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2012年9月8日 (土) 15:05時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ただ | |||||
カタカナ | タダキ アキヒロ | |||||
ラテン文字 | TADAKI Akihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1975年4月16日(49歳) | |||||
出身地 | 栃木県 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ヴェルフェたかはら那須 | |||||
ポジション | 職員 (現役時代: MF) | |||||
背番号 | 26 | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 1991-1993 1994-1997 -1987 |
御幸SSS 宇都宮市立鬼怒中学校 栃木県立真岡高等学校 順天堂大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1999-2007 2008-2010 2012- |
栃木SC ヴェルフェたかはら那須 ヴェルフェたかはら那須 |
x (x) x (x) | ||||
監督歴 | ||||||
200?- | 宇都宮白楊高等学校 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年6月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
只木 章広(ただき あきひろ、1975年4月16日 - )は栃木県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。栃木県立宇都宮白楊高等学校教諭・サッカー部監督。関東サッカーリーグ・ヴェルフェたかはら那須アドバイザリーも兼任する[1]。
関東サッカーリーグ時代に栃木SCに入団しJFL参入を経験、参入後は全選手プロ化の方針に伴って退団するまでの約8年間の殆どをレギュラーとしてプレーし、「栃木の皇帝」[2]「ミスター栃木SC」[3][4]と称された。
来歴
御幸サッカースポーツ少年団、宇都宮市立鬼怒中学校サッカー部を経て1991年に栃木県立真岡高等学校に進学。2学年上に上野優作が、同級生には堀田利明がいた[5]。 在学中同校サッカー部は1991年・1992年と高校選手権出場を経験した。高校卒業後は順天堂大学に進学。大学時代の同級生には堀田の他川口信男がいた。川口とは卒業後も電話で話をする仲であると語っている[5]。3年次の1996年度大会で総理大臣杯優勝を経験した。
栃木SC
大学を卒業した只木は地元栃木県へ戻り、1999年、当時関東サッカーリーグ所属だった栃木SCに入団[6]。県内の高等学校で教員として勤務しながらサッカーに打ち込んだ。栃木SCは同年度の全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場、アローズ北陸に次いで2位の成績を修め、翌年度の日本フットボールリーグ参入を決めた。
2000年、只木は前年度まで町田秀三がつけていた背番号10番を付けることとなった。初年度は22試合中19試合に出場、栃木SCは11位の成績でシーズンを終えた。主将を務めていた2005年度にはそれまでの歴代最高である年間4位の成績を経験した。この年の5月22日、前期リーグ第10節で栃木SCは初めてHonda FCに勝利した[7]が、只木はその試合について「今までで一番記憶に残っている試合」だと語っている[5]。翌2006年には栃木県代表として第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場、1回戦 (対戦相手: 佐賀大学サッカー部) で1得点、4回戦 (同: 清水エスパルス) で1得点を挙げた。栃木SCは4回戦で敗退したが、3回戦でJリーグのクラブに勝利[8]、4回戦でもJ1のクラブと互角に渡り合った[6]ことで、栃木の目標であったJリーグ参入への動きが急速に進んでいったが、Jリーグ経験者がプロ契約選手として多数加入する中、只木はベンチ入りや遠征帯同こそ経験するものの、出場機会を減らしていった[9]。同年度シーズンには選手・指導者陣全員のプロ化の方針が発表され[10]、他のアマチュア選手と共にシーズン終了後退団した。
ヴェルフェたかはら那須
2008年度より当時関東リーグ2部所属であったヴェルフェたかはら那須に入団。2009年度にはリーグ優勝と1部リーグ昇格を経験した。2010年度は1部リーグ4位の成績を修めたが、シーズン終了後現役を引退した。
