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『The Charkras』(邦訳名:チャクラ)などの著書があり、現代のオカルト・スピリチュアル系でよく見られる[[オーラ]]図や7色の[[チャクラ]]の理論を考案した{{sfn|加藤|2015|p=212}}{{sfn|加藤|2015|pp=172-178}}{{sfn|加藤|2015|p=178}}。額の[[チャクラ]]を開発し[[オーラ]]を見る能力を得たと主張しており、支持者には高度な透視能力を持つと称賛された{{sfn|吉永・松田|196|p=101}}。一方、弟子たちにみだらな行為を強要したとして批判も大きい{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=178-179}}{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=183-185}}{{sfn|吉永・松田|196|p=101}}。 |
『The Charkras』(邦訳名:チャクラ)などの著書があり、現代のオカルト・スピリチュアル系でよく見られる[[オーラ]]図や7色の[[チャクラ]]の理論を考案した{{sfn|加藤|2015|p=212}}{{sfn|加藤|2015|pp=172-178}}{{sfn|加藤|2015|p=178}}。額の[[チャクラ]]を開発し[[オーラ]]を見る能力を得たと主張しており、支持者には高度な透視能力を持つと称賛された{{sfn|吉永・松田|196|p=101}}。一方、弟子たちにみだらな行為を強要したとして批判も大きい{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=178-179}}{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=183-185}}{{sfn|吉永・松田|196|p=101}}。 |
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また、[[ラジニーシ|オショー]]によれば、クリシュナムルティが十代なかばで著したとされる世界的なベストセラー『[[大師のみ足のもとに]]』は、レッドビーターが中心となって執筆・編集したものであり、クリシュナムルティも神智学協会を去ったときに「(そんな本は)知りません。書いたという覚えがありません」と答えていたという<ref>『禅宣言』 OSHO著(市民出版社)1998, p. 19.</ref>。 |
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== 生涯 == |
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また、レッドビーターはインドやスリランカで貧しい生活を営む子供たちのなかから、優秀な素質を持つ者を見つけては、イギリス留学による高等教育を受けさせることで、神智学協会のエリートを育てようとした<ref name="oota"/>。その活動により、1909年に出会ったのが[[ジッドゥ・クリシュナムルティ]]である<ref name="oota"/>。ピーター・ワシントンは、彼は観察している少年たちに対する判断を間違えないためと称して、彼らと[[肛門性交]]をすることを好んでいたと述べており、なにかと悪評が絶えなかった{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=178-179}}{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=183-185}}。クリシュナムルティの父親からは子供を神の化身に仕立てたうえに、[[同性愛]]の対象にしたことについての責任問題で訴えられていた{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=183-187}}。 |
また、レッドビーターはインドやスリランカで貧しい生活を営む子供たちのなかから、優秀な素質を持つ者を見つけては、イギリス留学による高等教育を受けさせることで、神智学協会のエリートを育てようとした<ref name="oota"/>。その活動により、1909年に出会ったのが[[ジッドゥ・クリシュナムルティ]]である<ref name="oota"/>。ピーター・ワシントンは、彼は観察している少年たちに対する判断を間違えないためと称して、彼らと[[肛門性交]]をすることを好んでいたと述べており、なにかと悪評が絶えなかった{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=178-179}}{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=183-185}}。クリシュナムルティの父親からは子供を神の化身に仕立てたうえに、[[同性愛]]の対象にしたことについての責任問題で訴えられていた{{sfn|ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳|1999|pp=183-187}}。 |
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レッドビーターはイギリスでアニー・ベサントと協力することで、指導や著述活動をしながら、神智学協会の地位を向上させていった<ref name="oota"/>。レッドビーターは、クリシュナムルティを「世界教師」という救世主、[[マイトレーヤ (神智学)|マイトレーヤ]](弥勒)が降臨するための「乗り物」として育てようと図っていた<ref name="oota"/>。 |
