地気雪と成る弁(北越雪譜) ― 2018/01/03 01:01
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○地気(ちき)雪と成る弁
凡そ天より形を為(な)して下す物・雨・雪・霰(あられ)・霙(みぞれ)・雹(ひょう)なり。露(つゆ)は【地気】の粒珠(りふしゅ)する所、霜(しも)は地気の凝結(ぎょうけつ)する所、冷気の強弱(つよきよわき)によりて其形(そのかたち)を異(こと)にするのみ。地気天に上騰(のぼり)、形を為(なし)て雨・雪・霰・霙・雹となれども、温気(あたゝかなるき)をうくれば水となる。水は地の全体(ぜんたい)なれば元の地に帰(かへる)なり。地中深ければかならず温気あり。地温(あたたか)なるを得て気を吐(はき)、天に向(むかひ)て上騰(のぼる)事人の気息(いき)のごとく、昼夜片時も絶(たゆ)る事なし。天も又気を吐(はき)て地に下(くだ)す、是(これ)天地の呼吸(こきふ)なり。人の呼(でるいき)と吸(ひくいき)とのごとし。天地呼吸して万物を生育(そだつる)也。天地の呼吸常を失(うしな)ふ時は暑寒(あつささむさ)時に応ぜず、大風大雨其余(そのよ)さま/”\の天変(へん)あるは天地の病(やめ)る也。天に九ツの段(だん)あり、これを【九天(きうてん)】といふ。九段(くだん)の内最地(もっともち)に近き所を【太陰天(たいいんてん)】といふ。地を去(さ)る事高さ四十八万二千五百里といふ。太陰天と地との間(あひだ)に三ツの際(へだて)あり、天に近(ちかき)を【熱際(ねつさい)】といひ、中を【冷際(れいさい)】といひ、地に近(ちかき)を【温際(をんさい)】といふ。
地気は冷際を限りとして熱際に至らず、【冷温】の二段は地をさる事甚だ遠からず。【富士山】は温際を越(こえ)て冷際にちかきゆゑ、絶頂(ぜつてう)は温気通(あたゝかなるきつう)ぜざるゆゑ草木(くさき)を生ぜず、夏も寒く雷鳴暴雨(かみなりゆふだち)を温際の下に見る。雷と夕立はをんさいのからくり也。雲は地中の温気より生ずる物ゆゑに其起る形は湯気のごとし。水を沸(わかし)て湯気の起(たつ)と同じ事なり。
雲温(くもあたゝか)なる気を以て天に升(のぼ)り、かの冷際にいたれば温(あたたか)なる気消(ききえ)て雨となる。湯気の冷(ひえ)て露(つゆ)となるが如し。冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず。さて雨露(あめつゆ)の粒珠(つぶだつ)は天地の気中在るを以て也。草木の実の円(まろき)をうしなはざるも気中に生ずるゆゑ也。雲冷際にいたりて雨とならんとする時、天寒(てんかん)甚しき時は雨氷(あめこほり)の粒となりて降り下る。天寒の強(つよき)と弱(よわき)とによりて粒珠(つぶ)の大小を為す、是を霰(あられ)とし霙(みぞれ)とする。雹(ひよう)は夏ありその弁(べん)こゝにりやくす。地の寒強(かんつよ)き時は地気形をなさずして天に升(のぼ)る、微温湯気(ぬるきゆげ)のごとし。天の曇(くもる)は是也。地気上騰(のぼる)こと多ければ天灰色(てんねずみいろ)をなして雪ならんとする。曇(くもり)たる雲(くも)冷際に至り先(まず)雨となる。此時冷際の寒気雨を氷(こほら)すべき力(ちから)たらざるゆゑ花粉(くわふん)を為して下す。是雪也。地寒(ちかん)のよわきとつよきとによりて氷の厚(あつき)と薄(うすき)との如し。天に温冷熱(をんれいねつ)の三際(さい)あるは、人の肌(はだへ)は温(あたたか)に肉(にく)は冷(ひやゝ)か臓腑(ざうふ)は熱(ねつ)すると同じ道理也。
気中万物の生育(せいいく)悉(こと/”\)く天地の気格(きかく)に随(したが)ふゆゑ也。是(これ)余(よ)が発明にあらず諸書(ししょ)に散見したる古人(こじん)の説也。
(P.7~8)
・・・
|| ○地気(ちき)雪と成る弁
|| 凡そ天より形を為(な)して下す物・雨・雪・霰(あられ)・霙(みぞれ)・雹(ひょう)なり。
■空から目に見える形状で降ってくるものはといえば、雨・雪・霰(あられ)・霙(みぞれ)・雹(ひょう)なのです。
と『北越雪譜』初編(天保七(1836)年)には書いてある。
||露(つゆ)は【地気】の粒珠(りふしゅ)する所、霜(しも)は地気の凝結(ぎょうけつ)する所、冷気の強弱(つよきよわき)によりて其形(そのかたち)を異(こと)にするのみ。
■露(つゆ)は地面の気が粒立つ場所、霜(しも)は地表の面の気が固まる場所に発生するが、これは元々同じもので冷気の強弱によってその形を変えたものなのです。
||地気天に上騰(のぼり)、形を為(なし)て雨・雪・霰・霙・雹となれども、温気(あたゝかなるき)をうくれば水となる。
■地表の空気は上空に上って、その形を変え、降ってくるもの(雨・雪・霰・霙・雹)のそれぞれの形になりますが、温かい気にあたれば水になるのです。
||水は地の全体(ぜんたい)なれば元の地に帰(かへる)なり。地中深ければかならず温気あり。地温(あたたか)なるを得て気を吐(はき)、天に向(むかひ)て上騰(のぼる)事人の気息(いき)のごとく、昼夜片時も絶(たゆ)る事なし。
■水は地表全体の大元なので、必ず地表に戻るのです。
地中の深い場所では、必ず熱があります。
その熱で、気化して空中に上る現象は、人(動物)が息する事と同じで、その呼吸は止まることなく続くのです。
||天も又気を吐(はき)て地に下(くだ)す、是(これ)天地の呼吸(こきふ)なり。人の呼(でるいき)と吸(ひくいき)とのごとし。天地呼吸して万物を生育(そだつる)也。
■空もまた気を吐いて、その気は地上に降るのです、これは地球の呼吸なのです。
人の呼吸と同じことなのです。
そして、天が呼して地が吸する、その事象が、森羅万象を育て育んでいるのです。
||天地の呼吸常を失(うしな)ふ時は暑寒(あつささむさ)時に応ぜず、大風大雨其余(そのよ)さま/”\の天変(へん)あるは天地の病(やめ)る也。
■天と地との間で、そのやり取りが定常状態からずれることがあります。
その時には、寒暖が時節の通りにならなかったり、大風・大雨そのほかの天変地異災害が起きるのです。
これは、天と地の呼吸がうまくいっていない、つまりは地球が病んでいる状態なのです。
||天に九ツの段(だん)あり、これを【九天(きうてん)】といふ。九段(くだん)の内最地(もっともち)に近き所を【太陰天(たいいんてん)】といふ。
地を去(さ)る事高さ四十八万二千五百里といふ。
■宇宙には、9つのレベルがあります、これを九天(きゅうてん)といいます。
その9つの状態のなかで、最も地上(地球上)に近い領域を太陰天(たいいんてん)といいます。
この領域空間は、地表から482、500里の高さまでといわれます。
太陰天、これは、大体月の運行面までの距離なのです。
||太陰天と地との間(あひだ)に三ツの際(へだて)あり、天に近(ちかき)を【熱際(ねつさい)】といひ、中を【冷際(れいさい)】といひ、地に近(ちかき)を【温際(をんさい)】といふ。
■太陰天から地表までの空間は、3つに分けられます。
天に近い方から、熱際、冷際、温際と分けられるのです。
地表に近い空間が、温際(おんさい)です。
||地気は冷際を限りとして熱際に至らず、【冷温】の二段は地をさる事甚だ遠からず。【富士山】は温際を越(こえ)て冷際にちかきゆゑ、絶頂(ぜつてう)は温気通(あたゝかなるきつう)ぜざるゆゑ草木(くさき)を生ぜず、夏も寒く雷鳴暴雨(かみなりゆふだち)を温際の下に見る。雷と夕立はをんさいのからくり也。
■地表の空気は、冷際までは届きますが、その上の宇宙空間にまでは放出されません。
冷と温のふたつのレベルは、地表からはさほど遠くはないのです。
富士山の例ですと、温際を越えて冷際に近い場所となりますが、山頂は温気が通じないので植物は生えません、また夏も寒いので、
雷や暴しい雨は下方の温際で発生します。
雷や夕立は温際で発生する現象なのです。
||雲は地中の温気より生ずる物ゆゑに其起る形は湯気のごとし。
水を沸(わかし)て湯気の起(たつ)と同じ事なり。
■雲は地表の大気の温まりで発生するので、その形象は湯気と同じ事です。
