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scientiaないしscienceという用語は、17世紀当時でもきわめて広義に用いられていたので、今日的な意味での「近代自然科学」の意味で使う人が現れた時期がいつなのか探るのは困難であり、せいぜい、精密自然科学が成立したのと同時というほかはない<ref>佐々木力『科学論入門』p.5</ref>、という。 |
scientiaないしscienceという用語は、17世紀当時でもきわめて広義に用いられていたので、今日的な意味での「近代自然科学」の意味で使う人が現れた時期がいつなのか探るのは困難であり、せいぜい、精密自然科学が成立したのと同時というほかはない<ref>佐々木力『科学論入門』p.5</ref>、という。 |
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必ず、実験、観察で確かめること。新しい知識を付け加えていくこと。の二点からなる。 |
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20世紀の[[歴史学者]][[ハーバート・バターフィールド]]は、[[17世紀]]の[[ヨーロッパ]]において、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち[[実験]]([[冒険]])という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとした。バターフィールドはこれを「[[科学革命]]」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた<ref>[[ハーバート・バターフィールド]]著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年</ref>。 |
2009年9月5日 (土) 07:56時点における版
科学(かがく)という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。
他にも以下の意味で用いられることも多々ある。
- 近代精密科学
- ドイツ語のWissenschaftの訳語 (英語圏のscienceとも異なる用法)
- 英語圏のscienceの訳語 (英語圏の意味であることを暗示するために「サイエンス」と表記することもある)
概説
- 緒論
「科学」なるものが何であるかについて論ずるのは、歴史的なコンテクストに依存していて、容易なことではない[2]。一言で言えば、歴史とともに「科学」の意味は変遷してきている[3]。 また、どのような知識内容が「科学的」であるか(あったか)を定めるそれなりの基準を設定しようと努力することはそれなり意味はあるが、厳密な境界設定は実際上はほとんど不可能である[4]、ともされる。 ただし、だからといって「科学」とは何であるか議論したり追及することが無意味というわけではない[5]。人々が、ある種の知識を「scientia」「science」あるいは「科学」と呼び、それに一定の権威を認めて、その知識の拡大と深化に努力してきた事実は残っている[6]。
本項では、時代に沿って「science」や「科学」を説明する。
古代-中世の科学
英語やフランス語等のscienceという語は、ラテン語の scientiaスキエンティア に由来し、scientiaは単に「知識」という意味である[7]。このようなscientiaの用法は、18世紀まではごく普通に流通し、さらに19世紀のある時期までも存続しつづけていたようだ[8]という。中世ヨーロッパではscientia naturalis(スキエンティア・ナトゥーラーリス)は「自然に関する知識」のことで「自然哲学」とほぼ同じ意味で用いられていたという[9]。
「論証的学問」や「厳密な証明を伴った学問の性質をそなえた」という意味での表現ならば、古代や中世からすでに存在し、ギリシャ語では「エピステーモニコス」という語が用いられていた[10]。
知の探求全般は、ギリシャ語で「φιλοσοφιαフィロソフィア」と呼ばれていた(直訳すれば「愛知」。知を愛すること。[11])
人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然界の現象や自身の人体の構造について関心を抱き続けてきた。歴史上、古代オリエント、古代インド、古代中国をはじめとするさまざまな文明圏において、これらの関心対象を説明するための知識や経験が蓄積され、学問として体系化されていった[12][13][14]。古代に形成された学問の諸体系のなかでも後世に大きな影響力を残したのが古代ギリシア・古代ローマの自然哲学である。中世においてはイスラム科学が最も先進的な地位を占めていた。後進ぎみだったヨーロッパは、イスラム諸国から科学や技術を輸入し、長い年月をかけて追いついた歴史がある[15]。
古代ギリシャの科学
[16] タレスは神話的思考の伝統から断絶し、「万物のアルケーは水である」と見なしたという。コスのヒポクラテスは経験主義的医学を生んだ。また徹底して根拠を求める思考習慣が、「論証」や「証明」を鍵とする、理論的形態の数学を生み出した。西欧的「合理主義」の源流はこのような思考形態に求められる[17]ともされる。
古代ギリシャの古典科学は、大きく分類して二つ(ないし三つ)の構成要素から成り立っている[18]ともされる。理論数学、および経験的自然学(とそれを基礎とした医学・医術)である。
ここでいう理論数学とは、議論の出発点に諸原理(定義や公理)を置き、そこから何らかの命題が真であることを論証してゆく形態の数学のことであり、演繹的に命題群を証明してできた体系を「公理論的数学」という。このような数学を、キオスのヒポクラテスが体系づけはじめ、紀元前300年ころには、ユークリッドが『原論』を編纂し、集大成した。ユークリッドの『原論』を幾何学の書とするのは誤解であり、算術を含んでいた。当時の純粋数学は、離散量についての理論的学科としての算術と、数直線から構成される連続量についての幾何学を含んでいた。離散量を扱う算術の応用に音階学(現在の音楽)があった。当時すでに幾何学は平面幾何学と立体幾何学を含んでおり、立体幾何学の応用部門として天文学が存在していた。
