[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

飯富橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。
飯富橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 山梨県南巨摩郡身延町
交差物件 富士川
用途 道路橋
路線名 山梨県道411号下部飯富線
管理者 山梨県峡南建設事務所
施工者 横河橋梁製作所鹿島建設
着工 1950年(昭和25年)4月26日
竣工 1953年(昭和28年)3月21日
開通 1953年(昭和28年)5月24日
座標 北緯35度26分24.96秒 東経138度26分18.12秒 / 北緯35.4402667度 東経138.4383667度 / 35.4402667; 138.4383667 (飯富橋)座標: 北緯35度26分24.96秒 東経138度26分18.12秒 / 北緯35.4402667度 東経138.4383667度 / 35.4402667; 138.4383667 (飯富橋)
構造諸元
形式 鋼単純下路トラス橋3連+RCT桁橋
種別 鋼道路橋・RC道路橋
設計活荷重 2等橋 (TL-14)
上部工材料 鉄筋コンクリート
下部工材料 鉄筋コンクリート
橋桁重量 231 t
全長 150.9 m
5.5 m
最大支間長 47 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

飯富橋(いいとみばし)は、山梨県南巨摩郡身延町にある富士川に架かる山梨県道411号下部飯富線トラス橋である。

概要

  • 活荷重 - 2等橋 (TL-14)
  • 路線名 - 県道下部飯富線
  • 形式 - 単純下路平行弦ワーレントラス橋3連+鉄筋コンクリートT桁橋
  • 橋長 - 150.9 m
    • 支間割 - 3×47 m+7 m
  • 幅員
    • 全幅員 - 6.6 m
    • 車道 - 5 m
    • 歩道 - 側道橋2.5 m
  • 床版 - 鉄筋コンクリート
  • 総鋼重 - 231 t
  • 橋台 - 半重力式鉄筋コンクリート橋台(左岸)、重力式コンクリート橋台(右岸)
  • 橋脚 - 鉄筋コンクリート井筒基礎
  • 親柱 - 花崗岩造4基
  • 施工 - 横河橋梁製作所[注釈 1]鹿島建設(上部工)、鹿島建設(下部工)
  • 総工費 - 52,251,302円

[1][2][3]

歴史

旧橋の諸元

  • 路線名 - 村道常葉停車場飯富線
  • 形式 - 木橋
  • 橋長 - 176 m
  • 幅員 - 3.5 m
  • 橋台 - 2基
  • 橋脚 - 21基

[3]

昭和初期に左岸の飯富村 (山梨県)と右岸の共和村による道路組合が県当局等に陳情を重ねて県道編入を前提に1930年(昭和5年)11月に失業対策の土木事業として着手することになり、木橋・飯富橋架設は1932年(昭和7年)11月4日に起工、6134円80銭を費やして翌1933年(昭和8年)4月3日に竣工した。県道下部飯富線は1933年(昭和8年)に県道に認定された[4]。しかし1935年(昭和10年)9月に洪水のため流出し、復旧するも1945年(昭和20年)の大洪水により全面的に流出し、再度架橋するも半年経たずカスリーン台風により1947年(昭和22年)に流出した[5]。度重なる流出を経て地元から永久橋架設の声が高まった。このため共和村長、原村長、富里村長による組合を設置し、災害工事としての認定を得られた。1950年(昭和25年)7月に着工して、1953年(昭和28年)5月に竣工式を迎えた。これを記念して左岸宮木地区に飯富橋竣工記念碑が設置されている[3]

参考文献

  • 峡南教育事務所・峡南地域教育情報紙「かけはし」第88号

脚注

注釈

  1. ^ 横河ブリッジに改称

出典

  1. ^ 「最近竣工した道路橋」『土木技術』第9巻第1号、土木技術社、1954年1月、38-39頁、ISSN 0285-5046 
  2. ^ 飯富橋 - 土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧
  3. ^ a b c 中富町誌編纂委員会『中富町誌』中富町、1971年12月、1106–1108頁。 
  4. ^ 下部町誌編纂委員会『下部町誌』下部町、1981年12月、1427–1427頁。 
  5. ^ 山梨県『山梨県政六十年誌』山梨県、1952年7月、132–135頁。 

外部リンク