志沢春吉
日本の将棋棋士
志沢 春吉(しざわ はるきち、1899年1月3日 - 1985年1月12日)は、将棋棋士、八段。大崎熊雄九段門下。棋士番号は8。神奈川県小田原市出身。
志沢春吉 八段 | |
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名前 | 志沢春吉 |
生年月日 | 1899年1月3日 |
没年月日 | 1985年1月12日(86歳没) |
プロ入り年月日 | 1929年(29歳) |
引退年月日 | 1950年(51歳) |
棋士番号 | 8 |
出身地 | 神奈川県小田原市 |
所属 |
日本将棋連盟(関東) →将棋大成会(関東) →日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 大崎熊雄九段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 志沢春吉 |
順位戦最高クラス | C級 |
2017年8月21日現在 |
経歴
編集1929年四段。奨励会(関東)の創設は1928年であるため、奨励会に参加していたと思われる。
第1期順位戦はC級で参加。1948年の第3期順位戦は0勝3敗で予選敗退。翌年の第4期順位戦はC級2組(東)で0勝8敗。翌年に引退。
引退後は東京都立川市にある立川王将会館の前身、立川将棋クラブの師範として週に数回現れ、地域の強豪と真剣を指すのを生き甲斐にしていたという。
昇段履歴
編集昇段規定については「将棋の段級」を参照
- 1929年 : 四段 = プロ入り
- 1946年 : 五段
- 1950年 : 引退
- 1964年11月 3日: 六段(贈六段:棋界功労者表彰式表彰)
- 1980年11月17日: 七段(贈七段:将棋の日表彰)
- 1985年 1月12日: 八段(追贈)
主な成績
編集在籍クラス
編集竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[1]
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竜王戦 出典[2]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1946 | 1 | C125 | 4-10 | |||||||||||||||
1947 | 2 | C129 | 3-9 | |||||||||||||||
1948 | 3 | C2 | 0-3 | |||||||||||||||
1949 | 4 | C2 | 0-8 | |||||||||||||||
1950年引退 | ( 棋戦創設前 ) | |||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度別成績
編集年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
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1945 | 1 | 1 | 0 | 1.0000 | |
1946 | 16 | 5 | 11 | 0.3125 | |
1947 | 12 | 3 | 9 | 0.2500 | |
1948 | 3 | 0 | 3 | 0.0000 | |
1949 | 8 | 0 | 8 | 0.0000 | |
1950年引退 |