自然学は論理的・経験的方法で営まれた。今日その代表例と見なされているのがアリストテレスの『自然学』であり、日常的観察と徹底した論理的思索によって成っていた。尚、自然学では議論できない自然を超えた存在、超越的存在、自然現象を生じさせる究極の原因などは、アリストテレスの学問体系では『形而上学』において扱われた。数学と自然学の間の中間的な学問としては、視学(今日の光学)、機械学、および前述の音階学、天文学などがあると見なされていた。
イスラーム科学
古代ギリシャ科学を直接に継承したのは、イスラームを基礎とし、アラビア語を共通言語として成立している世界であり、地中海の広大な地域であった[19]。この科学は一般に「イスラーム科学」もしくは「アラビア科学」と呼ばれている。このイスラーム科学は9世紀から16世紀まで栄え、世界の科学をリードしもした[20]。
インド数字による計算法(今日の算用数字による計算法の起源)、Al-jabrアルジャブルという未知数を使った計算理論が、フワーリズミーによって数学理論に加えられた(これは現在の代数学(英Aljebra)へとつながるものである)。自然を実践的・実験的に操作する学問としてAl kimiya(英Alchemy)が重視されていた[21](現在日本語では「錬金術」などと呼ばれ、今日の化学の源流となったものである)。イスラーム科学には研究センターが存在しており、バクダードにバイト・アル・ヒクマ(知恵の館)があった[22]。
近代精密科学
scientiaないしscienceという用語は、17世紀当時でもきわめて広義に用いられていたので、今日的な意味での「近代自然科学」の意味で使う人が現れた時期がいつなのか探るのは困難であり、せいぜい、精密自然科学が成立したのと同時というほかはない[23]、という。 必ず、実験、観察で確かめること。新しい知識を付け加えていくこと。の二点からなる。
20世紀の歴史学者ハーバート・バターフィールドは、17世紀のヨーロッパにおいて、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験(冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとした。バターフィールドはこれを「科学革命」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた[24]。
古代から中世にかけての諸学問は、客観性や論理的な推論の過程を重視する学問的態度を伴ったものではなかった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。すなわち、今日の自然科学が不可欠の要件としている態度である論理実証主義を欠いていたのである[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。という。例えば中世の大学での講義では、現実の観察結果が古典に書かれた内容と異なるものであれば、古典のテクストが正しいとされていた。
日本語における「科学」
「科学」という語は、中国では、科挙で試される学問「科挙之学」の略語として使われていた[25]。12世紀に南宋の陳亮という人が略語として使ったことが分かっている[26] [27]。
幕末から明治にかけての日本では、「科学」はもっぱら「個別学問」あるいは「分科の学」の意味で用いられていた[28]。
明治時代に science という語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周が、その訳語として「科学」を当てた[29][30]。当初は「科學」と旧字で表記されていたが、新字体の採用により「科学」と書くことになり、現在に至っている。
中国においても、用語に若干の違いはあるものの、science の訳語として「科学」が使われている。
明治政府は、近代国家の形を次第に整えてゆく中で、1877年に東京大学を創立し、1886年にはそれを西欧科学導入の先兵とし、ドイツ近代大学をモデルとして「帝国大学」の名で再編した。当時、世界の科学研究をリードしていたのはドイツだったからである[31](19世紀後半は、第一線の研究といえばドイツのものと相場が決まっていた[32](伊藤博文が、ドイツ、中でもプロイセンをモデル国家にしようとする中で、英国とフランスをモデル国家にしようとしていた自由主義派を追い落としを実行し[33]、それによって政治的な大枠が確定した後、そのヴィジョンの一環として、帝国大学が成立した[34]ともされる。)。つまり、近代日本が採用したのは、西欧で(特にドイツで)すでに制度化され、専門分化した「科学」[35]、すなわち「分科の学」[36]であった[37]。イギリスでは別の学問モデル(個別学問分野での専門的研究を中心とするのではなく、全人教育)を採用していたのに対して、ドイツ学者は自分が従事する学問の意味を深く問うこともなく、特定分野で業績をあげることばかりを追求し、他の学問分野については驚くべき無知さをあらわにしつつあった(と当時のイギリス人が観察していた)[38]。
すなわち、ヨーロッパでは、文化・学問はしっかり根があり、上の幹や枝が分かれた状態で「ササラ型」で成立しているのに対して、日本へは、共通の根を切り捨ててササラの末端がバラバラになった状態で移入された[39][40]ともされ、日本の科学がタコツボ型になっている歴史的事情を物語っている、ともされる。
日本語で「科学」という用語は、本来自然科学のために排他的に使われた言葉ではなく、一般に「個別学科」を意味していたのである[41]。
