エイミー・オルコット
エイミー・オルコット(Amy Alcott、1956年2月22日 - )はミズーリ州カンザスシティ出身のアメリカ合衆国の女子プロゴルファー。1975年からLPGAツアーに参戦し、メジャー大会5勝を含む通算29勝をあげている。
Amy Alcott | |
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基本情報 | |
名前 | エイミー・オルコット |
生年月日 | 1956年2月22日(68歳) |
身長 | 168 cm (5 ft 6 in) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国・ミズーリ州カンザスシティ |
経歴 | |
プロ転向 | 1975年 |
成績 | |
優勝回数 |
メジャー:5勝 LPGAツアー:29勝 |
初優勝 | 1975年オレンジブロッサム・クラシック |
賞金ランク最高位 | LPGAツアー・3位(1979年・1980年) |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 1999年 |
選出部門 | LPGA |
来歴
編集オルコットは1973年に全米女子ジュニアアマチュアゴルフ選手権で優勝し、1975年、19歳の時にプロ転向した。初勝利はプロ3戦目のオレンジブロッサム・クラシックであった。この年LPGAルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。1979年、1980年.1984年に年間4勝をあげたが、最も好調だったのは1980年で、年間最少平均スコアのタイトル(ベアトロフィー)を獲得し、出場した28トーナメントの内、優勝4回、2位5回、トップ10入りする事21回を数えた[1]。
メジャー初勝利は1979年のピーター・ジャクソン・クラシック(後のデュモーリエ・クラシック)だった。1980年には全米女子オープンを制し、ナビスコ・ダイナ・ショア大会は1983年、1988年、1991年の3回優勝している。1991年のナビスコ・ダイナ・ショアが彼女のLPGAツアーにおける最後の優勝となった。現在、同大会では優勝を祝して18番ホール・グリーン脇の池に飛び込む事が勝者の伝統となっているが、これを最初に行なったのはオルコットである[1]。
ナビスコ・ダイナ・ショア大会の勝利は、彼女の通算29勝目であった。当時世界ゴルフ殿堂入りするには少なくとも通算30勝が必要とされ、オルコットはその後30勝目をあげる事ができなかった。1999年、LPGAが選考方法をポイントに基づく規準に変え、これを満たしていたオルコットは晴れて殿堂入りを果たした[1]。
2001年から2004年まで、オルコットがホストを務めるオフィス・ディポ選手権はLPGAツアーの公式戦であった。ツアー引退後オルコットはコース設計を始め、衛星ラジオ番組の司会者も務めた。また彼女はゴルフのレッスン本を書き、レッスンビデオを製作した。2007年7月、オルコットはカリフォルニア州ロサンゼルスのハーバード・ウェストレイク・スクールにおける女子ゴルフコーチの職を受諾した[1]。
LPGAツアーの優勝歴
編集通算29勝。太字はメジャートーナメント大会。
- 1975年:1勝
- 1976年:2勝
- 1977年:1勝
- 1978年:1勝
- 1979年:ピーター・ジャクソン・クラシックなど4勝
- 1980年:全米女子オープンなど4勝
- 1981年:2勝
- 1982年:1勝
- 1983年:ナビスコ・ダイナ・ショア大会の1勝
- 1984年:レディ・キーストン・オープンなど4勝
- 1985年:ネッスル世界選手権など3勝
- 1986年:2勝
- 1988年:ナビスコ・ダイナ・ショア大会の1勝
- 1989年:1勝
- 1991年:ナビスコ・ダイナ・ショア大会の1勝
LPGAメジャー大会の成績
編集トーナメント | 1971 | 1972 | 1973 | 1974 | 1975 | 1976 | 1977 | 1978 | 1979 | 1980 |
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ナビスコ・ダイナ・ショア大会 † | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... |
全米女子プロゴルフ選手権 | ... | ... | ... | ... | CUT | CUT | T34 | 2 | 3 | T10 |
全米女子オープン | ... | ... | ... | ... | 18 | T5 | T4 | T12 | T37 | 1 |
デュモーリエ・クラシック | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... | 1 | T10 |
トーナメント | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 |
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ナビスコ・ダイナ・ショア大会 | ... | ... | 1 | T10 | T31 | T14 | T11 | 1 | T62 | T34 |
全米女子プロゴルフ選手権 | 9 | T5 | T26 | T52 | T8 | T15 | T9 | 2 | T14 | T46 |
全米女子オープン | T19 | T13 | T11 | T3 | 11 | T5 | T12 | T41 | T26 | T9 |
デュモーリエ・クラシック | T25 | WD | T13 | T10 | 3 | T8 | T14 | T4 | T4 | CUT |
トーナメント | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 |
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ナビスコ・ダイナ・ショア大会 | 1 | T32 | T56 | T58 | CUT | T23 | T57 | T40 | T33 | CUT |
全米女子プロゴルフ選手権 | 10 | T10 | CUT | T7 | CUT | CUT | T67 | CUT | CUT | CUT |
全米女子オープン | 3 | T13 | T26 | T6 | T63 | DNP | CUT | CUT | DNP | DNP |
デュモーリエ・クラシック | T44 | CUT | T25 | T14 | T33 | T36 | T52 | CUT | CUT | T65 |
トーナメント | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 |
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クラフト・ナビスコ選手権 † | CUT | T68 | CUT | 77 | CUT | CUT | CUT | CUT |
全米女子プロゴルフ選手権 | T54 | DNP | DNP | CUT | DNP | WD | DNP | DNP |
全米女子オープン | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP |
全英女子オープン ^ | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP |
† 現在クラフト・ナビスコ選手権として知られているこのトーナメントは1972年 - 81年までコルゲート・ダイナ・ショア大会、1982年 - 99年までナビスコ・ダイナ・ショア大会であった。2000年にナビスコ選手権になり、2002年に現在の名称となった。
^全英女子オープンは 2001年からデュモーリエ・クラシックの代わりにLPGAメジャー大会に昇格した。
LA = ローアマチュア(最優秀アマチュア選手)
DNP = 出場せず
CUT = 予選落ち
WD = 棄権
DQ = 出場資格無し
... = メジャー大会ではなかった
"T" = 複数の選手と順位を分け合った(タイ)
グリーン地は優勝、黄色地はトップ10入りを表している。
脚注
編集- ^ a b c d Brent Kelley. “Amy Alcott” (英語). about.com. 2009年9月15日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- エイミー・オルコット - 全米女子プロゴルフ協会のプロフィール
- プロフィール - World Golf Village.com
- プロフィール - Jewish Sports.net
- 略歴 - about.com
- 略歴 - National Jewish Sports Hall of Fame and Museum