ミトロファン・ナディン
ミトロファン・アレクサンドロヴィチ・ナディン(Митрофан Александрович Надеин, Mitrofan Alexandrovich Nadein)は、ロシア帝国の陸軍軍人。露土戦争や、日露戦争の旅順攻囲戦に参戦した。
ミトロファン・アレクサンドロヴィチ・ナディン Митрофан Александрович Надеин | |
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ミトロファン・ナディン | |
生誕 | 1839年11月20日 |
死没 | 1908年1月1日 |
所属組織 | ロシア帝国 |
軍歴 | 1856 — ? |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1856年、士官候補生としてポドルスキー歩兵第55連隊に所属、1863年に少尉に任官した。連隊所属のまま露土戦争に参戦。シプカ防衛戦に参加して負傷。その武功が認められて少佐に昇格し、聖ゲオルギー勲章と「勇敢」の金剣が与えられた。
1894年に大佐、1904年に少将に昇進。同時に東シベリア狙撃兵第4師団所属の第2旅団長となり、旅順要塞防衛に参加。5月3日から13日の戦闘に加わり、腕を負傷。同年10月から11月からは東部戦線の指揮を執った。その間、10月22日には中将に昇進している。旅順要塞軍降伏後は捕虜として日本へ送還された。
家族は妻と5人の子供がいた。
栄典
編集参考
編集- “Надеин Митрофан Александрович”. biografija.ru. 2012年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。11 июля 2008閲覧。
注
編集- ^ “Кавалеры Ордена Святого Георгия 4 класса за боевые отличия”. Георгиевская страница. 11 июля 2008閲覧。
- ^ “Кавалеры Ордена Святого Георгия 3 класса”. Георгиевская страница. 11 июля 2008閲覧。