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「少年犯罪」の版間の差分

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例えば、10~19歳の少年人口10万人あたりの少年(19歳未満)による殺人事件発生数は、総務省の年齡別推計人口確定値(ただし、統計上の記録がない昭和16~18年については推定値)および警察庁の『犯罪統計書』『犯罪白書』によれば、1951年(2.55)と1961年(2.19)をピークとして1944年から1969年にかけて少年だった世代、すなわち、1924年(大正13年)生まれから1955年(昭和30年)生まれまでの世代が、少年による殺人事件の総数においても頻度においても他の世代とは比較にならないほど突出して多いということが分かる<ref>[http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm 少年犯罪データベース 少年による殺人統計]</ref>。
例えば、10~19歳の少年人口10万人あたりの少年(19歳未満)による殺人事件発生数は、総務省の年齡別推計人口確定値(ただし、統計上の記録がない昭和16~18年については推定値)および警察庁の『犯罪統計書』『犯罪白書』によれば、1951年(2.55)と1961年(2.19)をピークとして1944年から1969年にかけて少年だった世代、すなわち、1924年(大正13年)生まれから1955年(昭和30年)生まれまでの世代が、少年による殺人事件の総数においても頻度においても他の世代とは比較にならないほど突出して多いということが分かる<ref>[http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm 少年犯罪データベース 少年による殺人統計]</ref>。

しかしながら、この世代が、昭和戦前の人権無視・[[軍国主義]]の統制教育や戦後の混乱貧困による悪影響を色濃く反映している特殊な世代であることは言うまでもない。

また、「恒産なくして恒心なし」的な観点からは、1955年から[[高度経済成長]]に邁進し続けた日本は、[[1968年]]には国別[[GDP]]で[[西独]]を抜いて[[アメリカ合衆国|米国]]に次ぐ世界第2位の[[経済大国]]となっており、1970年代には、2度の[[オイルショック]]([[1973年]]~[[1974年]]、[[1978年]])に見舞われて[[高度経済成長]]を終えつつも(1974年)、[[安定成長]](1975年~1991年)へ移行している。

この1960年代後半から1970年代にかけて、各家庭には[[3C]](カラーテレビ・クーラー・車)が普及し、日本製工業製品が海外で爆発的に売れるようになり、自他共に認める「[[一億総中流]]」と言われる経済状態を達成している。

したがって、1967年以前と1975年以後とでは、日本の少年たちを取り巻く生育環境・時代環境・経済環境は急激かつ根本的に変化しており、この1967年以前と1975年以後との少年事件の表面上のデータだけによる単純比較によって、『[[マスメディア]]が1980年代からの少年事件の凶悪化について過剰報道をしている』かの如く主張する<ref>[http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html 反社会学講座 第2回 キレやすいのは誰だ]</ref><ref>[http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E5%BA%A7-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%81%BE-33-1-%E3%83%91%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8E/dp/4480423567 『反社会学講座』ちくま文庫 ま 33-1 パオロ・マッツァリーノ (著)
]</ref><ref>[http://mazzan.at.infoseek.co.jp/ スタンダード 反社会学講座]</ref>ことは一種の恣意的な情報操作と言えなくもない。少なくとも、そのような単純比較では、たとえ正確な事実認識であっても、多くの日本人が何とかしなければならないと問題視している1980年代以降の少年犯罪の変質ぶりを解明ないし理解する手助けとはならない。

最も取り返しのつかない少年凶悪事件として、端的に少年人口10万人当たりの少年殺人犯の人数(以下、「少年人口10万人当たりの少年殺人犯の人数」という意味であることを前提として単に「'''少年殺人犯率'''」と称す)を比較考察すると、1980年に「[[少年]]」だった世代(昭和35年生まれから昭和41年生まれまでの世代)の少年殺人犯率が最も少なくて、0.28という数字を記録している。

この0.28という数字は、『少年による殺人事件はこの程度までには抑制できるはずだ』という模範指標となっているが、他方、この0.28という数字は、1936年(昭和11年)から2006年(平成18年)に至るまで、少年殺人犯率の不動の最少記録でもあるため、『最少でもこの程度には少年による殺人事件が発生し得る』と前もって考えておかなければならない限界指標とも考えられる。