水を沸かして、湯気が立つのと同じ事象なのです。
||雲温(くもあたゝか)なる気を以て天に升(のぼ)り、かの冷際にいたれば温(あたたか)なる気消(ききえ)て雨となる。湯気の冷(ひえ)て露(つゆ)となるが如し。冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず。
■雲は暖かい大気で中空に上昇して、冷際域にまで届くと、温気が冷やされるので雨になります。
冷えた大気で露が発生するのと同じ事です。
雲は冷際にまで届かないと、散ってしまい雨にならないのです。
||さて雨露(あめつゆ)の粒珠(つぶだつ)は天地の気中在るを以て也。草木の実の円(まろき)をうしなはざるも気中に生ずるゆゑ也。
■雨露が粒になるのは、天と地の気があるからに他ならないのです。
それは、草木の果実が丸い形になるのも、同じ道理なのです。
||雲冷際にいたりて雨とならんとする時、天寒(てんかん)甚しき時は雨氷(あめこほり)の粒となりて降り下る。天寒の強(つよき)と弱(よわき)とによりて粒珠(つぶ)の大小を為す、是を霰(あられ)とし霙(みぞれ)とする。雹(ひよう)は夏ありその弁(べん)こゝにりやくす。
■雲が冷際にぶつかって雨となる時に、冷気がはなはだしい時には雨は氷の粒になって降り落ちます。
ぶつかる場所の冷気の強弱によって、それらの粒立ちは大小の差がでます。
これが、霰(あられ)や霙(みぞれ)の違いとなります。
雹(ひょう)は夏に発生する事象ですが、ここではその説明は一旦省略しておきます。
||地の寒強(かんつよ)き時は地気形をなさずして天に升(のぼ)る、微温湯気(ぬるきゆげ)のごとし。天の曇(くもる)は是也。
■地表の寒さが強いときには、地表の空気は形を作らずに、上昇します。
ぬるま湯の湯気のようなものです。これが天空が曇る理由です。
||地気上騰(のぼる)こと多ければ天灰色(てんねずみいろ)をなして雪ならんとする。曇(くもり)たる雲(くも)冷際に至り先(まず)雨となる。此時冷際の寒気雨を氷(こほら)すべき力(ちから)たらざるゆゑ花粉(くわふん)を為して下す。是雪也。
■地表の大気が大量に上昇すると、どんよりと曇り空となって、雪が降りそうになります。
この曇った雲は、冷際で冷やされると、先ずは雨になります。
この時に、上空の冷気がその雨を凍らすところまでいかないと、花粉のようなって降下します。
これが、雪なのです。
||地寒(ちかん)のよわきとつよきとによりて氷の厚(あつき)と薄(うすき)との如し。
■地上でも、寒さの強さによって、氷が薄く張ったり厚くなるのと同じ事です。
||天に温冷熱(をんれいねつ)の三際(さい)あるは、人の肌(はだへ)は温(あたたか)に肉(にく)は冷(ひやゝ)か臓腑(ざうふ)は熱(ねつ)すると同じ道理也。気中万物の生育(せいいく)悉(こと/”\)く天地の気格(きかく)に随(したが)ふゆゑ也。
■天空に温冷熱の3状態があるのは、人の皮膚は温で、肉は冷、内臓は熱を持っているのと同じ理屈なのです。
地球上の万物はことごとく、天地の気が揺りかごとなって育てられているということなのです。
||是(これ)余(よ)が発明にあらず諸書(ししょ)に散見したる古人(こじん)の説也。
■これらの説は、わたしが思いついた発明でもなんでもない。
色々な書物にも書かれている、古人の説なのです。
(P.7~8)
・・(リハビリ中也)さて、こんなんで、続けられましょうぞ?(笑)・・
(2018/01/02)ルビは適宜挿入した。
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○地気(ちき)雪と成る弁
凡そ天より形を為(な)して下す物・雨・雪・霰(あられ)・霙(みぞれ)・雹(ひょう)なり。露(つゆ)は【地気】の粒珠(りふしゅ)する所、霜(しも)は地気の凝結(ぎょうけつ)する所、冷気の強弱(つよきよわき)によりて其形(そのかたち)を異(こと)にするのみ。地気天に上騰(のぼり)、形を為(なし)て雨・雪・霰・霙・雹となれども、温気(あたゝかなるき)をうくれば水となる。水は地の全体(ぜんたい)なれば元の地に帰(かへる)なり。地中深ければかならず温気あり。地温(あたたか)なるを得て気を吐(はき)、天に向(むかひ)て上騰(のぼる)事人の気息(いき)のごとく、昼夜片時も絶(たゆ)る事なし。天も又気を吐(はき)て地に下(くだ)す、是(これ)天地の呼吸(こきふ)なり。人の呼(でるいき)と吸(ひくいき)とのごとし。天地呼吸して万物を生育(そだつる)也。天地の呼吸常を失(うしな)ふ時は暑寒(あつささむさ)時に応ぜず、大風大雨其余(そのよ)さま/”\の天変(へん)あるは天地の病(やめ)る也。天に九ツの段(だん)あり、これを【九天(きうてん)】といふ。九段(くだん)の内最地(もっともち)に近き所を【太陰天(たいいんてん)】といふ。地を去(さ)る事高さ四十八万二千五百里といふ。太陰天と地との間(あひだ)に三ツの際(へだて)あり、天に近(ちかき)を【熱際(ねつさい)】といひ、中を【冷際(れいさい)】といひ、地に近(ちかき)を【温際(をんさい)】といふ。
地気は冷際を限りとして熱際に至らず、【冷温】の二段は地をさる事甚だ遠からず。【富士山】は温際を越(こえ)て冷際にちかきゆゑ、絶頂(ぜつてう)は温気通(あたゝかなるきつう)ぜざるゆゑ草木(くさき)を生ぜず、夏も寒く雷鳴暴雨(かみなりゆふだち)を温際の下に見る。雷と夕立はをんさいのからくり也。雲は地中の温気より生ずる物ゆゑに其起る形は湯気のごとし。水を沸(わかし)て湯気の起(たつ)と同じ事なり。
雲温(くもあたゝか)なる気を以て天に升(のぼ)り、かの冷際にいたれば温(あたたか)なる気消(ききえ)て雨となる。湯気の冷(ひえ)て露(つゆ)となるが如し。冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず。さて雨露(あめつゆ)の粒珠(つぶだつ)は天地の気中在るを以て也。草木の実の円(まろき)をうしなはざるも気中に生ずるゆゑ也。雲冷際にいたりて雨とならんとする時、天寒(てんかん)甚しき時は雨氷(あめこほり)の粒となりて降り下る。天寒の強(つよき)と弱(よわき)とによりて粒珠(つぶ)の大小を為す、是を霰(あられ)とし霙(みぞれ)とする。雹(ひよう)は夏ありその弁(べん)こゝにりやくす。地の寒強(かんつよ)き時は地気形をなさずして天に升(のぼ)る、微温湯気(ぬるきゆげ)のごとし。天の曇(くもる)は是也。地気上騰(のぼる)こと多ければ天灰色(てんねずみいろ)をなして雪ならんとする。曇(くもり)たる雲(くも)冷際に至り先(まず)雨となる。此時冷際の寒気雨を氷(こほら)すべき力(ちから)たらざるゆゑ花粉(くわふん)を為して下す。是雪也。地寒(ちかん)のよわきとつよきとによりて氷の厚(あつき)と薄(うすき)との如し。天に温冷熱(をんれいねつ)の三際(さい)あるは、人の肌(はだへ)は温(あたたか)に肉(にく)は冷(ひやゝ)か臓腑(ざうふ)は熱(ねつ)すると同じ道理也。
気中万物の生育(せいいく)悉(こと/”\)く天地の気格(きかく)に随(したが)ふゆゑ也。是(これ)余(よ)が発明にあらず諸書(ししょ)に散見したる古人(こじん)の説也。
(P.7~8)
・・・
|| ○地気(ちき)雪と成る弁
|| 凡そ天より形を為(な)して下す物・雨・雪・霰(あられ)・霙(みぞれ)・雹(ひょう)なり。
■空から目に見える形状で降ってくるものはといえば、雨・雪・霰(あられ)・霙(みぞれ)・雹(ひょう)なのです。
と『北越雪譜』初編(天保七(1836)年)には書いてある。
||露(つゆ)は【地気】の粒珠(りふしゅ)する所、霜(しも)は地気の凝結(ぎょうけつ)する所、冷気の強弱(つよきよわき)によりて其形(そのかたち)を異(こと)にするのみ。
■露(つゆ)は地面の気が粒立つ場所、霜(しも)は地表の面の気が固まる場所に発生するが、これは元々同じもので冷気の強弱によってその形を変えたものなのです。
||地気天に上騰(のぼり)、形を為(なし)て雨・雪・霰・霙・雹となれども、温気(あたゝかなるき)をうくれば水となる。
