植村家貞
日本の江戸時代前期~中期の大名。大和高取藩初代藩主植村家政三男で、高取藩2代藩主。従五位下右衛門佐
植村 家貞(うえむら いえさだ)は、大和高取藩の第2代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 元和4年(1618年) |
死没 | 元禄3年4月14日(1690年5月22日) |
改名 | 家吉・右衛門(幼名)、家貞 |
戒名 | 一峰空顕泰祥院 |
墓所 | 東京都港区芝の如来寺 |
官位 | 従五位下、右衛門佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱→綱吉 |
藩 | 大和国高取藩主 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村家政、母:植村泰忠の娘 |
兄弟 | 家俊、八助、家貞、政春 |
妻 |
正室:織田信則の娘 継室:井上正利の娘 |
子 | 政成(長男)、家言、政明(三男)、正澄(四男)、娘(井上利朗室)、娘(堀直良正室)、娘(内藤豊弘室) |
略歴
編集元和4年(1618年)、初代藩主・植村家政の三男として生まれる。慶安3年(1650年)、父の死去により跡を継ぐ。明暦4年(1658年)7月7日、弟の政春に3000石を分与したため、高取藩は2万2000石となった。貞享4年(1687年)8月25日、次男の家言に家督を譲って隠居し、元禄3年(1690年)4月14日に死去した。享年73。
暗愚だったと言われている。