よって、この1980年(昭和55年)の少年殺人犯率0.28を指標として、1936年(昭和11年)から2006年(平成18年)までの総務省・警察庁の上記データを比較考察していくと以下のようになる。

* 少年殺人犯率が1980年(昭和55年)の'''1.5倍未満'''(0.42未満)の年
** [[1980年]](昭和55年。[[昭和35年]]生まれが19歳から20歳になる年)0.28
** [[1981年]](昭和56年。[[昭和36年]]生まれが19歳から20歳になる年)0.34
** [[1984年]](昭和59年。[[昭和39年]]生まれが19歳から20歳になる年)0.40
** [[1987年]](昭和62年。[[昭和42年]]生まれが19歳から20歳になる年)0.41
** [[1990年]](平成02年。[[昭和45年]]生まれが19歳から20歳になる年)0.38

* 少年殺人犯率が1980年(昭和55年)の'''2倍未満'''(0.56未満)の年
** 1976年~1978年(昭和51年~昭和53年。昭和31年生まれ~昭和33年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1980年~1988年(昭和55年~昭和63年。昭和35年生まれ~昭和43年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1990年~1995年(平成02年~平成07年。昭和45年生まれ~昭和50年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1997年(平成09年。昭和52年生まれが19歳から20歳になる年)
** 2004年(平成16年。昭和59年生まれが19歳から20歳になる年)

* 少年殺人犯率が1980年(昭和55年)の'''2倍以上'''3倍未満(0.56以上0.84未満)の年
** 1973年~1975年(昭和48年~昭和50年。昭和28年生まれ~昭和30年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1979年(昭和54年。昭和34年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1989年(昭和64年あるいは平成1年。昭和44年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1996年(平成8年。昭和51年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1998年~2003年(平成10年~平成15年。昭和53年生まれから昭和55年生まれが19歳から20歳になる年)
** 2005年~2006年(平成17年~平成18年。昭和57年生まれから昭和58年生まれが19歳から20歳になる年)

* 少年殺人犯率が1980年(昭和55年)の'''3倍以上'''4倍未満(0.84以上1.12未満)の年
** 1936年~1945年(昭和11年~昭和20年。大正5年生まれ~昭和01年生まれが19歳から20歳になる年。ただし、1941年~1943年は推定。)
** 1971年~1972年(昭和46年~昭和47年。昭和26年生まれ~昭和27年生まれが19歳から20歳になる年)

* 少年殺人犯率が1980年(昭和55年)の'''4倍以上'''5倍未満(1.12以上1.40未満)の年
** 1947年(昭和22年。昭和02年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1970年(昭和45年。昭和25年生まれが19歳から20歳になる年)

* 少年殺人犯率が1980年(昭和55年)の'''5倍以上'''(1.40以上)の年
** 1946年(昭和21年。大正15年生まれあるいは昭和01年生まれが19歳から20歳になる年)
** 1948年~1969年(昭和13年~昭和44年。昭和3年生まれ~昭和24年生まれが19歳から20歳になる年)

まず、1936年~1972年(昭和11年~昭和47年。大正05年生まれ~昭和27年生まれの世代が19歳から20歳になる年。ただし、記録が残っていない1941年~1943年は推定値)の37年間は、少年殺人犯率が一貫して1980年(昭和55年)の3倍以上である。特に1926年(大正15年あるいは昭和01年)生まれから1949年(昭和24年)生まれまでの世代は、おそらく日本史上でもまず間違いなく最悪の部類に属する劣悪な世代、時代背景等を考慮しても世代全体としては極めて異常な世代と言える。

また、1976年から1995年までのほとんどの少年世代、つまり、1956年(昭和31年)生まれから1981年(昭和56年)生まれまでのほとんどの世代が、最少記録(1980年の0.28)を基準とした場合でさえ「少年による凶悪事件が2倍以上に急増した」とは言えない比較的穏便な世代であることが分かる。

一方、1996年以降の少年世代、つまり、1976年(昭和51年)生まれ以降の世代は、日本が世界第2位の経済大国となってから12年、安定成長に移行してから2年の1980年(昭和55年)を基準としているにもかかわらず、少年殺人犯率がほとんど常に1980年の2倍以上という異常事態に陥り続けている困った世代であるということも明らかである。

