跡地に建設される高層住宅「プラウドシティ赤羽」内にも出店する。

* 津久井店(2012年春開業予定) [[神奈川県]][[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]
*: グルメシティ津久井店跡地に再出店予定。

* 徳力店(開業日不明)

=== 閉店予定の店舗 ===
*7277 プライスセーバー(グルメシティ)城山店(旧:シズオカヤ、1989年 - 2012年1月5日閉店予定) [[神奈川県]][[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]
*: シズオカヤの「ナイス城山店」として開業したが、他店との競合が予想された為、1994年9月に「プライスセーバー」に業態転換した<ref>[http://news.nissyoku.co.jp/Contents/urn/newsml/nissyoku.co.jp/19950710/nss-7893-0026/1 ダイエー系酒DS、全国展開を計画か 地方SM相次ぎ業態転換] 食の情報源</ref>。現在はグルメシティ関東が運営している。東北地方にも展開していたが当店の閉鎖により完全消滅する。

*0030 庄内店 → ダイエーグルメシティ庄内店(旧:庄内ショッパーズプラザ、1964年4月5日 - 2012年1月31日閉店予定) [[大阪府]][[豊中市]] <small>SC名称:ダイエー庄内ショッパーズプラザ</small>
*: 日本初のショッピングセンター実験店舗として開業。現存するダイエーの店舗では古い部類に入っていた。

*4006 グルメシティ阿倍野店(旧:サカエ、1964年7月1日 2012年12月31日閉店予定) 大阪府[[大阪市]][[阿倍野区]]
*: グルメシティ近畿が運営している。

*4005 グルメシティ住吉駅前店(旧:サカエ、1963年12月2日 - 2012年12月31日閉店予定) 大阪府大阪市[[住吉区]]
*: グルメシティ近畿が運営している。サカエ住吉店として開店。

* ショッパーズモールなかま西館(旧:バンドール、1993年12月1日 - 閉店日不明) [[福岡県]][[中間市]]
*: 西館の機能を東館に移行することで対応する。

*0466 別府店(旧:丸栄・ユニード、1967年9月 - 2012年3月31日閉店予定) [[大分県]][[別府市]]
*: [[別府ステーションセンター]]内に出店。大分県内のダイエーはこれで1店舗を残して消滅することとなる。

*0711 グルメシティリバーウォーク店(2003年4月19日 - 2012年6月30日閉店予定) 福岡県[[北九州市]][[小倉北区]]
*: 旧ダイエー小倉店などを改築してできた施設[[リバーウォーク北九州]]内に出店。


== 運営するショッピングセンター ==
== 運営するショッピングセンター ==

2011年12月30日 (金) 07:36時点における版

株式会社ダイエー
The Daiei,Inc.
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
135-0016
東京都江東区東陽2-2-20
本店所在地 650-0046
兵庫県神戸市中央区港島中町4-1-1
設立 1949年2月7日(和泉商工株式会社)(注1)
業種 小売業
法人番号 4140001005666 ウィキデータを編集
事業内容 商品の小売・卸売業ほか
代表者 川戸義晴(代表取締役会長)
桑原道夫(代表取締役社長)
資本金 565億17百万円
2010年2月末日)
売上高 単体7810億円
連結9768億円
(2010年2月期)
純資産 単体1380億円
連結1540億円
(2010年2月末日)
総資産 単体3859億円
連結4331億円
(2010年2月末日)
従業員数 5904人(2009年8月末日)
決算期 毎年2月末日
主要株主 イオン株式会社19.85%
丸紅株式会社18.41%
有限会社DRF11.70%
丸紅リテールインベストメント株式会社10.00%(注2)(2009年8月31日現在)
主要子会社 関連会社・団体の項目を参照
関係する人物 中内功(創業者)
林文子(元代表取締役会長兼CEO)
外部リンク http://www.daiei.co.jp/
特記事項:注1:1970年3月に株式額面変更のための合併を実施。同日以前にダイエーを運営していた法人の設立は1957年(昭和32年)4月10日(大栄薬品工業株式会社)。
注2:丸紅グループ全体では29.51%を保持しており、実質的筆頭株主は、丸紅株式会社。
丸紅保有の全部、イオン保有の約4分の3、丸紅リテール保有の半分の株式は、議決権はあるが配当がない甲種類株式である。
有限会社DRFは、有限責任中間法人DRFホールディングス出資の会社で、株式会社アドバンテッジパートナーズ機関投資家らが組成するファンドが匿名組合員として出資する匿名組合の営業者。
テンプレートを表示

株式会社ダイエー (Daiei) は、ゼネラルマーチャンダイズストア (GMS)[1]およびスーパーマーケット (SM)[2]を全国的に展開している企業である。

概要

創業の地および創業者中内功の生誕地である[3]大阪市内と、中内の育った地である(現在の登記上本店もある)神戸市内を中心に商圏を築くとともに、流通インフラの整備にあわせて1960年代後半から1970年代にかけて大きく発展し全国展開を進めた。1980年代には、全国各地の地場スーパーマーケットと提携し傘下に納める形でグループを形成(のちに、九州地区のユニードと首都圏の忠実屋については1994年に吸収合併)した。

小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、子会社も含めて「ダイエー」のほかに「トポス」「イタリアーノ」「Dマート」「バンドール」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し多様化する消費者ニーズにこたえながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く (GOOD QUALITY BEST PRICE)」「お客様のために (For the Custmers)」の方針で事業が進められてきた(一時はグループ企業が300社あり、大阪国際女子マラソンなどでグループ各社の一覧が流れる企業CMも存在した)。

小売業以外にもホテル大学プロ野球出版金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内とプロ野球球団の本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。

だが、バブル崩壊後の1990年代後半から業績悪化が表面化。経産省出身の雨貝二郎会長から引き続いて、高木邦夫社長時代の2004年から産業再生法の適用及び産業再生機構からの支援を経て、現在は丸紅およびイオンとの連携のもと、非主力事業の譲渡やコア事業である小売部門の縮小などの再建策が行われている。連結有利子負債2007年5月末に6,031億円まで縮小した。

経営不振後は「バブルの負の遺産の象徴」として語られることもあるが、高度経済成長下の時代においては、新しい業態を開発し、流通業界を牽引する役割を果たしていた。また、1975年6月に出版された城山三郎の小説「価格破壊」(角川文庫)のモデルとされている。

大規模な出店攻勢をした後の不採算店の閉鎖を行ったこともあり、テナントとして入っていたビルが空き店舗になったままで、同じくテナントとして入っている別の店舗の売り上げが急激に落ちたり、商店街の集客力がなくなったりと、いわば閉鎖の余波とも捉えられる問題が少なからず起きている。

旧ダイエーグループ本社ビル(大阪府吹田市豊津町9番1号の江坂東洋不動産ビル)に、一部の事業所が残っている。

兵庫県西宮市甲子園店、神奈川県横浜市の東戸塚店、東京都目黒区碑文谷碑文谷店、福岡市中央区天神ショッパーズ福岡店は旗艦店として有名である。

コーポレートアイデンティティ (CI)