■地表の空気は上空に上って、その形を変え、降ってくるもの(雨・雪・霰・霙・雹)のそれぞれの形になりますが、温かい気にあたれば水になるのです。
||水は地の全体(ぜんたい)なれば元の地に帰(かへる)なり。地中深ければかならず温気あり。地温(あたたか)なるを得て気を吐(はき)、天に向(むかひ)て上騰(のぼる)事人の気息(いき)のごとく、昼夜片時も絶(たゆ)る事なし。
■水は地表全体の大元なので、必ず地表に戻るのです。
地中の深い場所では、必ず熱があります。
その熱で、気化して空中に上る現象は、人(動物)が息する事と同じで、その呼吸は止まることなく続くのです。
||天も又気を吐(はき)て地に下(くだ)す、是(これ)天地の呼吸(こきふ)なり。人の呼(でるいき)と吸(ひくいき)とのごとし。天地呼吸して万物を生育(そだつる)也。
■空もまた気を吐いて、その気は地上に降るのです、これは地球の呼吸なのです。
人の呼吸と同じことなのです。
そして、天が呼して地が吸する、その事象が、森羅万象を育て育んでいるのです。
||天地の呼吸常を失(うしな)ふ時は暑寒(あつささむさ)時に応ぜず、大風大雨其余(そのよ)さま/”\の天変(へん)あるは天地の病(やめ)る也。
■天と地との間で、そのやり取りが定常状態からずれることがあります。
その時には、寒暖が時節の通りにならなかったり、大風・大雨そのほかの天変地異災害が起きるのです。
これは、天と地の呼吸がうまくいっていない、つまりは地球が病んでいる状態なのです。
||天に九ツの段(だん)あり、これを【九天(きうてん)】といふ。九段(くだん)の内最地(もっともち)に近き所を【太陰天(たいいんてん)】といふ。
地を去(さ)る事高さ四十八万二千五百里といふ。
■宇宙には、9つのレベルがあります、これを九天(きゅうてん)といいます。
その9つの状態のなかで、最も地上(地球上)に近い領域を太陰天(たいいんてん)といいます。
この領域空間は、地表から482、500里の高さまでといわれます。
太陰天、これは、大体月の運行面までの距離なのです。
||太陰天と地との間(あひだ)に三ツの際(へだて)あり、天に近(ちかき)を【熱際(ねつさい)】といひ、中を【冷際(れいさい)】といひ、地に近(ちかき)を【温際(をんさい)】といふ。
■太陰天から地表までの空間は、3つに分けられます。
天に近い方から、熱際、冷際、温際と分けられるのです。
地表に近い空間が、温際(おんさい)です。
||地気は冷際を限りとして熱際に至らず、【冷温】の二段は地をさる事甚だ遠からず。【富士山】は温際を越(こえ)て冷際にちかきゆゑ、絶頂(ぜつてう)は温気通(あたゝかなるきつう)ぜざるゆゑ草木(くさき)を生ぜず、夏も寒く雷鳴暴雨(かみなりゆふだち)を温際の下に見る。雷と夕立はをんさいのからくり也。
■地表の空気は、冷際までは届きますが、その上の宇宙空間にまでは放出されません。
冷と温のふたつのレベルは、地表からはさほど遠くはないのです。
富士山の例ですと、温際を越えて冷際に近い場所となりますが、山頂は温気が通じないので植物は生えません、また夏も寒いので、
雷や暴しい雨は下方の温際で発生します。
雷や夕立は温際で発生する現象なのです。
||雲は地中の温気より生ずる物ゆゑに其起る形は湯気のごとし。
水を沸(わかし)て湯気の起(たつ)と同じ事なり。
■雲は地表の大気の温まりで発生するので、その形象は湯気と同じ事です。
水を沸かして、湯気が立つのと同じ事象なのです。
||雲温(くもあたゝか)なる気を以て天に升(のぼ)り、かの冷際にいたれば温(あたたか)なる気消(ききえ)て雨となる。湯気の冷(ひえ)て露(つゆ)となるが如し。冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず。
■雲は暖かい大気で中空に上昇して、冷際域にまで届くと、温気が冷やされるので雨になります。
冷えた大気で露が発生するのと同じ事です。
雲は冷際にまで届かないと、散ってしまい雨にならないのです。
||さて雨露(あめつゆ)の粒珠(つぶだつ)は天地の気中在るを以て也。草木の実の円(まろき)をうしなはざるも気中に生ずるゆゑ也。
■雨露が粒になるのは、天と地の気があるからに他ならないのです。
それは、草木の果実が丸い形になるのも、同じ道理なのです。
||雲冷際にいたりて雨とならんとする時、天寒(てんかん)甚しき時は雨氷(あめこほり)の粒となりて降り下る。天寒の強(つよき)と弱(よわき)とによりて粒珠(つぶ)の大小を為す、是を霰(あられ)とし霙(みぞれ)とする。雹(ひよう)は夏ありその弁(べん)こゝにりやくす。
■雲が冷際にぶつかって雨となる時に、冷気がはなはだしい時には雨は氷の粒になって降り落ちます。
ぶつかる場所の冷気の強弱によって、それらの粒立ちは大小の差がでます。
これが、霰(あられ)や霙(みぞれ)の違いとなります。
雹(ひょう)は夏に発生する事象ですが、ここではその説明は一旦省略しておきます。
||地の寒強(かんつよ)き時は地気形をなさずして天に升(のぼ)る、微温湯気(ぬるきゆげ)のごとし。天の曇(くもる)は是也。
■地表の寒さが強いときには、地表の空気は形を作らずに、上昇します。
ぬるま湯の湯気のようなものです。これが天空が曇る理由です。
||地気上騰(のぼる)こと多ければ天灰色(てんねずみいろ)をなして雪ならんとする。曇(くもり)たる雲(くも)冷際に至り先(まず)雨となる。此時冷際の寒気雨を氷(こほら)すべき力(ちから)たらざるゆゑ花粉(くわふん)を為して下す。是雪也。
■地表の大気が大量に上昇すると、どんよりと曇り空となって、雪が降りそうになります。
この曇った雲は、冷際で冷やされると、先ずは雨になります。
この時に、上空の冷気がその雨を凍らすところまでいかないと、花粉のようなって降下します。
これが、雪なのです。
||地寒(ちかん)のよわきとつよきとによりて氷の厚(あつき)と薄(うすき)との如し。
■地上でも、寒さの強さによって、氷が薄く張ったり厚くなるのと同じ事です。
||天に温冷熱(をんれいねつ)の三際(さい)あるは、人の肌(はだへ)は温(あたたか)に肉(にく)は冷(ひやゝ)か臓腑(ざうふ)は熱(ねつ)すると同じ道理也。気中万物の生育(せいいく)悉(こと/”\)く天地の気格(きかく)に随(したが)ふゆゑ也。
■天空に温冷熱の3状態があるのは、人の皮膚は温で、肉は冷、内臓は熱を持っているのと同じ理屈なのです。
地球上の万物はことごとく、天地の気が揺りかごとなって育てられているということなのです。
||是(これ)余(よ)が発明にあらず諸書(ししょ)に散見したる古人(こじん)の説也。
■これらの説は、わたしが思いついた発明でもなんでもない。
色々な書物にも書かれている、古人の説なのです。
(P.7~8)
・・(リハビリ中也)さて、こんなんで、続けられましょうぞ?(笑)・・
(2018/01/02)ルビは適宜挿入した。
雪の形(北越雪譜) ― 2018/01/04 22:45
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の形