明治が進み、日本で学問教育体制が整うにつれて、「科学」という用語は、今日的な意味での「近代自然科学」という意味で用いられるようになっていった[42]。
英語、フランス語のscienceの訳語としては、「理学」という言葉も用いられた。これは、近代日本で自然科学の高等教育を授ける場の「理学部」、学位の「理学博士」などの制度的名称として残っている(尚、フランスで教育を受けた中江兆民はphilosophie(philosophyのフランス語)に「理学」という訳語を与えたが、他の訳語の「哲学」のほうが定着した。)。
また、明治時代の日本では「理学」は、(今日で言う)自然科学と工学を総称する言葉であった[43][44]のであり、今日で言う「科学技術」に似た意味を持っていたことになる[45]。東アジアに西欧近代科学が体系的な形でもたらされたのは19世紀後半であったが、ちょうどこの時期ヨーロッパやアメリカでも科学と技術の融合が進み、そのような状態で科学と技術を受容した東アジア諸国の人々は科学と技術を簡単には識別できなくなった[46]。
科学的方法に基づく学問としての科学
よく、「科学は物事の起こる理由を説明するもの」と説明されるが、これは間違いではないものの、科学の実態を正確に説明しているとは言い難い。世の中に見られる現象は、一見不思議なことは数多い。これがなぜかを知りたくなるのであるが、直接にそれを誰かに尋ねることで答えを得るのは難しい。聞かれた方がわからないから、適当に答えたのが神話の発祥かもしれない[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、と言う人もいる。
それに対して、こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法である[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、とされる。言いかえれば、「究極的な目的である「なぜ (Why) 」を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、「どのような (How) 」現象が起きているのかを記述することと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとするのが科学である[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。」、とされる。そのような情報をかき集めて、一定な条件を集めれば特定の結果が得られることを示せるならば、重要な結果を得たと言えようし、その間の科学的説明ができるならば、科学の発展にそれなりの貢献ができたと言えよう。
その意味で、帰納法こそが科学の原点である[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、ともされる。 科学革命の時代以降、科学的方法が次第に形成され、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについて、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。
ただし、どのような方法なら科学的と見なせるのかという境界線は必ずしも明らかなわけではなく、科学者らは議論を重ねてきた歴史があり、現在でも議論は続けられている。
科学と非科学の境界設定
何が科学で何が科学でないのか、数世紀におよぶ議論は混沌としていたが、20世紀前半の科学哲学者カール・ポパーが反証可能性の概念を提示し、それを条件とすることで理論が科学(彼が考える狭義の科学)に属するかそうでないかを線引きできることを示してみせた。混沌とした議論に悩まされ続けていた科学者らの中には反証可能性の概念や反証主義をひとつの解決策として歓迎する人が多かった。現在でも、これを科学と擬似科学とを区分する基準として採用する人は多い[47][48]。
ただしこうしたポパーの科学観に対しては1960年代から批判が加えられるようになった。その代表は科学史家トーマス・クーンのパラダイム論である。パラダイム論によれば、観察は、データを受動的に知覚するだけの行為ではなく、パラダイムすなわち特定の見方・考え方に基づいて事象を能動的に意味付ける行為である。従って、パラダイムそのものは個別の観察によって反証されるのではなく、別のパラダイムの登場によって「パラダイムシフト」の形で覆される。
また、科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。
なお、論理実証主義をベースにし、「検証できないものは科学ではない」と考える科学者も未だに少なくないが、これには論理実証主義それ自体の検証が非常に困難であることをはじめ、数多くの理論的困難に出会い頓挫するため、これを境界の根拠にするのは難しい。[49]
科学の方法論
科学の根本的な原理については一部の著名な科学者や科学哲学者らによって活発な議論が行なわれたわけだが、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについては、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。
例えば物理学や無機化学は、対象のもっぱら無機的・機械的なレベルでの振る舞いに限定して着目し、実験で同一の現象が再現されることを重視しており、その記述は、一般法則や全称命題が中心である。天文学や考古学など、実験や冒険による実証が極めて困難な領域においては、十分な観察と分類にもとづき学問を成立させており、これらの学問も科学的な知見として尊重されている。
生体によって引き起こされる現象を扱う医学、薬学、心理学や、人々の巨大な社会集団を扱う経済学、社会学は、考察対象とする生体や社会そのものが根本的に複雑性や複合性を内包している。これらにおいては個体差が重要な要素となったり、対象が情報を記憶することで内部状態を変化させてゆくものであり、現象の再現性を問うこと自体が困難である場合が多い。そのため、物理学や無機化学におけるような決定論的な手法のみならず、統計論的な手法やその他の手法も適用されている。[50]
