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| 収容人数= 1,826<ref>{{Cite web|date=2018-11-19|url=https://www.kotobuki-seating.co.jp/cd/app/?C=project&H=default&D=00953|title=帝国劇場(リニューアル)|work=導入事例|publisher=コトブキシーティング株式会社|accessdate=2018-11-21}}</ref>
| 収容人数= 1,826<ref>{{Cite web|和書|date=2018-11-19|url=https://www.kotobuki-seating.co.jp/cd/app/?C=project&H=default&D=00953|title=帝国劇場(リニューアル)|work=導入事例|publisher=コトブキシーティング株式会社|accessdate=2018-11-21}}</ref>
| 客席= 1階1,138席、2階688席
| 客席= 1階1,138席、2階688席
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| 特記事項 =
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}}
}}
'''帝国劇場'''(ていこくげきじょう、[[英語]]:''Imperial Theatre'')は、[[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]三丁目にある[[プロセニアム・アーチ|プロセニアム形式]]の[[劇場]]である。1911年([[明治]]44年)3月1日開場、3月4日に杮落し公演の初日を迎えた。収容人数は1,897人。[[東宝]]が運営している。'''帝劇'''(ていげき)の通称で知られる。
'''帝国劇場'''(ていこくげきじょう)は、[[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]三丁目にある[[プロセニアム・アーチ|プロセニアム形式]]の[[劇場]]である。1911年([[明治]]44年)3月1日開場、3月4日に杮落し公演の初日を迎えた。収容人数は1,897人。[[東宝]]が運営している。'''帝劇'''(ていげき)の通称で知られる。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
===代===
[[ファイル:Imperial Theater, Tokyo (1915-05 by Elstner Hilton).jpg|サムネイル|left|1915年の帝国劇場]]
[[ファイル:Imperial Theater, Tokyo (1915-05 by Elstner Hilton).jpg|サムネイル|left|1915年の帝国劇場]]
[[File:帝劇女優養成所.png|thumb|帝劇女優養成所 1909年]]
[[File:帝劇女優養成所.png|thumb|帝劇女優養成所 1909年]]
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[[File:Imperial Garden Theater in 1933.JPG|thumb|220px|[[1933年]](昭和8年)撮影の帝国劇場]]
[[File:Imperial Garden Theater in 1933.JPG|thumb|220px|[[1933年]](昭和8年)撮影の帝国劇場]]


帝国劇場は、[[伊藤博文]]、[[益田太郎]]、[[西野恵之助]]、[[渋沢栄一]]、[[荘田平五郎]]、[[福澤捨次郎]]、[[福澤桃介]]、[[日比翁助]]、[[田中常徳]]、[[手塚猛昌]]が発起人となり<ref>[http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00693/contents/0032.htm III帝劇開場]</ref>、[[大倉喜八郎]]が采配を振って設立された日本初の西洋式演劇劇場{{要出典|date=2022年8月}}で、[[1911年]]([[明治]]44年)[[3月1日]]に竣工式が行われた<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20170104-a137/|title=ヅカファンたちの東京の聖地と、風格漂う日本初の西洋式劇場|newspaper=マイナビニュース|date=2017-01-04|accessdate=2017-12-29}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.ndl.go.jp/scenery/column/tokyo/teikoku-gekijo.html|title=コラム<東京>10 帝国劇場 建築様式と構造|newspaper=国立国会図書館|accessdate=2017-12-29}}</ref>。当時は[[横河民輔]]の設計による[[ルネサンス建築]]様式の劇場であった
帝国劇場は、[[伊藤博文]]、[[益田太郎]]、[[西野恵之助]]、[[渋沢栄一]]、[[荘田平五郎]]、[[福澤捨次郎]]、[[福澤桃介]]、[[日比翁助]]、[[田中常徳]]、[[手塚猛昌]]が発起人となり<ref>[http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00693/contents/0032.htm III帝劇開場]</ref>、[[大倉喜八郎]]が采配を振って設立された西洋式演劇劇場{{要出典|date=2022年8月}}である<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20171229112826/https://news.mynavi.jp/article/20170104-a137/|title=ヅカファンたちの東京の聖地と、風格漂う日本初の西洋式劇場|newspaper=マイナビニュース|date=2017-01-04|accessdate=2017-12-29}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.ndl.go.jp/scenery/column/tokyo/teikoku-gekijo.html|title=コラム<東京>10 帝国劇場 建築様式と構造|newspaper=国立国会図書館|accessdate=2017-12-29}}</ref>。