引退後
2011年、ヴェルフェたかはら那須のアドバイザリーに就任。
2012年3月11日、元栃木SCの選手で栃木SCドリームアンバサダーを務める佐藤悠介が主催した「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」に参加した。只木は「栃木SC OB」チームのキャプテンとして出場、久々に背番号10の栃木SCユニフォームに袖を通した[11]。
現役復帰
2012年6月、「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」に参加したことが切欠の一つとなり、ヴェルフェたかはら那須で現役に復帰した[12]。
指導歴
勤務先である栃木県立宇都宮白楊高等学校サッカー部で監督をつとめ、2009年1月開催の第87回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。同校は2回戦 (初戦) をPK戦で勝ち抜いたが3回戦で鹿児島城西高等学校に敗北した[13]。
クラブ指導歴
- 2008年 - 2010年 ヴェルフェたかはら那須 選手兼コーチ
- 2011年 - ヴェルフェたかはら那須 アドバイザリー
成績
出場記録
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999年 | 栃木 | - | 関東 | - | |||||||
2000年 | 栃木 | 10 | JFL | 19 | - | ||||||
2001年 | 栃木 | 10 | JFL | 25 | - | ||||||
2002年 | 栃木 | 10 | JFL | 14 | - | ||||||
2003年 | 栃木 | 10 | JFL | 26 | - | ||||||
2004年 | 栃木 | 10 | JFL | 27 | - | ||||||
2005年 | 栃木 | 10 | JFL | 27 | - | ||||||
2006年 | 栃木 | 10 | JFL | 26 | - | ||||||
2007年 | 栃木 | 10 | JFL | 11 | - | ||||||
2008年 | 那須 | 30 | 関東2 | - | |||||||
2009年 | 那須 | 30 | 関東2 | - | |||||||
2010年 | 那須 | 30 | 関東1 | - | |||||||
2012年 | 那須 | 26 | 関東1 | - | 1 | 0 | |||||
通算 | 日本 | 関東1 | - | ||||||||
日本 | 関東2 | - | |||||||||
日本 | JFL | - | |||||||||
総通算 | - |
脚注
- ^ チーム ヴェルフェたかはら那須公式サイト 2011.6.47 10:47 (UTC) 閲覧
- ^ 【J2日記】栃木:モンスター健太が描く、未来 J's GOAL 2009.6.18付
- ^ 篠崎豊 堀田利明が残したものは 栃木SCふぁん! しのさんスタジアム (栃木よみうりWeb内) 2010.9.1
- ^ 写真で今季最終節を振り返る~「フィナーレ」 スポーツライター鈴木康浩の奮闘日記 2007.12.7付記事
- ^ a b c 栃木SC只木選手インタビュー2 夢工房栃木Qlep 2007.7.10付記事。ただし只木は普通科、堀田は商業科在籍のため、同じクラスになった事はないという。
- ^ a b 森田将孝 栃木SC 注目のイレブン (1)地元の意地 読売新聞栃木版 2007年、2011年6月4日 14:00 (UTC) 閲覧
- ^ 公式記録 第7回日本フットボールリーグ 前期 第10節 栃木SC vs. Honda FC (PDF) JFL公式サイト 2011.6.4 14:53 (UTC) 閲覧
- ^ 森田将孝 夢を現実に!! 栃木SC Jリーグへの道 (上)天皇杯金星が起爆剤 読売新聞栃木版 2007年、2011年6月4日 15:29 (UTC) 閲覧
- ^ 2007年度は34試合中出場は11試合である。
- ^ 後期第16節 流通経済大学戦観戦レポート更新 スポーツライター鈴木康浩の奮闘日記 2007.11.25付記事
- ^ “「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」栃木SC OB(JFL)メンバーのお知らせ”. 栃木SC公式サイト (2012年3月7日). 2012年3月16日閲覧。
- ^ “只木が現役復帰 ヴェルフェ”. 下野新聞SOON (2012年6月13日). 2012年7月7日閲覧。
- ^ スケジュール・試合結果 JFA公式サイト 2011.6.4 16:09 (UTC) 閲覧
関連項目
外部リンク