凡(およそ)物を見るに眼力の限りありて其外(そのほか)を見るべからず。されば人の肉眼を以、雪をみれば一片(ひとひら)の【鵞毛(がまう)】のごとくなれども、数(す)百片(へん)の雪花(ゆき)を併合(よせあはせ)て一片(へん)の鵞毛を為(なす)也。是を【験微鏡(むしめがね)】に照し見れば天造(てんざう)の細工したる雪の形状(かたち)奇々(きゝ)妙々なる事下に図(づ)するが如し。其形の斉(ひとし)からざるは、かの冷際に於て雪となる時冷際の気運ひとしからざるゆゑ、雪の形気に応じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物(こまかきもの)ゆゑ、昨日(きのふ)の雪も今日(けふ)の雪も一望の【白糢糊(はくもこ)】を為(なす)のみ。下の図は天保三年【許鹿君(きょろくくん)】の高撰雪花図説(かうせんせつくわづせつ)に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の内を謄写(すきうつし)にす。雪六出(ゆきりくしゆつ)を為(なす)。 御説に曰(いはく)「凡物(およそのもの)方体は 四角なるをいふ 必ず八を以て一を囲み、円体は 丸をいふ 六を以て一を囲む、定里(ぢやうり)中の定数(ぢやうすう)誣(しふ)べからず」云々。雪を【六(むつ)の花(はな)】といふ事、御説を以、しるべし。愚(ぐ)按(あんず)るに円(まろき)は天の正象(しやう)、方(かく)は地の実位(じつゐ)也。天地の気中に活動(はたらき)する万物悉(こと/”\)く方円(はうゑん)の形を失はず、その一を以、いふべし。人の体方(かく)にして方(かく)ならず、円(まろくして円からず、是天地方円の間に生育(そだつ)ゆゑに、天地の象(かたち)をはなれざる事子の親に似るに相同じ。雪の六出(りくしゅつ)する所以(ゆゑん)は物の員(かず)【長数(ちやうすう)】は陰、半数(はんすう)は陽(やう)也。人の体男は陽なるゆゑ【九出(きうしゆつ)】し 頭・両耳・鼻・両手・両足・男根 女は十出(しゆつ)す。男根なく両乳あり。九は半(はん)の陽十は長の陰也。しかれども陰陽和合して人を為(な)すゆゑ、男に無用の両乳ありて女の陰にかたどり、女に不用の陰舌ありて男にかたどる。気中に活動(はたらく)万物(ばんぶつ)此理(り)に漏(もる)る事なし。雪は活物(いきたるもの)にあらざれども変ずる所に活動(はたらき)の気あるゆゑに、六出(りくしゆつ)したる形の陰中(いんちゆう)或は陽(やう)に象(かたど)る円形(まろきかたち)を具したるもあり。水は極陰(ごくいん)の物なれども一滴(ひとしづく)おとす時はかならず円形(えんけい)をなす。落(おつ)るところに活(はたら)く萌(きざし)あるゆゑに陰にして陽の円(まろき)をうしなはざる也。天地気中の機関(からくり)定理定格(ぢやうりぢやうかく)ある事奇々妙々(きゝめう/\)愚筆に尽しがたし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)
・・・
○雪の形
|| 凡(およそ)物を見るに眼力の限りありて其外(そのほか)を見るべからず。
されば人の肉眼を以、雪をみれば一片(ひとひら)の【鵞毛(がまう)】のごとくなれども、数(す)百片(へん)の雪花(ゆき)を併合(よせあはせ)て一片(へん)の鵞毛を為(なす)也。
||是を【験微鏡(むしめがね)】に照し見れば天造(てんざう)の細工したる雪の形状(かたち)奇々(きゝ)妙々なる事下に図(づ)するが如し。
■人の肉眼では限界があるので微細な形までは見ることが出来ないが、虫眼鏡で見れば自然の采配の奇妙さを
観察する事ができる。
||其形の斉(ひとし)からざるは、かの冷際に於て雪となる時冷際の気運ひとしからざるゆゑ、雪の形気に応じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物(こまかきもの)ゆゑ、昨日(きのふ)の
雪も今日(けふ)の雪も一望の【白糢糊(はくもこ)】を為(なす)のみ。
■雪の形も、その発生する環境によって様々な形をつくります。
ただ肉眼ではその細かい造形までは見えないので、昨日の雪も今日の雪もただ一面の曖昧模糊たる白にしか見えないのです。
||下の図は天保三年【許鹿君(きょろくくん)】の高撰雪花図説(かうせんせつくわづせつ)に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の内を謄写(すきうつし)にす。雪六出(ゆきりくしゆつ)を為(なす)。
■この図は、天保三(1832)年、許鹿君が著した「高撰雪花図説」に載っている雪花の55種類の形の一部を書き写したものである。
雪は六方に突出していることがわかります。
|| 御説に曰(いはく)「凡物(およそのもの)方体は 四角なるをいふ 必ず八を以て一を囲み、円体は 丸をいふ 六を以て一を囲む、定理(ぢやうり)中の定数(ぢやうすう)誣(しふ)べからず」云々。
■この図説にはこんな説明が載っている。
物の形については、方体と円体があります。
方体とは、四角のことで、8つで1つを囲む形になります。
円体とは、丸のことで、6つで1つを囲む形になる。
これは物事の道理で定まる普遍的定数なのです。嘘ではないのです。
||雪を【六(むつ)の花(はな)】といふ事、御説を以、しるべし。
■雪のことを、六花(六弁の花に譬える)ということは、この説の通りなのです。
||愚(ぐ)按(あんず)るに円(まろき)は天の正象(しやう)、方(かく)は地の実位(じつゐ)也。
■わたしも考えてみました。
円形は天の本来の形で、方形は地に顕れる実際の形といえるでしょう。
||天地の気中に活動(はたらき)する万物悉(こと/”\)く方円(はうゑん)の形を失はず、その一を以、いふべし。
■天地の気の中で活動する森羅万象は全て方と円(四角と丸)の形をしているのです。
||人の体方(かく)にして方(かく)ならず、円(まろ)くして円からず、是天地方円の間に生育(そだつ)ゆゑに、天地の象(かたち)をはなれざる事子の親に似るに相同じ。
■人の形は、四角いようで四角ではない、丸いようで丸でもない。
これは天地の丸と四角が合わさって作られているからです。
天と地の元の形を継承しているのは、子どもが親に似ることと同じことなのです。
||雪の六出(りくしゅつ)する所以(ゆゑん)は物の員(かず)【長数(ちやうすう)】は陰、半数(はんすう)は陽(やう)也。
■雪が六方に突出する理由は、物の数で表すと、長数(偶数)は陰、半数(奇数)は陽なのです。
「丁か半か?」のサイコロの目なのですね。
||人の体男は陽なるゆゑ【九出(きうしゆつ)】し 頭・両耳・鼻・両手・両足・男根 女は十出(しゆつ)す。男根なく両乳あり。九は半(はん)の陽十は長の陰也。しかれども陰陽和合して人を為(な)すゆゑ、男に無用の両乳ありて女の陰にかたどり、女に不用の陰舌ありて男にかたどる。気中に活動(はたらく)万物(ばんぶつ)此理(り)に漏(もる)る事なし。
■人体でいうと、男は陽で女が陰。
その訳ば、男が九出で女が十出。
男の九出とは、頭・両耳・鼻・両手・両足・男根で突出部が9つ、これが陽。
女の十出とは、男根の代りに乳が二つで都合10となる、これが陰なのです。
そして陰と陽の和合(まぐわい)が人としての状態となるのです。
それで、男には無用の乳が女の陰部と対応し、女には不要の陰舌が男のそれに対応するのです。
このように、気中の万物はすべからくこの道理から逸脱する事はないのです。
||雪は活物(いきたるもの)にあらざれども変ずる所に活動(はたらき)の気あるゆゑに、六出(りくしゆつ)したる形の陰中(いんちゆう)或は陽(やう)に象(かたど)る円形(まろきかたち)を具したるもあり。
■雪は生き物ではないのですが、変化することは気の活動そのものであるので、六弁の陰となったり、丸い陽の形で顕れるものもあるのです。
||水は極陰(ごくいん)の物なれども一滴(ひとしづく)おとす時はかならず円形(えんけい)をなす。落(おつ)るところに活(はたら)く萌(きざし)あるゆゑに陰にして陽の円(まろき)をうしなはざる也。
■水については、そのものは陰ですが、雫として落ちるときには必ず球体(円形)となるのです。
変化の兆しに気が作用するので、陰から和合していた陽(丸)が顕れるのです。
||天地気中の機関(からくり)定理定格(ぢやうりぢやうかく)ある事奇々妙々(きゝめう/\)愚筆に尽しがたし。
■かくのごどくして、奇妙奇天烈に見えても天と地の働きには一定のきまりがあるのです。
それらの真髄についてはわたしの表現と理解では説明がし尽くせないのですネ。
「に」の字 ― 2018/01/06 00:25
「に」の字
2018年1月3日のことでした(on Facebook)
■こんな投稿をしてみた■
素養無しで無謀なことをはじめた(二年越しで考え中(笑)こら)。
おそらく(殆ど)基本的なひらがな文字が読めないのです。
画像中の文言、ご存知の方、教えてください!
