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{{和暦|2009}}10月の知事選では、[[政党]]の推薦を受けず[[無所属]]で出馬し、国政与党の[[民主党_(日本 1998-)|民主]]・[[社会民主党_(日本 1996-)|社民]]・[[国民新党|国民新]]3党が推薦する元[[国際連合]]食糧農業機関企画部長の遠藤保雄、[[日本共産党]]が推薦する[[全日本民主医療機関連合会]]理事の天下みゆきを破り、再選を果たした。
{{和暦|2009}}10月の知事選では、[[政党]]の推薦を受けず[[無所属]]で出馬し、国政与党の[[民主党_(日本 1998-)|民主]]・[[社会民主党_(日本 1996-)|社民]]・[[国民新党|国民新]]3党が推薦する元[[国際連合]]食糧農業機関企画部長の遠藤保雄、[[日本共産党]]が推薦する[[全日本民主医療機関連合会]]理事の天下みゆきを破り、再選を果たした。


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{{和暦|2011}}3月に発生した[[東日本大震災]]で、宮城県は沿岸部を中心に大きな被害を受けた。村井は震災後に設置された[[東日本大震災復興構想会議]]の委員を務めている。同年7月3日、復興担当大臣就任後に初めて被災地入りした[[松本龍 (政治家)|松本龍]]との会談の際、村井は松本が応接室に入った数分後、入室した(村井は定時入室を主張し遠来の客を玄関先で歓待する意識はないことをはからずも公言した)。これに対し松本は、村井が自衛隊出身であることを踏まえ<ref>「社会党の麻生太郎」こと松本龍氏の辞任劇 [http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110706/276714], 田原総一朗, 日経BP, 2011年07月07日</ref>、「お客さんが入ってくる時は自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。しっかりやれ」と罵倒した[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011070400342][http://www.asahi.com/politics/update/0703/TKY201107030246.html]。こうした松本の横暴な態度は批判された。[http://twitter.com/SatoMasahisa/status/87739452138594304]。これに対し村井は松本大臣の言動を批判するコメントを出して被災の首長が与党大臣を辞任に追い込んだ形となったのちに松本龍大臣の高揚した言動は震災直後からの環境大臣兼防災担当大臣という激務、政局の混乱の調整役という重責からの過労による心身衰弱、そう状態、という診断が公表される。


== 主な政治的主張 ==
== 主な政治的主張 ==

2011年10月5日 (水) 03:20時点における版

村井嘉浩
むらい よしひろ
生年月日 (1960-08-20) 1960年8月20日(63歳)
出生地 大阪府豊中市
出身校 防衛大学校(第28期)
前職 陸上自衛官
所属政党自由民主党→)
無所属

宮城県の旗 民選第18・19代 宮城県知事
当選回数 2回
在任期間 2005年11月21日 - 現職

選挙区 宮城野選挙区
当選回数 3回
在任期間 1995年4月23日 - 2005年10月7日
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村井 嘉浩(むらい よしひろ、1960年8月20日 - )は、日本政治家宮城県知事(民選第18・19代)。元宮城県議会議員(3期)。

略歴

大阪府豊中市生まれ。1984年(昭和59年)3月、防衛大学校本科(理工学専攻)を卒業し(第28期)、4月から陸上自衛隊幹部候補生学校に入校。同年9月、ヘリコプターパイロットとして東北方面航空隊仙台市霞目駐屯地)に配属された。1991年(平成3年)から宮城地方連絡部募集課広報班長を務め、翌1992年(平成4年)に退官。退官時の階級は1等陸尉

陸上自衛隊を退官後、松下政経塾に入塾し、1995年(平成7年)に卒塾(13期生)。同年、宮城県議会議員選挙に宮城野選挙区から立候補し、初当選を果たした。以後3期連続当選。県議時代は自由民主党に所属し、自民党宮城県連幹事長を務めた。

2005年(平成17年)10月、3期目の任期途中で県議を辞職。自民党の推薦を受けて無所属宮城県知事選挙に出馬し、浅野史郎前知事の後継指名を受けた前葉泰幸(前宮城県総務部長、のち三重県津市長)、日本共産党推薦の出浦秀隆を破り、当選を果たした。防衛大学校及び自衛官出身者では初の都道府県知事であり、大阪府出身の宮城県知事は山本壮一郎に次ぎ2人目。

2009年(平成21年)10月の知事選では、政党の推薦を受けず無所属で出馬し、国政与党の民主社民国民新3党が推薦する元国際連合食糧農業機関企画部長の遠藤保雄、日本共産党が推薦する全日本民主医療機関連合会理事の天下みゆきを破り、再選を果たした。

2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災で、宮城県は沿岸部を中心に大きな被害を受けた。村井は震災後に設置された東日本大震災復興構想会議の委員を務めている。同年7月3日、復興担当大臣就任後に初めて被災地入りした松本龍との会談の際、村井は松本が応接室に入った数分後、入室した(村井は定時入室を主張し遠来の客を玄関先で歓待する意識はないことをはからずも公言した)。これに対し松本は、村井が自衛隊出身であることを踏まえ[1]、「お客さんが入ってくる時は自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。しっかりやれ」と罵倒した[2][3]。こうした松本の横暴な態度は批判された。[4]。これに対し村井は松本大臣の言動を批判するコメントを出して被災地の首長が与党大臣を辞任に追い込んだ形となった。のちに松本龍大臣の高揚した言動は震災直後からの環境大臣兼防災担当大臣という激務、政局の混乱の調整役という重責からの過労による心身衰弱、そう状態、という診断が公表される。

主な政治的主張

宮城県知事として

東日本大震災

  • 漁業復興や従事者高齢化へ対応するため民間企業を参入しやすくし、「選択と集中」を行い漁港を五分の一にまで統廃合し競争力の強化を図る「水産業復興特区」構想を掲げた。漁業権を独占している宮城県漁業協同組合は事前に相談がなかったことや、漁業のサラリーマン化に猛反発し特区構想撤回を要望しているが、村井は撤回しない意志を明確にし、被災地の漁協幹部と対立している。復興担当大臣であった松本龍は宮城県庁において「政府に甘えるところは甘えていい。こっちも突き放すところは突き放す。そのくらいの覚悟でやっていこう。県でコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれは何もしないぞ。ちゃんとやれ。」などと発言し問題となり、村井に対する数々の発言や岩手県庁での態度が問題視され、その後、復興担当大臣を辞任した。
  • 震災復興費として12兆円を試算、そのうち企業誘致促進費などとして自身の政策立案を委託している野村総研などへの支払いも含め4860億円を計上。

人物

  • 家族は妻、2女。
  • 趣味は茶道
  • 新自由主義・新保守主義色が強く、野村総研や三菱総研といった財界系シンクタンクを自身の政策立案や県政に重宝している。サンデー毎日からは「宮城の小泉」とまで書かれた。[2]
  • 容貌が仙台市によるごみ減量キャンペーンのキャラクター「ワケルくん」に似ている[3]
  • 全国に先駆けて、定例記者会見の際の背景にバックボード(広告宣伝板)を導入した。

脚注

  1. ^ 「社会党の麻生太郎」こと松本龍氏の辞任劇 [1], 田原総一朗, 日経BP, 2011年07月07日
  2. ^ サンデー毎日 2011年7月24日号
  3. ^ 2008年11月23日 河北新報就任3年・村井宮城県知事に聞く 産業集積の成果還元」(※閲覧には登録が必要)

関連項目

外部リンク

公職
先代
浅野史郎
宮城県知事
公選第18-19代:2005 -
次代
(現職)