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[[Image:Sapporo Bank Head Office 01.jpg|thumb|250px|札幌銀行本店(2008年6月)<br />合併後北洋銀行 札幌営業部」に改称。]]
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'''株式会社札幌銀行'''('''さっぽろぎんこう'''、[[英語|英称]]:''The Sapporo Bank, Ltd.'')は[[2008年]][[10月]]まで存在し、[[北海道]][[札幌市]]に本店を置いていた[[第二地方銀行]]。通称「札銀」(さつぎん)。[[統一金融機関コード]]は'''0502'''で、合併前時点の店舗数は64店舗だった。2008年[[10月14日]]をもって[[北洋銀行]]に合併され、約58年の歴史に幕を降ろした。また、[[北広島市]]および上川管内[[当麻町]]の指定金融機関となっているが、2008年10月の合併で北洋銀行に引き継がれた。2004年までは[[上川町]]も札銀を指定していたが、同町からの支店撤退に伴い、[[上川中央農業協同組合]]に変更された。
'''株式会社札幌銀行'''(さっぽろぎんこう、[[英語|英称]]:''The Sapporo Bank, Ltd.'')は[[2008年]](平成20年)[[10月]]まで存在し、[[北海道]][[札幌市]]に本店を置いていた[[第二地方銀行]]。通称「札銀」(さつぎん)。[[統一金融機関コード]]は'''0502'''で、合併前時点の店舗数は64店舗だった。2008年[[10月14日]]をもって[[北洋銀行]]に合併され、約58年の歴史に幕を降ろした。


==沿革==
== 沿革 ==
<!--以下は北海道相互銀行史、北海道新聞の記事、検証拓銀破たん10年などをもとに記述-->
<!--以下は北海道相互銀行史、北海道新聞の記事、検証拓銀破たん10年などをもとに記述-->
=== 創業 ===
=== 創業 ===
北海道無尽株式会社として[[1950年]]に創業。これは[[北海道拓殖銀行]](以下「'''拓銀'''」という)出身の[[道家斎次]]など有志による庶民金融機関として設立され、当時は札幌市南2条西3丁目8番地が本店で、北海道内に9支店11取次所を開設した。
北海道無尽株式会社として[[1950年]]12月に創業<ref name="city6-3">{{Cite web|和書|url=https://www.city.chitose.lg.jp/fs/1/9/4/8/3/5/_/_6_3_.pdf|title=新千歳市史通史編下巻 第6編部門史 第3章商業・金融|accessdate=2023-02-07|page=318}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|北洋銀行の前身の[[1917年]](大正6年)設立の北海道無尽株式会社は翌[[1918年]](大正7年)に小樽無尽株式会社と改称しており別会社<ref name="city6-3" />。}}。これは[[北海道拓殖銀行]](以下「'''拓銀'''」という)出身の道家斎次など有志による庶民金融機関として設立され、当時は札幌市南2条西3丁目8番地が本店で、北海道内に9支店11取次所を開設した。


それから間もない[[1951年]][[10月20日]]で相互銀行業に転換する。社名を株式会社北海道相互銀行(通称「道相銀」)に変更し、一般の利用者に親しまれてきた。なお、ひらがなの「どーそーぎん」も通称で用いられることがあるが、ここでは「道相銀」として以下記述する。
それから間もない[[1951年]][[10月20日]]で相互銀行業に転換する。社名を株式会社北海道相互銀行(通称「道相銀」)に変更し、一般の利用者に親しまれてきた。なお、ひらがなの「どーそーぎん」も通称で用いられることがあるが、ここでは「道相銀」として以下記述する。


