申在範
申 在範(シン・チェボン、신재범、1971年9月27日 - )は、東京都出身の在日朝鮮人の元サッカー選手、サッカー指導者。 日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。
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名前 | ||||||
カタカナ | シン・チェボン | |||||
ラテン文字 | Shin Che-Bon[1] | |||||
チョソングル | 신재범 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 朝鮮籍 | |||||
生年月日 | 1971年9月27日(53歳) | |||||
出身地 | 東京都足立区 | |||||
身長 | 176cm[1] | |||||
体重 | 70kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW、DF | |||||
ユース | ||||||
東京朝鮮高級学校 | ||||||
朝鮮大学校 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1995 | ジェフユナイテッド市原 | 18 | (1) | |||
1996 | 富士通川崎 | 6 | (0) | |||
1997-1998 | ホンダルミノッソ狭山FC | |||||
1999-2001 | 横河電機 | 64 | (4) | |||
2002-2003 | FC KOREA | |||||
2016 | FCガンジュ岩手 | 0 | (0) | |||
通算 | 88 | (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集東京都足立区[2]にて在日朝鮮人三世[2]として生まれる。小学校から一貫して朝鮮学校で育ち[3]、大学も朝鮮大学校に進んだが、半年ほどで退学してサッカー留学でブラジルに渡る[4]。ブラジル時代には広島で開催されたユニバーシアードに出場する北朝鮮代表チームに招集されたが、直後に肝炎を患ったため大会には出場できなかった[5]。
1992年4月、東日本JR古河サッカークラブ(同年よりジェフユナイテッド市原。現・ジェフユナイテッド千葉)の入団テストを受け、240名の志願者の中からただ1人合格する[6][7]。あわせてJリーグの通称「在日枠」の適用条件を満たすため、東京都立上野高等学校の通信制に通い、高卒資格を得る[8][9]。朝鮮学校出身でJリーガーとなった選手は申が初めてだった[10]。
1993年8月14日、NICOSシリーズ第5節の浦和レッズ戦で途中交代によりJリーグ初出場[11]。市原には1995年まで在籍し、リーグ戦通算成績は18試合1ゴールだった[1]。
その後は旧JFLの富士通川崎(現・川崎フロンターレ)、関東サッカーリーグのホンダルミノッソ狭山FC、JFLの横河電機(現・東京武蔵野シティFC)でプレー。2000年シーズンに一度は引退したが、2001年3月に現役復帰し同シーズンも横河電機でプレーした[12]。2002年より李清敬に誘われて彼が監督を務めるFC KOREAに加わり、選手兼コーチを務めた[13]。
FC KOREAの監督、アルテ高崎のコーチ[14] を経て、2012年8月、東北社会人サッカーリーグ2部のFCガンジュ岩手監督に就任。同年、東北2部北リーグに優勝して1部に昇格。2014年、2015年と2年連続で1部リーグに優勝したが、全国地域リーグ決勝大会では両年とも1次ラウンドで敗退した。2015年12月1日、退任が発表された[15]。
所属クラブ
編集- 東京朝鮮高級学校
- 朝鮮大学校
- 1992年 - 1995年 ジェフユナイテッド市原
- 1996年 富士通川崎FC
- 1997年 - 1998年 ホンダルミノッソ狭山FC
- 1999年 - 2001年 横河電機サッカー部
- 2002年 - 2003年 FC KOREA
- 2016年 FCガンジュ岩手(選手兼CEO)
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 市原 | - | J | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1993 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | |||
1994 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 10 | 1 | |||
1995 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | ||||
1996 | 富士通 | 旧JFL | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
1997 | 狭山 | 関東 | - | - | |||||||
1998 | - | - | |||||||||
1999 | 横河 | 20 | JFL | 18 | 1 | - | 0 | 0 | 18 | 1 | |
2000 | 22 | 3 | - | 1 | 0 | 23 | 3 | ||||
2001 | 21 | 24 | 0 | - | 0 | 0 | 24 | 0 | |||
2002 | KOREA | 東京都1部 | - | - | |||||||
2003 | - | - | |||||||||
2016 | G岩手 | 29 | 東北1部 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
通算 | 日本 | J | 18 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 21 | 3 | |
日本 | JFL | 64 | 4 | - | 1 | 0 | 65 | 4 | |||
日本 | 旧JFL | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |||
総通算 |
代表歴
編集- ユニバーシアード北朝鮮代表
指導歴
編集出典
編集- ^ a b c d “申 在範”. J. League Data Site. Jリーグ. 2017年2月28日閲覧。
- ^ a b 藤井 2002, p. 23.
- ^ 藤井 2002, p. 24.
- ^ 藤井 2002, pp. 45–46.
- ^ 藤井 2002, p. 53.
- ^ 慎 2013, p. 111.
- ^ 藤井 2002, pp. 47–48.
- ^ 慎 2013, p. 108.
- ^ 藤井 2002, pp. 50–51, 54.
- ^ 慎 2013, p. 109.
- ^ “公式記録 ’93JリーグNICOSシリーズ 第5節第1日”. J. League Data Site. Jリーグ. 2017年2月28日閲覧。
- ^ 『-お知らせ-』(プレスリリース)横河電機サッカー部、2001年3月20日。オリジナルの2001年8月12日時点におけるアーカイブ 。2017年2月27日閲覧。
- ^ 河崎三行 『チュックダン!―在日朝鮮蹴球団の物語』 双葉社、2002年、316-317頁、ISBN 978-4575294880
- ^ 『新入団選手・スタッフのお知らせ』(プレスリリース)FCホリコシ、2006年1月25日。オリジナルの2006年2月2日時点におけるアーカイブ 。2017年2月28日閲覧。
- ^ 『ニュース』(プレスリリース)FCガンジュ岩手、2015年12月1日 。2017年2月28日閲覧。
参考文献
編集- 藤井, 誠二 (2002). コリアンサッカーブルース. アートン. ISBN 978-4901006309
- 慎, 武宏 (2013). 増補版 祖国と母国とフットボール ザイニチ・サッカー・アイデンティティ. 朝日新聞出版. ISBN 978-4022617675
関連項目
編集外部リンク
編集- 申在範 (@sinjebom) - X(旧Twitter)
- 申在範 - J.League Data Siteによる選手データ