松本怜
松本 怜(まつもと れい、1988年2月25日 - )は、北海道室蘭市出身のサッカー選手。九州サッカーリーグ・ジェイリースFC所属。ポジションはミッドフィールダー。既婚[4]。マネジメント会社はエースポーツクリエイション[5]。
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名前 | ||||||
愛称 | レイチェル[1] | |||||
カタカナ | マツモト レイ | |||||
ラテン文字 | MATSUMOTO Rei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年2月25日(36歳) | |||||
出身地 | 北海道室蘭市[2] | |||||
身長 | 175cm[3] | |||||
体重 | 68kg[3] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジェイリースFC | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 7 | |||||
利き足 | 右足[1] | |||||
ユース | ||||||
2003-2005 | 青森山田高校 | |||||
2006-2009 | 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2010-2014 | 横浜F・マリノス | 19 | (0) | |||
2013-2014 | → 大分トリニータ (loan) | 33 | (2) | |||
2015-2022 | 大分トリニータ | 207 | (10) | |||
2023- | ジェイリースFC | 6 | (0) | |||
通算 | 265 | (12) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年9月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集プロ入り前
編集幼少期より横浜F・マリノスに憧れを抱き[6]、ジュニアユース、ユースのセレクションを受験するも共に落選[7]。中学卒業後は青森山田高校に進学した(同期は伊東俊、小澤竜己、ロメロ・フランク等)。3年次の2005年に青森県勢としては初の全国制覇となるインターハイ優勝に貢献した[6]。
卒業後は早稲田大学に進学。早大でも主力として活躍し[2] 2年次の2007年にはインカレで優勝を経験。大学4年次の9月にはFC東京[8]・横浜F・マリノスの練習に参加し、横浜FMの練習参加時には当時監督であった木村浩吉から高い評価を受けた[7]。上記クラブの他川崎フロンターレやモンテディオ山形等、複数クラブから獲得オファーを受けたが[6]、横浜FMへの入団を決め[9]、10月31日に入団内定が発表された[10]。
横浜F・マリノス
編集2010年にJ1・横浜F・マリノスに入団。10月9日、天皇杯3回戦・サガン鳥栖戦の後半37分に公式戦初出場を果たすと[6]、約1週間後の10月17日、J1第26節・ヴィッセル神戸戦の後半44分から交代出場し、リーグ戦初出場を果たした。当時同僚であった松田直樹からは事あるごとに「お前はもっと上に行ける」と声をかけられ、励まされ続けた[11]。
2年目の2011年は当時の監督であった木村和司と折り合いがつかず[12]、1試合の出場に留まっていた。夏の移籍期間では強い興味を示していたJ2・ジェフユナイテッド千葉への移籍も視野に入れていたが、最終的には残留した[12]。
3年目の2012年はシーズン序盤と途中にスーパーサブとして重宝され[12]、9月29日・大宮アルディージャ戦にてプロA契約締結条件の通算450分出場をクリアしたが結果は残せず[12]、横浜FMでの3年間でのリーグ戦出場試合数は19試合に終わった。
大分トリニータ
編集出場機会を求め[13]、2013年にJ1に昇格した大分トリニータに期限付き移籍[14]。開幕戦から右ウイングバックとしてスタメン起用され、第4節の柏レイソル戦でJリーグ初ゴールとなる得点を決めるも、2度の長期負傷離脱を強いられ[15] シーズン通じて試合に出場する事はできなかった。翌2014年大分はJ2に降格したが、期限付き移籍期間延長という形でチームに残留した[15]。前年の負傷の影響でリハビリからのシーズンスタートとなったが[16]、第7節・コンサドーレ札幌戦で復帰を果たした。
2015年、「まだここで何も成し遂げていない[17]」との思いから大分に完全移籍[18]。シーズン途中から右サイドのレギュラーとして左サイドの為田大貴と共に好調ぶりを発揮し、第32節・FC岐阜戦では2得点に絡む活躍を見せたが[19]、チームのJ3リーグ降格を食い止める事は出来なかった。
2016年、「そんな簡単に移籍できるもんじゃない[17]」と残留を決意し、背番号も7番に変更。また新たに監督に就任した片野坂知宏のピッチ内の動きの組織化を重視する戦術に影響を受け、それまでのスピードを生かしたサイド突破狙いのスタイルから、ポジショニングを重視した頭脳派のスタイルへと同年以降徐々に変貌していった[20]。
開幕節・AC長野パルセイロ戦にて先発出場し、同一クラブでJ1、J2、J3全てのカテゴリでの先発出場を果たした初の選手となると、第2節・鹿児島ユナイテッドFC戦ではJ3初得点を記録し、前述の条件で得点をマークした初の選手となった[21]。年間を通じて先発出場を続け、チームのJ3優勝・1年でのJ2復帰に貢献した。オフにはJ1クラブからオファーを受けたが、「大分でJ1に行く」という思いから残留を決意した[22]。
再びJ2でのプレーとなった2017年、開幕戦・アビスパ福岡戦では前半26分に先制点となるゴールを決めると、後半ロスタイムにはサイドで粘り決勝点に繋がるCKを獲得するなど勝利に貢献[17]。その後は第6節・愛媛FC戦での負傷で一時離脱をしたが[23]、最終的にはリーグ戦出場数(30試合)、得点数(3得点)ともに自身最多をマークした。