設立時から道家が社長を務め、[[1969年]][[11月28日]]に同じ拓銀出身の[[水出久雄]]に社長を譲った<ref>道家は[[1974年]][[12月25日]]逝去、翌[[1975年]][[1月13日]]に[[さっぽろ芸術文化の館|北海道厚生年金会館]]で執り行われた。道家は拓銀入行後取締役を経て北海道無尽を1950年に設立しすぐに社長に就いた。その後も[[北海道放送|HBC]]取締役、北海道公安委員会委員長、[[日本放送協会|NHK]]北海道地方放送番組審議会委員、[http://www.sapporo-gc.or.jp/ 札幌ゴルフ倶楽部]理事長などの役職もめた。</ref>。水出は[[1971年]][[9月9日]]に東京都に東京支店を進出させているが、拓銀と北海道銀行(以下「'''道銀'''」という)が支店を進出させた実績がある[[青森県]]、[[愛知県]]、[[大阪府]]などには[[北洋銀行]]の合併に至る最後まで進出しなかった。時期不明ではあるが東京からも撤退し、[[2008年]][[10月10日]]時点で支店は北海道のみとなっていた。東京まで進出を果たした水出は[[1995年]][[9月4日]]に去した。
設立時から道家が社長を務め、[[1969年]][[11月28日]]に同じ拓銀出身の水出久雄に社長を譲った<ref group="注釈">道家は[[1974年]][[12月25日]]逝去、翌[[1975年]][[1月13日]]に[[さっぽろ芸術文化の館|北海道厚生年金会館]]で執り行われた。道家は拓銀入行後取締役を経て北海道無尽を1950年に設立しすぐに社長に就いた。その後も[[北海道放送|HBC]]取締役、北海道公安委員会委員長、[[日本放送協会|NHK]]北海道地方放送番組審議会委員、[http://www.sapporo-gc.or.jp/ 札幌ゴルフ倶楽部]理事長などの役職もめた。</ref>。水出は[[1971年]][[9月9日]]に東京支店を進出させているが、拓銀と北海道銀行(以下「'''道銀'''」という)が支店を進出させた実績がある[[青森県]]、[[愛知県]]、[[大阪府]]などには最後まで進出しなかった。時期不明ではあるが東京からも撤退し、[[2008年]][[10月10日]]時点で支店は北海道のみとなっていた。東京進出を果たした水出は[[1995年]][[9月4日]]に去した。


=== 普銀転換 ===
=== 普銀転換 ===
[[北海道拓殖銀行#営業譲渡先の模索|当該項]]にもある通り、[[潮田隆]]はやはり拓銀出身の役員だった。当時拓銀内で潮田の持論である「個人融資取引を進めるべきだ」で拓銀首脳陣と意見や主張が真っ向から対立し、この結果道相銀への更迭につながっ。その更迭が道相銀を大きく救うこととなり、[[1989年]][[2月1日]]に銀行法の改正に則り、普銀転換を果たし、道相銀から札幌銀行へと名称変更した。また、この時点で潮田社長から潮田頭取へと肩書きが変わった
続いて社長となった潮田隆は[[北海道拓殖銀行#営業譲渡先の模索|当該項]]にもある通り、やはり拓銀出身の役員だった。拓銀在籍中、潮田'''個人融資取引を進めるべきだ'''という持論を主張したが、[[バブル景気]]の中不動産開発や[[カブトデコム]]などといった企業への融資拡大を図っていた拓銀首脳陣(これが後に拓銀を経営破綻に追い込むことになる)と意見や主張が真っ向から対立し、この結果、潮田は道相銀へと放逐されたである。拓銀から潮田が更迭されこと道相銀を大きく救うこととな


