この主人公はもしかして……
- 山本
- この作品の冒頭に湘南茅ヶ崎球場という球場が出てきて、これは僕もお世話になった茅ヶ崎市営球場(現・茅ヶ崎公園野球場)ですね。
- 大矢
- そうだ、昌さん……失礼しました、山本さんは高校時代に湘南で過ごしてますね。
- 山本
- 昌でいいですよ(笑)。主人公の川井投手は46歳で現役を続けていて、親近感を覚えました。
- 堂場
- ありがとうございます。でも、山本さんをモデルにしたわけではないんです。実は、小説を書くときにモデルを想定せずに書く主義なんですよ。
- 大矢
- でも、書きながら昌さんのことが頭によぎることはなかったですか。
- 堂場
- 似ているところはあるけど……、この作品の主人公は独立リーグという、NPBや大リーグなどの第一線からは外れているのに対して、山本さんは50歳まで第一線で投げ続けたわけですから。
- 山本
- 今日、せっかく作者に会えるので伺ってみたいことがあって、この主人公は、この後、五十歳まで投げ続けたんでしょうか。
- 堂場
- どうでしょう、翌シーズンの途中でクビになりそうですが……(笑)。
- 一同
- ははは。
- 堂場
- 逆に私は、山本さんがどうして突出した長い期間、第一戦で活躍できたのか、その秘密を教えてもらいたいなと思っているんです。一般的にアスリートの方は、40歳を過ぎるとほとんど引退してしまいますよね。
- 山本
- そうですね。たしかにその年齢あたりで急に減ってきます。僕の考えでは、どちらかというとピッチャーのほうが現役を長く続けやすいんです。40歳くらいから目が衰えてくるでしょう。
- 堂場
- はい。老眼が始まったりして。
- 山本
- 打者は千分の何秒かの世界で勝負していますから、遠近感がちょっと変わっただけでも、パフォーマンスに影響してしまうんです。それに比べるとピッチャーはサインが見えて、バッターが見えていれば、なんとかなるんですよ。自分のタイミングで投げられますから(笑)。
- 大矢
- でも、それだけじゃないですよね。投手でも40歳くらいで引退する方が多くいますから。
- 山本
- そうですね。イチロー選手や岩瀬(仁紀)さんとも話すんですが、40歳を過ぎたら技術を求めるんですよね、みんな。それが上手くいくと若い選手に負けないんです。イチロー選手なんかは、今が技術的にはいちばんいい状態ですよ。彼は「100試合以上使ってくれれば絶対に3割は打つ」と言いますから。
- 堂場
- 本人も50歳までと言っていますね。
- 山本
- そうですね。これはイチロー選手に言ったんですけど、45歳くらいからは変わらないんですよ。
- 堂場
- えっ! それって体力的に、ということですか?
- 山本
- そうです。もちろん40歳を過ぎた頃に体力が落ちたかなというのはありました。でもそれはトレーニングで補えるわけですよね。それが45歳になった頃からは変わらなかった。その頃に、自分のコツをつかんだんです。こうしていれば野球を続けられるという。
- 堂場
大矢
- へーっ!
- 山本
- 練習方法であったり、ふだんの生活であったり。自分でメニューを考えて練習するように変えました。
- 堂場
- 質が上がる感じでしょうか。
- 山本
- そうかもしれません。もうひとつ、若い頃と決定的に違うことは、40歳を過ぎてから練習を休まなくなりました。
- 大矢
- 休まないんですか!
- 山本
- はい。休みをなくしたんです。冬の間も毎日練習をして。
- 堂場
- 普通はローテーションで休みを決めてトレーニングしますよね!
- 山本
- 休むと体が油ぎれしちゃうんですよ。たとえば、今からサッカーをしたら、次の日に体が動かなくなりますよね。
- 堂場
大矢
- はい。
- 山本
- 40歳を過ぎると、1日休むとその状態になるんです。
- 堂場
- お話を伺っていると、50歳で引退されましたけど、もしかしたらその時でも現役を続けることはできた、ということですか。
- 山本
- できたと思います。やるべきことはわかっていますから。
- 堂場
大矢
- すごいっ!
現役最年長という孤独
- 大矢
- 昌さんは、工藤(公康)さん(現ソフトバンク監督)が引退された時に現役最年長になりました。昌さんがいつまで現役を続けるのかは、ファンにとどまらず世間から注目されましたよね。たとえば2008年は2桁勝利に通算200勝達成と大活躍でしたが、翌年は1勝どまり。あそこで辞めても誰も責めない、むしろ「充分だ、よくやった。200勝もしたことだし」と讃えられたと思うんです。ところが、その翌年は復活して8月に5勝。結果が出なかった年に辞めず、それを乗り越えたものってなんだったんでしょうか。
- 山本
- もったいないって思っていました。プロ野球っ辞めるのはもったいないような気がしたんです。それに、これまで野球しかしていなかったので、辞めるのが怖いという思いもありました。
- 堂場
- 不安感があったんですか。
- 山本
- いまは解説者として仕事をしていますが、現役時代は他に何ができるかなんてわからないですよね。野球なら、自分なりの練習の仕方もわかっているし、もちろん練習はキツいんですが、やるべきことがわかりますから。
- 大矢
- 逆に、50歳で辞めようと思った理由はなんですか?
