[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

「東京電力女子サッカー部マリーゼ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
バヤ五郎(会話 | 投稿記録)
237行目: 237行目:
{{マリーゼのメンバー}}
{{マリーゼのメンバー}}
{{日本女子サッカーリーグ参加チーム}}
{{日本女子サッカーリーグ参加チーム}}
{{東京電力}}
{{DEFAULTSORT:とうきようてんりよくしよしさっかあふまりいせ}}
{{DEFAULTSORT:とうきようてんりよくしよしさっかあふまりいせ}}
[[Category:日本の女子サッカークラブ]]
[[Category:日本の女子サッカークラブ]]

2011年8月5日 (金) 15:44時点における版

東京電力女子サッカー部マリーゼ
原語表記 東京電力女子サッカー部
愛称 (TEPCO)マリーゼ
クラブカラー 水色
創設年 1997年
所属リーグ 日本女子サッカーリーグ
所属ディビジョン 1部(なでしこリーグ)
ホームタウン 福島県双葉郡
ホームスタジアム J-ヴィレッジスタジアム
収容人数 Jヴィレッジ=5,000
代表者 皷紀男
監督 菅野将晃
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

東京電力女子サッカー部マリーゼ(とうきょうでんりょくじょしサッカーぶ マリーゼ)は、福島県双葉郡楢葉町広野町を本拠地とするなでしこリーグ所属の女子サッカーチーム。呼称はTEPCOマリーゼ。「海(マリーン、marine)のように力強く、風(ブリーズ、breeze)のようにさっそうと」との意味が込められている。

選手・スタッフは全員が東京電力の社員で、選手は午前中に各地の職場で勤務し、午後に専用のラッピングを施した「マリーゼバス」でJヴィレッジのグラウンドに集合して練習していた。なでしこリーグでは唯一の「実業団チーム」である。

2011年シーズンは、福島第一原発事故の影響で活動を自粛している。

歴史

フラッパーズ (1997年-2004年)

地元・宮城県で開催される「新世紀・みやぎ国体」(2001年)での活躍を目標に、1997年4月に宮城県志田郡三本木町(現・大崎市)を本拠としてYKK東北女子サッカー部フラッパーズとして創部された。チームの愛称である「フラッパー」 (flapper) とは「おてんば娘」という意味で、三本木町民とYKK従業員の公募により命名された。

企業所有のチームで、YKK社内で主に事務所での仕事をこなしてからナイター練習という、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)チームにおいて、恵まれた環境であった。

2000年からL・リーグに加盟。前シーズン限りで廃部となったOKIから移籍した佐藤春詠大部由美の加入もあって4位と好成績を残す。2001年も3位となり、2002年こそリーグ戦7位と低迷するも、翌2003年は一次リーグ(東日本)を1位、決勝リーグでも5位と中位をキープし、着実なレベルアップが展開された。

国体では、1998年かながわ・ゆめ国体で優勝、2000年とやま国体、2001年の新世紀・みやぎ国体では2連覇を果たすなど、常に上位に進出した。しかし創部当初の目的であるみやぎ国体優勝を達成したため、その存在意義があいまいになり、廃部の噂がつきまとうようになった。

2003年10月の子会社・YKKアーキテキュチャルプロダクツ(YKK AP)へのチーム移管に伴い、2004年からチーム名をYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズと改称。

マリーゼ (2004年-2011年)

2004年9月-2005年

2004年9月、東京電力への移管が発表された。2005年から本拠地を福島県双葉郡楢葉町広野町にある同社敷地内に建設したJ-ヴィレッジに移して再スタートすることになり、一般公募により愛称を「マリーゼ」 (Mareeze) とした。初年度は、ディビジョン1で4位と好発進した。ホーム観客動員数が平均4,000人を超え、「マリーゼ10,001人プロジェクト」として、福島県営あづま陸上競技場で開催された浦和戦では、悪天候にもかかわらず7,670人を集客した。県内で生中継された試合の視聴率が7%に届くなど、福島県民の注目を浴びた。