潮田の持論だった「個人融資取引」で各種ローンのノウハウを生かし、[[1987年]]に50万円以内の融資なら50分以内で回答する「スピードローン50」を新設。1986年から[[1988年]]の約2年間で20億円強ローン残高だったのが20倍に膨らんだ。1989年には普通銀行転換を果たし、株式会社札幌銀行名称変更した。個人ローンで有名な金融機関になり、今や消費者ローンのパイオニアにまで業界を引っ張るようになった。拓銀や道銀などの上位行は違い、中小零細企業向け融資・個人ローンの強みで差別化を図り、生き残りをかけた。
道相銀は潮田の持論だった「個人融資取引」で各種ローンのノウハウを生かし、[[1987年]]に50万円以内の融資なら50分以内で回答する「スピードローン50」を新設。1986年から[[1988年]]の約2年間で20億円強だったローン残高が20倍に膨らんだ。[[1989年]][[2月1日]]に銀行法の改正に則り、普銀への転換を果たし、道相銀から札幌銀行へと名称変更した。また、この時点で潮田社長から潮田頭取へと肩書きが変わった。個人向けローンで有名な金融機関になり、当時は消費者ローンのパイオニアとして業界を引っ張るようになった。拓銀や道銀などの上位行は違い、中小零細企業向け融資・個人向けローンの強みで差別化を図り、生き残りをかけた。


[[1990年]]には[[三菱UFJニコス|ディーシーカード]]と共同で[[札幌カード]]を設立している。
[[1990年]]には[[三菱UFJニコス|ディーシーカード]]と共同で[[札幌カード]]を設立している。


バブル崩壊後、北海道は未曾有の不況が長期化[[1997年]][[11月17日]]に拓銀が経営破綻した。当時の[[大蔵省]]からの打診を受け札幌銀行は拓銀の受け皿金融機関として名乗りを上げた。しかし、前述の事情から潮田頭取の復讐を恐れた拓銀首脳が札幌銀行への営業譲渡を拒否した。最終的には北洋銀行に営業譲渡した。潮田頭取は[[1994年]]にいったん頭取退任し会長に退いたものの、後継で初のプロパーとなった[[川西徹]]頭取の死去に伴い会長兼頭取となり、吉野次郎に頭取職を譲った[[1998年]]に再度会長専任を経て、[[2000年]]より[[2007年]][[6月26日]]まで札幌銀行の相談役をめ、2011年6月19日に他界した<ref name="20110619zizido">[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201106/2011062000791 潮田隆氏死去(元札幌銀行〈現北洋銀行〉頭取)]閲覧:201179日</ref>。
[[バブル崩壊]]後、不況が長期化した北海道では、拓銀が[[1997年]][[11月17日]]に経営破綻した。当時の[[大蔵省]]からの打診を受け札幌銀行は拓銀の受け皿金融機関として名乗りを上げた。しかし、前述の事情から潮田頭取の復讐を恐れた拓銀首脳が札幌銀行への営業譲渡を拒否し最終的には[[北洋銀行]]に営業譲渡した。潮田頭取は[[1994年]]にいったん頭取退任し会長に退いたものの、後継で初のプロパーとなった川西徹頭取の死去に伴い会長兼頭取となり、吉野次郎に頭取職を譲った[[1998年]]に再度会長専任を経て、[[2000年]]より[[2007年]][[6月26日]]まで札幌銀行の相談役をめ、2011年6月19日に死去した<ref name="20110619zizido">[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201106/2011062000791 潮田隆氏死去(元札幌銀行〈現北洋銀行〉頭取)]{{リンク切れ|date=201310}}</ref>。


=== 北洋銀行との経営統合 ===
=== 北洋銀行との経営統合 ===
潮田会長兼頭取の頭取職退任後、[[吉野次郎]]が頭取に就。当時の札幌銀行ホームページによると吉野頭取は旭川の出身であり、[[北海道大学|北大出]]で道相銀に1966年入行とあるため、同行2人目となるプロパーである。54歳の若さで頭取就任、かつ吉野頭取が最後の札幌銀行頭取である。
潮田会長兼頭取の頭取職退任後、吉野次郎が頭取に就いた。当時の札幌銀行ホームページによると吉野頭取は旭川の出身であり、[[北海道大学|北大出]]で道相銀に1966年入行とあるため、同行2人目となるプロパーである。54歳で頭取就任、かつ吉野頭取が最後の札幌銀行頭取である。両行は[[1999年]]に包括的業務提携を結び、[[2001年]]に持株会社「[[札幌北洋ホールディングス]]」を設立。ATM相互開放などを行い、利便性を図っていった


