「マジカル頭脳パワー!!」の版間の差分
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*1993年[[12月4日]]放送分からは大幅にセットチェンジされ、ボックスが上下に動くタイプになった。居残り早押しクイズで正解するとボックスが上がり、ヘッドホンはボックスの下に引っ掛けるようになっていた。このセットは[[1998年]][[7月23日]]放送分までとおよそ4年半にわたって続くことになった。居残り早押しクイズが廃止されるとパネラー席からヘッドホンが無くなり、それと交替する形で「マジカルバナナ」等のリズム系クイズが登場されてからはボックスにマイクが付いた。リズム系クイズでアウトになるとボックスが上がる状態になっていた。また、[[1996年]][[7月4日]]放送分からはパネラー席の得点ボードの上に色に合わせたランプが装備された。このランプは「超瞬間お手上げクイズ」の時には手を上げるとランプが黒から赤く光る仕組みがあり、一目で手を上げたか上げなかったかをさらに判断出来るようになった。パネラーが座るイスは7枠時代は青いソファーであったが、1995年[[1月19日]]放送分に8席に増設されてから普通のイスになった<ref>ただし、8枠が初登場した1994年12月22日放送の90分SPでは8枠で青いソファー。</ref>。 |
*1993年[[12月4日]]放送分からは大幅にセットチェンジされ、ボックスが上下に動くタイプになった。居残り早押しクイズで正解するとボックスが上がり、ヘッドホンはボックスの下に引っ掛けるようになっていた。このセットは[[1998年]][[7月23日]]放送分までとおよそ4年半にわたって続くことになった。居残り早押しクイズが廃止されるとパネラー席からヘッドホンが無くなり、それと交替する形で「マジカルバナナ」等のリズム系クイズが登場されてからはボックスにマイクが付いた。リズム系クイズでアウトになるとボックスが上がる状態になっていた。また、[[1996年]][[7月4日]]放送分からはパネラー席の得点ボードの上に色に合わせたランプが装備された。このランプは「超瞬間お手上げクイズ」の時には手を上げるとランプが黒から赤く光る仕組みがあり、一目で手を上げたか上げなかったかをさらに判断出来るようになった。パネラーが座るイスは7枠時代は青いソファーであったが、1995年[[1月19日]]放送分に8席に増設されてから普通のイスになった<ref>ただし、8枠が初登場した1994年12月22日放送の90分SPでは8枠で青いソファー。</ref>。 |
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*同じくボックス式セットになってからはセットが高くなったこともあり得点ボードが1つだけでもパネラーが起立しているときにも得点ボードが見やすくなったため、2段式得点ボードは廃止となった。その代わり、得点ボードの下にグラフィカルな表示をする3色[[発光ダイオード|LED]]式のパネルが装備された。このLEDはオープニングは緑色のバックに赤色で当番組のシンボルマークが表示されたり、回答中は赤色をバックに黄色で左右の△が上に上がる表示をし、居残り早押しクイズで正解したり、リズム系・勝ち残りクイズで最後まで勝ち残ると緑をバックに赤と黄色で○が表示されたり、逆に不正解だったり、リズム系・勝ち残りクイズで失格になったりすると黒をバックに赤一色で×と大きく表示され、パネラー席で行わないクイズの場合は緑をバックに黄色の波のような線が右から左へ流れるように表示するなど様々な演出があった。 |
*同じくボックス式セットになってからはセットが高くなったこともあり得点ボードが1つだけでもパネラーが起立しているときにも得点ボードが見やすくなったため、2段式得点ボードは廃止となった。その代わり、得点ボードの下にグラフィカルな表示をする3色[[発光ダイオード|LED]]式のパネルが装備された。このLEDはオープニングは緑色のバックに赤色で当番組のシンボルマークが表示されたり、回答中は赤色をバックに黄色で左右の△が上に上がる表示をし、居残り早押しクイズで正解したり、リズム系・勝ち残りクイズで最後まで勝ち残ると緑をバックに赤と黄色で○が表示されたり、逆に不正解だったり、リズム系・勝ち残りクイズで失格になったりすると黒をバックに赤一色で×と大きく表示され、パネラー席で行わないクイズの場合は緑をバックに黄色の波のような線が右から左へ流れるように表示するなど様々な演出があった。 |
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*1998年[[7月30日]]放送分からはさらにセットがチェンジされ、先代よりコンパクトな感じになった。初めは解答テーブルがあったが、末期はパネラー席で行うクイズがほとんどなかった関係もあり、解答テーブルも廃止された(なお、この回答テーブルは上下ボックス時代末期にオープニングクイズの「マジカルチェック5つのちがい」で使われていた)。また司会者席の配置などが変わったため、パネラー席の配色が、それまでと配色がまったく逆になった。また、[[1999年]][[2月25日]]放送分から9枠<span style="color:Crimson">■</span>赤、[[3月11日]]放送分から10枠<span style="color:Limegreen">■</span>緑と増設されている<ref>10枠増設以降も9枠までの週が8月5日放送分まで時々あった。</ref>。 |
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*[[2001年]][[12月29日]]の復活SPでは上下ボックス式を模したセットを使用。回答者席の後ろにはこれまで採用されたLED式のパネルではなくなり、[[LCD]]液晶ディスプレイに変わった。クイズの正解、マジカルバナナなどの勝利時には黄緑をバックに赤い縁取りの○が表示された。更に数多くの小さな黄色の○が近づくようになった。不正解、アウト時には黒をバックに黄色の×が表示され、更に数多くの水色の小さな×が回転するように演出された。マル禁ワードの場合は紫をバックに赤の(禁)が表示された。その他の場合は水色をバックに当番組のシンボルマークが表示される。 |
*[[2001年]][[12月29日]]の復活SPでは上下ボックス式を模したセットを使用。回答者席の後ろにはこれまで採用されたLED式のパネルではなくなり、[[LCD]]液晶ディスプレイに変わった。クイズの正解、マジカルバナナなどの勝利時には黄緑をバックに赤い縁取りの○が表示された。更に数多くの小さな黄色の○が近づくようになった。不正解、アウト時には黒をバックに黄色の×が表示され、更に数多くの水色の小さな×が回転するように演出された。マル禁ワードの場合は紫をバックに赤の(禁)が表示された。その他の場合は水色をバックに当番組のシンボルマークが表示される。 |
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*番組初期は、例えばスペシャル『大マジカル頭脳パワー!!』で各チーム代表者による早押しの時など、パネラーの言う答えが正解、不正解に関わらず流れていたが、後年は正解を言った時に限り「ナイショ」の文字とともに解答者の声が隠されるシステムになった。 |
*番組初期は、例えばスペシャル『大マジカル頭脳パワー!!』で各チーム代表者による早押しの時など、パネラーの言う答えが正解、不正解に関わらず流れていたが、後年は正解を言った時に限り「ナイショ」の文字とともに解答者の声が隠されるシステムになった。 |
2010年1月9日 (土) 11:38時点における版
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マジカル頭脳パワー!! | |
---|---|
ジャンル | クイズ番組 |
出演者 |
司会 板東英二 マジカル・オペレータ 木村優子(初代) 永井美奈子(2代目) 魚住りえ(3代目) 解答者 所ジョージ 今田耕司 千堂あきほ 加藤紀子 俵孝太郎 北野大 田中律子 間寛平 ほか |
製作 | |
プロデューサー | 渡辺弘、佐野譲顕(CP) |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
日本テレビ | |
土曜20時台 | |
放送期間 | 1990年10月27日 - 1994年3月26日(100回) |
放送時間 | 土曜日 20:00 - 20:54 |
放送分 | 54分 |
木曜20時台1 | |
放送期間 | 1994年4月14日 - 1999年3月11日(160回) |
放送時間 | 木曜日 19:54 - 20:54 |
放送分 | 60分 |
木曜20時台2 | |
放送期間 | 1999年4月22日 - 1999年9月16日(14回) |
放送時間 | 木曜日 19:58 - 20:54 |
放送分 | 56分 |
『マジカル頭脳パワー!!』(マジカルずのうパワー)は、日本テレビ系列で1990年10月27日から1999年9月16日にかけて放送されていたクイズ・ゲームバラエティ番組である。