これを端的に表現すれば、日本では1990年代後半以降、少年による殺人事件(凶悪犯罪)が、世間の許容範囲を超えて異様に「急増」し、かつ、異様に常態化しているということにならざるを得ない。

また同時に、21世紀に入ってから頻繁に言われるようになった日本人の「世代間格差」「経済格差」「教育格差」「ゆとり」「劣化」などの問題が、少年殺人犯率というデータからも端的に裏付けられていることが分かる。

* 少年世代の人口総数(10~19歳)は、1945年以後の5年ごとの総務省の年齡別推計人口確定値<ref>[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000000090004&cycode=0 政府統計の総合窓口]など。</ref>によれば、以下の通りである。
** 01位 1960年(昭和35年)20,326,076人(1947年~1949年生まれの[[団塊の世代]]が13歳~11歳になる年)
** 02位 1965年(昭和40年)20,035,295人(1947年~1949年生まれの[[団塊の世代]]が18歳~16歳になる年)
** 03位 1985年(昭和60年)19,022,068人(1971年~1974年生まれの[[団塊ジュニア]]が14歳~11歳になる年)
** 04位 1990年(平成02年)18,533,872人(1971年~1974年生まれの[[団塊ジュニア]]が19歳~16歳になる年)
** 05位 1955年(昭和30年)18,133,336人
** 06位 1950年(昭和25年)17,267,585人
** 07位 1980年(昭和55年)17,231,873人
** 08位 1970年(昭和45年)16,921,989人
** 09位 1945年(昭和20年)16,465,797人
** 10位 1975年(昭和50年)16,230,610人
** 11位 1995年(平成07年)16,035,763人
** 12位 2000年(平成12年)14,034,777人
** 13位 2005年(平成17年)12,583,032人