2006年

2006年シーズンは、引分けと敗戦が続いて1勝しか挙げることができず、年間成績最下位に終わり、翌2007年のディビジョン2降格が決まった。同年11月17日に木村孝洋監督は引責辞任し、年末の全日本女子サッカー選手権大会は、DF大部由美が選手兼任の形で監督に就いた。シーズン終了後、チーム草創期を支えた大部、GK石川敦惠、MF棚橋美智子、FW佐藤春詠の4選手が退団。5名の選手が新たに加わり、世代交代が図られた。

2007年

2007年シーズンは監督に野村貢を招聘し、チームの建て直しを図った。序盤は勝ち点の取りこぼしもあったが、中盤以降はほぼ磐石となり、高槻千葉との昇格争いを制して優勝。1年でのディビジョン1復帰を決めた。また同年のなでしこリーグカップではTASAKI伊賀を破り、ベスト4に進出した。シーズン終了後はDF青木知里、DF宇野涼子、DF北郷裕子、FW桑原沙緒莉、FW鈴木玲美が退団し、6名の選手が入団した。

2008年

2008年シーズン、ディビジョン1に復帰。開幕戦のベレーザ戦では0-1と善戦し、期待を受けてスタートした。しかし、世代交代が進む中、チームの若さ故のミスや後半のスタミナ不足を衝かれ、上位チームからの勝ち点の取りこぼしが目立った。最終的に下位チームからの敗戦はなかったものの、上位チームに対しては最終節の岡山戦の引き分けまで勝ち点を奪えず、チームの基礎は固まったものの順位は6位に留まった。シーズン終了後、野村監督は任期終了で退任。全日本女子サッカー選手権大会では、快進撃を続け、3位(ベスト4)という成績を勝ち取った。シーズン終了後はGK内田由布子、DF池田瑞穂、DF藤本まどか、MF早坂優が退団した。

2009年

2009年シーズンに向けて、伊賀の中心選手でなでしこジャパンでの経験豊富なMF宮本ともみら7名を獲得。また監督には昨シーズンまでJリーグ湘南を指揮していた菅野将晃が就任し、「リーグ3位以内」を目標にする事が発表された。

シーズン開幕から新人を積極的に起用し、またサブメンバーのモチベーション維持にも成功。上位をかき回す存在となった。練習での走量を増やしたことで昨年見られた試合後半での失速がなくなり、粘り強く勝ち点を奪う試合を続けて行った。リーグ戦ではベレーザから2つの勝ち星を挙げる等の金星もあり、3位という目標を達成。

全日本女子サッカー選手権大会では、初めて「国立」を意識した戦いを繰り広げるが、準決勝でベレーザに敗戦。2年連続の3位(ベスト4)という成績となった。シーズン終了後はGK増田亜矢子、DF宮崎由香ボストンへ移籍→ホッケーに転身)、MF五十嵐章恵、MF神原史アギラス神戸へ移籍)、MF松野みどり、MF神戸成美、FW丸山桂里奈フィラデルフィアへ移籍→現:ジェフレディース)、FW本間真喜子、FW森田牧子の9名が退団となり、チームは大幅に生まれ変わることとなった。

2010年

2011年

東日本大震災が発生した3月11日当日は宮崎県でキャンプ中であったため、被災を免れた。しかし、その後の福島第一原子力発電所事故により、本拠地のJヴィレッジは事故の対応拠点となり、選手全員が自宅待機を余儀なくされた。オフィシャルサイトも事故後間もなく休止している。

震災の影響でリーグ戦の開幕を4月3日から4月29日に変更することは3月23日にリーグから発表されたが、その時点で東京電力からはリーグ戦への参加を含めて、以後の活動についての発表はなかった。その後、4月12日に東京電力が2011年シーズンの活動自粛を申し入れ、日本女子サッカーリーグ理事会で承認された。以後、他チームへ移籍する選手が出ているが、リーグから代行して発表されている。

6月に東京電力の社長に就任した西沢俊夫は、経費削減のためマリーゼを含め実業団スポーツから撤退することを明らかにした[1]。マリーゼは以後、新たな球団スポンサーを探すことになったが、2012年度シーズンのなでしこリーグへの残留は認められず、2011年9月までに新しい受け入れ先が決まり「存続」となった場合には、2012年度シーズンから2部にあたる「チャレンジリーグ」に降格する形で参加する方針が確認された[2]