||○験微鏡(むしめがね)を以て雪状(ゆきのかたち)を審(つまびらか)●視(み)たる図(づ)
||此図ハ雪花図説(せつくわづせつ)の高撰(かうせん)中に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の
||内を謄写(すきうつ)し、是則(すなハち)江戸の雪之万里をへだてたる
||紅毛(をらんだ)の雪も●●ふ同じ記物ある事高撰(かうせん)中
||●詳(つまびらか)にし以て天の无量(むりょう)●●を知るべし。
(ヒント)
北越雪譜初編 巻之上(鈴木牧之 編撰 京山人百樹 刪定)図(P.10~11)
|| 凡(およそ)物を見るに眼力の限りありて其外(そのほか)を見るべからず。されば人の肉眼を以、雪をみれば一片(ひとひら)の【鵞毛(がまう)】のごとくなれども、数(す)百片(へん)の雪花(ゆき)を併合(よせあはせ)て一片(へん)の鵞毛を為(なす)也。是を【験微鏡(むしめがね)】に照し見れば天造(てんざう)の細工したる雪の形状(かたち)奇々(きゝ)妙々なる事下に図(づ)するが如し。其形の斉(ひとし)からざるは、かの冷際に於て雪となる時冷際の気運ひとしからざるゆゑ、雪の形気に応じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物(こまかきもの)ゆゑ、昨日(きのふ)の雪も今日(けふ)の雪も一望の【白糢糊(はくもこ)】を為(なす)のみ。下の図は天保三年【許鹿君きょろくくん)】の高撰雪花図説(かうせんせつくわづせつ)に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の内を謄写(すきうつし)にす。
■M子さんから、コメントがあった■
最初の●は「に」です。
なので、そのあとは「●●ふ」ではなく、「●●に」です。ここの●●はわかりません。
そしてそのつぎも「に」です。
さいごは「たる」では?
私もうろ覚えですいません。
■・・応答■
ありがとうございます、すごい!
確かに“最初の●は「に」”が読めると、いきなり文章が繋がりました!
||紅毛(をらんだ)の雪も「●●に」同じ記物ある事高撰(かうせん)中
だと、
//紅毛(をらんだ)の雪も「ときに」同じ記物ある事高撰(かうせん)中
と読むと、
]]オランダの雪に言及した書き物にも、ときたま、同じような記述のある・・云々・・・
と、文意まで敷衍できそうです(^^;
先ずは、この本の中の図中にある文章は、「に」(「似」から来ている?)に注意してみることにします。
■・・M子さん■
以前ちょっとだけ勉強していたので。●●も見覚えあるんだけど、忘れちゃいました😖「に」は「尓」という字が元だったような…
■コメント■
ここまでの理解です(^^;
||○験微鏡(むしめがね)を以て雪状(ゆきのかたち)を審(つまびらか)「に」視(み)たる図(づ)
||此図ハ雪花図説(せつくわづせつ)の高撰(かうせん)中に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の
||内を謄写(すきうつ)し、是則(すなハち)江戸の雪之万里をへだてたる
||紅毛(をらんだ)の雪も「●●に」同じ記物ある事高撰(かうせん)中
||「に」詳(つまびらか)にし以て天の无量(むりょう)「たる」を知るべし。
雪の深浅(北越雪譜) ― 2018/01/06 00:54
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の深浅(しんせん)
左伝に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、是雪の浅き国の楽(たのし)み也。我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)
○雪の深浅(しんせん)
|| 【左伝】に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。
■『春秋左氏伝』には、隠公八年のくだりに、こんな記述があります。
「平地で一尺も積もれば大雪です」
しかし、これは暖地の国でのことです。
||唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。
■唐代の文人、韓愈は「雪の降ることは、豊年のめでたいしるし」と書いていますが、
これも暖地だからの話であります。
【韓愈】(簡便辞書より)
>>中国、唐代の文人、白居易とともに「韓白」と並び称される。
>>四六駢儷文を批判し、散文文体(古文)を主張。儒教を尊び、仏教、道教を排撃した。
||されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。
■しかし「(中国の)寒国では8月に雪が降る」ことが『五雑組』には書いてある。
||暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、
雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、
勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、
画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、
是雪の浅き国の楽(たのし)み也。
■暖かい地方で雪が一尺以下のつもりであれば、あたり一面の銀世界となり、
飄々翩々と雪の舞い踊るのを見れば、それはもう花に譬え宝石に譬えたりして欣喜雀躍。
その景色を愛でることは、酒に女に歌舞音曲の出し物付で、画に描いて詩につくりと、
賞玩することは日本でも中国でも昔ながらの風物でもあります。
しかしこれらの風習は、雪のさほど積もらない地方だからこその楽しみなのです。
||我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。
■我が越後の国のように、毎年毎年数メートルにも積もる雪に接すると、何が楽しいものか!と言いたくなってしまうのです。
||雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。
■雪の為の重労働とその艱難辛苦については、この後から書いてある事々を読んで、想像してみていただきたい。
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の深浅(しんせん)
左伝に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、是雪の浅き国の楽(たのし)み也。我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)
○雪の深浅(しんせん)
|| 【左伝】に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。
■『春秋左氏伝』には、隠公八年のくだりに、こんな記述があります。
「平地で一尺も積もれば大雪です」
しかし、これは暖地の国でのことです。
||唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。
■唐代の文人、韓愈は「雪の降ることは、豊年のめでたいしるし」と書いていますが、
これも暖地だからの話であります。
【韓愈】(簡便辞書より)
>>中国、唐代の文人、白居易とともに「韓白」と並び称される。
>>四六駢儷文を批判し、散文文体(古文)を主張。儒教を尊び、仏教、道教を排撃した。
||されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。
■しかし「(中国の)寒国では8月に雪が降る」ことが『五雑組』には書いてある。
||暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、
雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、
勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、
画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、
是雪の浅き国の楽(たのし)み也。
■暖かい地方で雪が一尺以下のつもりであれば、あたり一面の銀世界となり、
飄々翩々と雪の舞い踊るのを見れば、それはもう花に譬え宝石に譬えたりして欣喜雀躍。
その景色を愛でることは、酒に女に歌舞音曲の出し物付で、画に描いて詩につくりと、
賞玩することは日本でも中国でも昔ながらの風物でもあります。
しかしこれらの風習は、雪のさほど積もらない地方だからこその楽しみなのです。
||我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。
■我が越後の国のように、毎年毎年数メートルにも積もる雪に接すると、何が楽しいものか!と言いたくなってしまうのです。
||雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。
■雪の為の重労働とその艱難辛苦については、この後から書いてある事々を読んで、想像してみていただきたい。
雪意(ゆきもよひ)(北越雪譜) ― 2018/01/06 22:50
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪意(ゆきもよひ)
我国の雪意(ゆきもよひ)は暖国に均しからず。およそ九月の半ばより霜を置て寒気次第に烈しく、九月の末に至ば殺風(さつふう)肌(はだへ)を侵(をかし)て冬枯(ふゆがれ)の諸木葉を落し、天色(てんしょく)霎(せふ/\)として日の光を看ざる事連日、是雪の意(もよほし)なり。天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近の高山(かうざん)に白(はく)を点(てん)じて雪を観(み)せしむ、これを里言(さとことば)に嶽廻(たけまはり)といふ。又海ある所は海鳴(うみな)り、山ふかき処は山なる。遠雷の如し。これを里言に胴鳴(どうな)りといふ。これを見、これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。年の寒暖につれて時日(じじつ)はさだかならねど、たけまはり、どうなりは秋の彼岸前後にあり。毎年かくのごとし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.12~13)
・ ・ ・
○雪意(ゆきもよひ)
■○雪のきざし
|| 我国の【雪意(ゆきもよひ)】は暖国に均しからず。
■越後の国の雪のきざしは、暖国とは異なります。
||およそ九月の半ばより霜を置て寒気次第に烈しく、九月の末に至ば殺風(さつふう)肌(はだへ)を侵(をかし)て冬枯(ふゆがれ)の諸木葉を落し、天色(てんしょく)霎(せふ/\)として日の光を看ざる事連日、是雪の意(もよほし)なり。
■だいたい九月(旧暦)中旬から霜が降りて、寒さは次第に厳しくなってきます。
九月も末頃になると、吹く風は肌に冷たく、木々や草は葉を落として冬枯れとなります。