初代シンボルマーク

名前の由来は、創業者・中内功の祖父・中内栄の名前の「栄」に、「大」をつけた「大栄」であり、「大阪より栄える」「大いに栄える」という意味もこめられている。流線型のDの中心にS(Store・Shop・Shufuの頭文字と思われる)が入ったもので、旧電電公社のマークと類似していた。(初代シンボルマーク)

二代目シンボルマーク

2代目ダイエーロゴ

1975年10月21日に発表され、同年10月24日開店の一宮店から使用を開始。2005年11月30日までの約30年に渡り、ダイエーグループのスーパーマーケット共通に使われていたロゴマーク。「D」を意匠化したシンボルマークは、買い物袋や包装紙にも使用[4]。「上弦の月」をイメージさせるとともに、真円の一部が欠けたデザインとすることで、不完全な円=「永遠の未完成」(=成長し続ける)を意図している。ダイエーのシンボルカラーのオレンジ以外にも緑や青のマークも存在した。

三代目シンボルマーク

2005年12月1日から、新しいキャッチコピーごはんがおいしくなるスーパー」の採用とともに、ロゴ(社章)・シンボルマークが一新された。ロゴの「Daıeı」(iの上のドット符号がなかった)は「daiei」になり、その書体も、Helveticaゴシック体)から、丸みを感じさせる書体に変更された。シンボルマークは、「Dマーク」に代わり、発見や歓びを表わす「!(感嘆符)」とdaieiの「d」とを組み合わせた(ハート型を連想する)イメージに変更されたが、コーポレートカラーオレンジは変更されずに継承されている。

ダイエーグループの誓い

かつて、以下のような「ダイエーグループの誓い」が存在し、朝礼に際して唱和されていた。

「ダイエーグループの誓い」

「私たちダイエーグループの従業員は次のように誓います。」

ひとつ この仕事を通じて、お客さま全てのより豊かな暮らしに奉仕致します

ひとつ 真心を込めて、よい品をどんどん安く売る事を働き甲斐と致します

ひとつ 人を愛し、店を愛して、日々美しい努力を続けます

ファーストフードのドムドムは、この2番目の「どんどん」が語源である。

プライベートブランド

多くのプライベートブランドを有するが、一部のみを挙げる。

また、ダイエーグループだけで販売されている「エレーヌ ヘアスプレー」は、コストパフォーマンスや使い勝手のよさから人気商品となっている。その人気ぶりは、近くにダイエーがない場合(或いは撤退した場合)、わざわざ遠征してまで店に買い来るほどである。ローソンで発売している類似パッケージの「エレラ ヘアスプレー」と混同されることが多い。なお通称は「ダイエースプレー」である。バブル期にバンドブームが訪れた折、頭髪をツンツンに逆立てた若者御用達のスプレーでもあった。

現存するブランド

トップバリュ
イオンとの業務・資本提携により、セービングに代わり順次導入されているイオンのプライベートブランド。
2007年11月に24色カラーランドセル2008年1月に「セービング」では導入されていなかったチューハイの数量限定発売(※)を経て、2008年3月20日より本格的な取り扱いを開始した。
※反対に、イオングループでは当社のオリジナル商品「バーゲンブロー ノイヴェルト」を同じ時期に限定発売している。
おいしくたべたい!
2006年3月9日から展開されている新しいブランド。低価格を売りにした「セービング」や「トップバリュ」とは対照的に、味や素材にこだわり、高付加価値をアピールしている。当初は加工食品が中心だったが、2008年3月20日からのリニューアルで生鮮食品惣菜まで範囲を拡大。食品に関する当社のプライベート・ブランドはこの「おいしくたべたい!」に一本化された。
  • おいしくたべたい! - 原材料・製法・省添加物にこだわった加工食品ライン。
  • おいしくたべたい! すこやか育ち - 栽培・飼育方法にこだわった、生鮮食品を対象としたサブブランド。青果物の栽培情報をウェブサイトで検索できるようにするなど、「安心」を前面に打ち出している。以前は「すこやか育ち」として展開していたが、「おいしくたべたい!」のリニューアルに伴い、サブブランドに移行した。
  • おいしくたべたい! らく楽 - 辻学園クッキングスクール監修。火にかけるだけで簡単に作れる。適量で無駄がない惣菜・鍋セットのサブブランド。
  • おいしくたべたい! ヘルシー仕立て - 不必要なものは減らし、必要なものは補い・整える健康志向の食品向けサブブランド。
  • おいしくたべたい! うまさ発掘 - その地域でのみ食べられている地産地消品や全国のおいしいお取り寄せ食材を提供するサブブランド。
サリブ (SALIV)
日用品生活雑貨などに使われているブランド。かつては家電製品もこのブランドで発売されていた。
2008年3月から洗濯清掃用品と自転車の発売を開始し、生活用品全般に範囲を拡大した。
愛着仕様
シンプルさを売りにしたブランド。当初は無印良品に似たコンセプトで「愛着仕様デイリーユース」として様々な商品を展開していたが、後に婦人衣料へ特化。2008年3月に紳士服子供服肌着も取り扱うようになり、衣料品全般を扱うブランドに生まれ変わった。
フィット (FIT)
2000年にダイエー板宿店(神戸市)に試験導入され、その後、正式な衛生用品のプライベートブランドとして定着した。かつては医薬品にも同じブランドが使われていた。
バーゲンブロー (Bergen Brau)
発泡酒(バーゲンブロー)・第3のビール(バーゲンブロー ノイヴェルト)に使われているブランド。製品は韓国OB製のOEM。発売当初はベルギー製のビールであった。

