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2011年1月9日 (日) 12:16時点における版

宮下 瞳(みやした ひとみ、1977年5月31日 - )は、地方競馬名古屋競馬場竹口勝利厩舎所属の騎手である。本名は小山 瞳(こやま ひとみ)。鹿児島県鹿児島市出身。兄は元騎手の宮下康一(名古屋→新潟上山金沢)。夫は名古屋競馬場所属の騎手小山信行勝負服の服色は胴紫・桃一文字、袖白。

来歴

1995年9月29日に騎手免許取得。同年10月22日の名古屋競馬第1競走で初騎乗(オブラディオブラダ・9着)。同年10月24日名古屋競馬第6競走をショウワミラクルで優勝し、初勝利。

2005年2月2日同じ名古屋競馬場所属の小山信行騎手との入籍を発表した[1]。が、騎手の登録名は旧姓のまま活動することになった。同年7月18日の名古屋競馬第1競走をアジャイルスーパーで優勝し、通算351勝を達成。吉岡牧子(元益田競馬場所属)が保持していた日本における女性騎手最多勝記録(350勝)を更新した[2]

2005年11月3日に名古屋競馬場で行われたJBCのテレビ中継にゲストとして出演。仕掛けどころをアナウンサーに聞かれ、「3コーナー」と断言。更に「3コーナー手前か過ぎか?」との質問に「3コーナーです」とキッパリ宣言した。なお、この日は両GIでの騎乗馬が無かった。

2006年3月3日の名古屋競馬第7競走の旅人1歳記念で1番人気のマグマチャンプに騎乗し優勝、通算400勝目を飾る。

2006年6月6日の名古屋競馬第2競走では自身の騎乗馬であるヘイセイチャンスと夫・小山信行の騎乗馬メイショウタンドルが「夫婦で1着同着」になるという珍しい記録を達成した。

2007年10月26日の名古屋競馬第7競走で500勝を達成。同年11月にはレディースジョッキーズシリーズ2007で2勝を挙げ、総合優勝を果たした。

2009年2月26日の笠松競馬場第1競走でローレルスキーに騎乗し優勝、通算600勝を達成。同年8月9日には韓国釜山慶南競馬場で開催された「第1回KRA国際女性騎手招待競走」に岩永千明荒尾)、別府真衣高知)と共に日本代表として出場。同年8月7日釜山慶南競馬場第7競走でTamna Kwaegeolに騎乗し、海外初騎乗(13頭立て7番人気4着)。招待競走では6番人気のIma Firecracker(アイマファイアクラッカー)に騎乗し優勝を飾った[3]。同年8月26日韓国釜山慶南競馬場に6ヶ月間の短期免許申請を行ったことが発表され[4]、当初は同年10月5日から2010年3月31日までの6ヶ月間の騎乗予定だった[5]。同年10月18日釜山慶南競馬場第3競走をSeongsu Yeongung(ソンスヨングン)に騎乗し優勝、遠征13戦目にして初勝利をあげ[6]、2010年9月まで遠征を続けることになった[7]。GIのグランプリにも騎乗し、4着に入った。

脚注

関連項目

外部リンク