空はどんよりと曇空、ものさみしい景色となり、日光を見ない日が連日続くのです。
これが、雪の季節の到来の兆しです。
||天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近の高山(かうざん)に白(はく)を点(てん)じて雪を観(み)せしむ、これを里言(さとことば)に【嶽廻(たけまはり)】といふ。又海ある所は【海鳴(うみな)り】、山ふかき処は山なる。遠雷の如し。これを里言に【胴鳴(どうな)り】といふ。これを見、これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。
■空色は朦朧とした灰色の日が数日続くと、遠近の高い山の上が白くなりそこに雪が降ったことがわかります。
これを越後の里の言葉で、嶽廻(たけまわり)と言います。
海の近くでは海鳴(うみなり)がして、深山では山が鳴ります。
遠雷のような音がするのです。このことを、越後では胴鳴(どうなり)と言います。
この景色をみてその音を聴くと、そろそろ里にも雪が降ることを知るのです。
||年の寒暖につれて時日(じじつ)はさだかならねど、【たけまはり】、【どうなり】は秋の彼岸前後にあり。毎年かくのごとし。
■その年毎の気候の違いがあるので、何月何日とまでは判りませんが、
高山山頂の雪(嶽廻)や山鳴り(胴鳴)は大抵は、秋の彼岸の前後にあたります。
毎年このようになるのです。
雪の用意(北越雪譜) ― 2018/01/07 01:13
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の用意(ようい)
前(まへ)にいへるがごとく、雪降(ふら)んとするを量(はか)り、雪に損ぜられぬ為に屋上(やね)に修造(しゆざう)を加(くは)へ、梁(うつばり)・柱・廂(ひさし) 家の前の屋翼(ひさし)を里言に〔らうか〕といふ、すなはち廊架(らうか)なり 其外すべて居室に係る所力弱(ちからよはき)はこれを補(おぎな)ふ。雪に潰(つぶさ)れざる為也。庭樹(にはき)は大小に随(したが)ひ枝の曲(ま)ぐべきはまげて縛束(しばりつけ)、椙丸太(すぎまるた)又は竹を添へ、杖(つゑ)となして枝を強(つよ)からしむ。雪折(を)れをいとへば也。冬草の類(るゐ)は菰莚(こもむしろ)を以、覆ひ包む。井戸は小屋を懸(かけ)、厠(かはや)は雪中其物を荷(になは)しむべき備(そな)へをなす。雪中には一点の野菜もなければ、家内の人数(にんず)にしたがひて雪中の食料(しよくれう)を貯(たくは)ふ。あたゝかなるやうに土中にうづめ、又はわらにつゝみ、桶に入れてこほらざらしむ。其外雪の用意に種々(しゅ/”\)の造作をなす事筆に尽しがたし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)
・・・
○雪の用意(ようい)
|| 前(まへ)にいへるがごとく、雪降(ふら)んとするを量(はか)り、雪に損ぜられぬ為に屋上(やね)に修造(しゆざう)を加(くは)へ、梁(うつばり)・柱・廂(ひさし) 家の前の屋翼(ひさし)を里言に〔らうか〕といふ、すなはち廊架(らうか)なり 其外すべて居室に係る所力弱(ちからよはき)はこれを補(おぎな)ふ。雪に潰(つぶさ)れざる為也。
■雪が降りそうな様子を見て、雪害を最小化するための色々の工夫をします。
家屋は修繕をします。梁や柱や庇などです。
家の前の庇のことを、越後ではろうか(廊架)といいます。雁木のことですね。
その他全ての家屋に関わる場所で、弱い個所は補強をします。
雪に潰されないようにする為です。
||庭樹(にはき)は大小に随(したが)ひ枝の曲(ま)ぐべきはまげて縛束(しばりつけ)、【椙丸太(すぎまるた)】又は竹を添へ、杖(つゑ)となして枝を強(つよ)からしむ。【雪折(を)れ】をいとへば也。
■庭木は、それぞれの大きさによって、枝を寄せても良いものは曲げて縄で縛り付けます。
細木(杉丸太)や竹を添えて、雪折れしないように支えの杖として枝が折れないようにします。
||冬草の類(るゐ)は菰莚(こもむしろ)を以、覆ひ包む。
■また、小木や枯れない植物などには、コモやムシロで包んで覆いをします。
||井戸は小屋を懸(かけ)、厠(かはや)は雪中其物を荷(になは)しむべき備(そな)へをなす。
■井戸には小屋掛けをします。便所は冬の間に便桶が一杯になってしまわないように、汲み取りなどをして準備しておきます。
||雪中には一点の野菜もなければ、家内の人数(にんず)にしたがひて雪中の食料(しよくれう)を貯(たくは)ふ。
■雪の冬の間は、畑で野菜の採取も出来ません。その家で冬季間に食いつなげるだけの食料を貯えておきます。
||あたゝかなるやうに土中にうづめ、又はわらにつゝみ、桶に入れてこほらざらしむ。
■暖気を保持するように地中に埋めたり、または藁で包んで桶等に保存して凍結しないようにします。
||其外雪の用意に種々(しゅ/”\)の造作をなす事筆に尽しがたし。
■そのほか、冬の間中の生活の為の準備作業は、とても書ききれるものではありません。
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の用意(ようい)
前(まへ)にいへるがごとく、雪降(ふら)んとするを量(はか)り、雪に損ぜられぬ為に屋上(やね)に修造(しゆざう)を加(くは)へ、梁(うつばり)・柱・廂(ひさし) 家の前の屋翼(ひさし)を里言に〔らうか〕といふ、すなはち廊架(らうか)なり 其外すべて居室に係る所力弱(ちからよはき)はこれを補(おぎな)ふ。雪に潰(つぶさ)れざる為也。庭樹(にはき)は大小に随(したが)ひ枝の曲(ま)ぐべきはまげて縛束(しばりつけ)、椙丸太(すぎまるた)又は竹を添へ、杖(つゑ)となして枝を強(つよ)からしむ。雪折(を)れをいとへば也。冬草の類(るゐ)は菰莚(こもむしろ)を以、覆ひ包む。井戸は小屋を懸(かけ)、厠(かはや)は雪中其物を荷(になは)しむべき備(そな)へをなす。雪中には一点の野菜もなければ、家内の人数(にんず)にしたがひて雪中の食料(しよくれう)を貯(たくは)ふ。あたゝかなるやうに土中にうづめ、又はわらにつゝみ、桶に入れてこほらざらしむ。其外雪の用意に種々(しゅ/”\)の造作をなす事筆に尽しがたし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)
・・・
○雪の用意(ようい)
|| 前(まへ)にいへるがごとく、雪降(ふら)んとするを量(はか)り、雪に損ぜられぬ為に屋上(やね)に修造(しゆざう)を加(くは)へ、梁(うつばり)・柱・廂(ひさし) 家の前の屋翼(ひさし)を里言に〔らうか〕といふ、すなはち廊架(らうか)なり 其外すべて居室に係る所力弱(ちからよはき)はこれを補(おぎな)ふ。雪に潰(つぶさ)れざる為也。
■雪が降りそうな様子を見て、雪害を最小化するための色々の工夫をします。
家屋は修繕をします。梁や柱や庇などです。
家の前の庇のことを、越後ではろうか(廊架)といいます。雁木のことですね。
その他全ての家屋に関わる場所で、弱い個所は補強をします。
雪に潰されないようにする為です。
||庭樹(にはき)は大小に随(したが)ひ枝の曲(ま)ぐべきはまげて縛束(しばりつけ)、【椙丸太(すぎまるた)】又は竹を添へ、杖(つゑ)となして枝を強(つよ)からしむ。【雪折(を)れ】をいとへば也。
■庭木は、それぞれの大きさによって、枝を寄せても良いものは曲げて縄で縛り付けます。
細木(杉丸太)や竹を添えて、雪折れしないように支えの杖として枝が折れないようにします。
||冬草の類(るゐ)は菰莚(こもむしろ)を以、覆ひ包む。
■また、小木や枯れない植物などには、コモやムシロで包んで覆いをします。
||井戸は小屋を懸(かけ)、厠(かはや)は雪中其物を荷(になは)しむべき備(そな)へをなす。
■井戸には小屋掛けをします。便所は冬の間に便桶が一杯になってしまわないように、汲み取りなどをして準備しておきます。
||雪中には一点の野菜もなければ、家内の人数(にんず)にしたがひて雪中の食料(しよくれう)を貯(たくは)ふ。
■雪の冬の間は、畑で野菜の採取も出来ません。その家で冬季間に食いつなげるだけの食料を貯えておきます。
||あたゝかなるやうに土中にうづめ、又はわらにつゝみ、桶に入れてこほらざらしむ。
■暖気を保持するように地中に埋めたり、または藁で包んで桶等に保存して凍結しないようにします。
||其外雪の用意に種々(しゅ/”\)の造作をなす事筆に尽しがたし。
■そのほか、冬の間中の生活の為の準備作業は、とても書ききれるものではありません。
初雪(北越雪譜) ― 2018/01/07 04:21
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○初雪(はつゆき)
暖国の人の賞翫するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に歌妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしかしむる所也。雪国の人これを見これを聞きて羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。そも/\越後国は北方の陰地なれども一国の内陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山(かうざん)連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是陰陽の前後したるに似たり。我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の陰(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅草山(あさくさやま)等の高山(かうざん)其余他国に聞こえざる山々波濤のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かは/”\)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雪深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深きをしるべし。冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也。我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とし其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり。我国の雪は鵞毛をなさず。降時はかならず粉砕(こまかき)をなす。風又これを助く。故に一昼夜に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり。往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降ざる事なし。されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生れたる不幸といふべし。雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.13~14)
