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'''柳川 雅樹'''(やながわ まさき、[[1987年]][[5月1日]] - )は[[兵庫県]]出身の[[サッカー]]選手。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー(DF)]]。
'''柳川 雅樹'''(やながわ まさき、[[1987年]][[5月1日]] - )は[[兵庫県]][[三田市]]出身の[[サッカー]]選手、サッカー指導者。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー(DF)]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
三田市内の弥生FCでサッカーをはじめ、ヴィッセル神戸ジュニアユース、ヴィッセル神戸ユースに所属した。
三田市内の弥生FCでサッカーをはじめ、[[ヴィッセル神戸]]のジュニアユース及びユースに所属した。


ユース1、年時はFWをしていたりとレギュラーではなかったが、3年時に[[木山隆之]]がユースの監督に就任するとCBとしてレギュラーに定着する。3年時の夏休み期間中、ユースの選手数名がトライアルも兼ねてトップチームの練習に参加していたが、そのメンバーには入っていなかった。その後の[[Jサテライトリーグ]]の試合を見た、トップチーム監督の[[パベル・ジェハーク]]から評価され、逆転でのトップチーム昇格を果たす。
ユース1、2年時はFWをしていたりとレギュラーではなかったが、3年時に[[木山隆之]]がユースの監督に就任するとCBとしてレギュラーに定着する。3年時の夏休み期間中、ユースの選手数名がトライアルも兼ねてトップチームの練習に参加していたが、そのメンバーには入っていなかった。その後の[[Jサテライトリーグ]]の試合を見た、トップチーム監督の[[パベル・ジェハーク]]から評価され、逆転でのトップチーム昇格を果たす。


[[Jリーグユース選手権大会|Jユースサハラカップ]]2005では[[増田清一]]、[[木下真吾]]、[[紀氏隆秀]]らと共に準優勝という結果を残す。この大会での活躍が認められ、[[青木孝太]]、[[長沢駿]]、[[佐野克彦]]らとU-19日本代表に初招集される。
[[Jリーグユース選手権大会|Jユースサハラカップ]]2005では[[紀氏隆秀]]らと共に準優勝という結果を残す。この大会での活躍が認められ、[[青木孝太]]、[[長沢駿]]、[[佐野克彦]]らと[[U-20サッカー日本代表|U-19日本代表]]に初招集される。


2006年1月に行われたU-19カタール国際ユースにU-19日本代表として参加後、ヴィッセル神戸に新設されたU-23で活動予定であったが、[[スチュワート・バクスター]]監督見てみたいという要望トップチームのグアムキャンプに参加する。
2006年1月に行われたU-19カタール国際ユースにU-19日本代表として参加後、ヴィッセル神戸に新設されたU-23で活動予定であったが、[[スチュワート・バクスター]]監督から見てみたいという要望がありトップチームのグアムキャンプに参加する。


バクスター監督の下、チーム史上初めて高卒新人開幕スタメンを果たし、2006年5月[[Jリーグの選手契約条件|A契約締結条件]]をクリアし、チーム史上最速でA契約を締結する。
バクスター監督の下、チーム史上初めて高卒新人開幕スタメンを果たし、2006年5月[[Jリーグの選手契約条件|A契約締結条件]]をクリアし、チーム史上最速でA契約を締結する。


U-19日本代表として[[AFCユース選手権2006|AFCユース選手権2006・インド大会]]に出場していたが、神戸からの要望によりU-20ワールドカップ出場権獲得(ベスト4進出)が決まると、先にチームに戻ることになった。翌2007年7月にはU-20日本代表として[[2007 FIFA U-20ワールドカップ|FIFA U-20ワールドカップ・カナダ大会]]に出場した。この頃のルームメイトは同郷出身の[[香川真司]]で、よくマリオカートやトランプをしていて、勝つまで終わりにしない香川は負けず嫌いで、アジア予選に恋愛小説・[[恋空]]を持ってきていたことが一番驚いたと話していた。
U-19日本代表として[[AFCユース選手権2006]]に出場していたが、J1昇格争いをしていた神戸からの要望によりU-20ワールドカップ出場権獲得(ベスト4進出)が決まると、代表チームを離れ、神戸に戻ることになった。