[[2008年]][[10月14日]]にシステム統合と同時に北洋銀行と合併した<ref>{{cite news |title=銀行の合併について|author= |agency=|newspaper=[[金融庁]] |date=2008年10月1日|url=https://www.fsa.go.jp/news/20/ginkou/20081001-1.html|accessdate=2013-10-6}}</ref><ref>{{cite news |title=[IT部門弱体化]要員強化も共同で |author= |agency=|newspaper=[[日経コンピュータ]] |date=2008年12月5日|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20081111/318964/|accessdate=2013-10-6}}</ref>。存続会社は北洋銀行。一部特集記事では「吸収合併」と書かれているが、この合併は対等合併である<ref name="city6-3" /><ref>[https://web.archive.org/web/20070203120738/http://www.mof-hokkaido.go.jp/danwa/danwa070112.html 北海道財務局長談話](2007年2月3日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。合併によって個人ローンに強い札幌銀行のノウハウをさらに生かし、30億円の経費節減を図りたいとしていた。
札幌銀行は北洋銀行と[[1999年]]に包括的業務提携を結び、[[2001年]]に持株会社「[[札幌北洋ホールディングス]]」を設立。ATM相互開放などを行い、利便性を図っていった。


旧本店ビル(新大通ビルディング)の窓口スペースの一部は、[[商工組合中央金庫]]札幌支店が[[北洋銀行]]札幌営業部と共用していたが、2013年に本店営業部と統合。その後跡地には[[北海道信用金庫|札幌信用金庫]]本店が新本店ビル建設のため移転していたが、2016年5月、新ビル竣工のため撤退している。さらに、商工中金も新店舗に移転のために後日転出したが、2017年11月より、北洋銀行札幌南支店の入居ビルの新築解体に伴い、仮店舗として使用している。なお同ビルは[[平和不動産]]に売却されており(2008年 - 2012年にかけて段階的に所有権を取得)<ref>[https://hre-net.com/keizai/keizaisougou/6098/ 北洋銀が旧札幌銀ビル持ち分の売却を検討、共同所有者の「平和不動産」濃厚で隣接道銀ビルとの一体開発に道] - リアルエコノミー・2012年12月10日</ref>、同社では隣接する[[北海道銀行]]本店ビルも含めた再開発を行う予定を明らかにしている<ref>[https://www.nikkei.com/nkd/industry/article/?DisplayType=1&n_m_code=083&ng=DGXMZO63675600Q0A910C2L41000 札幌・大通で大型再開発、道銀ビル30年建て替えへ] - 日本経済新聞・2020年9月10日</ref>。
[[2007年]][[1月12日]]。親会社の札幌北洋ホールディングスは[[2008年]][[10月14日]]にシステム統合と同時に札幌銀行と北洋銀行を合併し「北洋銀行」とする発表を行った。一部特集記事では「吸収合併」と書かれているが、この合併は対等合併である。個人ローンの強い札幌銀行のノウハウがさらに生かされた形での北洋銀行となる。


合併後の役員人事について北洋銀行の[[横内龍三]]頭取(現・会長)が、合併後も北洋銀行の頭取を続けると明言されているのに比べ、札幌銀行の吉野次郎頭取は「経営陣に参加する」と述べられるにとどまっている(2008年5月19日付で、合併行の副会長就任が呈示された。2011年に副会長を退任し北洋銀行顧問となる。HD副社長は2009年に退任
合併後の役員人事について北洋銀行の横内龍三頭取(当時)が、合併後も行の頭取を続けると明言されているのに比べ、札幌銀行の吉野次郎頭取は「経営陣に参加する」と述べられるにとどまっていた<ref group="注釈">2008年5月19日付で、合併行の副会長就任が呈示された。2011年に副会長を退任し北洋銀行顧問となる。HD副社長は2009年に退任。</ref>。吉野頭取は「札幌銀行の名がなくなるのは少々つらい思いであるが、将来のことを考えると顧客や行員に理解を得られるのではないか」と語っていた


