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==経歴==
==経歴==
4歳の時に父から囲碁を学び、1987年から崔囲碁教室に通う。1988年に韓国棋院研究生となり、1990年には進路について悩んで8ヶ月の中断するが、1994年入段。1995年のロッテ杯中韓囲碁対抗戦に韓国代表として出場し、[[中華人民共和国|中国]]の[[聶衛平]]を破って怪童と呼ばれ、[[李昌鎬]]の次の世代の棋士として大きな期待を集めた。1997年に[[覇王戦]]挑戦者決定三番勝負に進出、[[劉昌赫]]に敗れる。1998年BCカード杯新人王戦優勝、同年の第1回[[中韓新人王対抗戦]]では[[邵俊傑]]に2-1で勝利。同年[[最高位戦 (韓国)|最高位戦]]で挑戦者決定三番勝負に進出するが[[チョ薫鉉|曺薫鉉]]に0-2で敗れる。同年四段。1999年新鋭プロ十傑戦優勝、また棋聖戦挑戦者となるが李昌鎬に0-2で敗れる。この棋聖戦第1局は[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]官邸で行われ、[[金鍾泌]]総理も観戦して話題となった。2002年にも棋聖戦で李昌鎬に挑戦するが2-3で敗れる。
4歳の時に父から囲碁を学び、1987年から崔囲碁教室に通う。1988年に韓国棋院研究生となり、1990年には進路について悩んで8ヶ月の中断するが、1994年入段。1995年のロッテ杯中韓囲碁対抗戦に韓国代表として出場し、[[中華人民共和国|中国]]の[[聶衛平]]を破って怪童と呼ばれ、[[李昌鎬]]の次の世代の棋士として大きな期待を集めた。1997年に[[覇王戦]]挑戦者決定三番勝負に進出、[[劉昌赫]]に敗れる。1998年BCカード杯新人王戦優勝、同年の第1回[[中韓新人王対抗戦]]では[[邵俊傑]]に2-1で勝利。同年[[最高位戦 (韓国)|最高位戦]]で挑戦者決定三番勝負に進出するが[[曺薫鉉]]に0-2で敗れる。同年四段。1999年新鋭プロ十傑戦優勝、また棋聖戦挑戦者となるが李昌鎬に0-2で敗れる。この棋聖戦第1局は[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]官邸で行われ、[[金鍾泌]]総理も観戦して話題となった。2002年にも棋聖戦で李昌鎬に挑戦するが2-3で敗れる。


2000年に富士通杯世界選手権で、準決勝で曺薫絃に敗れたが、3位決定戦では[[小林覚]]に勝利。同年の[[KBS杯バドゥク王戦|KBS杯バドゥク王]]戦決勝で李昌鎬を2-1で破って優勝し、2001年のテレビ囲碁アジア選手権に出場、準決勝で[[趙治勲]]に勝って決勝に進むが、曺薫絃に敗れる。2003年七段。2004年にLG杯世界棋王戦に準優勝し(決勝で李昌鎬に1-3)、八段昇段。2005年九段。2007年、122戦93勝29敗の成績で、歴代最多対局、最多勝の新記録を達成。2008年[[第1回ワールドマインドスポーツゲームズ]]男子個人戦に出場しベスト16。2010年結婚。2013年LG杯ベスト16。
2000年に富士通杯世界選手権で、準決勝で曺薫絃に敗れたが、3位決定戦では[[小林覚]]に勝利。同年の[[KBS杯バドゥク王戦|KBS杯バドゥク王]]戦決勝で李昌鎬を2-1で破って優勝し、2001年のテレビ囲碁アジア選手権に出場、準決勝で[[趙治勲]]に勝って決勝に進むが、曺薫絃に敗れる。2003年七段。2004年にLG杯世界棋王戦に準優勝し(決勝で李昌鎬に1-3)、八段昇段。2005年九段。2007年、122戦93勝29敗の成績で、歴代最多対局、最多勝の新記録を達成。2008年[[第1回ワールドマインドスポーツゲームズ]]男子個人戦に出場しベスト16。2010年結婚。2013年LG杯ベスト16。

2020年9月19日 (土) 10:12時点における版

睦鎮碩(モク・チンソク、ぼく ちんせき、목진석、1980年1月20日 - )は、韓国囲碁棋士ソウル出身、韓国棋院所属、九段。LG杯世界棋王戦準優勝、KBS杯バドゥク王戦優勝など。