2018年は、前年に結婚し長男も誕生した事をきっかけとして、責任感・考え方が変化[24]。練習後の自主練や身体のケアの量を調整し、食事のパターン化を取り入れるなど自身をコントロールした結果[25]、プロ入り後初のリーグ戦全試合先発出場を果たした。縦への突破だけでは無くクロス精度も向上した他[24]、「スピードだけの選手と思われたくない。これまで以上に考えてプレーするようになった」と多彩な攻撃を見せ[24] 前年を更に上回る4得点をマーク。更にはリーグ2位の229本のクロス、同7位の105本のスルーパスを放ち[26] サイドから多く決定機を演出し[24]、10アシストを記録[26]。チームの6年振りのJ1昇格の立役者となった[27]。
自身6年ぶりのJ1でのプレーとなった2019年は2012年以来のシーズン無得点に終わったが、前年から引き続きポジションを守り切り、2年連続でリーグ戦全試合出場を達成した。2021年はチームの低迷の影響を受け中盤以降出場機会を減らし、リーグ戦ではケガの影響を受けた2013年の次に少ない14試合の出場にとどまった[28]。個人として目標に掲げていたAFCチャンピオンズリーグ出場まで目前に迫った[29]天皇杯決勝・浦和戦では途中出場からピッチに立ったが惜しくも敗退し、自身にとっての悲願達成はならなかった。
2022年を以て大分との選手契約が満了となり、2023年より新設されたクラブ・リレーションズ・オフィサー(略称:C.R.O.)に就任[30]。なお、選手としては九州サッカーリーグ所属のジェイリースFCへ加入し、現役を続行する事となった[31]。
エピソード
編集所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 横浜FM | 26 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | 0 |
2011 | 18 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | ||
2012 | 17 | 13 | 0 | 4 | 0 | 1 | 1 | 18 | 1 | ||
2013 | 大分 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 9 | 1 | ||
2014 | J2 | 25 | 1 | - | 0 | 0 | 25 | 1 | |||
2015 | 27 | 1 | - | 2 | 1 | 29 | 2 | ||||
2016 | 7 | J3 | 27 | 1 | - | 3 | 0 | 30 | 1 | ||
2017 | J2 | 30 | 3 | - | 1 | 0 | 31 | 3 | |||
2018 | 42 | 4 | - | 0 | 0 | 42 | 4 | ||||
2019 | J1 | 34 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | ||
2020 | 22 | 1 | 3 | 0 | - | 25 | 1 | ||||
2021 | 14 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 21 | 0 | |||
2022 | J2 | 11 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 | ||
2023 | Jリース | 九州 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | |||
2024 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 97 | 2 | 9 | 0 | 14 | 1 | 120 | 3 | |
日本 | J2 | 135 | 9 | 3 | 0 | 4 | 1 | 142 | 10 | ||
日本 | J3 | 27 | 1 | - | 3 | 0 | 30 | 1 | |||
日本 | 九州 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |||
総通算 | 265 | 12 | 12 | 0 | 21 | 2 | 298 | 14 |
その他の公式戦
獲得タイトル
編集クラブ
編集- 青森山田高校
- 全国高等学校総合体育大会:1回(2005年)
- 早稲田大学
- 全日本大学サッカー選手権大会:1回(2007年)
- 大分トリニータ
個人別
編集- 全日本大学サッカー選手権大会 ベストMF:1回(2007年)
代表歴
編集- 2005年 U-18日本代表
その他経歴
編集- 2023年 - 大分トリニータ:クラブ・リレーションズ・オフィサー
出演
編集CM
編集脚注
編集- ^ a b “MF 17 松本 怜 - 選手・スタッフ一覧 - チーム情報”. 大分トリニータ. 株式会社大分フットボールクラブ. 2013年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月6日閲覧。
- ^ a b MF松本怜 大分の切り札になるか?守備で輝き増す快足ドリブラー スポニチ、2013年2月26日
- ^ a b “松本 怜:大分トリニータ”. 日本プロサッカーリーグ (2019年2月1日). 2019年2月2日閲覧。
- ^ a b “松本怜選手入籍のお知らせ”. 大分トリニータ. 株式会社大分フットボールクラブ (2017年8月3日). 2018年6月29日閲覧。
- ^ “松本 怜 【MF・FW】”. エースポーツクリエイション株式会社. 2018年9月13日閲覧。
- ^ a b c d 横浜FM・早大出期待のルーキー松本がプロデビュー、「やっとマリノスの一員になれたかな」 ゲキサカ、2010年10月10日
- ^ a b 横浜FMに早大のスピードスターが入団へ ゲキサカ、2009年10月31日
- ^ 早大の松本がF東京の練習に参加 ゲキサカ、2009年9月24日
- ^ a b 横浜FM MF松本怜が大分へ期限付き移籍「新たなチャンスであり、最後のチャンス」 ゲキサカ、2013年1月7日
- ^ 横浜FMが新入団選手を発表 ゲキサカ、2009年11月1日
- ^ ルーキーにまで注がれた“松田愛”、松本「マリノス最後の試合の日にも声をかけてくれた」 ゲキサカ、2011年8月7日