== 地方自治体との取引 ==
吉野頭取は「札幌銀行の名がなくなるのは少々つらい思いであるが、将来のことを考えると顧客や行員に理解を得られるのではないか」と語っている。札幌銀行の良さとしては「まごころ」で顧客に対応したことである。
[[北広島市]]および上川管内[[当麻町]]の指定金融機関とされていたが、2008年10月の合併で北洋銀行に引き継がれた。2004年までは[[上川町]]も札銀を指定していたが、同町からの支店撤退に伴い、上川中央農業協同組合に変更された。

両銀行の銀行内報及びにもある通り、吸収合併ではなく対等合併である<ref>[http://www.mof-hokkaido.go.jp/danwa/danwa070112.html 北海道財務局長談話]</ref>。

2008年10月10日に札幌銀行の本支店の営業を終え、10月14日に北洋銀行と合併。体力強化を図る合併によって30億円の合併効果を実現させたいという。

旧本店窓口スペースの一部は、現在は[[商工組合中央金庫]]札幌支店が[[北洋銀行]]札幌営業部と共用している形を取っている。

== システム統合 ==
合併日と同時にシステム統合が行われた。これに伴い、札幌銀行名の通帳はすべての口座種別で合併日をもって使用停止となり、北洋銀行名の通帳に切り替えないと利用できなくなった。また、札銀名のキャッシュカードについては総合口座・普通預金口座などは引き続き利用できるが、貯蓄預金口座については合併日をもって利用できなくなったため、切り替える必要がある<ref>[http://www.sapporobank.co.jp/whatsnew/2008/20080801.htm 札幌銀行の通帳・キャッシュカードをお持ちのお客さまへのお願い]</ref>。

これに先立ち、[[2008年]][[8月29日]]より、[[貯蓄預金]]の新規預入が停止されている。旧札銀店舗においては合併後に開設が再開されるが、合併行の新総合口座通帳に貯蓄預金口座を組み込むことも可能となる(北洋銀行には、貯蓄預金を組み込める総合口座通帳とそうでない総合口座通帳が存在する)。

なお、札銀の主力商品だったカードローン「アルカ」「X-アルカ」は北洋銀行に引き継がれている。

== キャッシュカード利用提携 ==
自動取引装置([[現金自動預け払い機|ATM]])での取引については
* [[北洋銀行]]において預金を払戻す場合、これらの銀行の預金者が同行を利用する場合と相互に、無料とする提携を行っていた。
: 無料となる時間帯は、月曜~金曜(平日)の午前8時45分~午後6時であり、時間外は手数料105円となる。
* また、[[東京スター銀行]]において、預金払戻手数料を無料としている。時間外手数料は有料となるが、土曜日についても午前9時~午後2時が無料となっている。
* すでに、[[北洋銀行]]の口座のキャッシュカードによる預入を無料で取り扱う提携を行っている。
*: 預入提携の取り扱い時間帯は、月~金曜(平日)の午前8時~午後9時、および土曜・休日の午前9時~午後5時となる。

=== コンビニATM ===
[[コンビニATM]]は[[セブン銀行]]と提携していた。

利用可能時間は平日8:00~21:00、土日祝日9:00~19:00。出金・振込には平日8:45~18:00の間は105円、それ以外の時間は210円の利用手数料が必要となる。

