船岡山城
船岡山城(ふなおかやまじょう)は、京都市北区にあった中世の日本の城(山城)。別名、船崗山城、山名城とも呼ばれている。
船岡山城 (京都府) | |
---|---|
船岡山城(横堀跡) | |
別名 | 船崗山城、山名城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 大内政弘 |
築城年 | 応仁元年(1467年) |
主な城主 | 大内政弘、山名教之、細川政賢 |
遺構 | 削平面、土塁、横堀 |
指定文化財 | 国の史跡 |
位置 | 北緯35度2分22.916秒 東経135度44分30.721秒 / 北緯35.03969889度 東経135.74186694度 |
地図 |
概要
編集船岡山城は、応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱の西軍の城として船岡山に築造された。翌年、東軍によって落城し、その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。臨戦用の陣城と推定されており、恒久的な城郭施設の存在は不明である。遺構としては山腹に横堀が掘られており、堀の外側土塁が積みあがっている。また山頂部にはかなり広い削平面が確認でき、典型的な中世の山城であった。
沿革
編集応仁の乱で、備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山城で立てこもった。この時に、西軍は船岡山一帯を陣地としたため、その後「西陣」の名で呼ばれるようになる。
アクセス
編集- 北大路駅(京都市営地下鉄烏丸線)より京都市営バス乗車、船岡山バス停または建勲神社前バス停下車
参考文献
編集- 『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年。