かつて使われていたブランド

セービング (Savings)
かつて主力となっていたブランド。品目は食料品衣料品(主に下着)・日用雑貨。最後のロゴは3代目で、2006年6月8日に食料品と日用雑貨を皮切りに、このロゴでの販売が開始された。iを逆さにして!のようにし、パッケージによって、ロゴの地の色を変えている。
なお、「セービング」の商品は「トップバリュ」の本格導入に伴い2009年2月で販売終了となったが、「トップバリュ」に代替品が存在しない一部商品については、ブランド名が付かない単なる「ダイエー開発商品」として販売が継続されている商品も存在する。
旧ロゴデザインのうち、1991年から採用された2代目は、黒地に大文字の白抜きで、Iの部分のオレンジが縦に波のようになっており、採用当初は、食品がオレンジ、日用品が緑、衣料品が青と色分けされていた。また、初代のデザインは、Century(セリフ)書体で「SAVINGS」の文字が縦横に繰り返し書かれたものが背景となるデザインであった。
ブブ (BUBU)
1970年、13型カラーテレビを当時としては破格の5万円台で発売し、大変な話題となったが、その際に使われたブランドである。テレビ以外にも様々な家電製品がこのブランドで発売されたが、後に「サリブ」ブランドが家電PBのメインとなる。
AMPM
紳士服などに使われていたが、現在使用されているかどうかは不明。1998年、ダイエーがエーエム・ピーエム・ジャパンコンビニエンスストア運営、法人自体は2010年にファミリーマートに吸収合併され解散)などに対し、「自社の商標に似た商標を使用している」として、商標の使用差し止めと損害賠償を求め提訴したことがある。
プライスセーバー
セービングと同様の品揃えだったが、ディスカウントストア業態向けだったために、セービングよりもわずかに価格を低く設定していた。プライベートブランドとしての役割を終えた後は、書体マークをそのままに「お酒のディスカウントストア プライスセーバー」として店舗名・コーナー名に流用された。
暮らしの88
100円ショップと同等の商品を、より安価に提供する事を目指した商品。
キャプテンクック (Captain Cook)
かつては食料品の主力ブランドであった。ほとんどの商品が「セービング」ブランドに移行した。社内食堂を運営する給食業者でもあった。
コルティナ (COLTINA)
家電製品、生活雑貨等に使用。1990年代、韓国の企業が製造したブラウン管テレビの本体に、コルティナのブランドをつけて日本語の説明書をつけて日本で販売していた。
ダイエーインスタントコーヒー
PB第1号商品として1961年9月に発売。ラベルは当時の包装紙に用いられていた「赤いバラのマーク」を貼っていた。当時のインスタントコーヒーは湿気やすい蝋引きのパックであったのに対し、アルミパックで販売したため、常にサラサラの状態が保たれ、飛ぶように売れた。

店舗

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運営するショッピングセンター

沿革

ダイエー発祥地である大阪市旭区千林商店街(2007年5月撮影)

1950年代

  • 1957年
  • 1958年
    • 1月25日 - 本店を大阪市旭区千林町3丁目236番地に移転。
    • 12月 - 三宮店(神戸市、約70㎡)を開店。チェーン店展開の開始。この年、創業の理念を制定。
  • 1959年
    • 3月25日 - 大栄薬品工業株式会社が「株式会社主婦の店」に社名変更(店名は「主婦の店ダイエー」)。
    • 4月 - 当社初めての衣料品・日用品の取り扱いを三宮新店(1階・396㎡)で開始
    • 4月 - 三宮店移設拡張反対大会が生田で行われる。
    • 6月 - 三宮店の拡張に伴い、肉の取り扱い開始。

1960年代

  • 1960年
  • 1961年
    • 4月15日 - 主婦の店ダイエー三宮店を大拡張。日本最大のスーパーとなる。
    • 8月12日 - 日本初の全面広告を神戸新聞朝刊6面に掲載する。
    • 9月 - プライベートブランド「ダイエー」(インスタントコーヒー)販売開始。
  • 1962年
    • 3月 - 公募により初代シンボルマークを制定(3月16日の新聞広告より使用)。
    • 5月 - 電子計算機を導入。
    • 6月 - 社内報第1号を発刊。
    • 7月2日 - 株式会社主婦の店が「株式会社主婦の店ダイエー」に社名変更
    • 7月10日 - 千林店(約6400㎡)を開業。日本初の700坪スーパー。
    • 売上高100億円突破。従業員数1000人突破。
  • 1963年
    • 1月 - 『ダイエーの誓い』を発表。パンチカードシステム導入。
    • 1月26日 - チェーン本部第1号として西宮市に西宮本部社屋が完成。流通センターや食肉加工センターを併設。
    • 2月 - 「株式会社フクオカダイエー」を設立。九州へ進出
    • 3月10日 - 九州進出1号店の天神店が開業。初日で2万人が訪れる。
    • 4月18日 - 第1回「お客様重役会」募集(5月16日、13名が決定)。
    • 5月 - 山陽・四国地方への出店を計画した『ネックレスチェーン構想』が発表される。
    • 5月 - 専門店複合型のショッピングセンターを目指した三宮第二店店を開店。
    • 7月 - 専門店複合型のショッピングセンター(当時は「SSDDS」と呼ばれていた。意味はこちらを参照 )の、後の三宮第一店を開店。
    • 8月 - 東京・渋谷への出店を計画するも全日本商店街などの反対により中止となる。
  • 1964年
  • 1965年
    • 2月 - 社歌I制定。
    • 5月 - 労働組合が結成される。
    • 従業員のアメリカ研修制度スタート。
  • 1967年
    • 8月2日 - 日本チェーンストア協会設立。中内社長が初代会長に。
    • 10月1日 - ダイエー厚生年金基金設立。
    • 7月1日 - ダイエー健康保険組合設立。
    • 11月 - 川口店を開店。首都圏の本格出店開始。
  • 1968年
    • 3月 - 九州本部を小倉に移す。本格的ディスカウント・デパートを目指した小倉店を開店。
    • 8月 - 首都圏本格進出の基本戦略として、「レインボー作戦」を発表。
    • 11月30日 - 香里ショッパーズプラザ(香里店)を開店。日本初の本格的な郊外型ショッピングセンター安売りイメージから脱却。
  • 1969年
    • 5月28日 - 「株式会社ゼノン」設立(時計眼鏡の専門店)。
    • 6月 - 「株式会社キャプテンクック」(現・オレンジフードコート)設立(ファーストフード専門店)。
    • 6月20日 - レインボー作戦(首都圏本格進出の基本戦略)の拠点となる原町田ショッパーズプラザ(原町田店)を開店。
    • 8月1日 - 「株式会社コルドバ」設立(靴の専門店)。「株式会社ロベルト」設立(紳士服専門店)。
    • 8月 - 「株式会社フクオカダイエー」、「株式会社トウキョウダイエー」および「四国ダイエー株式会社」を合併し、全国店舗を親会社へ集約(直営化)。
    • 9月 - 「株式会社ダイエーサカエミート」(現・アルタックフーズ)設立(食肉の加工・製造・販売)。
    • 11月 - 「和泉商工株式会社」を買収し「株式会社ダイエー」に商号変更。同月、本部を兵庫県西宮市から大阪市大淀区(現:北区中津に移転。
    • 11月25日 - 「阪神運輸倉庫株式会社」設立。