本項では特別番組『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』についても記述する。
※このテンプレートは過去の議論により既に廃止されており、現在は使用すべきではありません。
詳細はTemplate‐ノート:ポータル、Wikipedia:削除依頼/Template:ポータルをご覧ください。
番組概要
1988年に始まった『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』及び1989年に始まった『知ってるつもり?!』に続く、「日本テレビクイズプロジェクト」第3弾番組として1990年10月27日に開始。1999年9月16日に終了。1994年3月26日までは、毎週土曜日20:00-20:54(現在この枠は「世界一受けたい授業」)(JST、同年4月14日以降は毎週木曜日19:54-20:54(正式には19:55-20:54)に変更。しかし、1999年4月22日以降は19:58-20:54に放送されていた。(現在この枠は「ぐるぐるナインティナイン」(金曜19時台から枠移動))最高視聴率は1996年5月2日に記録した31.6%(関東地区)[1]。歴代日本テレビゴールデンタイムバラエティ番組で最も高い数字である。ちなみに瞬間最高視聴率は40.9%。その後も平均20-25%を推移する怪物番組であった。
20時ちょうどではなく、他局の番組より少し早く番組を開始する、いわゆるフライングスタートを日本のゴールデンタイムで最初に行った番組でもある。
番組のあゆみ
日本テレビが制作に成功した番組の一つで、「あるなしクイズ」などで注目を浴びると人気が上昇した。視聴率は、開始当初は、初回が7.0%、第2回が6.0%(歴代最低)、第3回が6.2%と第11回まで一桁が続いたが[2][3]、開始から3ヶ月後の第12回(1991年1月26日放送分)以降は10%以上とれるようになり[3][4]、開始から5ヶ月後の第19回(1991年3月16日放送分)では16.8%を記録し[3]、その後徐々に上昇していった。土曜日時代は、フジテレビの『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』、TBSの『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』、テレビ朝日の『暴れん坊将軍』などと互角に戦い、『ごきげんテレビ』を1992年3月に放送終了に追い込んだ[5]。1994年4月からは、それまで木曜8時台に放送されていた『木曜スペシャル』と枠交換を行い、木曜日の放送となった[6]。土曜日から木曜日の枠移動は、TBSの『どうぶつ奇想天外!』の人気が上昇してきたことに加え、プロ野球中継から回避するための移動であった。
木曜日時代の1995年~1996年頃は「マジカルバナナ」、「マジカルアクション伝言バトル」などの人気クイズで毎回20%以上の高視聴率をマークし、裏番組である毎日放送制作枠(『ダウトをさがせII』、『超!よしもと新喜劇』、『ジパング大決戦!』)を9番組連続で終了に追い込んだ。1995年5月11日放送分では視聴率が30.9%と、初の30%超えを達成した[7]。1995年と1996年の4月-9月はなるべく本番組の放送回数を多くするため野球シーズン時も読売ジャイアンツの東京ドームでの試合程度が組まれるだけで、巨人が敵地で戦う試合の中継はほとんど組まれなかった。
番組の終焉とその後
1997年以降、「マジカルバナナ」「マジカル伝言バトル」「エラーを探せ!」などの人気クイズが次々に撤廃されたが、しばらく人気は安定していた。しかし、1998年からはNHKの『コメディーお江戸でござる』、フジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』(土曜日から枠移動)、テレビ東京の『TVチャンピオン』に負けるなど苦戦。1999年になるとテレビ朝日の『木曜ミステリー』やTBSの『うたばん』(火曜日から枠移動)にも苦戦してしまい、同年9月16日に終了した。
レギュラー放送終了後は、2001年12月29日には復活スペシャルとして『マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル!!』が放送された。後述のスペシャルの項を参照。
2008年12月25日には、D3パブリッシャーからニンテンドーDS用ゲームソフト『マジカル頭脳パワー!!DS』 [1] が発売された。
番組内容
解答者は、知識を問うようなものではなく、パズルや推理クイズなどで頭の柔らかさを競う。番組の構成は時がたつにつれて大幅に変化していった。解答者の人数は5人(1990年10月27日-1992年4月18日)から始まって時間の経過に伴って6人(1992年5月9日-1993年10月23日)→7人(1993年10月30日-1995年1月12日)→8人(1995年1月19日-1999年2月18日)→9人(1999年2月25日-)と増えていき、末期の頃には10人まで増えていた。9年間の放送で全252種類のクイズ・ゲームが考案された。
レギュラーの時に解答者が1000点(得点は「頭脳指数」と表す[8])以上の得点を挙げた場合には他の解答者から籠に入った紙吹雪を降らせて祝福され[9]、世界の七不思議・マジカルミステリーツアー(世界一周旅行)へ招待された[10]。またその週に最も多くの得点を稼いだパネラーは「トップ頭脳賞[11]」が与えられた[12]。当初は万年筆など世界のステーショナリークッズがプレゼントされていたが、レギュラー解答者でほとんど毎回トップを取っていた所ジョージが万年筆をコレクションとした。その後はJTBの旅行券10万円分→日本信販(現・三菱UFJニコス)のギフトカード10万円分がプレゼントされた。
番組内コーナーの変遷
初期は芦ヶ原伸之が監修した影響が強く、スーパーコンピュータ「マジカル君」が出題をするという設定のもと早押しクイズもなく、例示されたパズル(問題内容はフジテレビ深夜番組『IQエンジン』にも類似)や、「マジカルミステリー劇場」を中心とした推理クイズなどの書き問題であった。1991年春からは早押しクイズ(ヒントクイズ)が登場。まだこの時は、1人が正解したら終了するという、他のクイズ番組でも行われていた標準的な形式のヒントクイズだった。視聴者の投稿クイズ(パズル)のコーナーもあり、採用された際の賞品は時価10万円の純銀パズル(タングラム)であった。
- 当時の早押しクイズは頭脳指数が200から時間ごとに10減り、0までとなり、正解が出るまで解答権があるが誤答だと一回休みになった[13]。
- 出題の際は「Q○[14]クイズタイトル」の表記がなされており、ジングルも後のものとは異なっていた。筆記問題完全撤廃後もこのスタイルを踏襲していたが、1992年12月5日放送分より出題表記方法とジングルが復活SPでも使用されたものに変更された。
1991年後半からは「恐怖の居残り早押しクイズ」と称したものが中心となった[15]。この形式の代表的なクイズは「あるなしクイズ」である。1991年11月9日から1993年11月13日までの約2年間はセットの解答者席に檻が出てきた[16]。それ以降は檻は廃止されたものの、1995年1月までこの形式のクイズは続いた[17]。視聴者の投稿クイズの賞品は、番組特製時価10万円相当の純銀製タングラム(初期~中期)、トミー(現・タカラトミー)から発売された同番組のボードゲームと「あるなしクイズ」ビデオのセット。
- 「恐怖の居残り早押しクイズ」になると頭脳指数は200(途中から100)から-50となり、VTRを最後まで流すだけではなく、全員が正解するまで続く。同時にマイナス表示もパネラーが手書きしたものからデジタル表示を出すようになった。
1993年までは番組内で出題されるクイズは全てパネラー席で実施されていた。1994年1月8日の大マジカルに登場した「マジカルシャウト」はパネラー席の外で行うクイズであり、当初は「シャウト」のみパネラー席の外で行っていたが、同年秋頃にパネラー席の外で行うクイズが徐々に増え始め、末期はパネラー席で行うクイズはほとんど存在しなかった。
1995年-1996年頃には「マジカルバナナ」・「マジカルチェンジ」・「マジカルインスピレーション」など、言葉遊び、連想ゲーム、リズム系クイズが一世を風靡し、人気を集めた。また、特に長い時間を割いた「マジカル伝言バトル」(1994年-1997年)では、伝達ミスなどの面白いハプニングが毎回のように起こった。
1998年以降になるとクイズの要素は次第に無くなっていき、ゲームが主体となっていった。
出演者
メイン司会者
マジカル・オペレーター
- 初代(1990年10月27日(第1回)-1992年10月10日):木村優子
- 2代目(1992年10月24日-1999年9月16日(最終回)):永井美奈子
- 3代目(2001年12月29日復活スペシャル):魚住りえ
3人とも出演当時は日本テレビアナウンサーだった。当初は「日本テレビアナウンサー」の肩書きがなかったが、1994年春に「日本テレビアナウンサー」の肩書きがついた。[18])
解答者
レギュラー解答者