* また、殺人事件を犯した少年(19歳未満)の年ごとの実際の総数<ref>[http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html#ninzuu 少年刑法犯の主要罪名別検挙人員]</ref>、および、少年10万人当たりでの殺人事件を犯した少年の年ごとの数(少年殺人犯率)<ref>[http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html#hiritu 少年刑法犯の主要罪名別検挙人員の人口比]</ref>は、『[[犯罪白書]]』『[[警察白書]]』によれば、1946年(昭和21年)以後、以下の通りである。
** 01位 1980年(昭和55年)049人( 01位 ) 0.28
** 02位 1981年(昭和56年)060人( 02位 ) 0.34
** 03位 1990年(平成02年)071人( 04位 ) 0.38
** 04位 1984年(昭和59年)076人( 09位 ) 0.40
** 05位 1987年(昭和62年)079人( 13位 ) 0.41
** 06位 1991年(平成03年)077人( 10位 ) 0.42
** 07位 1988年(昭和63年)082人( 16位 ) 0.43
** 08位 1993年(平成05年)075人( 07位 ) 0.44
** 09位 1977年(昭和52年)077人( 11位 ) 0.47
** 09位 1994年(平成06年)077人( 11位 ) 0.47
** 11位 1992年(平成04年)082人( 17位 ) 0.47
** 12位 1983年(昭和58年)087人( 20位 ) 0.47
** 13位 2004年(平成16年)062人( 03位 ) 0.48
** 14位 1982年(昭和57年)086人( 19位 ) 0.48
** 15位 1997年(平成09年)075人( 08位 ) 0.49
** 16位 1986年(昭和61年)096人( 23位 ) 0.49
** 17位 1976年(昭和51年)080人( 14位 ) 0.50
** 17位 1995年(平成07年)080人( 14位 ) 0.50
** 19位 1985年(昭和60年)100人( 27位 ) 0.53
** 20位 1978年(昭和53年)091人( 21位 ) 0.55
** 21位 1979年(昭和54年)097人( 25位 ) 0.57
** 22位 2005年(平成17年)073人( 05位 ) 0.58
** 23位 2006年(平成18年)073人( 06位 ) 0.59
** 24位 1975年(昭和50年)095人( 22位 ) 0.59
** 25位 2002年(平成14年)083人( 18位 ) 0.62
** 26位 1996年(平成08年)097人( 26位 ) 0.62
** 27位 1989年(平成01年)118人( 34位 ) 0.62
** 28位 1974年(昭和49年)102人( 28位 ) 0.63
** 29位 1973年(昭和48年)111人( 31位 ) 0.69
** 30位 2003年(平成15年)096人( 24位 ) 0.73
** 31位 2000年(平成12年)105人( 29位 ) 0.74
** 32位 1999年(平成11年)111人( 32位 ) 0.77
** 33位 2001年(平成13年)109人( 30位 ) 0.79
** 34位 '''1998年(平成10年)117人( 33位 ) 0.79'''
** 35位 '''1971年(昭和46年)149人( 35位 ) 0.90'''
** 36位 '''1972年(昭和47年)149人( 36位 ) 0.91'''
** 37位 '''1970年(昭和45年)198人( 37位 ) 1.17'''
** 38位 1947年(昭和22年)216人( 38位 ) 1.26
** 39位 1946年(昭和21年)249人( 39位 ) 1.49
** 40位 1969年(昭和44年)265人( 40位 ) 1.50
** 41位 1968年(昭和43年)286人( 41位 ) 1.54
** 42位 1962年(昭和37年)343人( 44位 ) 1.68
** 43位 1957年(昭和32年)313人( 42位 ) 1.70
** 44位 1967年(昭和42年)343人( 45位 ) 1.77
** 45位 1964年(昭和39年)361人( 49位 ) 1.80
** 46位 1956年(昭和31年)324人( 43位 ) 1.82
** 47位 1966年(昭和41年)368人( 51位 ) 1.82
** 48位 1965年(昭和40年)370人( 53位 ) 1.85
** 49位 1955年(昭和30年)345人( 47位 ) 1.90
** 50位 1958年(昭和33年)366人( 50位 ) 1.91
** 51位 1963年(昭和38年)393人( 55位 ) 1.93
** 52位 1949年(昭和24年)344人( 46位 ) 2.01
** 53位 1948年(昭和23年)354人( 48位 ) 2.06
** 54位 1959年(昭和34年)422人( 58位 ) 2.11
** 55位 1953年(昭和28年)383人( 54位 ) 2.13
** 56位 1950年(昭和25年)369人( 52位 ) 2.14
** 57位 1960年(昭和35年)438人( 59位 ) 2.15
** 58位 1961年(昭和36年)448人( 60位 ) 2.19
** 59位 1952年(昭和27年)393人( 56位 ) 2.21
** 60位 1954年(昭和29年)411人( 57位 ) 2.25
** 61位 1951年(昭和26年)448人( 61位 ) 2.55
*** (a)34位の1998年(平成10年)の0.79と35位 1971年(昭和46年)の0.90との間、(b)36位の1972年(昭和47年)の0.91と37位の1970年(昭和45年)の1.17との間に大きな差を容易に見て取ることができ、01位~34位の世代と35位以下の世代とは本質的に大きく異なる世代であることが分かる。
*** 01位~34位の世代の中では、すなわち1973年(昭和48年)以降に少年時代を過ごした世代の中では、30位以下を1998年(平成10年)以降に少年であった世代が独占する結果となっており、しかも、このデータは事件の悪質さや罪責の深刻さを何ら考慮していない表面的データに過ぎない。このため、20世紀末から拡大してきた、少年犯罪に対する厳罰化を叫ぶ声や、社会に教育力や治癒力を取り戻すべきであるという声には十分に正当性があるということが分かる。

==== 凶悪犯罪の定義 ====
「凶悪犯罪」とは「[[警察白書]]」による定義では[[殺人]]、[[強盗]]、[[放火]]、[[強姦]]のことを指し、「犯罪白書」による定義では殺人、強盗のみを指している。このため、マスメディアでは「凶悪犯罪」の定義を明確にしないまま、殺人事件を中心に「凶悪犯罪」という言葉を扇動的に使っている場合が多い。