翌2007年7月には[[U-20サッカー日本代表|U-20日本代表]]として[[2007 FIFA U-20ワールドカップ]]に出場した。ユース代表合宿中のルームメイトは同郷出身の[[香川真司]]で、よくマリオカートやトランプをしていて、勝つまで終わりにしない香川は負けず嫌いで、アジア予選に恋愛小説・[[恋空]]を持ってきていたことが一番驚いたと話していた。
身長184cm、体重78kgの大型DFとして将来の日本サッカー界期待のプレーヤー。2009年7月7日、神戸市在住の女性と入籍したことを自身のブログで明らかにした。


2009年7月7日、神戸市在住の女性と入籍したことを自身のブログで明らかにした。
2010年は、[[ヴァンフォーレ甲府]]へ期限付き移籍。6試合出場しJ1昇格に貢献した


2010年は、[[ヴァンフォーレ甲府]]へ期限付き移籍。
2011年、神戸に復帰したが、2011年7月に[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]へ期限付き移籍。同年11月30日、神戸から契約満了に伴い、来シーズンの契約を更新しいことが発表された。

2011年、神戸に復帰したが、2011年7月に[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]へ期限付き移籍。同年11月30日、神戸との契約満了た。


2012年より[[栃木SC]]に完全移籍した。
2012年より[[栃木SC]]に完全移籍した。


2013年、栃木との契約を残していたが、[[ガイナーレ鳥取]]へ完全移籍<ref>{{cite press release |title=柳川 雅樹選手(栃木SC) 新加入のお知らせ |url=http://www.gainare.co.jp/news/detail/19586/ |publisher=ガイナーレ鳥取 |date=2012-12-27|accessdate=2012-12-27}}</ref>。2014年シーズン終了後、契約満了により鳥取を退団<ref>{{cite press release |title=契約満了選手のお知らせ |url=http://www.gainare.co.jp/news/detail/27702/ |publisher=ガイナーレ鳥取 |date=2014-12-3|accessdate=2014-12-3}}</ref>。
2013年、[[ガイナーレ鳥取]]へ完全移籍<ref>{{Cite press release|和書|title=柳川雅樹選手 ガイナーレ鳥取完全移籍のお知らせ|url=https://www.tochigisc.jp/info/4154|publisher=[[栃木SC]]|date=2012-12-27|accessdate=2024-3-22}}</ref>。2014年シーズン終了後、契約満了により鳥取を退団<ref>{{Cite press release|和書|title=契約満了選手のお知らせ|url=http://www.gainare.co.jp/news/detail/27702/|publisher=ガイナーレ鳥取|date=2014-12-3|accessdate=2014-12-3}}</ref>。

2015年、[[フィリピン]]・[[ユナイテッド・フットボールリーグ (フィリピン)|ユナイテッド・フットボールリーグ]]の[[グローバルFC]]へ完全移籍。同リーグでは初めてJリーグクラブから直接の移籍選手となる<ref>{{Cite press release|和書|title=柳川 雅樹選手 移籍先決定のお知らせ|url=https://www.gainare.co.jp/news/detail/28113/|publisher=ガイナーレ鳥取|date=2015-01-25|accessdate=2015-01-25}}</ref>。ヴィッセル神戸在籍時から親交のあった[[鈴木規郎]]と6年ぶりに、同じクラブに所属した。[[AFCカップ2015]]に出場。

2016年、同リーグの日系クラブ、[[JPVマリキナFC]]へ完全移籍。キャプテン兼コーチ、広報担当として幅広く仕事をこなし、1部リーグ初挑戦であった同クラブのリーグ戦4位に貢献する。この年のリーグ、Best Defenderに選出される。