合併後は北洋銀行のサービスに合わせられ、入金についても有料化された。


== 閉鎖した店舗 ==
== 閉鎖した店舗 ==
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なお、[[移動店舗車|移動窓口店舗]]([[貨物自動車|トラック]]にATMを搭載したもの)「[http://www.sapporobank.co.jp/kojin/riyou/service/m_branch.htm バンクル号]」を所有。[[札幌競馬場]]場内にて営業を行っていたが、合併の準備に伴い[[2008]][[10月5日]]をもって営業休止された<ref>[http://www.sapporobank.co.jp/whatsnew/2008/20080710.htm 移動店舗「バンクル号」の営業終了のお知らせ]{{リンク切れ|date=2013年10月}}</ref>
== その他 ==
[[移動銀行窓口車|移動窓口店舗]]([[貨物自動車|トラック]]にATMを搭載したもの)「[http://www.sapporobank.co.jp/kojin/riyou/service/m_branch.htm バンクル号]」を所有。[[札幌競馬場]]場内にて営業を行っていた(2007以降は休止中)

なお合併の準備に伴い、[[2008年]][[10月5日]]をもって営業休止されることが決定した<ref>[http://www.sapporobank.co.jp/whatsnew/2008/20080710.htm 移動店舗「バンクル号」の営業終了のお知らせ]</ref>。


== イメージキャラクター ==
== イメージキャラクター ==
*[[ジャングル大帝]]レオ
*[[ジャングル大帝]]レオ
:1990年前半にテレビCMに出演。その他ノベルティグッズなどにも登場。
:1990年前半にテレビCMに出演。その他ノベルティグッズなどにも登場。
*[[大泉洋]]
*[[大泉洋]]([[TEAM NACS]])
:アルカ・X-アルカのCMなどに出演。
:アルカ・X-アルカのCMなどに出演。統合後も北洋銀行のCMに出演中


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references />
<references group="注釈" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.sapporobank.co.jp/ 札幌銀行](20104現在[[ク切れ]])
* [https://web.archive.org/web/20080913111319/http://www.sapporobank.co.jp/ 札幌銀行] - 閉鎖。(2008913日時点の[[ターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://www.sapporohokuyo.co.jp/ 札幌北洋ホールディングス]


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{{Normdaten}}


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[[Category:かつて存在した第二地方銀行・相互銀行]]
[[Category:かつて存在した第二地方銀行・相互銀行]]
[[Category:中央区 (札幌市)の企業|統]]
[[Category:かつて存在した北海道の企業]]
[[Category:北海道の金融機関|さつほろ]]
[[Category:北海道の銀行|さつほろきんこう]]
[[Category:1950年設立の銀行]]
[[Category:2008年廃止の企業]]
[[Category:2008年の合併と買収]]
[[Category:北洋銀行|併]]

2024年6月15日 (土) 21:09時点における版

札幌銀行のデータ
英名 The Sapporo Bank, Ltd.
統一金融機関コード 0502
SWIFTコード SAPBJPJP
代表者氏名 吉野 次郎
札幌北洋HD副社長兼任)(頭取:)
店舗数 64
(2008年10月13日時点)
従業員数 710名
資本金 78億円
総資産 9,506億1,100万円
貸出金残高 6,829億円
預金残高 8,716億円
設立日 1950年(北海道無尽)
※ただし、北洋銀行の前身の
北海道無尽とは関連性はない
所在地
〒060-8661
外部リンク http://www.sapporobank.co.jp/
特記事項:
経営指標は2008年3月期のデータ
テンプレートを表示
札幌銀行本店(2008年6月)
現在は、新大通ビルディングとして、北洋銀行札幌南支店仮店舗などがテナントとして入居。

株式会社札幌銀行(さっぽろぎんこう、英称The Sapporo Bank, Ltd.)は2008年(平成20年)10月まで存在し、北海道札幌市に本店を置いていた第二地方銀行。通称「札銀」(さつぎん)。統一金融機関コード0502で、合併前時点の店舗数は64店舗だった。2008年10月14日をもって北洋銀行に合併され、約58年の歴史に幕を降ろした。