- 1枠(青→朱色)
- 司会の板東と並んで番組の顔ともいえる存在。トップ頭脳賞及びマジカルミステリーツアーの獲得回数を他の解答者より大きく引き離しており、司会の板東英二や出演者、及び視聴者も認める最強の解答者であった[19]。当時の賞品であった万年筆をコレクションにし、ジャケットの裏に数え切れないほど付けて登場したこともあった[20]。また所は意図的に珍解答をし番組を盛り上げることもあった。[21]居残り早押しクイズ全盛期は頭の回転力が凄まじく、1993年には、問題出題の前にボタンを押し、早々と正解させた記録もある。そのため、他の解答者が嫉んでいたのかミステリーツアーを阻止してなかなか1000点以上獲得できなかった。また、初めてマジカルミステリーツアーを獲得した際は、次週放送から旅行のために2週間(2本撮りのため)番組を休んだ[22]。また、ある回で番組を休んだ際にタレント早押しクイズの出題者として登場したこともあった。視聴者からの出題クイズで得点がマイナスになってしまった場合、出題者に彼のサインが贈呈される事もあった。
- マジカルミステリー劇場では、自作の板東英二人形「スーパー板ちゃん」を出して板東に突っ込まれるが、その後「世界ふしぎ発見!」から借りてきた本物のスーパーひとし君を出して、この番組のレギュラー解答者である板東を驚愕させた事がある。
- 実力の高さからか、1991年秋及び1994年正月-1995年春の大マジカルと、200回SPでは彼のみ単独で登場した。
- 「マジカル最強の頭脳」(2001年復活SPより)と言われていた所であったが、全盛期の1996年になると「クイズをテンポよく進める」というスタッフの主張に対し、「出演者のやりとりも大事にしたい」という主張の対立が起き、1996年10月10日放送の大マジカルで降板することになった(当時は番組を卒業したとしていた)。
- レギュラー降板後には1997年9月18日放送の90分SPに1度だけ出演。2001年の復活スペシャルでは5年ぶりに正式に復帰し、その頭の切れは健在であった。
- 2枠(黄緑→紫)
- 1991年-1992年頃、ゲスト出演した和田アキ子が2枠席につき、千堂あきほが4枠席(水色)についたことがあったが、1993年以降は和田アキ子が出演しても千堂は2枠席、和田は4枠または5枠席(黄)についていた。また、1991年-1992年の上半期に千堂が不在の時は(初期は正式なレギュラーではなかった為)蓮舫らがついていた。
- 1994年7月14日の放送で所ジョージ、俵孝太郎に次いでマジカルミステリーツアーを獲得(女性パネラーとしては初)した時は嬉しさのあまり涙した。
- 3枠(ピンク→橙色)
- 初期~中期の頃の知的・ご意見番的パネラー。所ジョージに次ぐトップ頭脳賞獲得回数を誇り、1992年1月18日放送回では所ジョージに次いでマジカルミステリーツアーを獲得した[25]。初期の筆記問題は自らの知識をいかしてボーナスをもらえることがよくあったが、逆に答えがわからないとあきらめて白紙回答になることがあった。また、居残り早押しクイズで最後まで正解できなかったあるいはギリギリで正解した際、「なんだ下らない(あるいはなんだバカらしい)」と言うのがお決まりだった。また、1回だけ「あるなしクイズ上級編」での問題が素晴らしかったのか、板東の独断で投稿した視聴者に「仁者不憂」というサインを書いたことがあった。
- ちなみに他のレギュラー出演者は降板後もゲストや復活スペシャルでの出演があるが、唯一彼のみ降板後一度も出演がない。
- 当初はつく枠はまちまちだったが、俵孝太郎が降板した後は準レギュラーとして3枠に定着。末期はほとんど出演しなかったが数回出演していた。
- 「マジカルバナナ」や「ダブルしりとり」で加藤紀子がリズムに乗って言えなかった言葉をそのまま引用したり、「マジカルクラップ」で集中的に指名するなどしたため、しばしば加藤に怒られることがあった。
- 最後尾
- 間寛平(1991年1月19日-1999年9月16日(最終回)、2001年12月29日復活スペシャル、後期まではゲストパネリストがグループで出場する場合は最後尾から2番目[29]、大マジカルでのチームは大穴。)
- 最後尾の席なので、解答者の人数が増えるに連れて席の色が青緑→黄→橙→紫→朱色→青→赤→緑というように変化している。レギュラー解答者で席の色が変わるのは彼のみである。また、マジカルアートの絵があまりに下手だったため、フランス短期留学のために番組を2回欠場するということもあった。
- 末期ではマギー司郎や松本ハウスとチームを組んで出演することもあった。
- レギュラー解答者の中でなかなか1000点獲得ができず、他の解答者が1000点突破した際は紙吹雪に参加せずに1人だけ悔しがったということもあったが、最終回前の1999年9月9日放送では最後のゲームにおいて最初で最後の1000点を突破する快挙を達成した。
- 歴代すべてのパネラー席セット(全筆記問題時代パネラー席→檻付きパネラー席→ボックス型パネラー席→レギュラー最後のパネラー席)時期を経験した唯一のレギュラー解答者である。
ゲスト解答者
ゲストパネリストの解答席の位置は、4枠から最後尾の席の隣までだった[30]。1995年4月からは4枠または3枠から最後尾の席の隣まで、1998年10月からは3枠または2枠と4枠から最後尾の席の隣までだった。
- SMAP(1995年4月-1996年2月までほぼ隔週出演。これ以前にも何度か一部のメンバーが出演していた)
- TOKIO(1995年2月-1998年3月までほぼ隔週出演。SMAPが反対番の時は2人1組、V6が反対番の時は当初は2人1組、後に1人)[31]
歴代セット
司会者席の変遷
- 初期は板東英二がピンクやブルーをバックに(第1回のみ例外)座って司会をしており、木村優子が頭脳指数を表示するデジタルパネルをバックに座っていた。
- 1991年11月9日に居残り早押しクイズが導入されると板東が立ちながらの司会になり、司会者机も下部に赤色のLEDを表示したものに変更。このLEDの上には後に『MAGICAL ○○○○』(○は西暦)とデジタル文字(ただしパネルではない)で表示されるようになった。また木村はグラフィカルなパネルをバックに座るようになった。1992年5月のセットチェンジの際には司会者机が大きくなっている。
- 1992年10月24日に永井美奈子がマジカル・オペレーターになると板東と同じく立ちながらやるようになった。これにより頭脳指数を表示するデジタルパネルが廃止された。また1993年6月12日と1993年10月9日に司会者席のバックが変更されている(タワーを模したバックとなっている)。
- 1994年10月13日からは司会者机と司会者席のバックがフルモデルチェンジされた(バックは目を模したセットである)。
- 1997年10月16日からは「マジカルぶらんこ」のセットのスペースを空けるために司会者席のバックが無くなる。
- 1998年7月30日放送分からのセットチェンジの際に、司会者席の場所が今までと逆になった。また、司会者机がさらにフルモデルチェンジされ、LEDが緑色に変わり、その上には『MAGICAL』とゴシック体で表示するだけになった。司会者席のバックもフルモデルチェンジされている(モニターセットが設けられた)。
- 2001年12月29日の大復活120分スペシャルでは板東英二と魚住りえの司会者席のバックは、1994年10月13日~1997年10月9日の2001年12月29日バージョンで、司会者机のセットは1994年10月13日~1999年9月9日の2001年12月29日バージョンだった。
パネラー席の変遷
- 番組放送開始から1992年4月18日までは5席、以降放送回が進むごとに回答者席が増えていき、番組終了時は10席だった。
- パネラー席の色は1枠■青、2枠■黄緑、3枠■ピンク、4枠■水色、5枠■黄色、6枠■橙色、7枠■紫、8枠■朱色、9枠■赤、10枠■緑となっていた。ただし、9枠以降は8枠までのパネラー席の配色がまったく逆になった後増設されたものである(後述)。また1997年1月30日・2月6日放送分は3枠■水色、4枠■ピンクで、1995年3月16日・1997年4月17日・24日・5月8日放送分は4枠■黄色、5枠■水色と入れ替わっていた。放送開始から檻が出てくる1991年11月以前は4枠は■黄色、5枠は■青緑とそれ以降と逆。また3枠も初期はもっと■赤色に近い色(紅色)であったり、その他4枠(→5枠)・6枠(→3枠)・8枠(→1枠)でも時期により、若干色合いの変化が見られる。
- ネームプレートは、黒地に白で名前が書かれていた(ただし、第1回のみ白地に黒だった)。パネリスト席に檻が設置されたときは名前の下にローマ字表記があり、パネリスト席から檻がなくなるとローマ字表記が削除されフルネームのみ、末期は苗字・名前・フルネームとばらばらになった。
- 放送開始当初はパネラー席の下に筆記問題解答用モニターが装備されていた。バックは黒で白字で表示され、視聴者には画面が浮き上がってくるように表示される。席に檻が出るようになった後も装備されていたが、1992年4月18日に筆記問題がなくなるとその部分は「MAGICAL roulette system」と書かれた赤い早押しランプに変わった。早押しランプは1993年5月に形が変わり、「roulette system」の文字が消え、「MAGICAL」のみになった。