・ ・ ・
○初雪(はつゆき)
|| 暖国の人の賞翫するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に歌妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしかしむる所也。
■ トカイ人の雪を愛でることについては、前節でも書いたとおり。
江戸方面では、雪の降らない年もあるので、それはそれは珍しがる。
雪見の船に芸妓をはべらせ、賓客を招いて雪見障子の内に焜炉の釜で茶を立てる。
吉原では、あれ♪雪じゃいな~と、客は居続けの言い訳にしてしまう。
居酒屋屋台は、千客万来と仕込みの準備だ。
何につけてもトカイの人は雪をいい事に、遊ぶことを考える例は枚挙に暇(いとま)なしだ。
雪で一番喜ぶのは、遊興行楽客引き商売だ。
||雪国の人これを見これを聞きて羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。
■雪に埋もれた地では、これを聞いてうらやましがらない人はいない程だ。
我が越後の初雪とトカイの初雪とを比べてみれば、行楽と苦行とそれは眞逆のことなのです。
||そも/\越後国は北方の陰地なれども一国の内陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山(かうざん)連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是陰陽の前後したるに似たり。
■日本列島を眺めるに、越後の国は北方に当るので“陰”の地といえるのです。
陰のその地のなかをみると、陰陽が逆転していることになるのです。
その訳は、先ず「“西北”は陰、“南東”は陽」ということを押さえておいてください。
日本全体の地勢
〈陰〉西北、戌亥・乾(いぬい・けん)、越後の国
〈陽〉東南、辰巳・巽(たつみ・そん)、
越後の国の地勢
〈陰の方角〉西北には、日本海、海は陽なのです。
〈陽の方角〉東南には、連なる高山、山は陰なのです。
それなので、西北(海側)の地方は雪が少なくて、東南(山側)の僻村は雪が深いのです。
つまりは、これは陰陽が逆転している地である、とは言えまいか。
(※よく判りませんが、そういう理屈らしい(笑))
||我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の陰(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅草山(あさくさやま)等の高山(かうざん)其余他国に聞こえざる山々波濤のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かは/”\)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雪深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深きをしるべし。
■しかして、日本の北西の地(陰)であるところの越後の国のその中の魚沼郡は、
方角では陽の地(越後の中の南東部)であるのに、地形では陰(山々)となるのです。
日本有数の名山からはたまた無名の山まで怒涛の如く連山を成しているのです。
また大小の河川が縦横している、魚沼の地は陰気満々の山間村落なのです。
これによっても雪の深さを推し測れまいかのう。
||冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也。
■冬は太陽の運行は南行するので、北国はますま寒いのです。
室内にいても、北側は寒くて南側は暖かいのと同じ理屈です。
||我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とし其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり。
■こういう地域なので、年毎の巡りで遅速はありますが、初雪の時期は大体九月末から十月初旬(陰暦)となるのです。
||我国の雪は鵞毛をなさず。降時はかならず粉砕(こまかき)をなす。風又これを助く。故に一昼夜に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり。往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降ざる事なし。
■この地の雪は、はらりはらはらと舞う羽毛の様にはならないのです。
降る時には必ず粒に固まった様になって吹雪くのです。これに風が勢いをつける。
それなので、一昼夜もあれば積もる場所では、2メートルから3メートルになることもあるのです。
昔々より、現在にいたるまで雪が降らない年などは無いのです。
||されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生れたる不幸といふべし。
■だから、トカイ人のように、初雪を見て吟行朗詠、はては呑めや歌えのどんちゃん騒ぎの楽しみは考えられないのです。
嗚呼、今年もまた半年は雪の中にあり、雪に泣き、辺境寒国の地に生れ合わせたことを歎くのです。
||雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。
■雪を見て楽しめる享楽繁華の地に生れなすった僥倖はせいぜい感謝しないといけませんぜ>あなたの事だ!トカイ人へ。
※んなことは書いてませんが(笑)。
天保年代の作者(鈴木牧之か山東京山)のご意見は原文で読んでね。『北越雪譜』1836年初編。
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○初雪(はつゆき)
暖国の人の賞翫するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に歌妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしかしむる所也。雪国の人これを見これを聞きて羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。そも/\越後国は北方の陰地なれども一国の内陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山(かうざん)連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是陰陽の前後したるに似たり。我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の陰(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅草山(あさくさやま)等の高山(かうざん)其余他国に聞こえざる山々波濤のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かは/”\)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雪深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深きをしるべし。冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也。我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とし其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり。我国の雪は鵞毛をなさず。降時はかならず粉砕(こまかき)をなす。風又これを助く。故に一昼夜に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり。往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降ざる事なし。されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生れたる不幸といふべし。雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.13~14)
・ ・ ・
○初雪(はつゆき)
|| 暖国の人の賞翫するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に歌妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしかしむる所也。
■ トカイ人の雪を愛でることについては、前節でも書いたとおり。
江戸方面では、雪の降らない年もあるので、それはそれは珍しがる。
雪見の船に芸妓をはべらせ、賓客を招いて雪見障子の内に焜炉の釜で茶を立てる。
吉原では、あれ♪雪じゃいな~と、客は居続けの言い訳にしてしまう。
居酒屋屋台は、千客万来と仕込みの準備だ。
何につけてもトカイの人は雪をいい事に、遊ぶことを考える例は枚挙に暇(いとま)なしだ。
雪で一番喜ぶのは、遊興行楽客引き商売だ。
||雪国の人これを見これを聞きて羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。
■雪に埋もれた地では、これを聞いてうらやましがらない人はいない程だ。
我が越後の初雪とトカイの初雪とを比べてみれば、行楽と苦行とそれは眞逆のことなのです。
||そも/\越後国は北方の陰地なれども一国の内陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山(かうざん)連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是陰陽の前後したるに似たり。
■日本列島を眺めるに、越後の国は北方に当るので“陰”の地といえるのです。
陰のその地のなかをみると、陰陽が逆転していることになるのです。
その訳は、先ず「“西北”は陰、“南東”は陽」ということを押さえておいてください。
日本全体の地勢
〈陰〉西北、戌亥・乾(いぬい・けん)、越後の国
〈陽〉東南、辰巳・巽(たつみ・そん)、
越後の国の地勢
〈陰の方角〉西北には、日本海、海は陽なのです。
〈陽の方角〉東南には、連なる高山、山は陰なのです。
それなので、西北(海側)の地方は雪が少なくて、東南(山側)の僻村は雪が深いのです。
つまりは、これは陰陽が逆転している地である、とは言えまいか。
(※よく判りませんが、そういう理屈らしい(笑))
||我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の陰(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅草山(あさくさやま)等の高山(かうざん)其余他国に聞こえざる山々波濤のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かは/”\)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雪深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深きをしるべし。