1970年代

  • 1970年
    • 2月27日 - 「株式会社サンコー」と業務提携。
    • 3月18日 - 「株式会社ダイエー」が存続会社となり「株式会社主婦の店ダイエー」を合併(株式の額面変更のため)。
    • 3月 - 業界初のFCとして高知スーパーマーケットと契約締結(同年4月18日にショッパーズプラザ大橋通店オープン)。
    • 5月12日 - 日本初のハンバーガーショップとしてドムドム原町田店をオープン。
    • 7月1日 - 「株式会社フォルクス」設立(ステーキレストランに進出)。
    • 7月22日 - 「株式会社ダイエーセントラル牧場」(現:鹿児島サンライズファーム)設立。
    • 8月28日 - 「株式会社消費経済研究所」設立。
    • 9月6日 - 神戸流通センター竣工。
    • 10月 - 福岡ショッパーズプラザのデベロッパー会社として伊藤忠商事と共に「株式会社天神中央開発」を設立。
    • 11月16日 - ダイエー品質管理センター開設。
    • 11月25日 - 5万円台の格安13型カラーテレビ、プライベートブランド「ブブ」を発売。翌年製造元の株式会社クラウンと資本提携。
    • 売上高1000億円突破。
  • 1971年
    • 1月26日 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」(現・ファンフィールド)設立。
    • 3月1日 - 大証二部に株式上場
    • 6月15日 - 福岡ショッパーズプラザ(福岡店)を開店(開業当初、国内最大)。
    • 9月1日 - スーパー大学校設立。第1回新店幹部養成講座開校。
    • 9月1日 - 本店を大阪市大淀区中津本通1-2に移転。
    • 9月1日 - クレーム110番制度発足。
  • 1972年
    • 1月4日 - 大証一部に指定替え。
    • 3月1日 - 東証一部に株式上場。
    • 3月24日 - 物価値上がり阻止運動を宣言。
    • 3月25日 - 戸塚ショッパーズプラザ(戸塚店)を開店。開業当初、東日本地区最大の本格的郊外型ショッピングセンター。
    • 6月15日 - 山形ショッパーズプラザ(山形店)を開店。(東北へ進出)
    • 7月1日 - 「株式会社ボンテ」設立(パン製造・販売)。
    • 8月 - ハワイに「ダイエーUSA」設立(11月19日、1号店ダイエーパールリッジ店オープン)。
    • 8月 - 三越を抜き、小売業売上高日本一を達成
    • 11月29日 - 「株式会社大中」設立(中国雑貨の専門店)。
    • 12月9日 - 「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」設立(婦人ドレス専門店)。
    • 12月20日 - ディッパーダン・アイスクリーム1号店を東京・八重洲地下街開店。
  • 1973年
    • 1月 - 社歌Ⅱ、愛唱歌制定。
    • 3月 - 物価値上がり阻止運動を1年間延長。
    • 5月19日 - 「株式会社サカエ」(現在のグルメシティ近畿の前身)と提携。
    • 11月 - 100号店となる水戸ショッパーズプラザ(水戸店)を開店。
    • 11月25日 - 札幌店を開店(北海道へ進出)。
    • 11月30日 - 都城ショッパーズプラザ(都城店・現都城駅前店)を開店。
  • 1974年
    • 9月29日 - 創業第1号店千林駅前店閉店。
  • 1975年
    • 4月15日 - 「ダイエーローソン株式会社」を設立し、コンビニエンスストア業界へ進出
    • 5月1日 - 本店を大阪府吹田市豊津町9 - 1に移転。
    • 6月 - コンビニエンスストアローソン」1号店、桜塚店(豊中市)を開店。
    • 10月15日 - ドムドム・フォルクスと共同で「株式会社ドーナツアーツ」設立。ドーナツ部門に進出。
    • 10月21日 - Daieiの頭文字"D"と「上弦の月」をイメージしたシンボルマークとロゴを制定、24日開店の一宮店より使用開始。
    • 10月28日 - ドーナツ専門の「ドーナツアーツ」1号店を古川橋店の店頭に開店。
    • 10月 - クレジットカードの取り扱い開始。
    • この年、那覇ショッパーズプラザ(のちのダイナハ → ダイエー那覇店・現D-naha)を開店。
  • 1976年
    • 1月 - 大阪を中心にスーパーを展開する株式会社 丸栄商事の株式10%を取得し、商品供給主体の業務提携を開始。
    • 1月24日 「株式会社ダック松山」 設立 「グルメスーパーの1号店」国内海外の高級商品を販売。
    • 8月25日 - 「北海道ダイエー株式会社」設立。
    • 12月23日 - 「ダイエー水産株式会社」(現:セリティフーズ)設立(水産物の加工・製造・販売)。
  • 1977年
    • 1月18日 - 客の目につくよう、店長がオレンジ色のジャケットを羽織り、意見を聞く「オレンジエスコート作戦」開始。
    • 4月25日 - 「株式会社マルシェ」設立(雑貨小売業)。
  • 1978年
    • 2月1日 - ダイエーオレンジカード(1983年5月1日にはグループ企業にも拡大し「オレンジメンバーズカード」に改称、現在のOMCカード)を発行
    • 8月20日 - 日本ではじめてノーブランド商品発売。
    • 10月 - 「株式会社中合」(百貨店)と提携。
    • この年、商品券システム開始。
  • 1979年
    • 8月20日 - 「株式会社ビッグ・エー」設立(加工食品のディスカウント店)。11月4日に宮原店(さいたま市)を開店。
    • 10月6日 - 「株式会社アシーネ」設立(書籍の専門店)。

1980年代

  • 1980年昭和55年)
    • 2月16日 - 売上高が業界初の1兆円を突破
    • 3月 - 首都圏を中心に食品スーパーを展開していた青楓チェーンと業務提携開始。
    • 3月1日 - 柳川店(岡山県岡山市を業態転換し、トポス1号店としてオープン。
    • 3月 - フランスの大手デパート「オ・プランタン」と提携調印。
    • 4月 - 「株式会社オ・プランタン・ジャポン」を設立。
    • 4月1日 - 社員共済会「若葉会」スタート。
    • 8月8日 - アメリカのディスカウントチェーンを展開するKマートと業務提携調印。
    • 9月1日 - 「株式会社ジョイント」設立(ジーンズカジュアル専門店)。
    • 11月 - 茨城県でスーパーを展開するセイブと業務提携。
    • 11月18日 - 「株式会社九州ダイエー」設立。
    • 12月 - プライベートブランド「セービング」を発売。衣料品日用品等41品目。
  • 1981年昭和56年)
    • 2月 - 高島屋と業務提携開始。
    • 3月6日 - フランス百貨店プランタン」との合弁会社「オ・プランタン・ジャポン」を設立し、神戸市中央区にPrintemps(プランタン三宮・後のプランタン神戸)を、現在の三宮オーパの地にオープン(日本におけるプランタン1号店)。
    • 3月20日 - 神戸ポートアイランド博覧会にダイエーパビリオン出展。
    • 4月 - 既存店であった草加ショッパーズプラザ(草加店)を業態転換し、Dダイエー(後のDマート)1号店としてオープン。
    • 5月 - プライベートブランド「サリブ」(家電トータルシリーズ)発売。
    • 5月20日 - 函館の老舗百貨店の棒二森屋と業務提携調印。同社の系列会社とする。
    • 7月31日 - 株式会社サンコー(ダイエーグループ企業)を株式会社マルエツが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社マルエツ」が発足。
    • 9月 - 婦人服・雑貨を取り扱う子会社として「株式会社プチ・プランタン」を設立。
    • 9月1日 - 株式会社九州ダイエー(1980年11月設立、1981年5月九州地区のダイエーの営業を継承)を株式会社ユニードが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社ユニード」が発足(株式会社ユニードは1991年9月1日に株式会社ユニードダイエーに商号変更)。
    • 9月1日 - 「株式会社天津大栄」(現:テンダイ)設立(衣料品・食品・雑貨等の輸入販売)。
    • この年、 POSシステム(日本IBM製)導入開始。
秀和芝パークビル