==== 犯罪白書における記述 ====
「犯罪白書」には未成年犯罪者の傾向として比較的犯行の軽い事件(万引きや置き引きなどの窃盗)、軽度の暴行、軽度の恐喝の他、軽犯罪、微罪と定義される犯罪が大半を占めているとされている。

また未成年者の犯行の全体的特徴としては、犯行の容易な犯行、幼稚で未熟な犯行が多く、金銭犯罪は被害金額が著しく大きいものより圧倒的に軽微な被害金額の場合が多く、知能的・計画的犯行より、粗暴・粗雑な犯行の方が多く巧妙性は成年犯罪者全般よりも低いとされている。

全体的には少年犯罪は凶悪犯罪や知能犯罪(政治事件、選挙犯罪、企業恐喝、詐欺、収賄など)よりも粗暴犯罪(暴行、傷害、カツアゲ、スリ、万引き、ひったくりなど)の比較的低レベルな犯行が大多数を占めており、高度な知能犯罪はあまり見られない。
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=== 厳罰化の傾向 ===
=== 厳罰化の傾向 ===

2008年6月1日 (日) 09:50時点における版

少年犯罪しょうねんはんざい)とは、少年が犯した、または犯したとされる犯罪のこと

日本では、少年法2条1項に定義されている少年、すなわち20歳に満たない者(男女とも)が犯した、または犯したとされる犯罪に対してこの言葉を用いる。以下、日本法から定義されるこの呼称に基づく日本の少年犯罪について記す。

審判手続

少年法により、成人とは違った特別の措置が講ぜられる。

概況

  • 法務省が発行する犯罪白書によれば、凶悪犯罪は、ピーク時(1960年代)と2000年代を比較すれば件数は4分の1にまで低下している。昭和30年代には年間8000件を超えていたが、その年をピークに件数は年々減少し、昭和50年以降は低水準で安定的に推移している。
  • 窃盗横領が増加しているが、これは凶悪犯罪の減少や警察の方針転換により、窃盗自転車などの取り締まりを強化したためである。
  • 少年法で裁かれた被疑者成人後に逮捕された場合、マスメディアに対し規制が入るケースがある。女子高生コンクリート詰め殺人事件の被疑者が出所後に脅迫容疑で逮捕された時には、一部写真週刊誌以外のマスメディアが実名・顔写真の報道を控えた。
  • 戦後の少年事件として有名なのが浅沼稲次郎暗殺事件である。右翼思想に感化された少年が演説中の浅沼稲次郎を短刀で刺殺し、これを契機に少年の刀剣所有禁止が定められた。

警察・司法当局の対応

近年の少年犯罪に対して治安維持を担当する警察当局側の対応としては従来の取締に加えて精神的ケアを強化させている。素行不良の未成年者、家出、失踪人など、特に犯罪を発生させていない段階であっても、警察官の現認後、指導を行い、保護者へ連絡する、引取りに来させる、家まで送っていくなどの措置を取ることが強化された。

元々、警察職務において少年犯罪は生活安全部刑事部、少年絡みの事案は生活安全部と地域部を中心に行っていたが、近年では少年の社会問題全般を改善するため、担当部門に関係なく、どの部門に所属している警察官も、警察官の一般的日常業務として少年事案対策に力を入れるようになってきている。

しかし公安部警備部といった特殊な警察部門に所属する警察官は、所掌する職務が専従任務であったり、少年犯罪よりも、より重要視されるテロ過激派などの国家秩序に関わる最重要犯罪を担当していることから、少年犯罪まで手が回らない、もしくは管轄外として手を回さないのが普通である。

刑事部門は警察職務全般に広く関わるので、元々、少年の関わる犯罪も多く扱っていた。誤解されがちだが、未成年者への精神的ケアや未成年者の非行防止といった防犯活動は生活安全部、地域部による担当所掌となっているが、幼児虐待や未成年者の刑事事件の場合は、犯罪を犯した者が未成年者であっても、基本的に刑事部で扱う。これは刑事事件は、少年法で保護されている未成年者が犯したものであっても法律上、刑事事件に変わりはないとされている為である。

その為、刑事部は必ずしも成年の犯罪者のみを扱うわけではない。しかし、一方で刑事事件を起こし警察官が対応する事案のほとんどは成年者によるものが大半を占めており、凶悪犯罪も含む刑事犯罪者の中で未成年者の数は1割程度に留まっている。

