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[[香港特別行政区基本法]]第10条は区旗を「{{lang|zh-hk|五星花蕊的紫荊花紅旗}}(五星[[雄蕊]]バウヒニアの赤旗)」とし、「{{lang|zh-hk|區旗及區徽條例}}(区旗区章条例)」がデザインの詳細な規格を定めている。
 
香港人を対象にしたデザイン公募など3年間の活動を経て、1990年2月16日の香港基本法起草委員会第9回全体会議において、34票対15票で{{lang|zh|[[:zh:何弢|何弢]]}} ({{En|Ho Tao}}) によるデザインを草案として採用し、[[全国人民代表大会]]の正式決定を経て、基本法に書き込まれた。1996年8月10日[[香港特別行政区準備委員会]]第4回全体会議で暫定使用方法が通過し、[[1997年]][[7月1日]]の[[香港返還]]をもって関連法規が発効、返還式典で初めて公式に掲揚された。
 
=== 意味づけ ===
赤地は中華人民共和国を、白く描かれたバウヒニアの花は香港を、同時に紅白の2色は[[一国二制度]]を象徴する。全体として、中国の不可分な一部分である香港が中国に抱かれ繁栄発達する様子を表す。五つの雄蕊の星は、[[中華人民共和国の国旗|五星紅旗]]に由来し、香港人の愛国心を意味する<!-- ref>http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/ziliao/2007-05/24/content_6145122.htm</ref><ref>曹淳亮主編《香港大辭典・經濟卷》廣州出版社、1994年 ISBN 7-80592-129-6 111ページなどによる --</ref>
 
=== 香港特別行政区区章 ===
[[ファイル:Hong_Kong_SAR_Regional_Emblem.svg|200px|thumb|right|香港の区章]]
香港特別行政区の区章({{lang|zh-hk|區徽}},{{lang|en|Regional Emblem}})は、紅白2色のみを使ったもので、円形である。内側の赤地の円内の意匠は区旗と同じで、バウヒニアの花が白で描かれている。外周の白地の部分には、上部に[[中国語]][[繁体字]]の左[[縦書きと横書き|横書き]]で「中華人民共和國香港特別行政區」と、下部には英語で「HONG KONG」と書かれ、左下と右下には星が1つずつ配置される。
 
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=== バウヒニア ===
[[ファイル:Bauhinia.jpg|200px|thumb|left|バウヒニアの花]]
[[ファイル:HKUrbanCouncil.svg|200px|thumb|市政局のシンボルマーク]]
香港の象徴とされるバウヒニアは、[[:en:Bauhinia blakeana|Bauhinia blakeana]]といい、俗に香港蘭 ({{en|Hong Kong orchid tree}}) と呼ばれることもある。熱帯・亜熱帯に生育する植物で、1880年に香港で発見され、1908年に新種として報告された。blakeanaの名は、第12代[[香港総督]][[ヘンリー・アーサー・ブレイク]] ([[:en:Henry Arthur Blake|Henry Arthur Blake]]) にちなむ。香港では公園・庭園などの樹木としてよく見られる。1965年に香港の市花として公式に選ばれ、1999年まで存在した[[市政局]]のシンボルマークなどに用いられていた。中国語では通常「[[:zh:洋紫荊|洋紫荊]]」というが、香港基本法の区旗区章についての規定は「紫荊」と呼んでいる(英文版は“bauhinia”)。[[:zh:紫荊|紫荊]]は本来、同じ[[マメ科]]に属する[[ハナズオウ]]を指すため、香港のシンボルであるバウヒニアも、誤ってハナズオウと訳されることがある。
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[[1997年]][[6月30日]]までのイギリス統治下では、他のイギリス海外領土と同様に[[イギリスの国旗|ユニオンジャック]]を[[カントン (紋章学)|カントン]](旗の左上の部分)に配した青い旗[[ブルー・エンサイン]]を基に、旗の右側に[[紋章]]あるいは紋章の一部となった図柄を加えた旗が使用された。
 
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=== 阿群帶路圖 ===
[[ファイル:Colonial BadgeBlack.jpg|thumb|right|thumb|香港の紋章 (Colonial Seal Badge)]]
1959年までは、若干のデザイン変更が繰り返されたが、「[[:zh:阿群帶路圖|阿群帶路圖]](阿群の道案内)」と呼ばれる図柄が旗に取り入れられた。[[イギリスの国章]]の下にこの阿群帶路圖を組み合わせたものが紋章 (Colonial Seal Badge) として用いられた。これはイギリス兵が初めて[[香港島]]に上陸した際、陳群という女性が道案内したという伝承を象徴するとされる<!-- 中文版 -->。貨物が置かれ3人の人物がいる下の陸地は香港島北岸、[[ジャンク (船)|ジャンク]]とイギリス商船の浮かぶ海は[[ビクトリア・ハーバー|ヴィクトリア港]]、向こう側の陸地は[[九龍]]半島を示す。1959年の紋章が正式に採用された後、旗からは消えたものの、この図柄は[[香港の警察|皇家香港警察]]の[[:zh:File:Rhongkongpolicelogo.png|エンブレム]]や1993年以前に[[香港上海銀行]]の発行した[[香港ドル]]各券種の[[:zh:File:20hkd-1986.jpg|紙幣]]に印刷された紋章などに見られた。
 
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=== 1959年の香港紋章 ===
[[ファイル:Coat of arms of Hong Kong (1959-1997).svg|thumb|right|香港の紋章 (1959年〜1997年)]]
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紋章下部の波打つ海水に囲まれた緑の小島は、イギリスが最初に占領した[[香港島]]を象徴する。下部の布には赤い字で「HONG KONG」と書かれている。盾の上部は赤地になっており、イギリス海軍とイギリス商船隊の香港に対する影響を示す[[:en:Naval crown|ネイヴァルクラウン]]が描かれる。下部は白地で海に浮かぶ[[ジャンク (船)|ジャンク]](中国式の帆船)2隻を金あるいは赤・灰色などで描き、香港が早くから海上貿易を重んじていたことを反映する。盾の上部と下部を分かつ凹凸の線は、銃眼のある胸壁であり、[[1941年]]の[[香港の戦い|香港攻防戦]]<!-- 中文版・英文版 -->を象徴する。
 
盾を左右から支える盾持ち([[サポーター (紋章学)|サポーター]])は、イギリス人を表す王冠を戴く[[ライオン]]と、[[華人]]を表す中国式の[[竜]]で、両者の融和を意味する。盾の上には、左側のライオンに向かい、香港の美称「東方之珠 ({{en|Pearl of the Orient}})」に由来する[[真珠]]を持ち王冠を戴く小さなライオンが描かれている。小さなライオン(総督)が竜(中国)から取り上げた珠(香港)を大きなライオン(イギリス本国)に差し出している図式であるとも揶揄された<!-- 50 -->。
 
1941年12月から1945年8月までは、香港は[[日本占領時期の香港|日本の占領下]]にあり、[[日本の国旗|日章旗]]が掲げられた。「阿群帶路圖」の旗以前の香港の旗については資料散逸のため詳細は不明である。
 
== 出典 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
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{{デフォルトソート:ほんこんのはた}}
[[Category:地方行政区の|ほんこん]]
[[Category:ユニオンジャック]]
[[Category:香港の文化‎|はた]]