中島孝
経歴
編集長崎県長崎市出身。終戦翌年の1946年(昭和21年)、ムーラン・ルージュの前身ともいえる晴邦劇団にショー・シンガーとして入団。1950年(昭和25年)、芸名を中島孝とし、テスト無しでポリドールから『春風道中』で歌手デビュー。当時は、花形歌手だった上原敏が戦死していたため、ポスト上原敏として大々的に売り出しを行った。しかし、1952年(昭和27年)にポリドールの資本系列が全面入れ替わり「邦楽レコードの制作中止」という経営方針に変わったため、新譜レコードが出せなくなってしまったため退社。
1954年(昭和29年)、ポリドール時代から旧知の仲だった作曲家の三界稔に誘われ、日本コロムビアに入社。『故郷の国を偲ぶのさ』で再デビュー。1954年3月、東映映画『若者よ!恋をしろ』の同名主題歌が初ヒット。その後も、1931年(昭和6年)に発売された徳山璉の『侍ニッポン』、1937年(昭和12年)に発売された藤山一郎の『白虎隊』を古賀政男がアレンジした『霧の川中島』などのリバイバル、松竹映画『破れ太鼓』の同名主題歌などがヒットした。
また、森繁久彌も歌っている『銀座の雀』も有名(中島は織井茂子、川島まり子と3人で歌唱。森繁は1人で歌唱)。
2012年(平成24年)、『若者よ!恋をしろ』がNHK朝の連続テレビ小説『梅ちゃん先生』の中で歌われた。
代表曲
編集ポリドールレコード
- 春風道中(昭和25年1月)-デビュー曲、裏面も青葉笙子が歌った同曲
- 荒野のセレナーデ(昭和25年7月)-裏面は宮城まり子の『テキサスのやんちゃ娘』、新映画「紅二挺拳銃」主題歌
- 西部やくざ(昭和25年9月)
- アラビヤの恋の唄(昭和26年)
コロムビアレコード
- 若者よ!恋をしろ(昭和29年7月1日)
- そんなに逢いたいなら(昭和29年10月)共演:神楽坂はん子、A面ははん子の『恋茶娘』
- 稗搗恋唄(昭和29年12月)共演:神楽坂はん子
- さまを想うて(昭和29年12月)共演:神楽坂はん子、『五木の子守唄』がベースとなっている
- 地球はだまって廻ってる(昭和29年12月25日)-東宝映画「恋化粧」主題歌
- 男のまごころ(昭和30年1月)
- お役者がらす(昭和30年2月)共演:島倉千代子
- 侍ニッポン(昭和30年3月1日)-東映映画「侍ニッポン新納鶴千代」主題歌
- 霧の川中島(昭和30年8月15日)-吟詠舞踊のスタンダード曲『白虎隊』を古賀政男がアレンジ、頼山陽作の漢詩が挿入されている
- 銀座の雀(昭和30年9月)-オリジナルは森繁久彌。共演:織井茂子、川島まり子
- 相川音頭(昭和30年12月1日)共演:永田とよ子、コロムビア女声合唱団、相川とは新潟県佐渡相川のこと
- 黒田節(昭和30年12月1日)-『相川音頭』B面曲
- 人生劇場(昭和31年3月)-オリジナルは1938年に発売された楠木繁夫の曲
- 流す涙は嘘じゃない(昭和31年3月10日)-日活映画「乙女心の十三夜」主題歌、A面は島倉千代子の左曲
- 大阪音頭(昭和31年4月)共演:島倉千代子
- おきあがり人生(昭和31年5月15日)
- 何年ぶりかでやって来た(昭和31年7月15日)
- 母恋い三度笠(昭和31年10月)
- 若者は夢を見る(昭和32年3月)-共演:織井茂子
- お役者峠(昭和32年4月)
- 野武士の合唱(昭和32年4月15日)
- 徳利の別れ(昭和32年11月15日)-オリジナルは1938年に発売された上原敏の『徳利の別れ(赤垣源蔵の唄)』
- 破れ太鼓(昭和33年7月15日)-共演:安田祥子(由紀さおりの姉)、コロムビア男声合唱団、ひばり児童合唱団、松竹映画「破れ太鼓」主題歌
主な映画出演
編集- ムーランルージュの青春(2011年) - ドキュメンタリー映画
主なテレビ出演
編集外部リンク
編集- 中島孝 - 日本コロムビア