- パネリスト席に檻が出ていたころは、得点ボードが2つ装備されていた。これは、1つだけだと居残り早押しクイズでパネラーが起立しているときには得点が見にくいためで、1992年2月1日放送分から大きい得点ボードの上に少し小さい得点ボードをつけ、パネラーが起立しているときでも得点が見やすいようにした。正解すると上の得点ボードで得点が精算され、下の得点ボードに表示される仕組みになっていた。
- 1993年10月30日と11月13日放送分は、檻付きのパネリスト席で7枠という、珍しい形態であった。これは視聴者代表小学生枠を設けるためである。
- 1993年12月4日放送分からは大幅にセットチェンジされ、ボックスが上下に動くタイプになった。居残り早押しクイズで正解するとボックスが上がり、ヘッドホンはボックスの下に引っ掛けるようになっていた。このセットは1998年7月23日放送分までとおよそ4年半にわたって続くことになった。居残り早押しクイズが廃止されるとパネラー席からヘッドホンが無くなり、それと交替する形で「マジカルバナナ」等のリズム系クイズが登場されてからはボックスにマイクが付いた。リズム系クイズでアウトになるとボックスが上がる状態になっていた。また、1996年7月4日放送分からはパネラー席の得点ボードの上に色に合わせたランプが装備された。このランプは「超瞬間お手上げクイズ」の時には手を上げるとランプが黒から赤く光る仕組みがあり、一目で手を上げたか上げなかったかをさらに判断出来るようになった。パネラーが座るイスは7枠時代は青いソファーであったが、1995年1月19日放送分に8席に増設されてから普通のイスになった[36]。
- 同じくボックス式セットになってからはセットが高くなったこともあり得点ボードが1つだけでもパネラーが起立しているときにも得点ボードが見やすくなったため、2段式得点ボードは廃止となった。その代わり、得点ボードの下にグラフィカルな表示をする3色LED式のパネルが装備された。このLEDはオープニングは緑色のバックに赤色で当番組のシンボルマークが表示されたり、回答中は赤色をバックに黄色で左右の△が上に上がる表示をし、居残り早押しクイズで正解したり、リズム系・勝ち残りクイズで最後まで勝ち残ると緑をバックに赤と黄色で○が表示されたり、逆に不正解だったり、リズム系・勝ち残りクイズで失格になったりすると黒をバックに赤一色で×と大きく表示され、パネラー席で行わないクイズの場合は緑をバックに黄色の波のような線が右から左へ流れるように表示するなど様々な演出があった。
- 1998年7月30日放送分からはさらにセットがチェンジされ、先代よりコンパクトな感じになった。初めは解答テーブルがあったが、末期はパネラー席で行うクイズがほとんどなかった関係もあり、解答テーブルも廃止された(なお、この回答テーブルは上下ボックス時代末期にオープニングクイズの「マジカルチェック5つのちがい」で使われていた)。また司会者席の配置などが変わったため、パネラー席の配色が、それまでと配色がまったく逆になった。また、1999年2月25日放送分から9枠■赤、3月11日放送分から10枠■緑と増設されている[37]。
- 2001年12月29日の復活SPでは上下ボックス式を模したセットを使用。回答者席の後ろにはこれまで採用されたLED式のパネルではなくなり、LCD液晶ディスプレイに変わった。クイズの正解、マジカルバナナなどの勝利時には黄緑をバックに赤い縁取りの○が表示された。更に数多くの小さな黄色の○が近づくようになった。不正解、アウト時には黒をバックに黄色の×が表示され、更に数多くの水色の小さな×が回転するように演出された。マル禁ワードの場合は紫をバックに赤の(禁)が表示された。その他の場合は水色をバックに当番組のシンボルマークが表示される。
- 番組初期は、例えばスペシャル『大マジカル頭脳パワー!!』で各チーム代表者による早押しの時など、パネラーの言う答えが正解、不正解に関わらず流れていたが、後年は正解を言った時に限り「ナイショ」の文字とともに解答者の声が隠されるシステムになった。
- 大マジカルスペシャル時はレギュラー全期間・2001年の復活SPの全てひな壇上の回答席にパネラーが座っており、チーム中1人が参加する個人戦時のみ、通常のセットを使用していた。個人戦用の通常セットのネームプレートにはそのパネラーがいるチーム名が書かれていた。
パネラー席の変遷順
レギュラー放送の席
順番 | 席の色 |
---|---|
初期前半 | 青緑■5枠 黄色■4枠 紅色■3枠 黄緑■2枠 青■1枠 |
初期後半 | 黄色■5枠 水色■4枠 ピンク■3枠 黄緑■2枠 青■1枠 |
中期前半 | 橙色■6枠 黄色■5枠 水色■4枠 ピンク■3枠 黄緑■2枠 青■1枠 |
中期後半 | 紫■7枠 橙色■6枠 黄色■5枠 水色■4枠 ピンク■3枠 黄緑■2枠 青■1枠 |
絶頂期~後期 | 朱色■8枠 紫■7枠 橙色■6枠 黄色■5枠 水色■4枠 ピンク■3枠 黄緑■2枠 青■1枠 |
末期前半 | 1枠■朱色 2枠■紫 3枠■橙色 4枠■黄色 5枠■水色 6枠■ピンク 7枠■黄緑 8枠■青 |
末期後半1 | 1枠■朱色 2枠■紫 3枠■橙色 4枠■黄色 5枠■水色 6枠■ピンク 7枠■黄緑 8枠■青 9枠■赤 |
末期後半2 | 1枠■朱色 2枠■紫 3枠■橙色 4枠■黄色 5枠■水色 6枠■ピンク 7枠■黄緑 8枠■青 9枠■赤 10枠■緑 |
スペシャル放送の席
順番 | 回答席 |
---|---|
大マジカル1回 | インターナショナル 東大 堀越 スポーツ ヒロイン 本命 |
大マジカル2回 | インターナショナル 東大 堀越 所ジョージ スポーツ ヒロイン お笑い |
大マジカル3回 | インターナショナル 頭脳パワー 堀越 激論! ヒロイン マジカル |
大マジカル4回 | インターナショナル 両手に花 松 カントリー 両手に星 一文字 |
大マジカル5回 | インターナショナル 両手に花 独身モテモテ カントリー 両手にダンゴ カタカナ名前 |
大マジカル6回 | 亀 猿 鶴 梅 竹 松 |
大マジカル7回 | つくし れんげ たんぽぽ あざみ すみれ 桜 |
大マジカル8回 | 視聴者小学生代表 10代 20代男 20代女 50代 40代 30代 |
大マジカル9回 | 大穴 一発逆転 絶好調 名門 対抗 本命 |
大マジカル10回~12回 | 大穴 一発逆転 絶好調 名門 対抗 本命 |
大マジカル13回~24回 17、22回を除く |
大穴 要注意 一発逆転 絶好調 名門 一番人気 対抗 本命 |
大マジカル17回 | 大穴 要注意 一発逆転 絶好調 名門 一番人気 対抗 本命 |
大マジカル22回 | 大穴 要注意 一発逆転 絶好調 名門 一番人気 対抗 本命 |
2001年復活SP | 大穴 一発逆転 要注意 気合十分 名門 絶好調 対抗 本命 |
スペシャル放送での解答席配色
順番 | 回答席 |
---|---|
大マジカル1回 | 本命紫● ヒロイン青● スポーツ緑● 堀越桃● 東大橙● インターナショナル黄緑● |
大マジカル2回 | お笑い水● ヒロイン紫● スポーツ緑● 所ジョージ黄● 堀越桃● 東大青● インターナショナル橙● |
大マジカル3回 | マジカル青● ヒロイン黄緑● 激論!緑● 堀越橙● 頭脳パワー桃● インターナショナル黄● |
大マジカル4回 | 一文字青● 両手に星黄緑● カントリー緑● 松橙● 両手に花桃● インターナショナル黄● |
大マジカル5回 | カタカナ名前橙● 両手にダンゴ緑● カントリー桃● 独身モテモテ黄緑● 両手に花青● インターナショナル黄● |
大マジカル6回 | 松橙● 竹緑● 梅桃● 鶴黄緑● 猿青● 亀黄● |
大マジカル7回 | 桜桃● すみれ緑● あざみ橙● たんぽぽ黄● れんげ水● つくし黄緑● |
大マジカル8回 | 30代緑● 40代橙● 50代青● 20代女桃● 20代男黄緑● 10代明紫● 視聴者小学生代表黄● |
大マジカル9回 | 本命橙● 対抗水● 名門青● 絶好調桃● 一発逆転黄緑● 大穴黄● |
大マジカル10回~12回 | 本命緑● 対抗橙● 名門青● 絶好調桃● 一発逆転黄緑● 大穴黄● |
大マジカル13回~ 17、22回を除く | 本命緑● 対抗橙● 一番人気青● 名門桃● 絶好調紫● 一発逆転赤● 要注意黄緑● 大穴黄● |
大マジカル17回 | 本命緑● 対抗橙● 一番人気黄緑● 名門桃● 絶好調紫● 一発逆転赤● 要注意青● 大穴黄● |
大マジカル22回 | 本命緑● 対抗橙● 一番人気青● 名門桃● 絶好調紫● 一発逆転黄緑● 要注意赤● 大穴黄● |
2001年復活SP | 本命緑● 対抗橙● 絶好調青● 名門桃● 気合十分紫● 要注意赤● 一発逆転黄緑● 大穴黄● |
ヘッドホンの色
- 1991年11月9日~1993年11月13日 黒
- 1993年12月4日~1995年3月16日 水色・赤・緑・黄・オレンジ・ピンク・黄緑(水色と黄と赤は2個)
- 2001年12月29日 銀
- 1993年12月以降はパネラー席と同じヘッドホン、マイク付きヘッドホンでもある。