怪我により2018年2月に現役を引退し、サッカー選手のマネジメント会社を設立した<ref>{{Cite web|和書|date=2018-09-03 |url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sanda/201809/0011602936.shtml |title=三田出身、元ヴィッセルの柳川さん マネジメント会社設立 |publisher=神戸新聞NEXT |accessdate=2019-04-19}}</ref>。
シーズンオフには、ヴィッセル神戸在籍時から親交のあった[[鈴木規郎]]と海外旅行に行っている。


2019年、当時[[関西学生サッカーリーグ|関西学生リーグ]]2部に所属していた[[甲南大学体育会サッカー部|甲南大学サッカー部]]の監督に就任。自らの経験と、心理学をベースにしたモチベーションコントロール術、フィリピン時代に養ったチームマネジメントを駆使してチームを改革し、2019年シーズンに1部昇格を果たし、翌年は[[総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント|総理大臣杯]]の代替大会である全国大会「[[#atarimaeni CUP サッカーができる当たり前に、ありがとう!|#atarimaeni CUP]]」では関西勢唯一のベスト8入りに導いた<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/846744|author=安藤隆人|title=香川、槙野、柏木…「あいつらに追いつくために」 調子乗り世代・柳川雅樹が大学サッカー界で快進撃|website=[[Sports Graphic Number|Number Web]]|date=2021-01-22|accessdate=2021-01-24}}</ref>。
2015年、[[フィリピン]]・[[ユナイテッド・フットボールリーグ (フィリピン)|ユナイテッド・フットボールリーグ]]の[[グローバルFC]]へ完全移籍<ref>{{cite press release |title=柳川 雅樹選手 移籍先決定のお知らせ
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2023年12月28日、[[ジェイリースFC]]の監督に就任した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://j-lease-fc.com/news/6044/|title=柳川雅樹氏 監督就任のお知らせ|publisher=[[ジェイリースFC]]|date=2023-12-28|accessdate=2024-3-22}}</ref>
2016年、同リーグの日本人がオーナーを務める[[JPボルテスFC]]へ完全移籍。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
;ユース経歴
* 1994年 - 1999年 弥生FC ([[三田市立弥生小学校]])
* 1994年 - 1999年 弥生FC ([[三田市立弥生小学校]])
* 2000年 - 2002年 [[ヴィッセル神戸]]ジュニアユース ([[三田市立富士中学校]])
* 2000年 - 2002年 [[ヴィッセル神戸]]ジュニアユース ([[三田市立富士中学校]])
* 2003年 - 2005年 ヴィッセル神戸ユース ([[仁川学院中学校・高等学校|仁川学院高等学校]])
* 2003年 - 2005年 ヴィッセル神戸ユース ([[仁川学院中学校・高等学校|仁川学院高等学校]])
;プロ経歴
* 2006年 - 2011年 {{Flagicon|JPN}} ヴィッセル神戸
* 2006年 - 2011年 {{Flagicon|JPN}} ヴィッセル神戸
** 2010年 {{Flagicon|JPN}} [[ヴァンフォーレ甲府]] ([[期限付き移籍]])
** 2010年 {{Flagicon|JPN}} [[ヴァンフォーレ甲府]] ([[期限付き移籍]])
** 2011年7月 - 同年12月 {{Flagicon|JPN}} [[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]] (期限付き移籍)
** 2011年7月 - 同年12月 {{Flagicon|JPN}} {{Fb team Thespa-k}} (期限付き移籍)
* 2012年 {{Flagicon|JPN}} [[栃木SC]]
* 2012年 {{Flagicon|JPN}} [[栃木SC]]
* 2013年 - 2014年 {{Flagicon|JPN}} [[ガイナーレ鳥取]]
* 2013年 - 2014年 {{Flagicon|JPN}} [[ガイナーレ鳥取]]
* 2015年 {{Flagicon|PHI}} [[グローバルFC]]
* 2015年 {{Flagicon|PHI}} [[グローバルFC]]
* 2016年 - {{Flagicon|PHI}} [[JPボルテスFC]]
* 2016年 - 2017年 {{Flagicon|PHI}} [[JPVマリキナFC]]