[[1912年]]([[大正]]元年) - [[1916年]](大正5年)にイタリア人の振付師 [[ローシー|ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー]]を招いて[[歌劇]]・[[バレエ]]を上演したほか、[[尾上梅幸 (6代目)|六代目尾上梅幸]]・[[松本幸四郎 (7代目)|七代目松本幸四郎]]・[[澤村宗十郎 (7代目)|七代目澤村宗十郎]]らが専属俳優となり[[歌舞伎]]や[[シェイクスピア|シェイクスピア劇]]などを上演。当時の'''「今日は帝劇、明日は[[三越]]」'''という宣伝文句は流行語にもなり、消費時代の幕開けを象徴する言葉として定着した。
[[1912年]]([[大正]]元年)[[イタリア人]]の[[ローシー|ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー]]を招いて[[歌劇]]・[[バレエ]]を上演したほか、[[尾上梅幸 (6代目)|六代目尾上梅幸]]・[[松本幸四郎 (7代目)|七代目松本幸四郎]]・[[澤村宗十郎 (7代目)|七代目澤村宗十郎]]らが専属俳優となり[[歌舞伎]]や[[シェイクスピア|シェイクスピア劇]]などを上演。'''「今日は帝劇、明日は[[三越]]」'''という宣伝文句は流行語にもなり、消費時代の幕開けを象徴する言葉として定着した。


[[川上貞奴]]が創設した帝国女優養成所を引き継ぐ形で帝国劇場付属技芸学校を設立し、1910年(明治43年)卒業の第一期生をはじめ、多くの女優を生んだ<ref>[https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=3290&query=&class=&d=all&page=31 (株)資生堂『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11)]渋沢社史データベース</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%A5%B3%E5%84%AA%E9%A4%8A%E6%88%90%E6%89%80-1371181 帝国女優養成所(読み)ていこくじょゆうようせいじょ]コトバンク</ref>。
[[川上貞奴]]が創設した[[帝国女優養成所]]を引き継ぐ形で帝国劇場付属技芸学校を設立し、1910年(明治43年)卒業の第一期生をはじめ、多くの女優を生んだ<ref>[https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=3290&query=&class=&d=all&page=31 (株)資生堂『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11)]渋沢社史データベース</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%A5%B3%E5%84%AA%E9%A4%8A%E6%88%90%E6%89%80-1371181 帝国女優養成所(読み)ていこくじょゆうようせいじょ]コトバンク</ref>。


[[1923年]](大正12年)の[[大正関東地震]]([[関東大震災]])では隣接する[[警視庁 (内務省)|警視庁]]から出た火災により外郭を残して焼け落ちたが、横河民輔により改修され、翌[[1924年]](大正13年)に再開した<ref>{{Cite news|url=https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=14940|title=東宝(株)帝国劇場『帝劇の五十年』(1966.09)|newspaper=渋沢社史データベース||accessdate=2017-12-29}}</ref>。[[1930年]]([[昭和]]5年)に[[松竹]]の経営となり、間もなく洋画封切館に転用。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。[[1939年]](昭和14年)、運営会社を東宝が合併し、翌[[1940年]](昭和15年)に松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す
[[1923年]](大正12年)の[[大正関東地震]]([[関東大震災]])では隣接する[[警視庁 (内務省)|警視庁]]から出た火災により外郭を残して焼け落ちたが、[[横河民輔]]により改修され、翌[[1924年]](大正13年)に再開した<ref>{{Cite news|url=https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=14940|title=東宝(株)帝国劇場『帝劇の五十年』(1966.09)|newspaper=渋沢社史データベース||accessdate=2017-12-29}}</ref>。


[[1930年]]([[昭和]]5年)に[[松竹]]の経営となり、間もなく洋画封切館に転用。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。
しかし同年9月16日からは[[内閣情報部]]が庁舎として利用することとなり、前日15日の[[新国劇]]の上演をもって休演となった<ref>帝劇が閉鎖、内閣情報部の庁舎に『大阪毎日新聞』昭和15年9月16日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p35 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)1月頃からは、地下食堂が一般人でも利用できる[[雑炊#雑炊食堂|雑炊食堂]]として供された<ref>東京で百五十軒が新たに開店『毎日新聞』昭和19年2月24日東京版 夕刊(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p369) </ref>。