近代の経済学者たちが、自分たちの学問を、ただの蓋然的言説ではなく科学的なものとしようとして涙ぐましい努力をしてきたことはよく知られている[51]という。
現代における科学的方法に関する一つの指針としては、全米科学振興協会による「すべてのアメリカ人の科学」がある。(詳細は科学的方法を参照)
詳細は科学的方法で述べる。
自然科学と科学技術
19世紀後半以降、science という語は狭義において「自然科学」の意味で用いられるようになった。今日では、多くの局面において「科学」と言えば暗黙裡に「自然科学」を指していることも多い。自然科学は、自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称である。物理学、化学、生物学などの理学と呼ばれる分野と、医学、農学、工学などの応用科学と呼ばれる分野とを含んでいる。なお、今日では便宜上、19世紀以前の自然哲学の諸研究も、自然科学の一部として分類し扱っている。
この背景として、第1に、自然科学においては科学的方法を適用しやすい点があげられる。ただし、科学的方法が適用可能なのは自然科学のみとは限らない。また、一般的には数学は自然科学の一分野として認識されることが多いが、現代の数学は公理を前提とした演繹手続きとして定式化されており、実験や観察を伴わないことから、科学には含まれないとする見方もある。
第2に、産業革命以降、自然科学の一部が技術と結びついた点があげられる。歴史的には、科学は自然の探求として科学者によって担われ、技術は生活の利便を向上させるものとして職人階層によって担われてきた。しかし産業革命以降、自然科学の知識と手法を応用することで、技術は科学技術へと進化し、工業生産性の向上、公衆衛生水準の向上、そして軍事上の優位など、社会に対して巨大な実用的利益をもたらした。同時に、技術進歩のニーズによって科学研究も大いに刺激を受けた。
第一次世界大戦と第二次世界大戦では、科学者は国家によって動員され、化学兵器や核兵器の開発によって戦争の帰趨に影響を与えた。戦後、科学技術政策は国家政策においても重要な要素として取り込まれている。また科学技術の一層の進歩により、科学は社会から遊離した純粋な知的営為として位置づけることは困難となっている。
人文科学、社会科学、自然科学の総称
今日、「科学」の語は、人文科学、社会科学といった、自然科学の領域には入らないものも含めて指すためにもしばしば用いられている。
21世紀の科学
20世紀には、17世紀に種が播かれた機械論や要素還元論にのっとったパラダイムが実を結んだ[52]。
これに対して、今後は、相関作用のもとで個体化した多様な系が注目されることになりそうだ[53]という。「全体は部分の集合に過ぎない」と見なす要素還元主義から脱却し、結びつきを無視することはできない、要素の集合体としての有機体を取り上げることが課題とされる。また「局所は常に全体につながっていること」を前提とする科学の開拓が課題になりそうだ[54]ともされる。 各要素が、他の多くの要素とつながり、全体とつながっているときには、その働きかけは不可逆的になり、時系列性や歴史性が重要な要素として加わる。20世紀の科学では、このような領域には手が届かなかったが、今後は新しい方法を開拓する挑戦が待たれる[55]という。
20世紀 | 21世紀 | |
---|---|---|
中心分野 | 物理学、化学 | 生命科学、文化学 |
自然観 | 原子論的、機械論的 | 情報的、有機体論的 |
方法論 | 要素還元論 分析的、分解的 規格化 単眼的 |
有機体論、全体論 統合的、設計的 個体化 複眼的 |
特性 | 普遍性 法則性 論理性 数理性 秩序性 価値中立的 |
多様性 複雑性 時系列性 歴史性 ネットワーク性 目的性 |
構造 | 線形的、定常的 拡大分岐化 孤立系、組み合わせ 独立一体系 |
非線形的、非平衡的 多重高密度化 開放系、環境との相関性 相関多体系 |
その他 | 物質・エネルギー 生産志向社会 |
情報・生命 脱工業化社会 |
関連項目
参考文献
- 佐々木力『科学論入門』岩波書店、1996年 ISBN 4004304571
- ハーバート・バターフィールド著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年
- 石黒武彦『科学の社会化シンドローム』岩波書店、2007年 ISBN 4000074717
脚注・出典
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.23
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.8
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.8
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.8
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.8
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.8
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.4
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.4
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.4
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.5
- ^ 古代ギリシャ当時の「フィロソフィア」は、今日の日本人が「哲学」という語を聞いた時に専ら連想するものとはいささか異なっていたのである。
