絶妙なさじ加減の「爺捨て山」
━━監督がこの原作に惚れられたポイントはどこでしょう。
タナダ 主人公の性格が余り良くないところがいいなあ、というのがまずありました。たぶん、良き人でありたい部分も彩のなかにあるんでしょうけれど、三十四年も生きてきて、でも無理なものは無理だしな、という諦めも彼女の中にあって、それでも彼女なりに折り合いをつけようとしていく様が、いちばん好きだったんです。
あと、父親との関係の描き方ですね。「父親が死んでも泣けないかもしれない」とありつつ、それをあまり重い感じにせずに、すっと、しかしぐさっと読み手に入ってくるところにとても惹かれました。
中澤 実は、映画はもっと深刻な作品になるのかな、と思っていたんです。たとえば、お義姉さんの理々子が取り乱してしまうところとか、お父さんのやったことがばれて、家族会議をするシーンとか。でも映画全体に、笑いと切なさが、ものすごくいい塩梅に立ち上がっていました。
考えてみれば、テーマは「姥捨て山」ならぬ「爺捨て山」(笑)で、みんながお父さんのことを〝もういらないから、捨てたい〟と言っているわけです。人によっては、きっとすごく不快に感じるだろうと思っていたんですけど、映画ではいろいろな角度からそのことを切り取って見せて下さったので、どんな立場の人も救われる部分があるだろうな、と感じました。
タナダ 原作のなかにその「塩梅」はありましたから。お父さんが居場所を全部なくしてしまう、これってけっこう厳しいけれど、言ってしまえば日本の社会問題だと思うんです。重苦しくならずに、しかし他人ごとではなく自分のこととして、じゃ自分だったらどうするだろうか。彩みたいに最後、走り出すことは出来ないかもしれないけれど、実家に久しぶりに電話するぐらいはできるかもしれないとか、そういうことを思える部分を大事にしていきたいと考えていました。
中澤 これは新人賞(第八回小説現代長編新人賞)をいただいた作品なんですけど、応募時の原稿は現作品とはラストが全然違うんです。伊藤さんが迎えに来た朝、積極的にお父さんに「ここで民宿始めましょう」と伊藤さんが言い出して、それに兄妹も巻き込まれて、割とわかりやすいハッピーエンドだったんです。選考委員の先生方に「こんなきれいな終わり方をする訳はない」とすごい勢いで突っ込みをいただいて(笑)。
タナダ 賞をくれておいて、なんだか厳しいんですね(笑)。
中澤 そうなんですよ。受賞後、プロットを出し直して、終わり方が全然違うので最初から全部書き直しということになりました。きれい事にまとめずに、ただひたすら父親の居場所を全部なくしてしまおうということで、柿の木に雷を落として、物理的にも精神的にもよりどころを全部なくしてしまいました。
タナダ すごいですよね、自分が精魂込めて書いたものを、一回破棄するような勢いで。
中澤 私の場合は、戯曲を書いていたからだと思うんですけど、ダメだしに対する耐性が高いんです。戯曲だと、「ここ全部取り替えて」とか、下手すると性別まで変えたりするのはしょっちゅうです。最終的に上演される形が完成形で、そのためにメンバーがいろいろ言ってくれるわけなので。
タナダ監督が読み込んだ原作本には、様々な色の付箋がびっしり貼られていた
タナダ 映画の場合も、脚本は何稿か書き直しますよ。平均五〜六回ぐらいですね。最初は書店の同僚のカンマニワさんも入っていたのですが、二時間の尺に収まらなかったんです。映画って、決まりがあるわけではないんですが、二時間以内に収めましょう、という無言のプレッシャーがあるんですね。そこで、ここは一度三人の話にしよう、ということになりました。きっとまた原作ファンの方から言われるんだろうなあ、と思いつつ(笑)。
中澤 そういうことを言われたりするんですか。
タナダ どちらのファンからも言われます。原作ファンからは「どうして変えるんだ」と言われるし、映画ファンからは「なんで原作のままなんだ、どうして変えないんだ」って言われます。どちらからも必ず言われます。そこはもう意思を強く持って、右から左に流す術を身につけないと(笑)。
中澤 編集作業はどれくらいかかったのですか。
タナダ だいたい三週間ぐらいですね。二時間の尺のうち、一日にだいたい二十分ぐらいずつやっていくんです。まず、脚本の通りに繫げてもらった最初のものを監督ラッシュと言うんですが、それは監督が観るものなんです。監督ラッシュを観るのが、一番落ち込むんですけれど(笑)。
中澤 落ち込むんですね(笑)。
タナダ ええ。だから監督ラッシュの時は、そっとしておいて欲しい、だれも来ないで欲しい。もっとできなかったのかな、と思うんです。もっと違う演出もあったのではないか、とか、もうちょっとテンポ良くいかなかったのかな、と。
そういうのでまず落ち込む日があり、その日はもう観るだけにして。せっかちな監督だと、すぐ直しに着手すると思うんですけど、私はとにかくいったん落ち着こうという感じでその日は終わり、翌日から二十分ずつぐらい——これは昔だとフィルム一ロール分ですね——それを編集していきます。
それを五〜六日やって、一回目のラッシュを見て、そのときはプロデューサーが入ったりして、ああだこうだ意見を言ったりを聞いたり聞かなかったり(笑)しつつ、また編集の作業に入って、また何日後かにラッシュを観て、という繰り返しですね。