レッドビーターはイギリスでアニー・ベサントと協力することで、指導や著述活動をしながら、神智学協会の地位を向上させていった<ref name="oota"/>。レッドビーターは、クリシュナムルティを「世界教師」という救世主、[[マイトレーヤ (神智学)|マイトレーヤ]](弥勒)が降臨するための「乗り物」として育てようと図っていた<ref name="oota"/>。1910年には、クリシュナムルティは十代なかばで『[[大師のみ足のもとに]]』を出版し、世界的なベストセラになったが、[[ラジニーシ|オショー]]は本書はレッドビーターが中心となって執筆・編集したもので、クリシュナムルティも神智学協会を去ったときに「(そんな本は)知りません。書いたという覚えがありません」と答えていたと語っている<ref>『禅宣言』 OSHO著(市民出版社)1998, p. 19.</ref>。 |
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== 主な著書 == |
== 主な著書 == |
2018年3月24日 (土) 11:50時点における版
チャールズ・W・レッドビーター | |
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1914年時(60歳) | |
生誕 |
1854年2月16日 イングランド、ストックポート, グレーター・マンチェスター |
死没 |
1934年3月1日(80歳没) オーストラリア、パース |
著名な実績 | 神智学, 著述家 |
チャールズ・ウェブスター・レッドビーター(英語:Charles Webster Leadbeater [ˈlɛdˌbɛtər], 1854年2月16日-1934年3月1日)は神智学協会の初期の運動指導者である。日本では「リードビーター」の呼び方で知られている。神智学協会第二代会長のアニー・ベサントの片腕ともいわれ、クリシュナムルティを見いだし、ロード・マイトレーヤ (神智学)として育成しようとした[1][2]。
『The Charkras』(邦訳名:チャクラ)などの著書があり、現代のオカルト・スピリチュアル系でよく見られるオーラ図や7色のチャクラの理論を考案した[3][4][5]。額のチャクラを開発しオーラを見る能力を得たと主張しており、支持者には高度な透視能力を持つと称賛された[2]。一方、弟子たちにみだらな行為を強要したとして批判も大きい[6][7][2]。
生涯
イギリスのストックポートで生まれたレッドビーターは、父親が早くに死んだため、家庭は貧しかった[8]。青年になった頃には、エドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』(1871年)を愛読しており、自分でも幻想的な物語を好んで創作していた[8]。1878年には英国国教会の聖職者の地位を取得し、次の年よりその職に就いた[8]。しかし、レッドビーターの興味はキリスト教よりも、心霊主義やオカルティズムに強く惹かれており、神智学徒のA・P・シネットの『オカルトの世界』を読んだのち、1883年には神智学協会に関わるようになり、その翌年には協会に参加した[8]。
1884年には、神智学協会の創設者の一人であるヘレナ・P・ブラヴァツキーと面会し、マハートマー(大師)のクートフーミから、インドでの修行を行うようメッセージが与えられ、英国国教会の職務を辞して、インドのアディヤールにある神智学協会の本部へ渡航した[8]。レッドビーターによると、彼はインドで大師たちからヨーガや瞑想の修行を伝授されて、額のアジナ・チャクラを開発し、次元の異なる存在を知覚できる「透視力」を獲得したという[8][2]。著書『チャクラ』では、ヨーガの理論が神智学の理論によって再解釈されている[8]。7個のチャクラは、ヘレナ・P・ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』の7段階周期説や世界構造論と接続されて理解されており、身体論はアストラル体やエーテル体といった神智学の用語に置き換えられている[8]。
また、レッドビーターはインドやスリランカで貧しい生活を営む子供たちのなかから、優秀な素質を持つ者を見つけては、イギリス留学による高等教育を受けさせることで、神智学協会のエリートを育てようとした[8]。その活動により、1909年に出会ったのがジッドゥ・クリシュナムルティである[8]。ピーター・ワシントンは、彼は観察している少年たちに対する判断を間違えないためと称して、彼らと肛門性交をすることを好んでいたと述べており、なにかと悪評が絶えなかった[6][7]。クリシュナムルティの父親からは子供を神の化身に仕立てたうえに、同性愛の対象にしたことについての責任問題で訴えられていた[9]。
レッドビーターはイギリスでアニー・ベサントと協力することで、指導や著述活動をしながら、神智学協会の地位を向上させていった[8]。レッドビーターは、クリシュナムルティを「世界教師」という救世主、マイトレーヤ(弥勒)が降臨するための「乗り物」として育てようと図っていた[8]。1910年には、クリシュナムルティは十代なかばで『大師のみ足のもとに』を出版し、世界的なベストセラになったが、オショーは本書はレッドビーターが中心となって執筆・編集したもので、クリシュナムルティも神智学協会を去ったときに「(そんな本は)知りません。書いたという覚えがありません」と答えていたと語っている[10]。
1911年には、クリシュナムルティを「世界教師」にするために「東方の星教団」を設立した[8]。しかし、1927年には、クリシュナムルティが世界教師であることを否定し、教団の解散を宣言することで、計画は頓挫した[8]。
レッドビーターは、その後オーストラリアに移住し、神智学協会を母体とする自由カトリック教会を主宰して晩年を過ごし、80歳で死去した[11][12]。
主な著書
日本語
- C.W.リードビーター 『チャクラ』 平河出版社 本山博+湯浅泰雄・訳 1978年
- C.W.リードビーター 『透視力』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1978年