第二次世界大戦後の最初の公演は、[[1945年]](昭和20)10月、[[尾上菊五郎 (6代目)|尾上菊五郎]]一座であった<ref>東劇、帝劇、東宝など各劇場次々再開『毎日新聞』昭和20年9月10東京版(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17/昭和20年』本編p14)</ref>。
[[1939年]](昭和14年)、運営会社を東宝が合併し[[1940年]](昭和15)に松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す。同年916日からは[[内閣情報部]]が庁舎として利用することとなり前日15日の[[新国劇]]のをもって休演となった<ref>帝劇が閉鎖内閣情報部の庁舎に『大阪毎日新聞』昭和15年9月16日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14-昭和16年』本編p35 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。


[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)1月頃からは、地下食堂が一般人でも利用できる[[雑炊#雑炊食堂|雑炊食堂]]として供された<ref>東京で百五十軒が新たに開店『毎日新聞』昭和19年2月24日東京版 夕刊(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p369) </ref>。
[[1955年]](昭和30年)、舞台に巨大映画スクリーン・[[画面アスペクト比#シネラマ|シネラマ]]が設置され、再びシネラマ主体の[[映画|洋画]][[ロードショー (映画用語)|ロードショー]]用の映画館に転じたが、[[1964年]](昭和39年)から翌年にかけての『[[アラビアのロレンス]]』を最後に上映を終了し、解体された。


===2代目===
=== 戦後 ===
1952年までは[[連合国軍占領下の日本|第二次大戦後の米軍による占領期]]である。第二次世界大戦後の最初の公演は、[[1945年]]10月、六世[[尾上菊五郎 (6代目)|尾上菊五郎]]一座の『銀座復興』公演であった<ref>東劇、帝劇、東宝など各劇場次々に再開『毎日新聞』昭和20年9月10日東京版(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p14)</ref>。
現在の複合ビルディング形式の建物は、[[谷口吉郎]]設計で[[1966年]](昭和41年)[[9月29日]]に落成した。帝劇ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の[[出光興産]]が本社として使用しており、最上階の9階は同社創業者[[出光佐三]]による古美術コレクションを展示する[[出光美術館]]東京館となった。その後、出光興産は[[2021年]](令和3年)に大手町に移転した。


[[1955年]]、舞台に巨大映画スクリーン・[[画面アスペクト比#シネラマ|シネラマ]]が設置され、再びシネラマ主体の[[映画|洋画]][[ロードショー (映画用語)|ロードショー]]用の映画館に転じたが、[[1964年]](昭和39年)から翌年にかけての『[[アラビアのロレンス]]』を最後に上映を終了し、解体された。
[[1969年]](昭和44年)から[[1984年]](昭和59年)まで『[[日本レコード大賞]]』発表会も行われた。現在、年間10作品程度上演してい。また大晦日に行なわれる年末[[ジャンボ宝くじ]]の抽せん会場としても知られた([[1977年]]・[[1997年]] - [[1999年]]・[[2001年]] - [[2005年]]。[[1978年]]・[[1979年]]は[[日本劇場]]で、[[1980年]] - [[1996年]]は[[東京宝塚劇場]]で、[[2000年]]は[[新宿コマ劇場]]で、[[2006年]] - [[2009年]]は[[東京厚生年金会館]]で、[[2010年]]はメルパルク東京で、[[2011年]] - [[2016年]]は[[TBS赤坂ACTシアター|赤坂ACTシアター]]で、[[2017年]]からは[[東京オペラシティ]]コンサートホールで行われている)。