== 個人成績 ==
== 個人成績 ==
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*Jリーグ初得点 - [[2006年]][[11月11日]] J2 第48節 対[[柏レイソル]]戦 (神戸ウイングスタジアム)
*Jリーグ初得点 - [[2006年]][[11月11日]] J2 第48節 対[[柏レイソル]]戦 (神戸ウイングスタジアム)


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== 代表歴 ==
== 代表歴 ==
* U-19、[[U-20サッカー日本代表#2007年カナダ大会|U-20日本代表]] (2005年-2006年)
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**2006年 [[AFCユース選手権]]
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**2007年 [[2007 FIFA U-20ワールドカップ]]
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== 指導歴 ==
* 2019年 - 2022年 [[甲南大学体育会サッカー部|甲南大学サッカー部]] 監督
* 2023年 [[ファジアーノ岡山FC]] コーチ
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[ヴィッセル神戸の選手一覧]]
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* [[ガイナーレ鳥取の選手一覧]]
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2024年8月31日 (土) 15:04時点における版

柳川 雅樹
名前
愛称 ヤナ
カタカナ ヤナガワ マサキ
ラテン文字 YANAGAWA Masaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-05-01) 1987年5月1日(37歳)
出身地 兵庫県三田市
身長 184cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
ユース
2003-2005 日本の旗 ヴィッセル神戸ユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2011 日本の旗 ヴィッセル神戸 47 (1)
2010 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 (loan) 6 (0)
2011 日本の旗 ザスパ草津 (loan) 10 (0)
2012 日本の旗 栃木SC 4 (0)
2013-2014 日本の旗 ガイナーレ鳥取 37 (0)
2015 フィリピンの旗 グローバルFC 37 (3)
2016-2017 フィリピンの旗 JPVマリキナFC 50 (5)
代表歴
2005-2007  日本 U-20 1 (0)
監督歴
2019-2022 日本の旗 甲南大学
2024- 日本の旗 ジェイリースFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柳川 雅樹(やながわ まさき、1987年5月1日 - )は兵庫県三田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)

来歴

三田市内の弥生FCでサッカーをはじめ、ヴィッセル神戸のジュニアユース及びユースに所属した。

ユース1、2年時はFWをしていたりとレギュラーではなかったが、3年時に木山隆之がユースの監督に就任するとCBとしてレギュラーに定着する。3年時の夏休み期間中、ユースの選手数名がトライアルも兼ねてトップチームの練習に参加していたが、そのメンバーには入っていなかった。その後のJサテライトリーグの試合を見た、トップチーム監督のパベル・ジェハークから評価され、逆転でのトップチーム昇格を果たす。

Jユースサハラカップ2005では紀氏隆秀らと共に準優勝という結果を残す。この大会での活躍が認められ、青木孝太長沢駿佐野克彦らとU-19日本代表に初招集される。

2006年1月に行われたU-19カタール国際ユースにU-19日本代表として参加後、ヴィッセル神戸に新設されたU-23で活動予定であったが、スチュワート・バクスター監督から見てみたいという要望がありトップチームのグアムキャンプに参加する。

バクスター監督の下、チーム史上初めて高卒新人開幕スタメンを果たし、2006年5月A契約締結条件をクリアし、チーム史上最速でA契約を締結する。

U-19日本代表としてAFCユース選手権2006に出場していたが、J1昇格争いをしていた神戸からの要望によりU-20ワールドカップ出場権獲得(ベスト4進出)が決まると、代表チームを離れ、神戸に戻ることになった。

翌2007年7月にはU-20日本代表として2007 FIFA U-20ワールドカップに出場した。ユース代表合宿中のルームメイトは同郷出身の香川真司で、よくマリオカートやトランプをしていて、勝つまで終わりにしない香川は負けず嫌いで、アジア予選に恋愛小説・恋空を持ってきていたことが一番驚いたと話していた。