マリーゼの本拠地

マリーゼ時代の本拠地(事務局・練習場)はJヴィレッジであり、ホームゲームの半分はJ-ヴィレッジスタジアムで行っていた。

東京に本社があり、選手達の勤務先が福島県内にある東京電力の発電所であったことから、ホームゲームはJヴィレッジ以外にも福島県内・関東近郊で開催していた。これは他のなでしこリーグのチームとは大きな違いである。主な開催地は以下の通り。

福島県内
関東近郊

なお、国体では福島県代表に一部の選手を出場させていた。

チーム成績

日本女子サッカーリーグでの成績

年度 チーム名 リーグ チーム数 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 順位
12 2000 YKK東北女子サッカー部
フラッパーズ
L・リーグ 一次(東日本) 5 6 11 3 2 1 2位 年間
4位
決勝(上位) 4 6 4 0 4 2 4位
13 2001 一次(東日本) 4 6 13 2 1 3 2位 年間
3位
決勝(上位) 4 6 6 2 0 4 3位
14 2002 一次(東日本) 6 5 10 3 1 1 3位 年間
7位
決勝(下位) 4 6 11 3 2 1 3位
15 2003 一次(東日本) 7 12 28 8 4 0 1位 年間
5位
決勝(上位) 6 10 6 2 0 8 5位
(16) 2004 YKK AP東北女子サッカー部
フラッパーズ
L・リーグ1部
(L1)
8 14 12 3 3 8 5位
(17) 2005 東京電力女子サッカー部
マリーゼ
8 21 34 11 1 9 4位
(18) 2006 なでしこリーグ
ディビジョン1
RL 8 17 8 1 5 8 7位 年間
8位
PO(下位) 4 3 1 0 1 2 4位
(19) 2007 なでしこリーグディビジョン2 8 21 56 18 2 1 優勝
(20) 2008 なでしこリーグディビジョン1 8 21 17 5 2 14 6位
(21) 2009 8 21 38 12 2 7 3位
(22) 2010 なでしこリーグ 10 18 34 11 1 6 3位
(23) 2011 活動自粛
  • 2004年から二部制に移行。チーム数は所属リーグのみ。
  • 2003年まではシーズン名に「第○回」と表記されていたが、2004年からは西暦年で表記するようになった。
  • 2006年は8チーム2回戦総当たりの「レギュラーリーグ」(RL)後、その順位に基づき上位と下位の各4チームによる1回戦総当たりの「プレーオフ」(PO)を実施。

歴代監督

(日本女子サッカーリーグ参入以降)

選手

現在所属している選手

かつて所属していた選手

タイトル

  • 2003年 第15回L・リーグ(一次リーグ)東日本リーグ1位
  • 2007年 モックなでしこリーグ2007 ディビジョン2 優勝
  • 全日本女子サッカー選手権大会 ベスト4 (2008年2009年)

チームカラー

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 水色 水色 水色
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
  • チームカラーはマリーゼブルー(水色)
  • 2008年度より、1stユニと2ndユニを入れ替えた。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記
(チーム名) Mareeze
背中 東京電力 Switch!
東京電力 TEPCO
パンツ なし -

チーム名変遷

  • 1997 - 2003年 YKK東北女子サッカー部フラッパーズ
  • 2004年 YKK AP東北女子サッカー部フラッパーズ
  • 2005年 - 東京電力女子サッカー部マリーゼ

オフィシャルチームソング

サポーターズソング

  • 「Go For Future」 -2006年

出典・脚注

  1. ^ 駅伝・女子サッカーから撤退 東電新社長が表明、合理化徹底で” (Japanese). MSN産経ニュース (2011年6月28日). 2011年6月28日閲覧。
  2. ^ なでしこL来季は10チーム 2部1位が昇格へ” (Japanese). スポニチANNEX (2011年7月27日). 2011年8月3日閲覧。

関連項目

外部リンク