===2===
[[2022年]](令和4年)9月27日、東宝は帝劇ビルが竣工から約56年を経過したことなどを踏まえ、共同所有する[[出光美術館]]及び隣接する「[[国際ビルヂング|国際ビル]]」を所有する[[三菱地所]]と共同し一体的に建て替えることを発表した<ref name="oricon20220927">{{Cite news|url= https://www.oricon.co.jp/news/2250839/full/ |title= 「帝国劇場」ビル再開発のため2025年に一時休館へ 建て替え後に再開予定「大千穐楽まで、どうぞ変わらぬご支援を」 |newspaper= ORICON NEWS |publisher= oricon ME |date= 2022-09-27 |accessdate= 2022-09-27 }}</ref><ref name="press20220927">{{Cite press release|和書|url=https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS05040/1368ff27/a46a/4bb6/954e/447e2e0a9792/140120220926536195.pdf|title= 帝劇ビル 再開発決定に関するお知らせ|publisher=東宝株式会社|date=2022-09-27 |accessdate=2022-09-27}}</ref>。帝劇ビル及び帝国劇場は2025年(令和7年)を目途に一時休館する予定<ref name="oricon20220927"/><ref name="press20220927"/>。
年間10作品程度を上演している。[[1969年]]から[[1984年]]まで『[[日本レコード大賞]]』発表会会場として使われてい。また大晦日に行なわれる年末[[ジャンボ宝くじ]]の抽せん会場としても知られた([[1977年]]・[[1997年]] - [[1999年]]・[[2001年]] - [[2005年]]。[[1978年]]・[[1979年]]は[[日本劇場]]で、[[1980年]] - [[1996年]]は[[東京宝塚劇場]]で、[[2000年]]は[[新宿コマ劇場]]で、[[2006年]] - [[2009年]]は[[東京厚生年金会館]]で、[[2010年]]はメルパルク東京で、[[2011年]] - [[2016年]]は[[TBS赤坂ACTシアター|赤坂ACTシアター]]で、[[2017年]]からは[[東京オペラシティ]]コンサートホールで行われている)。


== 主な公演 ==
== 定紋 ==
[[画像:Imperial Garden Theater Okinamen.jpg|thumb|200px|旧帝国劇場の翁面(ビル脇)]]
{{節スタブ}}
現在は使用されていないが、元来[[扇子]]と[[翁]](おきな)の[[能面|面]]を組み合わせた物を使用していた。この定紋は運営会社の社章を兼ねていたが、その後、翁面が帝国劇場の英訳頭文字「T・S」を組み合わせた物に代わり、更に東宝と合併したことで東宝マークに切り替わった。現在、帝劇脇の入り口横と、[[東京地下鉄|東京メトロ]][[東京メトロ銀座線|銀座線]][[田原町駅 (東京都)|田原町駅]]1番線(渋谷行き)ホームの浅草寄りの天井にそれぞれ掲げられている{{要出典|date=2018年7月}}。
*「式三番」「頼朝」「最愛の妻」「フラワーダンス」(1911年初代劇場開場演目)<ref name="wonderland">「帝劇ワンダーランド」2011年1月、東宝発行 ISBN 978-4-8356-1782-4 </ref> ただし、『帝劇の五十年』の記述には「頼朝」、「伊賀越道中双六(饅頭娘)」、「羽衣」とある。


== オペラ(歌劇) ==
== 建物 ==
*創立当時は、[[横河民輔]]設計による[[ルネサンス建築]]様式の劇場であった。
*[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)]] (1913年日本初演)
*現在の[[国際ビルング]]との一体型複合ビルの建物は、[[谷口吉郎]]設計で[[1966年]][[9月29日]]に落成した。ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の[[出光興産]]が本社として使用しており、最上階は[[出光佐三]]による古美術コレクションを展示する[[出光美術館]]東京館となった。出光興産は[[2021年]]に大手町に移転した。)[[廻り舞台]]は大小4つの[[迫り]]が内部に設置されており、直径16.4m・高さ22mあって、地上1階から地下6階までを貫く<ref name=wonderland></ref>
*[[地獄のオルフェ|天国と地獄]] (1913年日本初演)
*[[2022年]]9月27日、東宝はビルが竣工から約56年を経過したことなどを踏まえ、共同所有する[[出光美術館]]及び「[[国際ビルヂング|国際ビル]]」を所有する[[三菱地所]]と共同し一体的に建て替えを発表した<ref name="oricon20220927">{{Cite news |url=https://www.oricon.co.jp/news/2250839/full/ |title=「帝国劇場」ビル再開発のため2025年に一時休館へ 建て替え後に再開予定「大千穐楽まで、どうぞ変わらぬご支援を」 |newspaper=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2022-09-27 |accessdate=2022-09-27}}</ref><ref name="press20220927">{{Cite press release|title=帝劇ビル 再開発決定に関するお知らせ|publisher=東宝株式会社|date=2022-09-27|url=https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS05040/1368ff27/a46a/4bb6/954e/447e2e0a9792/140120220926536195.pdf|和書|accessdate=2022-09-27}}</ref>。2025年に一時休館予定<ref name="oricon20220927" /><ref name="press20220927" />。なお東宝は25年3月から[[明治座]]で複数年・複数月上演のおける貸館契約を締結している<ref name="press20240515">{{Cite press release|title=2025年以降 明治座公演の実施について|publisher=東宝株式会社|date=2024-05-15|url=https://www.toho.co.jp/information/20240513121024|和書|accessdate=2024-05-15}}</ref>。
*[[蝶々夫人]] (1913年日本初演
*[[魔笛]]   (1913年6月1日初演)


