相馬錩一
日本の政治家、弘前市長 (1936-2024)
相馬 錩一(そうま しょういち、1936年(昭和11年)10月30日[1] - 2024年(令和6年)1月3日[2])は、日本の税理士。政治家。元青森県弘前市長(1期)。
来歴
編集青森県弘前市出身[1]。青森県立弘前中央高等学校卒[1]。税理士、行政書士、社会保険労務士となる[1]。弘前市議会議員を経て[1]、1986年、青森県議会議員弘前市選挙区補欠選挙に無所属で立候補して当選する[3]。以来連続6回当選する。2006年合併による弘前市長選挙に立候補し、合併前の弘前市長だった金沢隆を破って当選した[4]。津軽広域水道企業団企業長を併任[5]。市長を1期務め、2010年の市長選挙に出馬したが、元弘前市副市長の葛西憲之に敗れて落選した[6]。2011年の青森県議会議員選挙に立候補して当選し、県議に復帰[3]。2015年の県議選で落選した[7]。2021年、秋の叙勲で旭日中綬章を受章[5]。
2024年1月3日、弘前市内で死去した。87歳没。
脚注
編集- ^ a b c d e 『青森県人名事典』928頁。
- ^ 『WEB東奥日報』元青森県弘前市長 相馬錩一氏が死去 2024年1月5日
- ^ a b 青森県議会議員選挙 当選人一覧 青森県選挙管理委員会
- ^ 弘前市長選挙-2006年04月16日投票|青森県弘前市|選挙ドットコム
- ^ a b “令和3年 秋の叙勲・褒章(本紙関係分)”. 日本水道新聞 (2021年11月8日). 2023年6月21日閲覧。
- ^ 弘前市長選挙-2010年04月11日投票|青森県弘前市|選挙ドットコム
- ^ 開票結果-道府県議選・青森県【統一地方選2015】:読売新聞2021年12月7日閲覧。
著書
編集- 『燃ゆる心:歌集』自費出版、1987年。
参考文献
編集- 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。