- 山本
- ちょうど50歳の時に、谷繁(元信)さん、小笠原(道大)さん、和田(一浩)さんとベテランが一斉に辞めたんですね。その引退試合を見にいった時に、ロッカールームが様変わりしていたんです。若い選手が入っていて。球団からは「世界記録を作れ、頑張れ」と、GMの落合さんからは「いつ辞めるのかは自分で決めなさい」と言われていました。その時に区切りかなと思ったんです。チームも3年連続Bクラスになってしまって。若い人たちが変わろうとしている中で、自分はここにいてはいけないなという思いがありました。
- 大矢
- あの年は、ベテランが一斉に辞めて、球団の顔だった選手がみんないなくなってしまったんですよね。
- 山本
- 辞めて思うんですけど、野球をやっているのがいちばん楽ですね(笑)。
- 大矢
- 昌さんのように、最多勝も3回獲って、200勝もして、そうなると球団から辞めさせられるというのはないのかもしれないけれど、それ以前、いつクビになるかわからないという緊張感はありましたか。
- 山本
- 5年目まではありましたね。
才能が開花する瞬間
- 大矢
- 5年目は野球交換留学でアメリカに行かれました。この小説でも川井投手はハワイに行きます。
- 山本
- ハワイ、いいですね。
- 大矢
- 昌さんはドジャースのフロリダ・ステートリーグ(1A)に行ったわけですが、日本で活躍していなかった状況でその中に入って、どういう思いでしたか。
- 山本
- 最初は、やる気がなかったんですよ(笑)。
- 堂場
大矢
- やる気がなかった!
- 山本
- そうなんです5年目でクビかもしれないのにアメリカに行けって。今はアメリカの野球も身近ですが、1988年当時は、まったく注目されていませんでした。スポーツ新聞でも、ワールドシリーズの結果が写真もない記事にしかならない時代で。そういう状況で、英語もしゃべれない、1軍に上がれるわけでもない、とりあえず11月まで行ってこいと言われて、何をしたらいいんだと思っていて。
- 大矢
- え、でも、アメリカで急成長しますよね?
- 山本
- それはアイク生原さんのおかげですね。本当に一生懸命になっていろいろなことを教えてくれて。とくにこの方の教え方は、自分に合っていたんです。
- 堂場
- アメリカと日本の野球で、いちばんの違いはなんだったんでしょうか?
- 山本
- 自分で考えて練習するというところが違うのかもしれません。キャンプでは練習は昼過ぎに終わるんです。その後は自分でメニューを考えて、バッティングをしたり、グレープフルーツ畑を走ったりして。
- 堂場
- フロリダの春季トレーニングのリーグは、「グレープフルーツリーグ」って言うんですよね。
- 山本
- そうです。アイク生原さんから、常に新しい変化球を覚えろ、と言われました。当時は、ストレートとカーブ、スライダーしかなかったんですが、よくそれでプロをやっていたなと(笑)。
- 一同
- ははは。
- 大矢
- それで覚えたのがスクリューボール。
- 山本
- はい。いろんな選手のところに行って教えてもらいましたが、なかなか習得できなくて。最終的には内野手だった選手に教えてもらいました。日本の野球って、変化球という点から見るとアメリカに10年遅れているんですよ。僕が行った頃は、チェンジアップが全盛の時代で、日本で流行り始めたのは、その7、8年後なんです。変化球は日本人のほうが使い手というイメージがあるんですが、実は全部アメリカからなんですよ。
- 堂場
- そうか、日本人は器用ですから、それを洗練させるんですね。
- 大矢
- 昌さんが、日本に戻ってきたときはすごかったんですよ。8月に帰って来て「逆輸入左腕」なんて言われて。スクリューボールで、どんどん勝ち星を挙げて。あのアメリカ留学は、本当に大きかったということですね。
経験が最高の財産
- 大矢
- 小説の中では、チームの勝利よりも、自分をメジャーの球団に見つけてもらおうとガツガツした選手が登場しますが、そんな選手もいましたか。
- 山本
- そういう選手もいるんですけど、実は、アメリカって日本よりもチームバッティングをすると褒めてもらえるんです。
- 大矢
- へーっ!
- 山本
- そういう選手のほうが試合で使ってもらえますから。日本の場合は、進塁打を打つにもサインが出るわけです。アメリカでは、進塁打のサイン自体がないんじゃないかな、自分たちで考えて打たなきゃならない。
- 堂場
- そこで価値観がひっくり返りましたか。
- 山本
- それはありました。シーズン中に選手が何人も入れ替わりますし。あれ、1人いなくなったなと思ったらクビになっていたり。シーズン中でもクビになるんですよ。
- 堂場
- シーズンの始めと終わりで、選手が全員入れ替わったりするというのは本当なんですね。
- 大矢
- シビアな世界ですね!
- 山本
- ただ楽しく夢を追っかけているという実感もありました。僕はこのリーグのオールスターに行ったんですが、7、8人、後に日本で助っ人外国人として活躍する選手ともプレーしました。日本ハムで最多勝を獲ったキップ・グロス投手とか。
- 堂場
- グロス、覚えています。
- 大矢
- サミー・ソーサと対戦したことがあるって聞きました。
- 山本
- ソーサとも対戦しました。
- 堂場
- まだ彼の体が細い頃ですね。
- 山本
- そうです。そのリーグの盗塁王でしたから。
- 堂場
- 後に90年代に日米で大活躍する選手が、ぞろぞろいたわけですね。こういう中でもまれるのは、若い頃の財産になりますね。
- 山本
- そうですね。それに人数が違うんですよ。アメリカは8軍まであって各チーム25、6人の選手がいる。日本は70人近い選手がいて、1軍は28人なんですね。残りはファームなんですよ。そうすると2軍には、1軍の選手を除いてもピッチャーが20人くらいいるんです。順番が回ってこないんですよね。僕は、4年間、2軍で30イニングぐらいしか投げていないんですよ。それがアメリカの半年で150イニング投げましたから。日本の規定投球回数を投げているんです。
- 堂場
- 経験値がぜんぜん違いますね。
- 山本
- やはり経験しないと上手くならないですね。
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