== オペラ ==
== バレ、舞踊、モダンダンス ==
*[[1911年]]
**『釈迦』([[ハインリヒ・ヴェルクマイスター]]作曲のドイツ語オペラ。出演:[[三浦環]]、[[伊藤道郎]])
**『胡蝶の舞』([[ハインリヒ・ヴェルクマイスター]]作曲、[[松居松葉]]脚本)合唱と舞初演(10月)
**[[カヴァレリア・ルスティカーナ]](コンサート形式 / 12月、出演:[[三浦環]]、[[アドルフォ・サルコリ]])
*[[1913年]] 日本初演
**[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]
**[[地獄のオルフェ|天国と地獄]]
**[[蝶々夫人]]
**[[魔笛]](6月1日初演)
*[[1920年]]
**[[タンホイザー]]の第3幕 第1場と第2場 (12月29日、日本初演)
**[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]『[[放蕩息子 (カンタータ)|放蕩息子]]』指揮:[[山田耕筰|山田耕作]] 合唱指揮:[[近衛秀麿]] 演技指導:[[土方与志]]


== バレ、舞踊、モダンダンス ==
*1915年 ローシー振付 『夢幻的バレエ』ローシー夫人、高木 徳子共演 (2月1日)
*1916年6月 露国舞踊
*1916年6月 露国舞踊
* 1922年9月 [[アンナ・パヴロワ|パヴロワ]]婦人露国舞踊劇一座
* 1922年9月 [[アンナ・パヴロワ|パヴロワ]]婦人露国舞踊劇一座
* 1922年 [[石井漠]]渡欧記念舞踊公演「沈める寺」「若きケンタウルとニンフ」
* [[1938年]]10月 「[[麦と兵隊]]」
* [[1929年]]1月 スペイン舞踏家[[ラ・アルヘンティーナ]] 来日公演
* [[1938年]]10月 「[[江口隆哉|江口]]・[[宮操子|宮]]舞踊研究所」旗揚げ公演「[[麦と兵隊]]」


*[[1946年]] [[東京バレエ団 (第1期)|東京バレエ団]]の[[白鳥の湖]][[1946年|(]]8月9日〜30日、日本初演)
*[[1946年]] [[東京バレエ団 (第1期)|東京バレエ団]]の[[白鳥の湖]][[1946年|(]]8月9日〜30日、日本初演)
* 1950 [[プロメテの火]] (12月11日、12日) [[伊福部昭]]作曲
*1947[[江口隆哉|江口]]・[[宮操子|宮]]舞踊研究所」 [[伊福部昭]]作曲『イゴザイダー』
*1948年 [[貝谷八百子]]振付 『[[サロメ (戯曲)|サロメ]]』 [[伊福部昭]]作曲
*1948年 [[石井漠]]振付『さまよえる群像』 [[伊福部昭]]作曲
*1949年 [[貝谷八百子]]振付『[[パスカーナ]](憑かれたる城)』 [[伊福部昭]]作曲
*1950年「[[江口隆哉|江口]]・[[宮操子|宮]]舞踊研究所」 [[伊福部昭]]作曲[[プロメテの火|『プロメテの火]] 』 (12月11日、12日)


== オペレッタ、ミュージカル  ==
== オペレッタ、ミュージカル ==
*[[ボッカチオ (オペレッタ)]] (1915年4月日本初演)
*[[ボッカチオ (オペレッタ)]] (1915年4月日本初演)
*[[ドッチャダンネ]](1917年5月) 1920年5月、1925年5月に再演。
* [[宝塚歌劇団|宝塚少女歌劇]](1918年5月)
* [[宝塚歌劇団|宝塚少女歌劇]](1918年5月)