1990年代

  • 1990年
    • 6月28日 - 「ショッパーズプラザ新浦安」(新浦安店)開業。
    • 9月26日 - 消費者志向優良企業として通産大臣表彰を受ける。
    • 11月 - 1991年4月からの牛肉輸入自由化に対応し、輸入牛肉を大規模に取り扱う専門店「ミートパビリオン」(翌年「カンザスシティ」に改称)を三宮第一店に設置。
  • 1991年
    • 1月2日 - OMCエコロジーカード発行。
    • 1月11日 - 同業他社の先陣となる、東北・関東・近畿の8店舗で「お買物袋スタンプカード」を試験導入。
    • 3月1日 - 「株式会社北海道ダイエー」を吸収合併。
    • 3月28日 - セービング商品の見直しとパッケージデザインを変更。
    • 4月25日 - 「ショッパーズプラザ横須賀」(横須賀店)開業。
    • 7月25日 - 空き缶プレスカー「ぷれすくん」導入。
    • 8月 - 商品受発注をグループ各社でJANコードに統一。
    • 9月27日 - 「金沢八景プランタン」開業。
    • 10月 - 子会社の「株式会社関西ユニード」・「株式会社酒田ダイエー」・「株式会社名東ショッピング」の店舗(富雄店酒田店・メイトピア店)を譲受し、これら3社を清算。
  • 1992年
    • 3月4日 - 「株式会社忠実屋」」と業務提携。
    • 10月1日 - 会員制ディスカウントストア1号店「Kou'S」の1号店を、神戸ハーバーランドにダイエーが開店した「ハーバーランドシティ」[7]内「Kou'Sホールセールメンバーシップクラブ」として開店(当時は直営)。
  • 1993年
    • 4月2日 - プロ野球団取得の後に発表していた福岡ツインドームシティ構想の一環である、開閉式ドーム「福岡ドーム」が開業。平和台球場に代わりFDHの本拠地となる。
    • 6月 - 「プランタン甲子園」開業。
    • 11月 - 阪神運輸倉庫が「株式会社ジャパン・カーゴ・システムズ」他から営業譲渡され、「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」(現:ロジワン)設立。
    • 全店で盲導犬の受け入れ開始。
  • 1994年
    • 2月 - 丸紅と包括提携。
    • 3月1日 - 「株式会社ダイエー」が、「株式会社忠実屋」(首都圏)・「株式会社ユニードダイエー」(九州)・「株式会社ダイナハ」(沖縄県)を吸収合併し、SMでの日本初のナショナルチェーンを完成させる。
    • 3月1日 - 大中とマルシェが合併し、新「株式会社マルシェ」誕生。
    • 4月12日 - 地球環境大賞の環境庁長官賞を受賞。
    • 9月1日 - 「株式会社ダイエーファイナンス」・「株式会社朝日トラベルエージェンシー」・「リッカー株式会社」の3社が合併し、「株式会社ダイエーオーエムシー」(のちのオーエムシーカード、現:セディナ)発足。
    • 10月 - 「金沢八景プランタン」を運営子会社の整理により「金沢八景店」に名称変更。
  • 1995年
    • 1月1日 - ハーバーランドシティが、流通大手初の元旦営業開始。
    • 1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。「がんばろや We Love KOBE キャンペーン」展開。三宮などの神戸市内の店舗が被災。特に、三宮の「ダイエー村」は、この震災で事実上消滅した。震災翌日には、建物が新しく被害の小さかった灘店が被災地のキー店舗の機能を果たすようになっていた。また、グループの建物で被害が小さく済んだ建物に、被災者の求める商品を扱う小売店舗を出店した[8]
    • 3月30日 - プライベートブランド「AMPM」メンズビジネススーツ発売。
    • 4月 - ホークスタウンを開業(当初は福岡ドームとシーホーク・ホテル&リゾートのみだったが、2000年に商業施設が「ホークスタウンモール」としてオープンした)。
    • 4月23日 - 被災していた「プランタン神戸本館」が、「三宮駅前店」に改装されリニューアルオープン。
    • 8月24日 - Kou'sポートアイランド店24時間営業開始。
    • 9月1日 - 「プランタン甲子園を経営の効率化のため、「甲子園店」に名称変更。
    • 10月1日 - 中国初出店の大栄天津商場店オープン。
    • POSシステム(第2期)を導入。
  • 1996年
    • 1月1日 - ダイエー339店舗で元旦も営業。
    • 1月24日 - ダイエーのプライベートブランドが製造業者協会から優秀杯賞を受賞。
    • 2月1日 - 業態別に準分社化したカンパニー制度を導入。食品SM業態の店舗を順次「グルメシティ」に改称。
    • 3月1日 - 「株式会社ロベリア」と「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」が合併。新「株式会社ロベリア」誕生。
  • 1997年
  • 1998年
    • 3月 - 陸上部「オレンジランナーズ」休部。
    • 4月3日 - ホームページ「d'club」開設。
    • 5月 - 女子バレーボール部「オレンジアタッカーズ」休部。
    • 9月23日 - ダイエーグループ各店で5%割引の「ダイエーOMCカードご優待デー」を開始(毎月23日に実施)。
    • 12月10日 - 若葉会解散。
  • 1999年
    • 1月20日 - 前年の経常赤字への転落を受けて、味の素社長を務めた鳥羽董(ただす)が副社長から社長に、中内功は会長に就任。
    • 3月25日 - ダイエーグループ再生3ヵ年計画発表。
    • 7月 - ハワイのアラモアナ・ショッピングセンターを米投資企業に売却。
    • 7月19日 - 希望退職受付(希望者802名)。
    • 8月1日 - ハイパーマート26店舗を、直営から株式会社ダイエー・ハイパーマートに譲渡。残るハイパーマート12店舗はGMSに転換すべく直営を維持したが、2000年9月1日に両社のハイパーマート36店舗中29店舗を株式会社ディー・ハイパーマート(旧商号:株式会社さかえビルディング)に譲渡、残る7店舗は閉鎖。
    • 全店で介助犬の受け入れ開始。
    • 10月7日 - 横浜市戸塚区東戸塚店を開店。同日に開業した東戸塚西武百貨店と協業してオーロラシティーとよばれる一大ショッピングモールを形成した。