スペシャル
大マジカル頭脳パワー!!スペシャル
春や秋・年末年始にはスペシャル版『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』が放送されていた。
- 通常時と異なり、スペシャルではチーム戦となる。参加チームは最初6チームだったが、1991年秋と1993年秋のスペシャルは7チーム、1995年春のスペシャルから8チームに増えた。
- 最初はチームは3人1組でチーム名はメンバーに合わせたネーミングだったが、1994年から「本命」「対抗」「名門」「絶好調」「一発逆転」「大穴」という競馬用語のようなチーム名になり、同時にチーム名も成績別編成になって人数がチームごとに異なるようになり、「本命」チームは所ジョージ1人だけということもあった[38]。1995年春からは、これに「一番人気」と「要注意」が増え、8チームになった。
- 1997年になるとどのチームも3-4人に固定されるようになった。ただし、一番人気チームは5人以上の回もあった。一番人気チームは毎回SMAP、TOKIO、V6とジャニーズ事務所所属のタレントで構成されていた[39]。
- なお、一番人気チームは2001年の復活スペシャルでは「絶好調」チームとなっており、ジャニーズ枠が撤廃されている。また、絶好調チームのあった5席目は「気合十分」チームとなっていた。
- 書き問題の解答は通常、バックは黒・白字で表示されるが、スペシャルの場合のみ水色バックに黒字で表示された。
- 優勝チームには優勝賞金として100万円が渡された。ただし、初期ではメンバー全員で割り切れるように数円の端数(1,000,002円、1,000,005円など)があった。また、2チームが並んで優勝したことが数回あったが、その場合は決勝戦は行わず、両チームに100万円ずつ渡された。また、1997年春は優勝賞金が200万円であった。
- 大マジカル頭脳パワー!!の放送時間は通常は120分(19:00~20:54)だが、過去に10回だけ150分(18:30~20:54または19:00~21:24)、1回だけ90分(19:54~21:24)もあった。
放映リスト
- 初の2時間特番。
- 早押しクイズがこの回で初登場。
- マジカルミステリー劇場が中心の構成。3問出題された[40]。
- 第2回 1991年10月12日 『大マジカル頭脳パワー!!スペシャルII』MAGICAL SPECIAL 1991 FALL
- この回は所ジョージ1人だけの所ジョージチームがあり、7チーム構成。
- 恐怖の居残り早押しクイズが本格的に導入。
- 第3回 1991年12月28日 『大マジカル頭脳パワー!!スペシャルIII』THE 3rd MAGICAL SPECIAL
- ミステリー劇場以外の筆記問題が一問のみ復活。
- 第5回 1992年10月3日 『大マジカル頭脳パワー!!スペシャルV』THE 5th MAGICAL SPECIAL
- 『大マジカル頭脳パワー!! スペシャル○(○はスペシャルの通算回数)』の表記はこの回で終了。
- この回で一旦「大マジカル-」のタイトルが消える。同時にこの回以後タイトルからスペシャルの通算回数が消える。
- 「マジカルコイン いち文字クイズ」がこの回で初登場。
- この回は18:30スタートの2時間30分スペシャル。
- 第7回 1993年4月3日 『マジカル頭脳パワー!!めちゃ超大スペシャル』THE 7th MAGICAL SPECIAL
- 「ダブルシャッフルクイズ」が初登場。
- この回は18:30スタートの2時間30分スペシャル。
- 第8回 1993年10月9日 『大マジカル頭脳パワー!!超進化クイズ誕生スペシャル』THE 8th MAGICAL SPECIAL
- 「大マジカル-」のタイトルが復活。
- この回のチーム構成は、厳しい予選を勝ち抜いた「視聴者参加小学生」、「10代」、千堂率いる「20代」(20代は男女別、20代男のみ4人1組)、所率いる「30代」、間率いる「40代」、俵率いる「50代」(50代チームは60歳以上も含まれる。俵は当時すでに60代だった)の世代ごとにチーム分けされていた。これに伴い1991年秋以来の7チーム構成になった。
- 「立体文字クイズ」がこの回で初登場。
- この回は18:30スタートの2時間30分スペシャル。
- この回からチーム名が「本命」「対抗」「名門」「絶好調」「一発逆転」「大穴」という競馬用語のようなチーム名になり、同時にチーム名も成績別編成になって人数がチームごとに異なるようになった。
- 「マジカルシャウト」がこの回で初登場。
- 大マジカルの土曜日放送はこの回が最後[41]。
- 第10回 1994年4月7日 『大マジカル頭脳パワー!!バトル王(チャンピオン)スペシャル!!』THE 10th MAGICAL SPECIAL
- 放送日が土曜日20:00から木曜日19:54に移って最初の放送。木曜日時代1発目は春の2時間スペシャル。
- 「マジカルアナライザー」がこの回で初登場。
- 「早取りロングワード」がこの回で初登場。
- 第11回 1994年10月13日 『大マジカル頭脳パワー!!新バトル王(チャンピオン)スペシャル!!』THE 11th MAGICAL SPECIAL
- 大マジカル初の2チーム同時優勝。
- 第11回大会ではあるが、司会者机には何故か「THE 10th MAGICAL SPECIAL」と表記されていた。
- 恐怖の居残り早押しクイズでは大穴チーム・ダチョウ倶楽部(寺門ジモン・肥後克広・上島竜兵)は3人で参加。
- 「マジカルアート」がこの回で初登場。
- 「マジカル3コマフレーズ」がこの回で初登場。
- 第12回 1994年12月29日 『大マジカル頭脳パワー!!決定!1994芸能界最強バトル王(チャンピオン)スペシャル!!』THE 12th MAGICAL SPECIAL
- 「マジカルアクション 伝言バトル」がこの回で初登場。
- 大マジカルでの居残り早押しクイズはこの回で最後[41]。
- この回は18:30スタートの2時間30分スペシャル。
- 「一番人気」と「要注意」が増え、8チームになった。
- 「マジカルバナナ」がこの回で初登場。
- 北野大がレギュラーとして初出演。
- 大マジカル2回目の2チーム同時優勝。
- 第14回 1995年10月12日 『大マジカル頭脳パワー!!20世紀クイズ番組史上最強!最高!最新!のスペシャル』THE 14th MAGICAL SPECIAL
- この回より所ジョージのハンデとして最も正解率の低い松村邦洋が本命チームに入るなど、強いチームにはハンデをつけた全チーム能力均一戦に。
- 千堂あきほがレギュラーとして最後の出演。
- 「マジカルチェンジ」「マジカルポーズ」がこの回で初登場。
- 「おぼえてしりとりバトル」は代表者2名のペア戦。
- この回は出演者過去最多の8チーム33人。
- この回は19:00スタートの2時間30分スペシャル。
- 第15回 1995年12月28日 『1995年クイズ番組No.1大マジカル頭脳パワー!!超(秘)の最新型クイズがいっぱいスペシャル!!』THE 15th MAGICAL SPECIAL
- 「スペシャルチェンジ」がこの回で初登場。
- この回は19:00スタートの2時間30分スペシャル。
- 伝言バトルにねんど、音楽リップが登場。
- この回は19:00スタートの2時間30分スペシャル。
- 第17回 1996年10月10日 『大マジカル頭脳パワー!!視聴率の限界に挑戦!今夜しか見られない!!(秘)珍クイズスペシャル』THE 17th MAGICAL SPECIAL
- 2代目マジカルオペレーターの永井美奈子が日本テレビ退社後、フリーアナウンサーとして初出演。
- 所ジョージがレギュラーとして最後の出演。
- 所・松村組の本命チームが初の最下位脱出。
- この回は19:00スタートの2時間30分スペシャル。
- この回からどのチームも3-4人に固定されるようになった。ただし、一番人気チームは5人以上の回も存在する。
- この回は19:00スタートの2時間30分スペシャル。
- 第19回 1997年4月3日 『大マジカル頭脳パワー!!春だ!みんなウキウキおもしろ最新クイズで楽しもうスペシャル!!』THE 19th MAGICAL SPECIAL
- この回のみ優勝賞金が2倍の200万円。
- マジカル史上最高得点が出る(2640点)。
- この回は19:00スタートの2時間30分スペシャル。
- 第20回 1997年10月9日 『大マジカル頭脳パワー!!超おもしろ新クイズ&新ゲームがいっぱい!!スペシャル!』THE 20th MAGICAL SPECIAL
- この回から伝言バトルが一旦撤廃された。
- ラストクイズの「有名人を探せ」が、大マジカル限定で7人に増加[42]。
- 第22回 1998年4月2日 『大マジカル頭脳パワー!!春だ!みんなウキウキお最新ゲームとクイズで楽しもうスペシャル!!』THE 22nd MAGICAL SPECIAL
- この回からリズム系クイズが完全撤廃された。
- 「マジカル超グルグル」で恐怖の居残り早押しクイズが変わり種として復活。
