チャールズ・W・レッドビーター
チャールズ・W・レッドビーター | |
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1914年時(60歳) | |
生誕 |
1854年2月16日 イングランド、ストックポート, グレーター・マンチェスター, イギリス |
死没 |
1934年3月1日(80歳没) オーストラリア、パース, オーストラリア |
死因 | 糖尿病, 心臓発作 |
著名な実績 | 神智学, 著述家 |
チャールズ・ウェブスター・レッドビーター(英語:Charles Webster Leadbeater [ˈlɛdˌbɛtər], 1854年2月16日-1934年3月1日)は神智学協会の初期の運動指導者である。日本では「リードビーター」の呼び方で知られている。神智学協会第二代会長のアニー・ベサントの片腕ともいわれ、クリシュナムルティを見いだし、『The Charkras』(邦訳名:チャクラ)などの著書がある。
生涯
イギリスのストックポートで生まれたレッドビーターは、父親が早くに死んだため、家庭は貧しかった[1]。青年になった頃には、エドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』(1871年)を愛読しており、自分でも幻想的な物語を好んで創作していた[1]。1878年には英国国教会の聖職者の地位を取得し、次の年よりその職に就いた[1]。しかし、レッドビーターの興味はキリスト教よりも、心霊主義やオカルティズムに強く惹かれており、神智学徒のA・P・シネットの『オカルトの世界』を読んだのち、1883年には神智学協会に関わるようになり、その翌年には協会に参加した[1]。1884年には、神智学協会の創設者の一人であるヘレナ・P・ブラヴァツキーと面会し、マハートマー(大師)のクートフーミから、インドでの修行を行うようメッセージが与えられ、英国国教会の職務を辞して、インドのアディヤールにある神智学協会の本部へ渡航した[1]。レッドビーターによると、彼はインドで大師たちからヨーガや瞑想の修行を伝授されて、次元の異なる存在を知覚できる「透視力」を獲得したという[1]。また、レッドビーターはインドやスリランカで貧しい生活を営む子供たちのなかから、優秀な素質を持つ者を見つけては、イギリス留学による高等教育を受けさせることで、神智学協会のエリートを育てようとした[1]。その活動により、1909年に出会ったのがジッドゥ・クリシュナムルティである[1]。レッドビーターはイギリスでアニー・ベサントと協力することで、指導や著述活動をしながら、神智学協会の地位を向上させていった[1]。レッドビーターは、クリシュナムルティを「世界教師」という救世主として育てようと図っていた[1]。1911年には、そのための「東方の星教団」を設立した[1]。しかし、1927年には、クリシュナムルティが世界教師であることを否定し、教団の解散を宣言することで、計画は頓挫した[1]。レッドビーターは、その後オーストラリアに移住し、神智学協会を母体とする自由カトリック協会を主宰して晩年を過ごし、80歳で死去した[2][3]。
主な著書
- C.W.リードビーター 『チャクラ』 平河出版社 本山博+湯浅泰雄・訳 1978年
- C.W.リードビーター 『透視力』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1978年
- C.W.リードビーター 『見えざる助力者』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1978年
- C.W.リードビーター 『大師とその道』 竜王文庫 1985年
- C.W.リードビーター 『神智学入門 : 未来人への精神的ガイド』 たま出版 宮崎直樹・訳 1990年
- アニー・ベサント, C.W.リードビーター 『思いは生きている : 想念形体』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1983年
- C.W.リードビーター 『アストラル界 : 精妙界の解明』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1989年
脚注
参考文献
- 大田俊寛 『現代オカルトの根源―霊性進化論の光と闇』筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年 ISBN 978-4-480-06725-8
- 羽仁礼 『超常現象大事典』成甲書房、2001年
- 加藤有希子 『カラーセラピーと高度消費社会の信仰ーーニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か?』 サンガ、2015年