経歴

4歳の時に父から囲碁を学び、1987年から崔囲碁教室に通う。1988年に韓国棋院研究生となり、1990年には進路について悩んで8ヶ月の中断するが、1994年入段。1995年のロッテ杯中韓囲碁対抗戦に韓国代表として出場し、中国聶衛平を破って怪童と呼ばれ、李昌鎬の次の世代の棋士として大きな期待を集めた。1997年に覇王戦挑戦者決定三番勝負に進出、劉昌赫に敗れる。1998年BCカード杯新人王戦優勝、同年の第1回中韓新人王対抗戦では邵俊傑に2-1で勝利。同年最高位戦で挑戦者決定三番勝負に進出するが曺薫鉉に0-2で敗れる。同年四段。1999年新鋭プロ十傑戦優勝、また棋聖戦挑戦者となるが李昌鎬に0-2で敗れる。この棋聖戦第1局は国務総理官邸で行われ、金鍾泌総理も観戦して話題となった。2002年にも棋聖戦で李昌鎬に挑戦するが2-3で敗れる。

2000年に富士通杯世界選手権で、準決勝で曺薫絃に敗れたが、3位決定戦では小林覚に勝利。同年のKBS杯バドゥク王戦決勝で李昌鎬を2-1で破って優勝し、2001年のテレビ囲碁アジア選手権に出場、準決勝で趙治勲に勝って決勝に進むが、曺薫絃に敗れる。2003年七段。2004年にLG杯世界棋王戦に準優勝し(決勝で李昌鎬に1-3)、八段昇段。2005年九段。2007年、122戦93勝29敗の成績で、歴代最多対局、最多勝の新記録を達成。2008年第1回ワールドマインドスポーツゲームズ男子個人戦に出場しベスト16。2010年結婚。2013年LG杯ベスト16。

2014年百霊愛透杯世界囲碁オープン戦ベスト16。2015年にGSカルテックス杯に優勝し、15年ぶりにタイトル獲得、また韓国史上8人目の通算1000勝達成。同年韓国ナショナルチームコーチ就任。また若手棋士の対局機会のために、元熊津グループ副会長の父睦怡均とともに、棋戦未来の星新鋭最強戦を後援して創設した[1][2]

沖岩研究会にも所属。中国囲棋リーグにも5年間出場し、重慶、貴州チームなどに所属、中国語にも堪能。韓国囲碁リーグでは、ネットマーブル、新星建設に所属。韓国囲碁棋士ランキングでは2008年4位。尊敬する棋士は趙治勲と曺薫鉉。

タイトル歴

その他の棋歴

国際棋戦

国内棋戦

  • SKガス杯新鋭プロ十傑戦 準優勝 1998年
  • 棋聖戦 挑戦者1999年、2002年
  • 電子ランド杯王中王戦 準優勝 2008年、白虎部優勝 2007年
  • マキシムコーヒー杯入神連勝最強戦 準優勝 2008年
  • 圓益杯十段戦 準優勝 2008年
  • 国手戦 挑戦者 2009年
  • OllehKT杯オープン選手権 準優勝 2013年
  • 韓国囲棋協会杯ペア碁戦 優勝 2009年(李玟眞とペア)
  • SG杯ペア碁大会 準優勝 2011年(金恵敏とペア)
  • 韓国囲碁リーグ
    • 2004年(パークランド)2-5
    • 2005年(ネットマーブル)3-4
    • 2006年(新星建設)8-6
    • 2007年(ソウル新星建設)7-6
    • 2008年(ソウル新星建設)9-4
    • 2009年(以北五道Tブロード)8-4
    • 2010年(以北五道Tブロード)7-9
    • 2011年(ポスコLED、優勝)10-4
    • 2012年(ポスコLED)8-10
    • 2013年(ハンゲーム)7-7
    • 2014年(ポスコケムテク)2-11
    • 2015年(新安天日塩)
    • 2016年(新安天日塩)8-7
    • 2017年(新安天日塩)4-11

中国棋戦

  • 中国囲棋甲級リーグ戦
    • 2001年(重慶建設摩托)11-7
    • 2002年(重慶建設摩托)13-5
    • 2003年(重慶建設摩托)12-1
    • 2005年(貴州咳速停)12-4
    • 2009年乙級(蘇泊爾杭州囲棋学校)

受賞等

  • 囲碁文化賞新鋭棋士賞 1996年
  • 囲碁大賞敢闘賞 2007、08年

参考文献

  • 大島正雄「世界一を目指す超新星群像 第12回 睦鎮碩」(『棋道』1998年12月号)

脚注

外部リンク