尚、知的な探求や学術的な探求に「フィロソフィア」の語を用いる伝統は現在に至るまで続いている。現在でも通常、欧州や米国で博士号を取得した時に得られるタイトルは、物理学の博士号を取得した時も含めて「Doctor of Philosophy 」(=「Ph.D. 」(英語圏の例)あるいは「D.Phil.」)であり、「フィロソフィア」が各国語に翻訳された語が入ることが一般的である。 - ^ アンドレ・ピショ『科学の誕生〈上〉古代オリエント 』、せりか書房、1995年、ISBN 4796701923
- ^ アンドレ・ピショ『科学の誕生〈下〉ソクラテス以前のギリシア 』、せりか書房、1995年、ISBN 479670194X
- ^ 平田寛『図説 科学・技術の歴史―ピラミッドから進化論まで 前約3400年‐1900年頃』、朝倉書店、ISBN 4254102038
- ^ 都築洋次郎『世界科学・技術史年表』、原書房、ISBN 4562021918
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.28-29
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.28
- ^ 『科学論入門』p.28
- ^ 『科学論入門』p.30
- ^ 『科学論入門』p.30
- ^ 『科学論入門』p.30
- ^ 『科学論入門』p.30
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.5
- ^ ハーバート・バターフィールド著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.3
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.3
- ^ 10世紀頃から使われていた[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.3
- ^ 佐々木力 『科学論入門』、岩波新書、1996年、ISBN 4004304571
- ^ 西周が様々な学問の集まりであると解釈した[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.15
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.15
- ^ 「明治14年の政変」とも呼ばれる
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.16
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.17
- ^ p.16
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.14、17
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.17
- ^ 丸山眞男『日本の思想』1961
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.17
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.18
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.4
- ^ 辻哲夫『日本の科学思想 - その自立への模索』1973年
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.18
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.18
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.20
- ^ 伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』、名古屋大学出版会、ISBN 4815804532 など
- ^ ポパー流の視点に基づけば、「光の速度は不変である」という仮説をおくことは、観察によって反証することが可能なので、科学たりうる。一方、ジークムント・フロイトの精神分析学やカール・マルクスのマルクス経済学は、観察によって反証するすべを持たないので、科学とは呼べないことになる。
- ^ 線引き問題_(科学哲学), Wikipedia
- ^ 分類可能性と予測可能性は厳格なカオスを除いては一体不可分であり[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ(自然の斉一性)。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。
- ^ 佐々木力『科学論入門』p.7
- ^ 石黒武彦『科学の社会化シンドローム』岩波書店2007、p.112
- ^ 『科学の社会化シンドローム』p.112
- ^ 『科学の社会化シンドローム』p.112-113
- ^ 『科学の社会化シンドローム』p.112-113
- ^ 『科学の社会化シンドローム』p.111
関連文献
- トーマス・サミュエル・クーン著、常石敬一訳 『コペルニクス革命―科学思想史序説』、講談社学術文庫、1989年
- アラン・チャルマーズ著、高田紀代志・佐野正博訳 『科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なのか?』、恒星社厚生閣、1985年(新版)
- ジョン・デスモンド・バナール著、鎮目恭夫訳 『歴史における科学』全4巻、みすず書房、1966年
- 村上陽一郎編 『現代科学論の名著』、中公新書、1989年
- ハンス・ライヘンバッハ著、市井三郎訳 『科学哲学の形成』、みすず書房、1985年