「八木元八」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
→経歴: 加筆ほか |
|||
7行目: | 7行目: | ||
退官後は鴨緑江採木公司理事長、鴨緑江製材株式会社代表、安東市商工公会会長などを務めた<ref name="ji14">『人事興信録 第14版(下)』</ref>。 |
退官後は鴨緑江採木公司理事長、鴨緑江製材株式会社代表、安東市商工公会会長などを務めた<ref name="ji14">『人事興信録 第14版(下)』</ref>。 |
||
[[1942年]](昭和17年)、[[第21回衆議院議員総選挙]]に静岡1区(当時)から[[ |
[[1942年]](昭和17年)、[[第21回衆議院議員総選挙]]に静岡1区(当時)から[[翼賛政治体制協議会]]の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後、[[日本進歩党]]の結成に参加するが、間もなく推薦議員のため[[公職追放]]となった<ref>{{citation |
||
| 和書 |
| 和書 |
||
| title = 公職追放に関する覚書該当者名簿 |
| title = 公職追放に関する覚書該当者名簿 |
||
16行目: | 16行目: | ||
| page = [{{NDLDC|1276156/682}} 723] |
| page = [{{NDLDC|1276156/682}} 723] |
||
| ref = harv |
| ref = harv |
||
}}</ref>。[[1946年]](昭和21年)、死去。 |
}}</ref>。追放中の[[1946年]](昭和21年)、死去した。 |
||
==脚注== |
==脚注== |
2023年7月28日 (金) 05:53時点における最新版
八木 元八(やぎ もとはち、1883年(明治16年)2月10日[1] – 1946年(昭和21年)10月29日[2])は、衆議院議員、外交官。
経歴
[編集]静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)出身[1]。1902年(明治35年)、外務省留学生試験に合格し、サンクトペテルブルク・アモイに留学した[3]。1906年(明治36年)、外務書記生となり、アモイ、奉天、香港、漢口、ニューヨークに勤務した[3]。1918年(大正7年)より長沙副領事、北京副領事、天津副領事、青島領事、ニューオーリンズ領事を歴任した[3]。1928年(昭和2年)よりハルビン総領事を務めた[3]。
退官後は鴨緑江採木公司理事長、鴨緑江製材株式会社代表、安東市商工公会会長などを務めた[4]。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に静岡1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後、日本進歩党の結成に参加するが、間もなく推薦議員のため公職追放となった[5]。追放中の1946年(昭和21年)、死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。