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{{by|2012年}}、5月22日のソフトバンク戦から球団新記録となる29試合連続無失点を達成。最終的には自己最多となる69試合の登板でリーグ3位タイとなる26ホールドをマークした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/27/kiji/K20121127004648170.html 今村“マエケン超え”4年目で5000万円] - スポーツニッポン(2012年11月27日)</ref>。シーズン後には[[侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」|キューバとの親善試合]]の日本代表に選出され、翌年の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]]の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]にも選ばれた。 |
{{by|2012年}}、5月22日のソフトバンク戦から球団新記録となる29試合連続無失点を達成。最終的には自己最多となる69試合の登板でリーグ3位タイとなる26ホールドをマークした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/27/kiji/K20121127004648170.html 今村“マエケン超え”4年目で5000万円] - スポーツニッポン(2012年11月27日)</ref>。シーズン後には[[侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」|キューバとの親善試合]]の日本代表に選出され、翌年の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]]の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]にも選ばれた。 |
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2013年6月26日 出場選手登録を抹消 |
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== 選手としての特徴 == |
== 選手としての特徴 == |
2013年6月26日 (水) 17:05時点における版
広島東洋カープ #16 | |
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2012年4月15日 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
生年月日 | 1991年4月17日(33歳) |
身長 体重 |
183 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト1位 |
初出場 | 2010年8月18日 |
年俸 | 5000万円(2013年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年 |
この表について
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今村 猛(いまむら たける、1991年4月17日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
長崎県佐世保市(旧北松浦郡小佐々町)出身。小学3年生の時に楠栖クラブで一塁手として野球を始め、後に遊撃手と投手を兼任。小佐々中学校では遊撃・三塁手としてプレー。2年時に九州大会で優勝し、全国大会に出場。この年には城島健司や寺原隼人らがオフシーズンに開催した野球教室に参加して城島と対戦。今村は城島の内角を厳しくえぐった結果、脇腹に死球を当ててしまい、城島に笑いながら追いかけ回された[1]。
清峰高校進学後は1年夏からベンチ入り。秋には球速が140km/hを突破するなど、徐々に成長する。2年の夏には甲子園に初出場し、2試合に登板した。その後も長崎県大会、九州地区高等学校野球大会を制する。
3年春のセンバツでは安定した投球でチームを牽引し、決勝では菊池雄星を擁する花巻東高校と対戦。投手戦を1-0で勝利し見事優勝。長崎県勢としては春夏通じて初の全国優勝だった。大会では全5試合に先発し、44イニングを投げて47奪三振、4完投、3完封、1失点、防御率0.20と抜群の安定感だった。また、初戦の日本文理高校戦では、第1打席にセンバツ大会通算600号(甲子園)となる本塁打をバックスクリーン右へ放り込んだ。6月の練習試合で最速152km/hを記録し話題になるも、3年夏は長崎県大会準々決勝で、優勝した長崎日大高校に敗れ甲子園出場はならなかった。
2009年10月29日に行われたドラフト会議で、広島東洋カープが単独1位指名して交渉権を獲得した。11月13日、広島では河内貴哉以来10年ぶりとなる高卒指名での契約金1億円、年俸は球団の高卒新人では最高額となる1000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ[2]。
プロ入り後
2010年、首脳陣の育成の方針により、シーズンの殆どを二軍で過ごした。ウエスタン・リーグでは、4月21日のソフトバンク戦で中継ぎとして初登板し、2回無失点の好投で初勝利をあげた。7月22日に行われたフレッシュオールスターゲームではウエスタンの先発を任され、ソロ本塁打を浴びたものの最速148km/hを記録、2イニングで3三振を奪う活躍を見せた。その後、8月18日、小島心二郎の抹消に伴い初の一軍登録を受け、当日のヤクルト戦でプロ初登板・初先発したものの、初回に味方の失策から畠山和洋に満塁本塁打を浴びるなど、2回5失点の黒星デビューとなった[3]。続く8月25日の阪神戦で再度先発したが、2回3失点で2試合連続の降板、その翌日に降格となり[4]、そのままシーズンを終えた。二軍ではシーズンを通じて先発ローテーションを任され、13試合・63回2/3を投げて4勝4敗、防御率4.81だった(被安打77と自責点34は共にチーム最多)。