- 第23回 1998年10月22日 『大マジカル頭脳パワー!!あの有名人がこ~んなことまでしちゃうぞ! 超(秘)(秘)(秘)スペシャル!!』THE 23rd MAGICAL SPECIAL
- 伝言バトルが変わり種として復活。
- レギュラー時代最後の大マジカル。大マジカル初の19:54スタートの90分スペシャルであった。
- スーパースペシャル放送内で土曜日。
- 18:30スタートの2時間30分だったが、本編は実質上2時間だった。
- 3代目マジカルオペレーターの魚住りえが初登場。
- 一番人気チームが気合十分チームに変更、絶好調チームと入れ替わった。また、要注意チームと一発逆転チームも入れ替わった。
- 所・松村組の本命チームが初の賞金100万円獲得。
歴代優勝チーム
- 第1回(1991年3月30日)ヒロイン・チーム(森尾由美・杉本彩・千堂あきほ)990点
- 第2回(1991年10月12日)所ジョージチーム(所ジョージ)1140点
- 第3回(1991年12月28日)マジカルチーム(所ジョージ・高田純次・ラサール石井)2120点
- 第4回(1992年4月11日)一文字チーム(所ジョージ・間寛平・東ちづる)1510点
- 第5回(1992年10月3日)独身モテモテチーム(川合俊一・諸星和己・千堂あきほ)1590点
- 第6回(1993年1月2日)梅チーム(千堂あきほ・村野武憲・高木ブー)1822点
- 第7回(1993年4月3日)あざみチーム(桑野信義・大澄賢也・小柳ルミ子)1670点
- 第8回(1993年10月9日)40代チーム(小柳ルミ子・間寛平・高田純次)1620点
- 第9回(1994年1月8日)対抗チーム(ラサール石井・千堂あきほ)1840点
- 第10回(1994年4月7日)一発逆転チーム(間寛平・東国原英夫(そのまんま東)・早坂好恵・麻木久仁子・マルシア)2190点
- 第11回(1994年10月13日)名門チーム(山咲千里・北野大・麻木久仁子)・一発逆転チーム(森口博子・酒井法子・早坂好恵・川合俊一・飯島愛)2200点
- 第12回(1994年12月29日)本命チーム(所ジョージ)1830点
- 第13回(1995年4月6日)対抗チーム(千堂あきほ・今田耕司・東野幸治)・一番人気チーム(中居正広・木村拓哉・香取慎吾・森且行)2160点
- 第14回(1995年10月12日)要注意チーム(風見しんご・飯島愛・加藤紀子・早坂好恵)2260点
- 第15回(1995年12月28日)一番人気チーム(木村拓哉・香取慎吾・草彅剛・稲垣吾郎・森且行)2530点
- 第16回(1996年4月11日)要注意チーム(風見しんご・飯島愛・早坂好恵)2210点
- 第17回(1996年10月10日)要注意チーム(風見しんご・早坂好恵・荻野目洋子)2490点
- 第18回(1997年1月9日)本命チーム(今田耕司・加藤紀子・清水圭)2250点
- 第19回(1997年4月3日)本命チーム(今田耕司・加藤紀子・清水圭)2640点
- 第20回(1997年10月9日)名門チーム(ラサール石井・北野大・麻木久仁子)2070点
- 第21回(1998年1月8日)対抗チーム(ラサール石井・風見しんご・西田ひかる)1880点
- 第22回(1998年4月2日)一番人気チーム(松岡昌宏・山口達也・国分太一・城島茂)1950点
- 第23回(1998年10月22日)一番人気チーム(長瀬智也・松岡昌宏・山口達也・国分太一・城島茂)2510点
- 第24回(1999年1月7日)対抗チーム(ラサール石井・中山エミリ・山咲千里)1450点
- 第25回(2001年12月29日)本命チーム(所ジョージ・松村邦洋)1690点
あるなしスペシャル
1992年に放送された、あるなしクイズをメインとしたスペシャル。大マジカル以外の初のスペシャルでもある。このときは2チーム対抗戦で、スペシャル限定の巨大檻が登場した。
- 「所チーム」対「板東チーム」での対戦。
- 優勝商品はは賞金1,999,998円。
勝利チームは夏は所チーム・秋は白組と、いずれも所ジョージが所属するチームの勝利に終わっている。
90分スペシャル
この時は2000点突破でマジカルミステリーツアーにご招待というルール。全体のセットはレギュラー放送と同じだが、放送時期に合わせた小道具などが使われている。
- マジカル初の90分スペシャル。セットは全体的にクリスマス仕様で、司会者机の表記もクリスマス仕立て。
- この回で8枠が初登場。
- 俵孝太郎がレギュラーとして最後の出演。
- 歴代スペシャル視聴率1位だった回。
- 1995年9月21日 『マジカル頭脳パワー!! 200回記念! 大感謝!! スペシャル!!』THE 200th ANNIVERSARY SPECIAL
- この回から2人1チームの6チーム制。ただし所ジョージはこの回のみ単独。
- この回では珍しく、間寛平が2枠(ペアの相手は2枠レギュラーの千堂あきほ)、北野大が6枠(ペアの相手は定岡正二)についていた。
- トップ頭脳賞はこの回から日本信販のギフトカード20万円分。
- 『200回記念』と記されているが、実際は200回目ではない。
- 1995年12月14日 『マジカル頭脳パワー!! 超お楽しみクリスマススペシャル』MAGICAL CHRISTMAS SPECIAL
- この回から2000点突破すると「ペアで」マジカルミステリーツアーにご招待。
- 前年同様、セットはクリスマス仕様。
- この回から2人1チームの8チーム制になる。ただしTOKIOのみ5人1チーム。
- 1996年9月19日 『マジカル頭脳パワー!! この秋大流行(秘)最新型クイズ見逃せないぞ!!スペシャル』MAGICAL 90minute SPECIAL 1996 fall.
- 「マジカルプッシュ」がこの回で初登場。
- 永井美奈子が日テレアナウンサーとして最後の出演。
- 1996年12月19日 『マジカル頭脳パワー!! 家族みんなでお楽しみクリスマススペシャル』MAGICAL CHRISTMAS SPECIAL
- 「マジカル裏バナナ」がこの回で初登場。
- 事実上最後の90分スペシャル。
- 約1年ぶりに所ジョージがゲストとして登場。但しレギュラー時の1枠ではなく(ゲスト扱いなので)8枠でクイズに臨んだ。
その他のスペシャル
- レギュラー放送特別ルール
- 放送時間が通常でも、特別ルールで放送された回があった。1994年4月14日放送回[43]では、トップ頭脳賞はいつもの倍のJTB旅行券20万円分、マジカルミステリーツアーはペアで招待という特別ルールで放送されていた。1997年7月10日放送回では60分ペア戦があった。
- 木曜スペシャル 史上最強クイズ番組決定戦 クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! VSマジカル頭脳パワー!! 夢の対決!!
- 1993年5月20日に放送。当時、逸見政孝と渡辺正行が司会を担当していた同じ日本テレビ系の看板クイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』チームとの対決特番。両番組の司会者・出演者・セット・問題が登場した[44]。もともと両番組は後述するクイズスーパースペシャルなどで番組同士で交流があったために実現したものであった。このときに負けた番組の司会者が勝った番組に解答者として出演するという賭けをしていた。結果は『マジカル頭脳パワー!!』チームが勝利し、同年7月3日に放送された『マジカル頭脳パワー!!』に逸見が解答者として登場した。
- クイズスーパースペシャル→スーパークイズスペシャル(1996年秋まではクイズスーパースペシャル)
- 春と秋の改編期に行われた、日本テレビの番組対抗スペシャル番組。通称「4時間クイズスーパースペシャル」。日本テレビのさまざまな番組から問題が出題され、その中に『マジカル頭脳パワー!!』からのクイズもあった。当初は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をメインとした内容だったが、1995年春からは『マジカル頭脳パワー!!』がメインとなった。
- 最終回スペシャル
- 最終回となった1999年9月16日放送分では、人気が高かったクイズ上位20種類を発表する「マジカル人気クイズランキングベスト20」や過去の名珍場面で9年間を振り返った(クイズは出題されなかった)。また、1996年10月10日にレギュラー解答者を降板していた所ジョージが『スーパークイズスペシャル』の収録の休憩時間に「いじわる実験室」で過去に出題された問題に挑戦したVTRも放送された[45]。また、同じく1995年10月12日にレギュラーを卒業していた千堂あきほも4年ぶりに出演した。なお、スペシャルと題されているが放送時間は通常通りの約1時間であった。出演者は下記の通り。
- 司会 板東英二・永井美奈子
- 歴代レギュラー解答者の中から出演 今田耕司・千堂あきほ・加藤紀子・田中律子・間寛平・V6・所ジョージ(所は上記の通りVTR出演)
- 歴代ゲスト解答者の中から出演 西田ひかる・山咲千里・中山エミリ・久本雅美・ラサール石井・江川卓・森口博子・風見しんご・松村邦洋
