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2023年4月15日 (土) 01:15時点における版
百万ドルの饗宴 | |
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番組の生放送が行われていた後楽園ホール | |
ジャンル | 歌謡番組 |
出演者 |
コロムビア・トップ・ライト ほか多数 |
製作 | |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
56分番組時代(第1期) | |
放送期間 | 1963年10月17日 - 1965年4月 |
放送時間 | 木曜 20:00 - 20:56 |
放送分 | 56分 |
さよなら'64百万ドルの饗宴 | |
放送期間 | 1964年12月31日 |
放送時間 | 木曜 19:30 - 20:56 |
放送分 | 86分 |
回数 | 1 |
86分番組時代 | |
放送期間 | 1965年5月 - 1965年10月 |
放送時間 | 木曜 20:00 - 21:26 |
放送分 | 86分 |
56分番組時代(第2期) | |
放送期間 | 1965年11月 - 1966年10月13日 |
放送時間 | 木曜 20:00 - 20:56 |
放送分 | 56分 |
『百万ドルの饗宴』(ひゃくまんドルのきょうえん)は、1963年10月17日から1966年10月13日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作の歌謡番組である。
概要
日本のレギュラー歌謡番組では初の1時間編成を行った番組で、当時は珍しかったカラー放送を初回から行っていた。番組は、各レコード会社の人気歌手を一同に集め、カラー化と同時に番組をデラックス化しようとして企画された。ところが、企画段階で日本音楽事業者協会が「たくさんの人気歌手を公開ホール(後楽園ホール)で見せられたのでは、歌手の地方公演に客が入らなくなる」と日本テレビに抗議してきた。そこで日本テレビは番組に「新人コーナー」を設け、各社の新人歌手を持ち回りで出演させることで音事協を納得させた。これは、当時のテレビの威力を物語るエピソードであった。
放送時間
いずれも日本標準時。20:00 - 21:26にプロ野球ナイター中継が行われる日には放送を休止。
- 木曜 20:00 - 20:56 (1963年10月17日 - 1965年4月)
- 木曜 20:00 - 21:26 (1965年5月 - 1965年10月)
- 木曜 20:00 - 20:56 (1965年11月 - 1966年10月13日)
出演者
司会
出演歌手
提供
当初は全商連事業団の単独提供で放送されていたが、半年後にハウス食品工業(現・ハウス食品)と三共(現・第一三共)の二社提供となった。86分に拡大してからはPT番組となり、この間は特定のスポンサーを置いていなかった。再び56分に縮小してからは、東レと内外編物(現・ナイガイ)とアデカ(旭電化=現・ADEKA)の三社提供で放送されていた。
大晦日スペシャル
1964年12月31日(木曜)には、放送時間を19:30 - 20:56に拡大しての大晦日スペシャル『さよなら'64百万ドルの饗宴』を放送。この回の出演歌手は村田英雄、江利チエミ、春日八郎、西田佐知子、和田弘とマヒナスターズ、新川二郎、畠山みどり、三橋美智也、美空ひばり、橋幸夫、三波春夫、青山和子[2]。
脚注
参考文献
- 『大衆とともに25年:沿革史』日本テレビ放送網、1978年、158頁・455頁 - 469頁頁。
日本テレビ系列 木曜20:00枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
百万ドルの饗宴
(1963年10月17日 - 1966年10月13日) |
空想科学映画 ウルトラゾーン
(1966年10月20日 - 1966年11月10日) |
|
日本テレビ系列 木曜20:56枠 | ||
百万ドルの饗宴
(1965年5月 - 1965年10月) 【放送枠拡大分】 |