2009年7月7日、神戸市在住の女性と入籍したことを自身のブログで明らかにした。

2010年は、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍。

2011年、神戸に復帰したが、2011年7月にザスパ草津へ期限付き移籍。同年11月30日、神戸との契約が満了となった。

2012年より栃木SCに完全移籍した。

2013年、ガイナーレ鳥取へ完全移籍[1]。2014年シーズン終了後、契約満了により鳥取を退団[2]

2015年、フィリピンユナイテッド・フットボールリーググローバルFCへ完全移籍。同リーグでは初めてJリーグクラブから直接の移籍選手となる[3]。ヴィッセル神戸在籍時から親交のあった鈴木規郎と6年ぶりに、同じクラブに所属した。AFCカップ2015に出場。

2016年、同リーグの日系クラブ、JPVマリキナFCへ完全移籍。キャプテン兼コーチ、広報担当として幅広く仕事をこなし、1部リーグ初挑戦であった同クラブのリーグ戦4位に貢献する。この年のリーグ、Best Defenderに選出される。

怪我により2018年2月に現役を引退し、サッカー選手のマネジメント会社を設立した[4]

2019年、当時関西学生リーグ2部に所属していた甲南大学サッカー部の監督に就任。自らの経験と、心理学をベースにしたモチベーションコントロール術、フィリピン時代に養ったチームマネジメントを駆使してチームを改革し、2019年シーズンに1部昇格を果たし、翌年は総理大臣杯の代替大会である全国大会「#atarimaeni CUP」では関西勢唯一のベスト8入りに導いた[5]

2023年12月28日、ジェイリースFCの監督に就任した[6]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 神戸 32 J2 28 1 - 1 0 29 1
2007 22 J1 2 0 1 0 0 0 3 0
2008 32 10 0 1 0 0 0 11 0
2009 3 2 0 0 0 0 0 2 0
2010 甲府 3 J2 6 0 - 0 0 6 0
2011 神戸 32 J1 0 0 0 0 - 0 0
草津 27 J2 10 0 - 0 0 10 0
2012 栃木SC 23 4 0 - 0 0 4 0
2013 鳥取 2 12 0 - 0 0 12 0
2014 J3 21 0 - 2 0 23 0
フィリピン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2015 グローバル 32 UFL1部 16 2 4 0 5 1 25 3
2016 マリキナ 32 18 1 7 3 - - 25 4
2017 マリキナ 3 PFL1部 25 1 - - - - 25 1
通算 日本 J1 14 0 2 0 0 0 16 0
日本 J2 60 1 - 1 0 61 1
日本 J3 21 0 - 2 0 23 0
フィリピン UFL/PFL 59 4 11 3 5 1 75 8
総通算 154 5 13 4 8 0 175 9

その他の公式戦

代表歴

指導歴

脚注

  1. ^ 柳川雅樹選手 ガイナーレ鳥取完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2012年12月27日https://www.tochigisc.jp/info/41542024年3月22日閲覧 
  2. ^ 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2014年12月3日http://www.gainare.co.jp/news/detail/27702/2014年12月3日閲覧 
  3. ^ 柳川 雅樹選手 移籍先決定のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2015年1月25日https://www.gainare.co.jp/news/detail/28113/2015年1月25日閲覧 
  4. ^ 三田出身、元ヴィッセルの柳川さん マネジメント会社設立”. 神戸新聞NEXT (2018年9月3日). 2019年4月19日閲覧。
  5. ^ 安藤隆人 (2021年1月22日). “香川、槙野、柏木…「あいつらに追いつくために」 調子乗り世代・柳川雅樹が大学サッカー界で快進撃”. Number Web. 2021年1月24日閲覧。
  6. ^ 柳川雅樹氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ジェイリースFC、2023年12月28日https://j-lease-fc.com/news/6044/2024年3月22日閲覧 

関連項目

外部リンク