- スーパースペシャル2001 マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル!! MAGICAL SPECIAL 2001
- 番組終了から2年3か月ほど経った2001年12月29日、「マジカル頭脳パワー!!」の復活スペシャルが放送された。前半30分間には『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』など20世紀中に日本テレビで放送されたクイズの名場面を振り返るシーンもあった。マジカルオペレーターは魚住りえが担当。また、セットもこの回のために新しく作られた。当時フランスに語学留学していた加藤紀子もこの日のために一時帰国した。クイズは全盛期の内容が多かったが、「あるなしクイズ」(2問)・「立体文字クイズ」・「マジカルスキャナ」の3つの人気居残り早押しクイズもあった。チームはレギュラー時代同様8チームだったが、「一番人気」チームは「気合十分」チームに変わり、絶好調チームのあった5席目に付いた[46]。クイズルールはレギュラー時代と同じだったが、ルールがレギュラー時代途中で変わったものは新旧ルールが混在し、「立体文字クイズ」は高速回転しない旧タイプ、「マジカルプッシュ」はゴング後の文章は「…ではなく」調ではなく、「マジカルシャウト」ではトーナメント制度が復活するなどリニューアル前の内容があった一方、「エラーを探せ!」ではエラーの数は5個[47]、「シャッフルクイズ」が「マジカルシャウト」の問題に移行するなどリニューアル後の内容だったクイズもあった[48]。所ジョージの頭の切れのよさも健在であり、同じく本命チームに属していた松村邦洋にとっては初めての優勝となった。復活スペシャルではあるが、『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』に数えられることもある。
- 2005年8月28日放送の『24時間テレビ28 「愛は地球を救う」』の「懐かしの名番組 夜の同窓会スペシャル」内で10分間程度生放送され、レギュラーであった間寛平が1枠の青席、この回のメインパーソナリティーを務めていたSMAPの草彅剛が5枠の紫席、司会者であった板東英二も6枠の朱席につきクイズに参加した。内容はマジカルバナナで司会は爆笑問題。セットも簡易ながら当時のセットを思い出させるものであった。
クイズ・ゲーム
全部で252種類のクイズ・ゲームが開発された。1回登場しただけで終わったものから数年間続いたものまであり、クイズ・ゲームの種類も多岐にわたった。
問題などの間違い
- 「あるなしクイズ」で答えが「漢字に動物の名前が隠れている」の時に、「駅」にはあるが「バス停」にはないという項目があったが、「停」には「にんべん」、つまり「人」が隠れているとして、書籍化の際に当該項目は「バスストップ」に変更された。
- 「あるなしクイズ初級編」で「頭に『しゃ』がつく言葉。」という例題に、俵孝太郎が「芯」にあるが「軸」にないと例題を出し、正解になったが、実際には「軸」にもくっついた(車軸)。また、間寛平が「小」にあるが「大」はないと例題を出し正解になったが、実際には「大」にもくっつく(車台)。他にも「くっつきクイズ」で「頭に『ほう』がつく言葉。」という例題に、千堂あきほが「高」にくっつくが「低」にくっつかないと例題を出し、正解となったが、実際には「低」にもくっついた(法廷)。
- 「くっつきバトルロイヤル」で「お尻に『ら』がつく言葉」という問題の時に山咲千里が「ぐりとぐら」と答えたが、絵本の題名であったにもかかわらず、なぜかアウトにされた。
- 「マジカルシャウト内の「似たもの三択」で「性格・顔・血液型 この中で一生変わらないのは」という問題などいくつかの問題で「血液型は変わらない」と言う趣旨の問題が出題されたが、血液型は変化することがある。(詳しくはABO式血液型#血液型の変化へ)
- 「超インスピシャウト」で「頭に「の」のつく新幹線」と出題され、回答者が「のぞみ」と回答して正解になった時、イメージ映像に誤って当時のひかり号(100系)の写真が表示されたことがあった。この時の放送は特番であったため、再放送もされたが、その時にはイメージも当時ののぞみ号(300系)に修正されていた。
スタッフ
マジカルミステリー劇場のスタッフはマジカル頭脳パワー!!のクイズ・ゲーム#マジカルミステリー劇場を参照
- 企画・総合演出:五味一男
- 演出:小杉善信(1990年10月 - 1994年3月)
- 構成:豊村剛、新田英生、妹尾匡夫、花輪如一、そーたに/今村良樹、森和盛、長田聖一郎、西条昇、内海邦一、川野将一、兼上頼正ほか
- 問題作成:雅孝司(初期時代)、オフィスゲイム、writers office、ペンハウス、*D N P
- 問題監修:多湖輝、芦ヶ原伸之、小野寺紳(いずれも初期時代のみ)
- ナレーター:森功至、来宮良子、小林清志、村嶋亜矢香
- タイトル:檜垣紀六
- 問題CG:高岡温(初期時代のみ)、Wahaha company
- 技術(1990年10月(第1回) - 1997年9月にはTP、1997年10月 - 1999年9月(最終回)にはTMと表記):加田直彦、関真久、田中元一、宮下英俊、新開宏
- SW:鈴木博、新開宏、内山久光、富沢義明、高梨正利
- カメラ:秋山真、小宮佑一、渕野祐輔、宇野直樹、宮本幸夫、武石典之、当木雅人、大橋英昭
- 音声:小川洋文、柏崎芳則、大島康彦
- PA:辻直哉
- 照明:関真久、細川登喜二、橋本昇、坂口尚真
- 調整:牧野和侑、坂本誠二、九里隆雄、守屋誠一、佐久間治雄、大沼成康/貫井克次郎、佐藤満
- ロケ技術:ティ・ピー・ブレーン
- 美術:荒井亜和、浜野璋彦、石川啓一郎、中原晃一
- デザイン:中野嘉一郎、磯村英俊、渡辺俊孝
- 編集:清水良浩・佐藤敦哉・瀧川賢一・阿部芳三(麻布プラザ)
- MA:迫久美雄・山本晋(麻布プラザ)
- 音効:佐藤僖純・寺尾崇(佳夢音)
- TK:鈴木茂子、桐原千春、福井淳子、浜川久美、伊藤千春
- 広報:辻澄子、河村良子
- デスク:鳩谷真理、宮内由紀子、山田美夏、清水美名
- 制作進行:小森節子、朝倉康晴、相澤英里
- AD:中村靖、平敢夫、早坂憲次、島本眞也、杉本憲隆/上田敏之、島袋みさと/小江翼、馬場誠、栗山敏弘、井上公志、上田成純、吉田勉
- ディレクター:松井昂史、舟澤謙二、佐野譲顕、内藤和明、磯野太/鈴木豊人、小沢太郎、瓜生健、中西健、石尾純、小林正純、長澤快之
- プロデューサー:渡辺弘(日本テレビ)、菅原正豊(ハウフルス)/佐野譲顕・面高直子(日本テレビ)、新国誠・日原直子(ハウフルス)
- チーフプロデューサー:渡辺弘、吉岡正敏、佐野譲顕
- 技術協力:NTV映像センター
- 美術協力:日本テレビアート
- 事務所協力:オフィスメイワーク
- 制作協力:フルハウスTVP→ハウフルス
- 製作著作:日本テレビ
エンディングテーマ
- 『きりがない』(セメントミキサーズ) 1990年10月27日 - 1991年3月30日(注1)
- 『不思議ね…』(ZARD) 1991年4月20日 - 1992年1月25日(注1)
- 『誰かが待ってる』(ZARD) 1992年2月1日 - 1992年10月10日(シングル化はせず、アルバム「HOLD ME」に収録)(注1)(注2)
- 『君にTRY AGAIN』(BLUE ANGEL) 1992年10月24日 - 1993年9月4日
- 『暗闇から手を伸ばせ』(小沢健二) 1993年10月9日 - 1994年3月26日
- 『LIMIT』(横山輝一) 1994年4月7日 - 1994年9月22日
- 『CRAZY FUNKY DOWN』(林田健司) 1994年10月13日 - 1995年3月16日
- 『虹 (Mojo Mix)』(電気グルーヴ) 1995年4月6日 - 1995年9月14日
※1995年10月以降は週代わりで洋楽のヒット曲を流していた(『I Was Born to Love You』(Queen)など) 。
- (注1)筆記問題の考え中やクイズの視聴者投稿のジングルはその曲の編曲部分をマジカル風にアレンジしている。
- (注2)1992年10月10日放送の木村卒業回の後クレジットではこの曲のピアノバージョンにアレンジした。
効果音
得点の入る時の効果音は、山瀬まみの曲の一部を使用していた。他にも、2代目のクイズの始まる前のジングルは、「ビートパンク小僧」の最後の部分を使用していた。
コンピュータゲーム作品
コンピュータゲームとして制作されたものとして
- マジカル頭脳パワー!!(アーケードゲーム、セガ、下記参照)
- マジカル頭脳パワー!! PARTY SELECTION(プレイステーション、VAP)
- マジカル頭脳パワー!! DS(ニンテンドーDS、D3パブリッシャー [2])
が存在する。
アーケードゲーム
この番組を元にしたアーケードゲームがセガから、1996年11月に販売されていた。筐体は最大3人まで遊べるようになっており、画面と各プレーヤーの押しボタン、それに可動マイクという構成になっていた。
クイズは番組と同様のものが用意されており、
- いち文字クイズ
- 立体文字クイズ
- 似たもの三択
- 映像シャウト
- まぎらわしい三択
- ないもの探し
- 穴うめシャウト
- 早押しエラーをさがせ!