===== 1945年以降 =====
*帝劇藝術祭(1945年から)
*帝劇藝術祭(1945年から)
* [[風と共に去りぬ]](1966年11月初演)
* [[風と共に去りぬ]](1966年11月初演)
104行目: 122行目:
* [[ダンス・オブ・ヴァンパイア]](2006年7月初演)
* [[ダンス・オブ・ヴァンパイア]](2006年7月初演)
* [[JOHNNYS' World -ジャニーズ・ワールド-|JOHNNYS' World]](2012年11月初演)
* [[JOHNNYS' World -ジャニーズ・ワールド-|JOHNNYS' World]](2012年11月初演)
*[[千と千尋の神隠し]](2022年2月初演)
* [[千と千尋の神隠し#舞台版|千と千尋の神隠し]](2022年2月初演)
*[[キングダム]](2023年2月初演)
* [[キングダム (漫画)#メディア展開|キングダム]](2023年2月初演)
*[[SPY×FAMILY]](2023年3月初演)
* [[SPY×FAMILY#ミュージカル|SPY×FAMILY]](2023年3月初演)
* [[ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド (ミュージカル)|ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド]](2024年2月初演)


== 定紋 ==
[[画像:Imperial Garden Theater Okinamen.jpg|thumb|200px|旧帝国劇場の翁面(ビル脇)]]
現在は使用されていないが、元来[[扇子]]と[[翁]](おきな)の[[能面|面]]を組み合わせた物を使用していた。この定紋は運営会社の社章を兼ねていたが、その後、翁面が帝国劇場の英訳頭文字「T・S」を組み合わせた物に代わり、更に東宝と合併したことで東宝マークに切り替わった。現在、帝劇脇の入り口横と、[[東京地下鉄|東京メトロ]][[東京メトロ銀座線|銀座線]][[田原町駅 (東京都)|田原町駅]]1番線(渋谷行き)ホームの浅草寄りの天井にそれぞれ掲げられている{{要出典|date=2018年7月}}。
{{-}}
== その他 ==
== その他 ==
1911年初代劇場開場演目<ref name="wonderland">「帝劇ワンダーランド」2011年1月、東宝発行 ISBN 978-4-8356-1782-4 </ref>
建物は[[国際ビルヂング]]との一体型複合ビルである。
*「式三番」

*「頼朝」
当劇場の[[廻り舞台]]は大小4つの[[迫り]]が内部に設置されており、直径16.4m・高さ22mあって、劇場のある地上1階から地下6階までを貫く<ref name=wonderland></ref>。
*「最愛の妻」

*「フラワーダンス」 
1階の中央売店にてオペラグラスの貸出しをおこなっており、貸出料500円、保証金5,000円。通常のオペラグラスのほか、オートフォーカスでハンズフリーの高機能版オペラグラスであるカブキグラスのレンタルも可能。


但し、『帝劇の五十年』の記述には
劇場地下が地下鉄有楽町線と近いため、客席上手で地下鉄の走行音が聞こえることがある。
*「頼朝」
*「伊賀越道中双六(饅頭娘)」
*「羽衣」
とある。


== 関連書籍 ==
== 関連書籍 ==
* 帝劇史編纂委員会編『帝劇の五十年』東宝、1966年 
* 帝劇史編纂委員会編『帝劇の五十年』東宝、1966年 
* [[嶺隆]]『帝国劇場開幕 今日は帝劇明日は三越』中公新書、1996年 
* [[嶺隆]]『帝国劇場開幕 今日は帝劇明日は三越』[[中公新書]]、1996年 
* 東宝株式会社演劇部監修『帝劇ワンダーランド 帝国劇場開場100周年記念読本』東宝演劇部 2011年
* 東宝株式会社演劇部監修『帝劇ワンダーランド 帝国劇場開場100周年記念読本』東宝演劇部 2011年
*『コレクション・モダン都市文化 第71巻 帝劇と三越』山岸郁子編 ゆまに書房 2011年
*『コレクション・モダン都市文化 第71巻 帝劇と三越』[[山岸郁子]][[ゆまに書房]] 2011年
*『帝国劇場100年のあゆみ 1911-2011』『帝国劇場100年のあゆみ』編纂委員会,東宝株式会社総務部編 東宝 2012年
*『帝国劇場100年のあゆみ 1911-2011』『帝国劇場100年のあゆみ』編纂委員会,東宝株式会社総務部編 東宝 2012年


