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「デイビッド・エドワード・ヒューズ」の版間の差分

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'''デイビッド・エドワード・ヒューズ'''('''David Edward Hughes'''、[[1831年]][[5月16日]]-[[1900年]][[1月22日]])は[[イギリス]]の[[発明家]]である。[[マイクロフォン|カーボン・マイクロフォン]]などを発明した。
'''デイビッド・エドワード・ヒューズ'''('''David Edward Hughes'''、[[1831年]][[5月16日]]-[[1900年]][[1月22日]])は[[イギリス]]の[[発明家]]である。[[印刷電信機]]や[[マイクロフォン|カーボン・マイクロフォン]]などを発明した。


[[ロンドン]]に音楽家の家に生れたが、1838年に家族とともにアメリカに移住した。音楽と自然科学を学んだ後、1850年ケンタッキーで音楽の教師になったが、物理的な分野に才能を示し、自然科学の教師も兼ねるようになった。1855年に電信装置の特許を取得した。モールス式の電信機と異なり、直接アルファベットを印刷できるような装置であった。この装置は成功をおさめ1930年代まで使われ、多く栄誉をヒューズにもたらした。この発明とともにヒューズはイギリスに戻った。1878年にカーボン・マイクロフォンを発明した。炭素の粉末をつめた受話器の抵抗が振動によって変化することを利用していて、この原理のマイクロフォンも長くつかわれた。
[[ロンドン]]に音楽家の家に生れたが、[[1838年]]に家族とともに[[アメリカ]]に移住した。音楽と自然科学を学んだ後、[[1850年]][[ケンタッキー]]で音楽の教師になったが、物理的な分野に才能を示し、自然科学の教師も兼ねるようになった。[[1856]]に電信装置の特許を取得した。モールス式の電信機と異なり、直接アルファベットを印刷できるような装置であった([http://www.google.com/patents?id=SeRSAAAAEBAJ&pg=PA4 アメリカ特許第14917号])。この装置は成功をおさめ1930年代まで使われ、多く栄誉をヒューズにもたらした。この発明とともにヒューズはイギリスに戻った。[[1878年]]にカーボン・マイクロフォンを発明した。炭素の粉末をつめた受話器の抵抗が振動によって変化することを利用していて、この原理のマイクロフォンも長くつかわれた。


ヒューズの業績を記念して、[[ヒューズ・メダル]]が創設された。
ヒューズの業績を記念して、[[ヒューズ・メダル]]が創設された。

2008年4月7日 (月) 09:04時点における版

エドワード・ヒューズ

デイビッド・エドワード・ヒューズDavid Edward Hughes1831年5月16日-1900年1月22日)はイギリス発明家である。印刷電信機カーボン・マイクロフォンなどを発明した。

ロンドンに音楽家の家に生れたが、1838年に家族とともにアメリカに移住した。音楽と自然科学を学んだ後、1850年ケンタッキーで音楽の教師になったが、物理的な分野に才能を示し、自然科学の教師も兼ねるようになった。1856年に電信装置の特許を取得した。モールス式の電信機と異なり、直接アルファベットを印刷できるような装置であった(アメリカ特許第14917号)。この装置は成功をおさめ1930年代まで使われ、多く栄誉をヒューズにもたらした。この発明とともにヒューズはイギリスに戻った。1878年にカーボン・マイクロフォンを発明した。炭素の粉末をつめた受話器の抵抗が振動によって変化することを利用していて、この原理のマイクロフォンも長くつかわれた。

ヒューズの業績を記念して、ヒューズ・メダルが創設された。