などの問題が出題され、答が分かったプレイヤーは自分の押しボタンを押して回答する。
この問題形式とマイクが用意されていることから分かる通り、このゲームには音声認識が搭載されており、プレイヤーが答えを発声して回答するようになっていた(番組と違い、シャウト系問題でもボタンを押さなければならなかった)。また番組に習い、ボタンを押すまで頭脳指数がカウントダウンされるので、なるべく早めに回答する必要があった。
誤答や、ボタンを押したのに認識できる音声が入力されなかった場合にライフが半分減る。音声認識率は高めではあったが100%ではなく、誤認識によるライフ減少も時々発生した。
ゲームは複数のステージを順にクリアする形式になっており、各ステージでは1つの問題形式の問題が一定数出題され、全問終了時にその問題形式で獲得できた頭脳指数の合計(複数人でプレイした場合は全員の合計)が基準を下回った場合はライフが一つ減る。ライフを全て失うとゲームオーバー(コンティニュー可能)、全てのステージを終了するとクリアとなる。なお最後のステージは番組同様「早押しエラーをさがせ!」となっている。
このゲームには4つのコースがあり、各コースをクリアすると次のコースをプレイできる「合い言葉」が表示された。コースには合い言葉不要の通常コースの他、「マジカルコース」「頭脳コース」「パワーコース」とあり、後ろのコースほど難易度が上がっていた。各コースの選択はゲーム最初の練習で合い言葉を発声することによりそのコースで遊べた。「パワーコース」をクリアするとエンディングが見られた。
番組ロゴ・オープニング
ロゴの色
1990年 - 1999年レギュラー放送、2001年復活SPともに全て当初からのものを使用。タイトルデザインは檜垣紀六(によるものであったが、番組レギュラー放送中期から最終回までと2001年復活SPともにエンディングクレジットに表記無し)。ただし、色は放送開始からしばらくは■銀色、1998年7月30日のリニューアルからレギュラー終了、復活SPは■青色と異なっていた。
オープニングの違い
レギュラー・2001年復活SPまでの全期間、ロゴ自体と背景がCGではなくスタジオ全体であることは変わらず、BGMも1990年開始当初から変わらずに使用されていた。しかし、ロゴのアニメーションは何度か変更され、4パターン存在した。
- 第1期:1990年10月27日-1993年11月13日
- 銀色の板のような物体が登場した後、レーザービームによって徐々に「マジカル頭脳パワー!!」のロゴが作り上げられるもの。
- 第2期:1993年12月4日-1996年10月10日
- パネラー席が上下ボックス式になったのを期に変更。上から「マジカル」、下から「頭脳パワー!!」の文字が同時に出てくるものへと変更された。また、オープニングBGMが一部省略されている。
- 第3期:1996年10月17日-1999年9月16日
- ロゴのアニメーション(動き)が無くなって、ロゴが中心に固定されているものになった。
- 第4期:2001年12月29日
- ロゴのアニメーションが復活している。
関連番組
本番組と類似したコンセプトの番組
- 日本テレビ系
- フジテレビ系
パロディ
- 2年越し!超超興奮!仰天"生"テレビ!!内「どんまい!!煩悩バラエティー!!」 - 当番組のパロディー「マジカヨ!煩悩パワー!!」があった。
- ダウンタウンのごっつええ感じ - 当番組のパロディーコント「マニカル頭パワー!!」があった。
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! - 当番組の企画で、板東英二と木村優子の変装をしたダウンタウンの二人がオープニングに乱入したことがあった。
- めちゃ×2イケてるっ! - 嵐がデビューしたときの企画で、江頭2:50が、「江頭バナナ」とタイトルをつけてゲームをやっていた。
- エンタの神様 - 陣内智則の当番組のパロディーコント「パワフル頭脳ゲーム」があった。
盗作番組
韓国KBSで「挑戦頭脳特急」という当番組とほとんど同じ番組が放映された。
脚注
- ^ ビデオリサーチ
- ^ 同系列で放送していた「EXテレビ」の「新番組ダービー」では、本番組は早期の打ち切りが予想されていた。
- ^ a b c http://www.geocities.jp/msaccess22/kenkyuu/ntv-naze-.html
- ^ この回は初のマジカルミステリーツアー獲得者が出た回でもある。
- ^ 『やるならやらねば』は1993年6月に収録中の事故により打ち切り。
- ^ 『木曜スペシャル』は『スーパースペシャル』に改称。その後日テレの単発番組は2007年4月から2009年3月まで『モクスペ』が放送されている。
- ^ http://www.videor.co.jp/data/ratedata/95best30.htm
- ^ ラストクイズが「エラーを探せ!」から「有名人を探せ!」になってからは存在が消滅された。それ以降は「得点」という形になっている。
- ^ 土曜日時代はなく、用意するようになったのは1994年4月28日放送分から。
- ^ ザ・ビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーにかけていた。
- ^ 普通のクイズ番組のトップ賞に当たる。
- ^ 大マジカルとマジカルミステリーツアー獲得パネラーが出た回を除く。
- ^ 一回休みの際は、黒地に赤い字で「一回休み」と立ち上がる。
- ^ 何問目かを表す。
- ^ ルールはマジカル頭脳パワー!!のクイズ・ゲーム#恐怖の居残り早押しクイズを参照。
- ^ 板東英二曰く、このセットの為にかかった費用は「4億円」ということだったが、初回放送でいきなり故障するというハプニングがあった。
- ^ 1995年3月16日の90分SPと2001年12月29日の大復活120分SPでは、それぞれ一時復活した。
- ^ ただし、永井美奈子は1996年10月からフリーになっており、1996年10月10日の大マジカルより「日本テレビアナウンサー」の肩書きが無くなっている。
- ^ トップ頭脳賞の獲得回数は80回、マジカルミステリーツアーの獲得回数は10回である。
- ^ その回もトップ頭脳賞を獲得したが、賞品としてプレゼントされたのは日本テレビのボールペンだった。
- ^ 珍解答の中には下ネタが含まれることもあり、板東にはその度に減点などの厳しい処分を受けていた。
- ^ その間、1枠の代役は和田アキ子とラサール石井がついていた。
- ^ 1996年1月25日放送のマジカルクラップで所ジョージが失格した際、「加藤隣にいるなよ!」と言ったことがきっかけと思われる。
- ^ 大マジカルでのチームは大穴→絶好調→要注意→対抗→一発逆転。
- ^ 彼のマジカルミステリーツアー獲得回数は2回であるが、檻付きセット時代にマジカルミステリーツアーを獲得した唯一のパネラーである(2回目の獲得は1992年12月5日放送回)。
- ^ 当初はトニセンのみ分割ユニット名がまだ決まっておらず、「V6ヤングチーム」「V6アダルトチーム」という仮称で出演していた。そのため、ネームプレートは「V6」と表記されていたが、後にトニセンも分割ユニット名が決まったため、1996年8月15日の放送でカミセンが出演してからは「Coming Century」「20th Century」となり、ネームプレートの表記も「Coming Century」「20th Century」となった。
- ^ 回によっては4枠(黄色)につくこともあった。
- ^ ただし、1997年秋以降の大マジカル頭脳パワー!!スペシャルには出演せず、代わりにTOKIOが出演していた。V6のレギュラー番組であるTBS系「学校へ行こう!」が当時木曜日の夜7時からの放送で裏番組となり、出演が競合することを避けるため。
- ^ 1997年2月6日のみ最後尾から3番目。
- ^ V6・ダチョウ倶楽部・今田耕司&東野幸治などがグループで1チーム扱いされた場合は最後尾が優先された(但し、ペアの場合は最後尾の席の隣まで)。
- ^ 1995年11月30日放送分で、城島茂・長瀬智也が城島茂1人で解答者として参加しているが、もともとはペアで出演する予定であった。それはマジカルの本第5巻のセットの写真で確認することができる。正式に1人出場となったのは1996年8月29日放送分で松岡昌宏が出演した時からである。
- ^ 1996年春頃から事実上の準レギュラーとして、3枠または4枠についていた。
- ^ 第1回、1991年11月9日、1992年3月14日放送分は1枠。
- ^ 「Wコウジ」として今田耕司とペアで出演。
- ^ 間寛平がつく最後尾から2番目についていた(ゲストパネリストがグループの場合、最後尾から3番目)。
- ^ ただし、8枠が初登場した1994年12月22日放送の90分SPでは8枠で青いソファー。
- ^ 10枠増設以降も9枠までの週が8月5日放送分まで時々あった。
- ^ このハンデは大きく、レギュラーでは屈指の強さを誇る彼も成績別編成になってからの大マジカルで優勝したのは復活スペシャルも含めて2回だけである。
- ^ 回によって全員出演する回と数名欠席している回がある。
- ^ 3問のうち1問は、正解すると獲得できる頭脳指数は2倍になった。
- ^ a b 2001年の復活スペシャルを除く。 引用エラー: 無効な
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タグ; name "fukkatsusp"が異なる内容で複数回定義されています - ^ 通常時は5人。
- ^ 木曜に移転して最初のレギュラー放送で、かつレギュラー100回を突破した回。
- ^ ただし得点システムは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に準じた。
- ^ スタッフは所にもっとたくさんの問題を用意していたようだが、所は「こりゃ、まいった。」という感想を残して途中でスタジオから退出していったため、用意した全ての問題を出題することはできなかった。
- ^ 絶好調チームは一番人気チームのあった3席目に移動。
- ^ ただし上下ではなく左右だった。
- ^ 一部のクイズを除き、1995年秋から1997年春にかけてのルールを採用していた。その期間内にリニューアルされたクイズは後期のルールを採用することが多かった(バナナ・チェンジにおけるマル禁ワードなど)。
外部リンク
番組の変遷
日本テレビ系列 土曜20時台 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
マジカル頭脳パワー!! (1990年10月 - 1994年3月) |
||
日本テレビ系列 木曜20時台 | ||
マジカル頭脳パワー!! (1994年4月 - 1999年9月) |
||
日本テレビ系列 木曜19:54 - 19:58枠 | ||
木曜スペシャル
(1988年4月 - 1994年3月) ※19:30-20:54 |
マジカル頭脳パワー!!
(1994年4月 - 1999年3月) ※19:54-20:54 |