2000年代

  • 2000年
    • 3月 - 「プランタン新さっぽろ」「プランタンなんば」を「カテプリ新さっぽろ」「カテプリなんば」に転換。
    • 3月2日 - ショッパーズモールマリナタウン(マリナタウン店)開業。日本初のサーキットモール型のショッピングセンター。
    • 4月 - 成増店東京都板橋区)に本社機能の一部を移転。
    • 9月 - ジョイント事業をロベルトに営業譲渡。
    • 9月7日 - ダイエー開発商品『暮らしの88』(88円均一)を発売開始。
    • 10月10日 - 中内代表取締役会長が辞任し、取締役最高顧問に。鳥羽社長が、自身の保有株式の売買に絡むインサイダー取引疑惑から引責辞任し、取締役に。高木邦夫が社長含みで顧問に就任。
    • 11月24日 - 修正再生3ヵ年計画(フェニックスプラン)発表。
    • 12月 - ニコニコ堂と業務提携(2002年6月11日に提携解消)。
    • 12月31日 - 「カテプリなんば」閉店。
  • 2001年
    • 1月30日 - 中内功がグループの職を全て辞任し、ダイエーからリクルートに移籍していた高木邦夫新社長の下で新体制が発足。
    • 2月28日 - サカエ(現在のグルメシティ近畿の前身となる、別の法人)の株式76%を、マルナカ興産(中内一族の資産保有会社)より取得。
    • 3月29日 - 1000名の希望退職者を募る。
    • 8月 - ローソン株式を売却し、関連会社から外れる。
    • 12月27日 - オレンジページ株式を売却。
    • 優先株9000万株を発行し、資本金増強。
  • 2002年
    • 2月27日 - ダイエーグループ「新3ヵ年計画」発表。
    • 3月1日 - 近畿3社(サカエ・丸栄商事・ミドリ)を合併。
    • 4月26日 - 産業活力再生特別措置法認定。
    • 6月14日 - プランタン銀座株式を売却。
    • 8月 - ハイパーマート、Kou's事業から撤退。
    • 希望退職1100名の実施。60店舗の閉鎖決定。
  • 2003年
    • 1月27日 - 総合家電事業撤退を発表。
    • 12月 - 福岡ドームとシーホークホテル&リゾートをアメリカの投資持株会社コロニー・キャピタル社に譲渡することを発表。
  • 2004年
    • 2月 - 新神戸オリエンタルシティC3を営業譲渡。
    • 3月 - 「株式会社福岡ドーム」、「株式会社福岡ダイエーリアルエステート」、「株式会社ホークスタウン」の事業を譲渡。
    • ダイエー開発商品『暮らしの88』を発売終了。
    • ダイエー開発商品『バリュー』(100円均一)を発売開始。
    • 10月12日 - 今後の経営方針について高木新社長が産業再生機構の支援を得ずに、自主再建で臨む方針を発表。
    • 10月13日 - 主力の取引銀行3社(UFJ三井住友みずほ)が、産業再生機構を利用しない場合は追加支援を行わない方針を強く示したため、同機構での再建に取り組むと苦渋の決断。産業再生機構への支援申し込みの事前申請。
    • 11月30日 - ダイエーの持つFDH株式98%を50億円でソフトバンクに譲渡することを決定(残り2%は元オーナー中内正が保有)。ダイエーは3年間、同球団を利用した特別セールを無料で行うことができるとした。
    • 12月24日 - プロ野球オーナー会議にてFDHのソフトバンクへの譲渡が承認。
    • 12月28日 - 産業再生機構はダイエーと傘下の11社(十字屋、キャナルシティ・オーパ、中合、サカエ、九州スーパーマーケットダイエー、日本流通リース、浦安中央開発、オレンジエステート、セリティーフーズ、デイリートップ、西神オリエンタル開発)の支援を正式決定
  • 2005年
  • 2006年
    • 1月12日 - 「おいしいデリカ宣言」。
    • 1月26日 - ファーストリテイリング(ユニクロ)と業務提携。
    • 2月24日 - ハワイ現地法人および店舗のドン・キホーテへの売却手続終了。同日をもって全ての海外事業から撤退。ダイエーUSA売却。
    • 3月1日 - 「北海道スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ北海道」に、「株式会社セイフー」を「株式会社グルメシティ関東」に、「株式会社サカエ」を「株式会社グルメシティ近畿」に、「九州スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ九州」にそれぞれ商号変更。
    • 3月1日 - 十字屋を会社分割し、「株式会社OPA」設立。
    • 3月9日 - 食品におけるダイエー開発商品の新ブランド「おいしくたべたい!」の発売開始。
    • 3月30日 - 「株式会社ダイエースペースクリエイト」発足[10]
    • 4月 - POSシステム(第3期)を導入(2007年8月までに店舗ごとに順次更新)。
    • 6月5日 - 本社機能を東京都江東区東陽2丁目2番20号に移転。
      • ダイエーグループ各社の本社も、関東を商圏としないなどの一部の法人を除きここに集結した。
    • 6月8日 - ダイエー開発商品「セービング」を15年ぶりにリニューアルして発売開始。
    • 7月28日 - 丸紅が産業再生機構の保有する発行済み株式33.6%を全株取得する事で合意(同年8月4日付で異動)。
    • 7月31日 - 新デザインのポイントカード「ハートポイントカード」を発行し、新ポイントプログラム制に移行。
    • 8月4日 - 筆頭株主が産業再生機構から丸紅へ移動。
    • 10月6日 - CEO・COO制を廃止。同年に丸紅から転籍した西見徹が代表取締役社長に就任、林文子はCEO権限のない代表取締役会長になった。
    • 10月26日 - プライベートブランド「サリブ」リニューアル。
    • 10月13日 - ファーストリテイリングのブランド「ジーユー」1号店が、南行徳店に開店。
    • 10月13日 - 丸紅と共同で、イオン株式会社に対して2007年3月末までの独占交渉権を与え、ダイエーとイオンの資本・業務提携に関する検討を開始することで合意。
  • 2007年
    • 創業50周年に際し、「おかげさまで50年。これからもお客様とともに」というスローガンを前面に押し出した宣伝を展開。
    • 1月16日 - かつて百貨店やOPA(OPAは2006年に会社分割)を展開していた株式会社十字屋を吸収合併。
    • 3月8日 - 最後まで残っていたDマート草加店がダイエーに業態転換。これによりDマート消滅。
    • 3月9日 - 丸紅、イオン及びダイエーの3社間での資本・業務提携合意を発表提携時点の単純合算で、国内最大の流通連合となった。イオンの2008年2月期決算より当社が持分法適用関連会社となる。
    • 5月17日 - ダイエーグループ新中期経営計画策定。
    • 10月 - イオンとの提携により、「トップバリュ24色カラーランドセル」並びに「選べるイオンの学習机」を80店舗のダイエーにて展開。なお、ランドセルはダイエーで『トップバリュ』を扱う第1号の商品となる。
    • 12月4日 - 当社とその子会社グルメシティ各社において、2006年10月~2007年11月までの期間、一部の商品の税区分ミスにより、代金を過剰受領していたことが発覚。オーエムシーカード決済による購入や、「ハートポイントカード」の利用により判明している分については過剰受領分を返金し、不明分については社会貢献活動の一環として、社内寄付金と共に全国盲導犬施設連合会へ寄付。
  • 2008年
    • 1月 - 当社オリジナル商品「バーゲンブロー ノイヴェルト」をイオングループの店舗で、イオンのプライベートブランド「トップバリュ」のチューハイを当社グループの店舗でそれぞれ数量限定で販売。
    • 2月8日 - 子会社のオーエムシーカードの株式を三井住友銀行へ売却。同社は持分法適用関連会社に移行する。
    • 3月20日 - 『トップバリュ』の本格導入を開始。同時に、「おいしくたべたい!」のリニューアル(サブブランドを追加し「セービング」以外の食に関する既存ブランドの一本化)、「サリブ」の開発領域拡大、「愛着仕様」の方針転換(衣料品全般に変更)を実施。
    • 4月25日 - 「フーディアム」では初の当社直営店舗である「フーディアム多摩センター」を開店。
    • 8月2日 - 大阪証券取引所、名古屋証券取引所、福岡証券取引所、札幌証券取引所上場廃止。
    • 9月2日 - 初の「ネットスーパー東大島店」をオープン。
    • 12月1日 - 旧・都城店を建て替えにより開業したイオンモールMiELL都城駅前(現・イオンモール都城駅前)の核店舗として、都城駅前店をオープン。業務提携後初めてイオングループのショッピングセンターに入居。
    • 12月22日 - 当社と子会社グルメシティ各社において、2006年3月1日~2008年12月14日の間、医薬品販売の許可がない一部店舗で医薬品を販売していたことを公表。
    • 12月24日 - 米国NASDAQ市場の預託証券上場廃止。
  • 2009年
    • 1月16日 - 全国盲導犬基金への店頭募金活動で募金総額2億円突破。
    • 3月18日 - 北海道で13年ぶりとなる新店舗の札幌円山店を開店。
    • 3月24日 - 不動産賃貸事業の子会社ディーホールドを吸収合併。
    • 4月8日 - 2008年に無料レジ袋を中止したダイエーグループ36店舗における、有料レジ袋の収益金を店舗の所在する自治体の環境基金へ寄付。
    • 4月15日 - ナショナルブランド及びプライベートブランド1,000品目を常時値下げ開始。
    • 9月1日 - 子会社のグルメシティ北海道及びグルメシティ九州の店舗を吸収分割にて承継、直営店舗化した。アルタックフーズがセリティフーズを合併しアルティフーズに商号変更。