- ^ a b c d “【本誌独占インタビュー+緊急寄稿】松本怜、レイチェリスタへのメッセージ -だから松本怜は帰ってくる”. タグマ. 株式会社ガードかなさる (2013年1月7日). 2018年12月5日閲覧。
- ^ “もう決めた。そして松本怜は歯切れよく言う。「J1のチームからオファーを受けるような選手になりたい」・・・松本怜の完全移籍について(藤井雅彦) -1,133文字-”. タグマ. 株式会社ガードかなさる (2015年1月7日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ 『松本 怜選手 横浜F・マリノスより期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2013年1月7日 。2022年11月26日閲覧。
- ^ a b 大分がMF松本怜の期限付き移籍期間延長を発表 ゲキサカ、2014年1月14日
- ^ “負傷離脱から復帰間近の松本怜「走ってバテてもそれさえも楽しい」”. ブロゴラ. 株式会社スクワッド (2014年4月11日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ a b c “男気あふれる松本怜とともに。大分のJ2復帰シーズンがスタート”. ブロゴラ. 株式会社スクワッド (2017年3月4日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ 『松本怜選手 横浜F・マリノスより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2015年1月7日 。2022年11月26日閲覧。
- ^ “左に為田大貴あれば右に松本怜あり。残留のキーマンと自負する超絶スプリンターが絶好調”. ブロゴラ. 株式会社スクワッド (2015年9月22日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ “大分トリニータ 松本怜が「戦友」片野坂知宏監督の花道を飾る”. オー!エス!. 大分合同新聞、テレビ大分 (2021年12月17日). 2022年11月25日閲覧。
- ^ ““J1・J2・J3全カテゴリー先発出場および得点記録保持者”、大分・松本怜が挑む新たな記録”. ブロゴラ. 株式会社スクワッド (2018年2月24日). 2018年6月29日閲覧。
- ^ “「大分愛」貫き悲願のJ1、13年移籍の松本発奮…J3から復帰「泣いちゃった」”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社 (2018年11月27日). 2018年11月27日閲覧。
- ^ “大分、MF松本怜の負傷離脱を発表…全治まで約6週間の診断”. サッカーキング. 株式会社フロムワン (2017年4月6日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ a b c d “【大分 vs 山口】 ウォーミングアップコラム:スピードスターからインテリジェンスな選手へと変貌した松本怜”. J's GOAL (2018年5月19日). 2018年11月17日閲覧。
- ^ “トリニータ 松本怜インタビュー「J1はどうしても戻りたい場所だった」(2ページ目)”. オー!エス!. 大分合同新聞、テレビ大分 (2018年11月29日). 2018年12月5日閲覧。
- ^ a b “データで振り返る2018年のJ2リーグ(個人編)。町田の平戸がアシスト王に。熊本の田中は孤軍奮闘の活躍【Jリーグ】”. 日本プロサッカーリーグ (2018年11月27日). 2018年11月27日閲覧。
- ^ “トリニータ 松本怜インタビュー「J1はどうしても戻りたい場所だった」(1ページ目)”. オー!エス!. 大分合同新聞、テレビ大分 (2018年11月29日). 2018年12月5日閲覧。
- ^ “大分MF松本怜は悲願のJ1→J3→J1→ACLならず…それでも貫く百折不撓「もう一度奮起してJ1に」”. ゲキサカ. 講談社 (2021年12月20日). 2022年11月25日閲覧。
- ^ “大分トリニータ 松本怜が「戦友」片野坂知宏監督の花道を飾る(2ページ目)”. オー!エス!. 大分合同新聞、テレビ大分 (2021年12月17日). 2022年11月25日閲覧。
- ^ 『松本 怜選手 クラブ・リレーションズ・オフィサー就任のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2022年11月25日 。2022年11月25日閲覧。
- ^ 『松本怜選手 大分トリニータより加入のお知らせ』(プレスリリース)ジェイリースFC、2022年11月25日 。2022年11月25日閲覧。
- ^ “北海道・胆振地方出身の大分・松本怜と那須川将大、震源地の故郷を案じつつ熊本戦へ”. ブロゴラ. 株式会社スクワッド (2018年9月7日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ “大分バス株式会社さんのツイート”. 大分バス (2018年11月9日). 2018年11月18日閲覧。
- ^ 『ジェイリースの新テレビCMを公開いたしました』(プレスリリース)ジェイリース、2019年1月25日 。2019年1月26日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 松本怜 - Soccerway.com
- 松本怜 - FootballDatabase.eu
- 松本怜 - WorldFootball.net
- 松本怜 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 松本怜 - J.League Data Siteによる選手データ
- 松本怜 - TheFinalBall.com
- 松本怜 (@MATSUREICHERU) - X(旧Twitter)
- 松本怜 (@matsumoto_rei7) - Instagram