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[[Category:1911年竣工の日本の建築物]]
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[[Category:西洋館|解ていこくけきしよう]]
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[[Category:かつて存在した東京都の映画館]]
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[[Category:過去の東宝系列映画館]]
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[[Category:1911年開業の施設]]
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2024年7月9日 (火) 06:40時点における版

帝国劇場
Imperial Theatre
地図
情報
正式名称 帝国劇場
開館 1911年3月1日
収容人員 1,826[1]
客席数 1階1,138席、2階688席
用途 ミュージカル演劇
運営 東宝株式会社
所在地 100-0005
東京都千代田区丸の内三丁目1番1号
位置 北緯35度40分35.5秒 東経139度45分38.7秒 / 北緯35.676528度 東経139.760750度 / 35.676528; 139.760750 (帝国劇場)座標: 北緯35度40分35.5秒 東経139度45分38.7秒 / 北緯35.676528度 東経139.760750度 / 35.676528; 139.760750 (帝国劇場)
最寄駅 東京メトロ有楽町駅(B3出口直結)
最寄IC 首都高速八重洲線丸の内出口
東京高速道路東銀座出口
外部リンク 帝国劇場
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帝国劇場(ていこくげきじょう)は、東京都千代田区丸の内三丁目にあるプロセニアム形式劇場である。1911年(明治44年)3月1日開場、3月4日に杮落し公演の初日を迎えた。収容人数は1,897人。東宝が運営している。帝劇(ていげき)の通称で知られる。

歴史

1915年の帝国劇場
帝劇女優養成所 1909年
大正期(1924年以降)の東京會舘(左)と帝國劇場(右)。屋上の翁像は関東大震災で失われた。
1933年(昭和8年)撮影の帝国劇場

帝国劇場は、伊藤博文益田太郎西野恵之助渋沢栄一荘田平五郎福澤捨次郎福澤桃介日比翁助田中常徳手塚猛昌が発起人となり[2]大倉喜八郎が采配を振って設立された西洋式演劇劇場[要出典]である[3][4]

1912年大正元年)にイタリア人ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーを招いて歌劇バレエを上演したほか、六代目尾上梅幸七代目松本幸四郎七代目澤村宗十郎らが専属俳優となり歌舞伎シェイクスピア劇などを上演。「今日は帝劇、明日は三越という宣伝文句は流行語にもなり、消費時代の幕開けを象徴する言葉として定着した。

川上貞奴が創設した帝国女優養成所を引き継ぐ形で帝国劇場付属技芸学校を設立し、1910年(明治43年)卒業の第一期生をはじめ、多くの女優を生んだ[5][6]

1923年(大正12年)の大正関東地震関東大震災)では隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちたが、横河民輔により改修され、翌1924年(大正13年)に再開した[7]

1930年昭和5年)に松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。

1939年(昭和14年)、運営会社を東宝が合併し、翌1940年(昭和15年)に松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す。同年9月16日からは内閣情報部が庁舎として利用することとなり、前日15日の新国劇の上演をもって休演となった[8]

第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)1月頃からは、地下食堂が一般人でも利用できる雑炊食堂として供された[9]

戦後

1952年までは第二次大戦後の米軍による占領期である。第二次世界大戦後の最初の公演は、1945年10月、六世尾上菊五郎一座の『銀座復興』公演であった[10]

1955年、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1964年(昭和39年)から翌年にかけての『アラビアのロレンス』を最後に上映を終了し、解体された。

2代目

年間10作品程度を上演している。1969年から1984年までは『日本レコード大賞』の発表会会場として使われていた。また大晦日に行なわれる年末ジャンボ宝くじの抽せん会場としても知られた(1977年1997年 - 1999年2001年 - 2005年1978年1979年日本劇場で、1980年 - 1996年東京宝塚劇場で、2000年新宿コマ劇場で、2006年 - 2009年東京厚生年金会館で、2010年はメルパルク東京で、2011年 - 2016年赤坂ACTシアターで、2017年からは東京オペラシティコンサートホールで行われている)。

定紋

旧帝国劇場の翁面(ビル脇)