2010年代

事業譲渡・グループ再建状況

2007年11月30日現在 矢印右側は事業譲受先)


1995年

1997年

  • きのはな → 宮栄(後にヤマノ傘下)

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

  • 那覇ミート → 沖縄ホーメル
  • 天津大栄国際貿易(中国に食品店12店舗構えていた) → 北京物美商業集団股フェン有限公司
  • THE DAI’EI(USA),INC.(ハワイにスーパーマーケットを4店舗構えていた) → ドン・キホーテ
  • Oriental Seafoods,Inc.(ハワイ) → ドン・キホーテ
  • 西神オリエンタルホテル(西神オリエンタル開発) → ジェイ・ピー・ティー(SPC。運営はホスピタリティパートナーズ)
    一度ヒューザーへの売却が決定していたが、構造計算書偽造問題の影響で譲渡を中止。
  • 大栄商事(保険代理業) → オーエムシーカードへ合併
  • 朝日ビルマネジメントサービス(現・ザイマックスビルマネジメント) → 「ザイマックス」へ全持株売却
  • パンドラ(元シヅオカヤ → 忠実屋系、パチンコ事業) → アメニティーズ(9月29日)
  • 富士デリフーズ → ミツハシ
  • 六甲牛乳 → メロディアン
  • 朝日青果 → ベジテック
  • デイリートップ → 清算
  • ロイヤルクック → 清算
  • D INTERNATIONAL,INC.(ワシントン州) → 清算
  • CAPTAIN COOK (ROYAL HAWAIIAN) CO.,LTD. → 清算
  • ディー・ジー・ビー → 清算
  • オレンジエステート、浦安中央開発、三宮中央開発、サン総合開発、新松戸中央開発、セントラルコールドチェーン、千舟興産、富雄中央開発、ドリーム興産、ダイエーリーシングカンパニー → 全て本社へ合併(7月1日)
  • 渋谷ツエンティワン → 本社へ合併(7月1日)※この合併で、本社がオーエムシーカードの筆頭株主となった。

2007年

2008年

  • オーパ(OPAの子会社) → 清算
  • 十字屋友の会 → 清算

2009年

4桁の店番号

  • 株式会社ダイエーの各店舗には、店舗固有の4桁の番号がある。これは、1号店(主婦の店ダイエー薬局、のち千林駅前店)を0011とし、おおむね出店順に番号が大きくなっている。この番号を見れば、ダイエーの出店軌跡が分かるだけでなく、業態転換などの扱いがどのようになっているかも分かるようになっている。
  • たとえば、ダイエーからトポスやグルメシティ、あるいはトポスからダイエーに転換された際に、店番号が変更していれば業態転換ではなく閉店した旧店舗と同じ場所に新規出店しているが、変更していなければ店自体はそのままで業態転換した扱いとなっている。
  • ダイエー六甲アイランド店(現・グルメシティ六甲アイランド店)やイタリアーノ六甲道駅前店は震災前の店舗と震災後の店舗で店番号が異なる。業態はそのままでありながら店番号が変化しているのは、震災での建物被災で閉店し、建物復旧工事の後、震災前と同じ場所に新規出店したためである。なお、ハーバーランド店として知られる店舗は、正確には震災後の出店であり、同じ場所で震災前に営業していた店舗はハーバーランド店ではなく「ハーバーランドシティ」で、これの継承店舗は三宮駅前店である(ただし、地下1階と1階にあったKou'Sホールセールメンバーシップクラブは除く)。
  • 合併や営業譲渡により株式会社ダイエーの店舗となったものについては、その時点で、対象企業が出店してきた店舗の出店順に番号が付与されている。このため、0411番から0424番までは旧北海道ダイエー、0461番から0526番までは旧ユニード(ダイエーが開店し1981年に九州ダイエーへ譲渡した店舗も含む)、0527番から0599番までは旧忠実屋、0600・0601・0602番は旧ダイナハ、0700番から0710番までは旧ディー・ハイパーマート[17]の店舗が集中している。
  • ただし、旧ユニードの西新店は、ユニードがダイエーに合併されるよりも先にトポス西新店になり、このときユニードからダイエーに店舗が譲渡されているため、この時点で店番号が付与されている。
  • ダイエーが設立したグループ子会社の店舗については、7000番台が付与されたものもある(かつて存在したディー・ハイパーマートなど)。
  • ダイエーと業務提携した地場スーパーマーケットの店舗については、8000番台が付与されていたが、ダイエーが経営再建の過程で、これらの地場スーパーマーケットと提携を解消したため、現在この番号を使用している店舗はない。
  • 現有店舗の店番号は、ダイエーのインターネットサイトにある、各店舗のページのURLにも使われており、URLの末尾4桁の数字が該当する。
  • ほか、(建物における)店舗設置者の変更など特殊用件を経る場合には、営業は継続されていても番号が変更されることがある。大宮店は、もともと0355番であったが、2006年に株式会社OPAの店舗内に出店するダイエー店舗に変更した際、0719番となった。