沿革

創業

北海道無尽株式会社として1950年12月に創業[1][注釈 1]。これは北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という)出身の道家斎次など有志による庶民金融機関として設立され、当時は札幌市南2条西3丁目8番地が本店で、北海道内に9支店11取次所を開設した。

それから間もない1951年10月20日で相互銀行業に転換する。社名を株式会社北海道相互銀行(通称「道相銀」)に変更し、一般の利用者に親しまれてきた。なお、ひらがなの「どーそーぎん」も通称で用いられることがあるが、ここでは「道相銀」として以下記述する。

設立時から道家が社長を務め、1969年11月28日に同じ拓銀出身の水出久雄に社長を譲った[注釈 2]。水出は1971年9月9日に東京支店を進出させているが、拓銀と北海道銀行(以下「道銀」という)が支店を進出させた実績がある青森県愛知県大阪府などには最後まで進出しなかった。時期不明ではあるが東京からも撤退し、2008年10月10日時点で支店は北海道のみとなっていた。東京進出を果たした水出は1995年9月4日に死去した。

普銀転換

続いて社長となった潮田隆は当該項にもある通り、やはり拓銀出身の役員だった。拓銀在籍中、潮田は「個人融資取引を進めるべきだ」という持論を主張したが、バブル景気の中で不動産開発やカブトデコムなどといった企業への融資拡大を図っていた拓銀首脳陣(これが後に拓銀を経営破綻に追い込むことになる)と意見や主張が真っ向から対立し、この結果、潮田は道相銀へと放逐されたのである。拓銀から潮田が更迭されたことが、道相銀を大きく救うこととなる。

道相銀は潮田の持論だった「個人融資取引」で各種ローンのノウハウを生かし、1987年に50万円以内の融資なら50分以内で回答する「スピードローン50」を新設。1986年から1988年の約2年間で20億円強だったローン残高が20倍に膨らんだ。1989年2月1日に銀行法の改正に則り、普銀への転換を果たし、道相銀から札幌銀行へと名称を変更した。また、この時点で潮田社長から潮田頭取へと肩書きが変わった。個人向けローンで有名な金融機関になり、当時は消費者ローンのパイオニアとして業界を引っ張るようになった。拓銀や道銀などの上位行とは違い、中小零細企業向け融資・個人向けローンの強みで差別化を図り、生き残りをかけた。

1990年にはディーシーカードと共同で札幌カードを設立している。

バブル崩壊後、不況が長期化した北海道では、拓銀が1997年11月17日に経営破綻した。当時の大蔵省からの打診を受け、札幌銀行は拓銀の受け皿金融機関として名乗りを上げた。しかし、前述の事情から潮田頭取の復讐を恐れた拓銀首脳が札幌銀行への営業譲渡を拒否し、最終的には北洋銀行に営業譲渡した。潮田頭取は1994年にいったん頭取退任し会長に退いたものの、後継で初のプロパーとなった川西徹頭取の死去に伴い会長兼頭取となり、吉野次郎に頭取職を譲った1998年に再度会長専任を経て、2000年より2007年6月26日まで札幌銀行の相談役を務め、2011年6月19日に死去した[2]

北洋銀行との経営統合

潮田会長兼頭取の頭取職退任後、吉野次郎が頭取に就いた。当時の札幌銀行ホームページによると吉野頭取は旭川の出身であり、北大出で道相銀に1966年入行とあるため、同行2人目となるプロパーである。54歳で頭取就任、かつ吉野頭取が最後の札幌銀行頭取である。両行は1999年に包括的業務提携を結び、2001年に持株会社「札幌北洋ホールディングス」を設立。ATM相互開放などを行い、利便性を図っていった。

2008年10月14日にシステム統合と同時に北洋銀行と合併した[3][4]。存続会社は北洋銀行。一部特集記事では「吸収合併」と書かれているが、この合併は対等合併である[1][5]。合併によって個人ローンに強い札幌銀行のノウハウをさらに生かし、30億円の経費節減を図りたいとしていた。