中澤 最初の、監督ラッシュの長さはどれくらいだったんですか。
タナダ たぶん、二時間二十分ぐらいかと。十五〜二十分弱は切らなければならなかったと思います。
中澤 その二十分をカットするのが、大変なんですよね。
タナダ ええ。ですが私は、編集作業は実はいちばん好きで、どんなに一所懸命撮っても、いらないところをどんどん切るっていうのが、割と快感なんです。それですきっとするというか、メリハリがつく方が絶対面白いので。もったいないとか、絶対思わない(笑)。むしろ間延びするな、と思ったら容赦なくばしっと。とにかく、間とかテンポ良く、というのは意識しています。
熱い視線を集める「伊藤さん」
タナダ 小説を書き出すと、人物が動き出すことって、やっぱりあるんですか。
中澤 自分のなかでキャラクターがある程度はっきり出来ると動き出しますね。最初にお父さんと伊藤さんと私、という流れを考えたときに、お父さんは割とのんべんだらりというか、自分の価値観でのんきに生きている感じにしていたんですね。でもそういうお父さんと伊藤さんだと、話が進まなくなっちゃって、書いては捨て、書いては捨て、というのを二年ぐらいやっていたんです。
タナダ 二年て長いですね。
中澤 はい。まあ、他のこともやりながらなんですがそうやって転がしていて、ある日ふと、伊藤さんが五十四歳で定職にも就かず、なおかつ生きる力みたいなものはしっかり持っている人で、お父さんは四角四面な元教師で、言葉遣いとか箸の上げ下ろしとか、洋服のたたみ方とか、もうどうでもいいじゃないそんなこと、みたいな細かいことをぐちぐち言う人だったらどうなるかな、と思ったときに、小説でのそれぞれの人物が立ち上がってきたんです。彩だけは割と最初と変わらず、愛想笑いとかして女の子に混じるよりは自分の距離のなかで生きている方が楽、みたいな、本当に中性的というかあんまり愛想のないままでした。
タナダ 彩は、ハードボイルドといえばハードボイルドですよね。
中澤 そうですね。
タナダ 歳の差カップルってマスコミでも取り上げられたりしますけど、だいたいお互いの利害関係が一致していますよね。でも彩は、伊藤さんに何にも求めていなくて、もちろん精神的に頼りにしている部分はあると思うんですけど、お金目当てで伊藤さんといるわけでもない。脚本の黒沢久子さんが「無頼だよね、彩って」と言っていたんですけど、そこはやっぱり映画でも大事にしたいと思いました。歳は離れているけど、歳下の彩がべたべたに甘えるような話では全然ない、でもこの人には伊藤さんが必要だったんだな、とちゃんとわかるように。
━━伊藤さん、いいキャラですよね。
タナダ いいですよね、私、彩がうらやましくなりました。
中澤 読者の感想などをネットで見ると、「伊藤さんなら結婚できる」とか「一家にひとり、伊藤さんが欲しい」とか(笑)、やっぱりすごく伊藤さんを評価してくださる方が多いんです。「伊藤さんの謎が知りたい」とか「どういう仕事だったのか」「またどこかで伊藤さんに会いたい」とか(笑)。
タナダ あと細かいんですけど、小説中にお家賃なんかも出てきますよね、そういうのがすごくリアルで。場所はあのあたりであのお家賃で、とか。きっと中澤さんが経済のことをしっかり見詰められる人なんだなと、それがまたとても信用できると思いました。生活するって大事じゃないですか。生きていくって。
昔の日本映画は新しい
中澤 世界で好きな映画監督を、タナダさんの中で三人あげるとしたら誰になりますか。
タナダ そうですね……成瀬巳喜男監督と増村保造監督がいちばん好きなんです。増村保造監督は多分、早すぎた天才ですね。ドラマでも「赤い激流」など「赤い」シリーズを撮られています。「スチュワーデス物語」もそうかな。
中澤 ドラマも撮られていたんですね。
タナダ 映画監督ですけれど、映画産業が斜陽になった後にドラマなども撮るようになったんです。映画でもドラマでも増村テイストが崩れないというか。面白いのが増村保造は成瀬巳喜男が嫌いなんですよ。
中澤 そうなんですか。
タナダ 私はどっちも好きなんですけど。あと一人……あ、でも私、やっぱり日本人だけになっちゃう。今のお二方と相米慎二監督です。で、五人となるとコーエン兄弟とファレリー兄弟が入ってきます。ファレリー兄弟は非常に下品な笑いなんですよ、「メリーに首ったけ」とか。娘さんと観るのには勧められないけど、面白い。
日本の昔の映画が好きなんですね。何でしょう、新しさを感じるんですよね。この時代にこんなことをやってたんだっていう。今、新しいものってもうないよなって思ってしまうぐらいです。成瀬巳喜男の「浮雲」は海外向けポスターまでもが素晴らしいんです。
中澤 そうだ、監督にひとつ質問がありました。いっしょに映画を観た夫と三千円のうなぎを賭けているんですけど、映画に出てくるあの下品な青い椅子は、美術さんが用意したものでしょうか、それとも買ってきたものでしょうか。
タナダ あれはですね……元を辿れば買ってきた物だと思います。
中澤 ああ、そうなんですか。あまりにイメージ通りなんで、てっきり美術さんが作ってくださったものだと。負けました!(笑)れる人なんだなと、それがまたとても信用できると思いました。生活するって大事じゃないですか。生きていくって。
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