現在は使用されていないが、元来扇子(おきな)のを組み合わせた物を使用していた。この定紋は運営会社の社章を兼ねていたが、その後、翁面が帝国劇場の英訳頭文字「T・S」を組み合わせた物に代わり、更に東宝と合併したことで東宝マークに切り替わった。現在、帝劇脇の入り口横と、東京メトロ銀座線田原町駅1番線(渋谷行き)ホームの浅草寄りの天井にそれぞれ掲げられている[要出典]

建物

オペラ

バレエ、舞踊、モダンダンス

  • 1915年 ローシー振付 『夢幻的バレエ』ローシー夫人、高木 徳子共演 (2月1日)
  • 1916年6月 露国舞踊
  • 1922年9月 パヴロワ婦人露国舞踊劇一座
  • 1922年 石井漠渡欧記念舞踊公演「沈める寺」「若きケンタウルとニンフ」
  • 1929年1月 スペイン舞踏家ラ・アルヘンティーナ 来日公演
  • 1938年10月 「江口舞踊研究所」旗揚げ公演「麦と兵隊

オペレッタ、ミュージカル

その他

1911年初代劇場開場演目[11]

  • 「式三番」
  • 「頼朝」
  • 「最愛の妻」
  • 「フラワーダンス」 

但し、『帝劇の五十年』の記述には

  • 「頼朝」
  • 「伊賀越道中双六(饅頭娘)」
  • 「羽衣」

とある。

関連書籍

  • 帝劇史編纂委員会編『帝劇の五十年』東宝、1966年 
  • 嶺隆『帝国劇場開幕 今日は帝劇明日は三越』中公新書、1996年 
  • 東宝株式会社演劇部監修『帝劇ワンダーランド 帝国劇場開場100周年記念読本』東宝演劇部 2011年
  • 『コレクション・モダン都市文化 第71巻 帝劇と三越』山岸郁子ゆまに書房 2011年
  • 『帝国劇場100年のあゆみ 1911-2011』『帝国劇場100年のあゆみ』編纂委員会,東宝株式会社総務部編 東宝 2012年

脚注

  1. ^ 帝国劇場(リニューアル)”. 導入事例. コトブキシーティング株式会社 (2018年11月19日). 2018年11月21日閲覧。
  2. ^ III帝劇開場
  3. ^ “ヅカファンたちの東京の聖地と、風格漂う日本初の西洋式劇場”. マイナビニュース. (2017年1月4日). https://web.archive.org/web/20171229112826/https://news.mynavi.jp/article/20170104-a137/ 2017年12月29日閲覧。 
  4. ^ “コラム<東京>10 帝国劇場 建築様式と構造”. 国立国会図書館. https://www.ndl.go.jp/scenery/column/tokyo/teikoku-gekijo.html 2017年12月29日閲覧。 
  5. ^ (株)資生堂『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11)渋沢社史データベース
  6. ^ 帝国女優養成所(読み)ていこくじょゆうようせいじょコトバンク
  7. ^ “東宝(株)帝国劇場『帝劇の五十年』(1966.09)”. 渋沢社史データベース. https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=14940 2017年12月29日閲覧。 
  8. ^ 帝劇が閉鎖、内閣情報部の庁舎に『大阪毎日新聞』昭和15年9月16日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p35 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  9. ^ 東京で百五十軒が新たに開店『毎日新聞』昭和19年2月24日東京版 夕刊(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p369)
  10. ^ 東劇、帝劇、東宝など各劇場次々に再開『毎日新聞』昭和20年9月10日東京版(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p14)
  11. ^ a b 「帝劇ワンダーランド」2011年1月、東宝発行 ISBN 978-4-8356-1782-4
  12. ^ a b “「帝国劇場」ビル再開発のため2025年に一時休館へ 建て替え後に再開予定「大千穐楽まで、どうぞ変わらぬご支援を」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2022年9月27日). https://www.oricon.co.jp/news/2250839/full/ 2022年9月27日閲覧。 
  13. ^ a b 帝劇ビル 再開発決定に関するお知らせ』(プレスリリース)東宝株式会社、2022年9月27日https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS05040/1368ff27/a46a/4bb6/954e/447e2e0a9792/140120220926536195.pdf2022年9月27日閲覧 
  14. ^ 2025年以降 明治座公演の実施について』(プレスリリース)東宝株式会社、2024年5月15日https://www.toho.co.jp/information/202405131210242024年5月15日閲覧 

関連項目

外部リンク