2011年、オープン戦で先発要員として起用され好投を続けた。開幕ローテーション入りは逃したものの、4月16日の巨人戦で、先発のジオの負傷降板により急遽登板。3回1/3を無失点で切り抜け、プロ入り初勝利を挙げた[5]。5月20日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では「7番・指名打者」として先発起用された。偵察要員としての起用のつもりであったが、監督の野村謙二郎が公認野球規則・6-10(b)に明記されている「指名打者は相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度は、打撃を完了しなければ交代できない」というルールを失念してしまい、今村はオリックス先発の木佐貫洋が降板しない限り最低1打席は入らなければならなくなった[6]。今村は2回表1死1塁の場面で打順が回り、送りバントを決める。その後、5回表の2打席目で代打(石井琢朗)が送られた。その後は、中継ぎ、セットアッパーとして起用され、守護神のデニス・サファテの離脱後は守護神に指名された[7]。10月8日の対東京ヤクルトスワローズ戦ではプロ初セーブを挙げ、1997年に横山竜士が21歳2カ月で記録した球団最年少セーブを20歳5カ月で更新した[8]。
2012年、5月22日のソフトバンク戦から球団新記録となる29試合連続無失点を達成。最終的には自己最多となる69試合の登板でリーグ3位タイとなる26ホールドをマークした[9]。シーズン後にはキューバとの親善試合の日本代表に選出され、翌年の第3回WBCの日本代表にも選ばれた。 2013年6月26日 出場選手登録を抹消
選手としての特徴
スリークォーターから平均球速約146km/h[10]、最速154km/h[11]のストレートに切れ味鋭い縦と横のスライダーが武器の本格派右腕。2010年秋からは上記の球種に加えてカーブの習得に取り組んだ[12]。また、2011年には上原浩治のフォークボールを理想としたという高速フォークの練習を始め、2012年終盤に実戦で多投するようになった[13]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 広島 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 26 | 4.0 | 7 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 7 | 15.75 | 3.25 |
2011 | 54 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 2 | 13 | .273 | 399 | 94.0 | 97 | 10 | 30 | 3 | 1 | 76 | 6 | 0 | 50 | 49 | 4.69 | 1.35 | |
2012 | 69 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4 | 26 | .500 | 344 | 85.2 | 73 | 4 | 18 | 2 | 4 | 89 | 0 | 0 | 21 | 18 | 1.89 | 1.06 | |
通算:3年 | 125 | 8 | 0 | 0 | 0 | 5 | 11 | 6 | 39 | .313 | 769 | 183.2 | 177 | 15 | 54 | 5 | 6 | 165 | 6 | 0 | 79 | 74 | 3.63 | 1.26 |
- 2012年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発:2010年8月18日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回5失点で敗戦投手
- 初勝利:2011年4月16日、対読売ジャイアンツ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に2番手で救援登板、3回1/3を無失点
- 初奪三振:同上、6回表にラスティ・ライアルから空振り三振
- 初ホールド:2011年6月26日、対中日ドラゴンズ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回表に2番手で救登板、1回2/3を無失点
- 初セーブ:2011年10月8日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 打撃記録
背番号
- 16 (2010年 - )
脚注
- ^ 『1軍に定着できるよう頑張ります!』 広報させぼ (2010年2月)
- ^ 広島・今村「球団史上初」高卒新人で年俸1000万円 - スポーツニッポン(2009年11月14日)
- ^ “今村5失点デビュー…野村監督「かわいそうな初登板」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月19日) 2013年5月4日閲覧。
- ^ “今村 2軍での再調整が決定「見ての通りです」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月25日) 2013年5月4日閲覧。
- ^ “今村プロ初勝利!緊急登板でG斬り”. デイリースポーツ. (2011年4月16日)
- ^ DHに偵察要員…野村監督「完全なボーンヘッド」 - スポーツニッポン(2011年5月21日)
- ^ “今村ドキドキ抑えデビュー、満塁しのぐ”. デイリースポーツ. (2011年4月16日)
- ^ 中国新聞10月9日17版
- ^ 今村“マエケン超え”4年目で5000万円 - スポーツニッポン(2012年11月27日)
- ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、58頁頁。ISBN 978-4-905411-11-6。
- ^ 2012年8月26日、マツダスタジアムにて
- ^ 今村G倒!3回3Kで開幕ローテ見えた - ウェイバックマシン(2011年2月22日アーカイブ分) - デイリースポーツ(2011年2月19日)
- ^ 広島今村“上原フォーク”でWBC本戦だ - 日刊スポーツ(2013年1月17日)
- ^ “けん制“達人”今村に今季2度目…西武 試合前から警戒も防げず”. Sponichi Annex. (2013年6月9日) 2013年6月9日閲覧。