旧本店ビル(新大通ビルディング)の窓口スペースの一部は、商工組合中央金庫札幌支店が北洋銀行札幌営業部と共用していたが、2013年に本店営業部と統合。その後跡地には札幌信用金庫本店が新本店ビル建設のため移転していたが、2016年5月、新ビル竣工のため撤退している。さらに、商工中金も新店舗に移転のために後日転出したが、2017年11月より、北洋銀行札幌南支店の入居ビルの新築解体に伴い、仮店舗として使用している。なお同ビルは平和不動産に売却されており(2008年 - 2012年にかけて段階的に所有権を取得)[6]、同社では隣接する北海道銀行本店ビルも含めた再開発を行う予定を明らかにしている[7]

合併後の役員人事について北洋銀行の横内龍三頭取(当時)が、合併後も同行の頭取を続けると明言されているのに比べ、札幌銀行の吉野次郎頭取は「経営陣に参加する」と述べられるにとどまっていた[注釈 3]。吉野頭取は「札幌銀行の名がなくなるのは少々つらい思いであるが、将来のことを考えると顧客や行員に理解を得られるのではないか」と語っていた。

地方自治体との取引

北広島市および上川管内当麻町の指定金融機関とされていたが、2008年10月の合併で北洋銀行に引き継がれた。2004年までは上川町も札銀を指定していたが、同町からの支店撤退に伴い、上川中央農業協同組合に変更された。

閉鎖した店舗

札幌銀行は北海道相互銀行時代を中心に東京への支店進出や札幌市内の店舗拡大と引き替えに、道北やオホーツク海側など地方部を中心に閉鎖が相次いだ。理由としては、他金融機関との過当競争によるものや、新電算機の導入が困難なこと、預金量の低迷などで業績が減退していったことなどである。

多くの店舗は拓銀が引き受けた実績がある。

  • 網走支店
    (1982年8月7日廃止)
  • 美幌支店
    (1973年9月14日廃止)
  • 遠軽支店
    (1972年8月5日廃止)
  • 紋別支店
    (1973年10月13日廃止)
  • 留辺蘂支店
    (1969年9月6日廃止)
  • 倶知安支店
  • 余市出張所
  • 五稜郭支店
  • 洞爺支店
  • 伊達支店
  • 輪西支店
  • 登別支店
  • 夕張支店
  • 深川支店
  • 留萌支店
  • 砂川支店
  • 芦別支店
  • 上川支店
  • 士別支店
  • 名寄支店
  • 下川出張所
  • 幌延出張所
  • 東京支店

なお、移動窓口店舗トラックにATMを搭載したもの)「バンクル号」を所有。札幌競馬場場内にて営業を行っていたが、合併の準備に伴い2008年10月5日をもって営業休止された[8]

イメージキャラクター

1990年前半にテレビCMに出演。その他ノベルティグッズなどにも登場。
アルカ・X-アルカのCMなどに出演。統合後も北洋銀行のCMに出演中。

脚注

注釈

  1. ^ 北洋銀行の前身の1917年(大正6年)設立の北海道無尽株式会社は翌1918年(大正7年)に小樽無尽株式会社と改称しており別会社[1]
  2. ^ 道家は1974年12月25日逝去、翌1975年1月13日北海道厚生年金会館で執り行われた。道家は拓銀入行後取締役を経て北海道無尽を1950年に設立しすぐに社長に就いた。その後もHBC取締役、北海道公安委員会委員長、NHK北海道地方放送番組審議会委員、札幌ゴルフ倶楽部理事長などの役職も務めた。
  3. ^ 2008年5月19日付で、合併行の副会長就任が呈示された。2011年に副会長を退任し北洋銀行顧問となる。HD副社長は2009年に退任。

出典

外部リンク