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井原 元造(いはら もととき)は、戦国時代武将安芸毛利家家臣。父は井原元師。母は毛利弘元の娘であるため、毛利元就の甥にあたる。

 
井原元造
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 通称:次郎
官位 中務少輔
主君 毛利元就
氏族 高氏庶流井原氏
父母 父:井原元師、母:竹姫毛利弘元の娘)
兄弟 元造六郎五郎樋爪兵部少輔、女(天野隆重正室)
元良、女(渡辺元室)、女(井上与左衛門室)
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出自

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井原氏は、高師直の弟・師久安芸国高田郡井原村[注釈 1]に住したことから、在名にちなんで井原氏を称した。父・井原元師の代に毛利弘元の娘を娶って毛利家との関係を深め、後に毛利家に帰属した。また、井原氏は安芸内藤氏秋山氏三田氏と共に「中郡衆」と称される。

生涯

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毛利家家臣の井原元師の子として生まれ、毛利元就に仕える。

永正8年(1511年10月30日、毛利家へ忠節を誓い、京関東御役の際に段銭を納めることを誓約する。

元就による安芸井上氏粛清の直後の天文19年(1550年7月20日付で、毛利家臣団が元就の上意に従う旨を誓約した起請文に、元造も36番目に署名している。

天文21年(1552年)、備後国へ出陣して戦功を挙げ、元就・隆元父子に賞される。

弘治元年(1555年)から弘治3年(1557年)にかけて行われた防長経略では元就らに従軍せず、石見井原城[注釈 2]の在番や、吉田郡山城に集められた人質の番を務めた。

没年は不明。嫡男の元良が跡を継いだ。

脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の広島県広島市安佐北区白木町大字井原。
  2. ^ 石見国邑智郡に存在した城。小笠原長雄攻撃のために築城された。

参考文献

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