- C.W.リードビーター 『見えざる助力者』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1978年
- C.W.リードビーター 『大師とその道』 竜王文庫 1985年
- C.W.リードビーター 『神智学入門 : 未来人への精神的ガイド』 たま出版 宮崎直樹・訳 1990年
- アニー・ベサント, C.W.リードビーター 『思いは生きている : 想念形体』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1983年
- C.W.リードビーター 『アストラル界 : 精妙界の解明』 竜王文庫 田中恵美子・訳 1989年
英語
- The Devachanic Plane or The Heaven World: its characteristics and inhabitants (1896)
- Dreams: What they are and how they are caused (1896)
- Reincarnation (1898)
- Man Visible and Invisible (1902)
- Some Glimpses of Occultism, Ancient and Modern (1903)
- Occult Chemistry (with Annie Besant) (1908)
- The Inner Life: volume I (1910)
- The Inner Life: volume II (1911)
- The Perfume of Egypt and Other Weird Stories (1911)
- A Textbook of Theosophy (1912)
- Man: Whence, How and Whither (with Annie Besant) (1913)
- The Hidden Side of Things (1913)
- The Monad and Other Essays Upon the Higher Consciousness (1920)
- Glimpses of Masonic History (1926)
- The Hidden Life in Freemasonry (1926)
- Spiritualism and Theosophy Scientifically Examined and Carefully Described (1928)
- How Theosophy Came to Me: Autobiographical Reminiscences (1930)
脚注
- ^ J. クリシュナムルティ - 20世紀西洋人名事典; コトバンク(朝日新聞).
- ^ a b c d 吉永・松田 196, p. 101.
- ^ 加藤 2015, p. 212.
- ^ 加藤 2015, pp. 172–178.
- ^ 加藤 2015, p. 178.
- ^ a b ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, pp. 178–179.
- ^ a b ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, pp. 183–185.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『現代オカルトの根源』 大田俊寛 ちくま新書、 2013年(第一章「神智学の展開」)
- ^ ワシントン, 白幡節子・門田俊夫訳 1999, pp. 183–187.
- ^ 『禅宣言』 OSHO著(市民出版社)1998, p. 19.
- ^ 『超常現象大事典』 羽仁礼
- ^ 『20世紀西洋人名事典』
参考文献
- 加藤有希子『カラーセラピーと高度消費社会の信仰ーーニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か?』サンガ、2015年。ISBN 978-4865640281。
- 大田俊寛 『現代オカルトの根源―霊性進化論の光と闇』筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年(第一章「神智学の展開」参照) ISBN 978-4-480-06725-8
- 羽仁礼 『超常現象大事典』成甲書房、2001年
- ピーター・ワシントン『神秘主義への扉 現代オカルティズムはどこから来たのか』白幡節子・門田俊夫 訳、中央公論新社、1999年。
- 吉永進一・松田和也『神秘学の本』学研、1996年。
関連項目
外部リンク
- Charles Webster Leadbeaterの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- Charles Webster Leadbeaterに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- チャールズ・W・レッドビーターの著作 - LibriVox(パブリックドメインオーディオブック)
- A chronological listing of C.W. Leadbeater's books and pamphlets
- C.W. Leadbeater life, writings & theosophical teachings at the Blavatsky Study Center
- Articles by and about C.W. Leadbeater
- C.W. Leadbeater articles and media
- Leadbeater in Sydney: Garry Wotherspoon (2011年). “Leadbeater, Charles”. Dictionary of Sydney. Dictionary of Sydney Trust. 9 October 2015閲覧。