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賀陽文憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文憲王から転送)
賀陽 文憲
(文憲王)
昭和初期撮影
続柄 賀陽宮恒憲王第4王子

全名 文憲ふみのり
身位 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 (1931-07-12) 1931年7月12日
大日本帝国の旗 大日本帝国東京府東京市麹町区賀陽宮邸
死去 (2021-02-16) 2021年2月16日(89歳没)
父親 賀陽宮恒憲王賀陽宮邦憲王の第1王男子)
母親 九条敏子九条道実の5女)
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賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年昭和6年〉7月12日 - 2021年令和3年〉2月16日)は、日本旧皇族賀陽宮恒憲王の第4王男子。皇籍離脱前の名・身位は文憲王(ふみのりおう)。

略歴

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1931年昭和6年)7月12日誕生。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽 文憲かや ふみのりとなる[1]学習院大学卒業後、髙島屋に勤務した。 伏見宮家の現当主である伏見博明大韓帝国最後の皇太子と言われた李垠とは、学習院時代の学友である。

栄典

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血縁

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脚注

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  1. ^ 官報』第6226号 1947年昭和22年)10月14日 宮内府告示第16号
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年(昭和16年)10月23日。

関連項目

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