売上

この統計は、日経流通新聞及び日本経済新聞が調査して順位付けし、ダイエー内での各年の売上1位店を記述したものである。なお、後に合併するユニードについても記述する。

年度 スーパー業界 店 舗 名 売場面積 売上
1982年 1位 新潟店 10位 186億7400万円
1983年 1位 新潟店 4位 182億9400万円
1984年 1位 新潟店 5位 188億6800万円
1985年 1位 新潟店 5位 185億9300万円
1986年 1位 新潟店 5位 184億9600万円
1987年 1位 仙台店 209位 200億6200万円
1988年 1位 ユニード福岡店 3位 210億4800万円
1989年 1位 津田沼店 1位 279億8100万円
1990年 1位 津田沼店 1位 317億4800万円
1991年 1位 津田沼店 なし 343億2700万円
1992年 1位 津田沼店 なし 342億1400万円
1993年 1位 津田沼店 なし 342億1400万円

POSシステム

現在のPOSシステムは、2006年4月から2007年3月までに導入された(引き続き、グルメシティ地域子会社に同じシステムの導入が進められている)。Linuxをベースに独自のシステムを東芝テックが開発。POSレジ端末は従来同様に東芝テック製の、最新機種2機種が採用された(食品レジはM-7000、他の売場はST-700。なお、旧レジ端末はどの売場もM-6220で、UNIXベースのシステムであった)。売上管理の全店リアルタイムオンライン化、ジャーナルの電子化、端末操作の改善ならびに処理の高速化、見切り値引商品の管理改善(無線携帯端末を導入し、個別のPOSコードを付与した値引きラベルを売場にて発行する手法)などが実現している。

なお、見切り値引商品の管理改善については、同時期にイオングループジャスコマックスバリュでも、ほぼ同等のシステムが導入されている。

POSシステムの導入に伴い、「DonDonたま〜る」など店舗ごとにあった会員ポイントサービスから、全国のダイエーグループのスーパーマーケット各店で共通化された「ハートポイントカード」にリニューアルした。デザインはロゴマークを散りばめ、全体的にやさしい色づかいになっている。各店舗に常駐するOMCカードスタッフは、ハートポイントカードの機能も備えるOMCカードへの入会勧誘へ躍起になっている。

買物袋持参運動

  • 2008年8月18日までは買物袋を持参すれば、スタンプカードにスタンプを1個押印、スタンプが20個たまれば100円の金券として使用することができた(スタンプカードの金券としての使用期限は2008年11月30日まで)。
  • 2008年8月19日からは買物袋を持参すれば、ハートポイントカードもしくはOMCカードにハートポイントが2ポイント付与される方式に変更された。

歴代社長

名前 任期 経歴
中内功 1957年 - 1999年 ダイエー創業者
鳥羽董 1999年 - 2000年 味の素元社長
高木邦夫 2001年 - 2005年 リクルート元専務取締役
高橋義昭 2005年 ダイエー元取締役
樋口泰行 2005年 - 2006年 日本ヒューレット・パッカード元代表取締役社長
西見徹 2006年 - 2010年 丸紅米国会社元副社長、ダイエー元副社長執行役員
桑原道夫 2010年 - 現在 丸紅元取締副社長

関連会社・団体

関連項目

過去の関連会社

サービス・関連組織

メディア・番組等

  • 流通科学大学
  • 大阪国際女子マラソン(大会開始から20年間、特別協賛をしていた)
  • 東京国際マラソン(1992年までの偶数年、協賛をしていた)
  • MBSナウ(番組開始当初、単独提供ではないもののダイエーが筆頭スポンサーを務めた)
  • NNNきょうの出来事1970年代一時期協賛スポンサーを務めた)
  • 主婦の店全国チェーン - 日本のスーパーマーケットの端緒である小倉市の丸和フードセンター[18]は、ドラッグストアであった当社(当時の社名は「大栄薬品工業」)よりノウハウ提供を得て、薬の廉売事業を軌道に乗せた。その後、逆に当社は丸和フードセンターよりノウハウ提供を得て、ドラッグストアからスーパーマーケットへ転換し、社名も丸和フードセンターの創業者である吉田日出男が提唱していた「主婦の店」に変更した。

補足

  1. ^ ダイエーGMS店舗およびトポス
  2. ^ ダイエーSSM店舗およびグルメシティ
  3. ^ 生まれは西成(現在の大阪市西成区)だが、育ちは神戸市兵庫区。また、旧制中学・旧制高商・復員後初の商売とも神戸において。
  4. ^ 日本経済新聞 1975年10月22日 夕刊3面 ダイエーが新しいマークより
  5. ^ 現存するかどうかは不明。
  6. ^ 新神戸オリエンタルパークアベニュー自体はチェーン展開されたOPAのルーツではあっても厳密な意味での1号店とは異なる。ただし1996年になってOPAにリブランドされ2002年まで新神戸オーパとして営業していた。
  7. ^ 阪神・淡路大震災で閉店し、Kou'Sについてはポートアイランドに代替店舗を、残る売場については三宮の通称「ダイエー村」と統合し三宮駅前店を代替開店した。「ハーバーランド店」として知られる店舗はその後同じ場所に新規出店した別の店舗である。
  8. ^ ポートアイランドエキゾチックタウンのバンドールを閉店し退去跡にKou'Sを開店、新神戸オリエンタルシティの食料品店メルカートスを閉店し退去跡に現在のグルメシティ新神戸店を開店
  9. ^ 新神戸オリエンタルシティC3を保有していた「株式会社神戸セントラル開発」が商号変更した会社。同年に純粋持株会社が解禁されてからは初の持株会社でもあった。神戸セントラル開発は、新神戸オリエンタルシティC3を実質的に運営する子会社「株式会社新神戸開発」を株式会社福岡ドーム(当時。現在の同名の会社とは別の会社)に売却して以後、休眠会社になっていた。
  10. ^ 休眠会社となっている旧十字屋系列のデベロッパー「株式会社十字興業」が商号変更した会社。
  11. ^ ダイエー250億円申告漏れ 子会社債権放棄めぐり大阪国税指摘 産経新聞 2010年7月29日
  12. ^ ダイエー 別府店を来春閉店 西日本新聞 2011年11月12日閲覧
  13. ^ 2008年5月30日限りで撤退した、新生銀行バンクスポットなどが入居していた。
  14. ^ その後、2008年7月に扶桑化学工業に売却している。
  15. ^ 十字屋の合併については2005年の小節に記載済み。
  16. ^ a b 連結子会社である株式会社グルメシティ北海道及び株式会社グルメシティ九州との吸収分割に関するお知らせ 2009年4月10日発表
  17. ^ すべてダイエーが開店し後年ダイエー・ハイパーマートないしディー・ハイパーマートに譲渡した店舗のため、これら11店舗にはすべて、現在は使用されていない開店当初の旧番号も存在する。
  18. ^ どこが日本初のスーパーマーケットかに関しては諸説があるが、低価格・大量販売を志向していたという意味では、1956年3月にオープンした丸和フードセンターが最初に食品をフルラインで販売していた。

外部リンク

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