処罰を担当する検察、裁判所の対応としては、今現在の少年犯罪を総合的に分析したり、発生原因をあらゆる方面から調査したりと分析面での業務を強化している。

また、判例では従来は更生を前提としている少年法を根拠に未成年者の犯罪者にはたとえ凶悪犯であろうとも厳罰には処さないのが通例であったが、近年ではたとえ未成年者であっても凶悪・悪質・非人道的な犯行に対しては厳罰を課す判決も出されている。

有名な少年犯罪

最近の少年犯罪の動向

少年の凶悪犯罪の数について

最近マスメディアが公正中立さを欠き、戦前の翼賛報道のように保守化・権力寄りの論調になっていると言われる。少年法や刑罰の厳罰化・教育の厳格化や反動化推進など権力側に有利で、民主政治には不利な報道・論調になりやすい事に注意しなくてはならない。

例えば少年による年間殺人犯検挙人数は昭和30年は345人・昭和40年は370人・平成18年は73人である。にもかかわらず昔より圧倒的に現代の方が少年犯罪が多いような錯覚を覚える。 これは単純に昔より少年犯罪の報道をマスメディアが増加させた影響だと言える。

最近のマスメディアの公正中立性に疑問が持たれる以上、真に公正中立な情報のためには 「なぜ今マスコミは少年犯罪を大きくセンセーショナルに報道するのか?政治的意図があるのではないか?国民がもっと知らねばならない情報が他にあるのではないか?」と疑う必要があると言える。 「少年犯罪が増えたから少年法の厳罰化をしなくてはらない」のではなく、「少年法の厳罰化の為・少年のような社会的弱者をスケープゴートにするために、意図的に少年犯罪報道を増やしているのではないか?」と疑って見なくてはならない。

近年、多くのマスメディアが「少年の凶悪犯罪が急増している」と警鐘を鳴らす。しかし、これは、凶悪な少年事件の総数ではなく頻度、中でも個々の事件の罪責の深刻さに注目しているためと言える。

例えば、10~19歳の少年人口10万人あたりの少年(19歳未満)による殺人事件発生数は、総務省の年齡別推計人口確定値(ただし、統計上の記録がない昭和16~18年については推定値)および警察庁の『犯罪統計書』『犯罪白書』によれば、1951年(2.55)と1961年(2.19)をピークとして1944年から1969年にかけて少年だった世代、すなわち、1924年(大正13年)生まれから1955年(昭和30年)生まれまでの世代が、少年による殺人事件の総数においても頻度においても他の世代とは比較にならないほど突出して多いということが分かる[1]

厳罰化の傾向

1997年以降、マスコミでは少年犯罪の凶悪化が報じられることが多くなった。また、犯罪被害者の心情を重視する論調が強まるようにもなっている。以上の背景から、現行の少年法は抑止力にならないのではないかという傾向の世論が強まり、司法の現場においてもそれを受ける形でいわゆる厳罰化の傾向にある。

しかし、マスコミ報道による少年犯罪の凶悪化論は根拠が乏しいと指摘する意見も少なくない。マスメディアでは視聴率至上主義も一因か、凶悪事件の発生原因を、古くは漫画、近年はアニメコンピュータゲームによる影響とやたらに報じるケースが多いが、科学的根拠はない。また、そうした「外的要素がひきがねになって犯罪を犯す」といった科学的根拠のない説は今に始まったことではない(環境犯罪誘因説及びゲーム脳も参照のこと)。

特に、最近の報道は凶悪な事件をよりセンセーショナルに報じ、些細な事件まで報道すること傾向があることから、実際の少年犯罪の発生件数より多く発生しているような印象を市民に植え付け、少年法の厳罰化や教育の厳格化を求める社会不安(モラル・パニック)を引き起こしているとの批判もある。

一部の刑事裁判に直接関与できる裁判員制度が2009年(平成21年)5月までに開始されるが、2006年12月30日の『産経新聞』によると、死刑判決が急増した理由としてある現役裁判官は「平成12年(2000年)の改正刑事訴訟法施行により、法廷で遺族の意見陳述が認められたことが大きいと思う。これまでも遺族感情に配慮しなかったわけではないが、やはり遺族の肉声での訴えは受ける印象がまったく違う。」とコメントしており[2]、法的手続きに不慣れな裁判員はより遺族の感情に影響されやすく、加害少年に厳しい判決が言渡される例が増えると考えられる。

少年犯罪者の個人情報

報道規制

少年法第61条により、家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

「家庭裁判所の審判に付される」か「犯した罪により公訴を提起される」場合、規制対象になるとしている。ただ、少年法第61条には罰則規定がないので、出版物で犯罪少年を実名暴露しても(その筋からの叱責はあるようだが)刑罰はない。実際には裁判所の審判に付される前段階である捜査段階や逮捕勾留段階から報道機関は自主規制して加害少年を匿名化し、実名報道を避けている。しかし、逮捕前に実名が出てしまっているケースもあり、こちらは規制できないのが現状である。

インターネットの規制

インターネット上の公開も規制が行われている。しかし、インターネットに少年法が適用されるかは、法曹界の統一見解はまだない。また少年法第61条には罰則規定がない(罰則がない法律に違反しても犯罪ではない、罪刑法定主義参照)ので、法務省による強制力のない行政指導、そしてプロバイダでの「自主規制」による規制しか行えないのが現状である。

一部の電子掲示板などでは規制に反して実名・顔写真が掲載され、問題になっている。一例として2ちゃんねるでは、住所や電話番号などプライバシーを侵害する記述がない限り、削除しない運営をしている。その理由は、

  1. 公開が規制されている場合は、その掲載が事実か確認する手段がない、つまりでたらめな掲載であるから
  2. 裁判所に行けば一般人でも被告人の氏名が確認できるので、その氏名は公開情報とみなせるから

だという。(少年犯罪板の削除人のレスより)

電話帳は個人情報保護法第19条~第23条の規制の対象にならないので、対処のしようがない。さらに、海外のウェブサイト上でも掲載されることがある。こちらは国内法である少年法では法務省も対処できないようで、野放し状態である。

少年犯罪を扱った作品(漫画・映画・ドラマ・アニメ・etc)

  • 家栽の人』 - 毛利甚八作・魚戸おさむ画の青年漫画。各種少年犯罪および家庭裁判所での少年審判を題材とした漫画。
  • ゲド戦記スタジオジブリ の作品。監督・宮崎吾朗 主人公アレンが、冒頭、父親を殺す所から始まり、ゲドと出会い、最後に立ち直ったと目される描写から、少年擁護と少年の内面と自立の観点から描いた作品として捉えられ、各方面、各所で注目されている。だが、その描かれ方やクオリティ、また原作との齟齬(そご)を問題視する声もあり、賛否両論。
  • ほぼ同時期に同テーマを少年法の是非を問題提起する観点から描いた 『太陽の傷』 監督・三池崇史、主演・哀川翔も公開される。
  • 黒武洋の『そして粛清の扉を』。不良生徒やストーカー、通り魔など、犯罪者ばかり29人の生徒が集まったある高校の一クラスを、少年犯罪によって娘を失った女教師が卒業式間際に占拠、次々と抹殺してゆく内容。
  • 2008年新春には山口県で実際に起きた光市母子殺害事件を題材にした映画『天国からのラブレター』が公開される予定。事件被害者と被害者遺族の書簡を集めた同名書籍を元に製作した作品である。被害者遺族である本村洋の事件後の活動は今後の少年法の論議やあり方などに一石を投じ、影響を与えている。余談だが、同事件で加害者の弁護を行っている弁護士に対して懲戒請求を行う動きがインターネット上で活発化、また請求呼びかけを煽った弁護士が“弁護士法に定めるその職責に背くもの”として同様にされる動きも起きている。

上記以外にも、その問題点から小説、映画、ドラマ、漫画を問わずたびたび題材にされる。

脚注

  1. ^ 少年犯罪データベース 少年による殺人統計
  2. ^ 「死刑宣告、過去最多45人 世論が厳罰化後押し」 産経新聞、2006年12月30日。

関連項目

参考文献

外部リンク