■しかして、日本の北西の地(陰)であるところの越後の国のその中の魚沼郡は、
方角では陽の地(越後の中の南東部)であるのに、地形では陰(山々)となるのです。
日本有数の名山からはたまた無名の山まで怒涛の如く連山を成しているのです。
また大小の河川が縦横している、魚沼の地は陰気満々の山間村落なのです。
これによっても雪の深さを推し測れまいかのう。
||冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也。
■冬は太陽の運行は南行するので、北国はますま寒いのです。
室内にいても、北側は寒くて南側は暖かいのと同じ理屈です。
||我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とし其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり。
■こういう地域なので、年毎の巡りで遅速はありますが、初雪の時期は大体九月末から十月初旬(陰暦)となるのです。
||我国の雪は鵞毛をなさず。降時はかならず粉砕(こまかき)をなす。風又これを助く。故に一昼夜に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり。往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降ざる事なし。
■この地の雪は、はらりはらはらと舞う羽毛の様にはならないのです。
降る時には必ず粒に固まった様になって吹雪くのです。これに風が勢いをつける。
それなので、一昼夜もあれば積もる場所では、2メートルから3メートルになることもあるのです。
昔々より、現在にいたるまで雪が降らない年などは無いのです。
||されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生れたる不幸といふべし。
■だから、トカイ人のように、初雪を見て吟行朗詠、はては呑めや歌えのどんちゃん騒ぎの楽しみは考えられないのです。
嗚呼、今年もまた半年は雪の中にあり、雪に泣き、辺境寒国の地に生れ合わせたことを歎くのです。
||雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。
■雪を見て楽しめる享楽繁華の地に生れなすった僥倖はせいぜい感謝しないといけませんぜ>あなたの事だ!トカイ人へ。
※んなことは書いてませんが(笑)。
天保年代の作者(鈴木牧之か山東京山)のご意見は原文で読んでね。『北越雪譜』1836年初編。
雪の堆量(北越雪譜) ― 2018/01/07 21:45
雪の堆量(北越雪譜)
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の堆量(たかさ)
余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞きしに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量りしに雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此(この)話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば廿四丈にいたるべし。随(したがつて)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)の深(ふかき)事ははかりしるべからず。天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話(はなし)誣(し)ふべからず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.15)
・ ・ ・
○雪の堆量(たかさ)
|| 余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞きしに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量りしに雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此(この)話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその
日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば廿四丈にいたるべし。
■以下の話は、わたし(牧之)の隣町に住む六日町の俳諧友達、天吉翁が【妻有(つまり)の庄】に行った時に聞いたという。
信濃川のほとりに住む風流人が天保5年に十二月二十五日までの間、雪が降るたびに【尺】で測ったそうな。
その結果は十八丈(54メートル)になったと言うのです。
この数字はいくら雪国の人でもにわかに信じ難いと思うかもしれません。
よく考えてみると、十月の初雪から十二月二十五日までであれば、その間八十日。
毎日五尺(1.5メートル)の降雪があったら、二十四丈(120メートル)である。
ここに、【妻有(つまり)の庄】が出てきます。
注釈には、中世の庄園名に由来する十日町・中魚沼郡の古称。とあり。
【天吉老人】(注釈あり)
六日町の天王山吉祥院住職吉川知可良の通称。魚沼俳壇の重鎮で四方の春・あしか・俳諧摘要などの著がある。安政二年(1855)没、七十六。
||随(したがつて)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。
■降るたびごとに雪を片付けてしまうので、積上げた形では見えないのです。
また、地面にあれば固まって(詰ってくる)高さは減るものです。
※これは、降雪量と積雪量の違いですね。
||かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)の深(ふかき)事ははかりしるべからず。
■このことで思うに、北越の深山幽谷の雪の深いことは、はかり知れないのです。
||天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話(はなし)誣(し)ふべからず。
■まさかね、と思うかもしれませんが、天保五年は近来に無い大雪だったのです。
だからこの話は、眉唾ではないのですぞ。
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の堆量(たかさ)
余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞きしに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量りしに雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此(この)話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば廿四丈にいたるべし。随(したがつて)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)の深(ふかき)事ははかりしるべからず。天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話(はなし)誣(し)ふべからず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.15)
・ ・ ・
○雪の堆量(たかさ)
|| 余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞きしに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量りしに雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此(この)話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその
日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば廿四丈にいたるべし。
■以下の話は、わたし(牧之)の隣町に住む六日町の俳諧友達、天吉翁が【妻有(つまり)の庄】に行った時に聞いたという。
信濃川のほとりに住む風流人が天保5年に十二月二十五日までの間、雪が降るたびに【尺】で測ったそうな。
その結果は十八丈(54メートル)になったと言うのです。
この数字はいくら雪国の人でもにわかに信じ難いと思うかもしれません。
よく考えてみると、十月の初雪から十二月二十五日までであれば、その間八十日。
毎日五尺(1.5メートル)の降雪があったら、二十四丈(120メートル)である。
ここに、【妻有(つまり)の庄】が出てきます。
注釈には、中世の庄園名に由来する十日町・中魚沼郡の古称。とあり。
【天吉老人】(注釈あり)
六日町の天王山吉祥院住職吉川知可良の通称。魚沼俳壇の重鎮で四方の春・あしか・俳諧摘要などの著がある。安政二年(1855)没、七十六。
||随(したがつて)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。
■降るたびごとに雪を片付けてしまうので、積上げた形では見えないのです。
また、地面にあれば固まって(詰ってくる)高さは減るものです。
※これは、降雪量と積雪量の違いですね。
||かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)の深(ふかき)事ははかりしるべからず。
■このことで思うに、北越の深山幽谷の雪の深いことは、はかり知れないのです。
||天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話(はなし)誣(し)ふべからず。
■まさかね、と思うかもしれませんが、天保五年は近来に無い大雪だったのです。
だからこの話は、眉唾ではないのですぞ。
彼の地に特有の文化の発顕ことについて ― 2018/01/07 22:16
【与太話:彼の地に特有の文化の発顕ことについて】
〔on Facebook〕
||彼の地は昔からそういう文化人が多いってことですか。
しかしですね、彼の地近辺はつい近年は超ローカルな「妻有(つまり)」などという過疎地がいきなりアートの展示場になったりしている。たしか県立博物館館長となられた赤坂憲雄氏(民俗学者)が関られて、ビエンナーレ展とかを311の少し前から企画開催されたりした。
妻有の地は、地名が残っていた事がとても重要になってきているのではないかと愚考するのです。「つまり」という地名は、中世の庄園名に由来する十日町市・中魚沼郡地方の古称だというのです(これは、わたしが引いている「校註北越雪譜」の注釈にも書かれている)。
がしかし、わたしは“妻有”は途中で字が好字に変えられたのではないかと思っています。どういう字だったか、それはつまり“詰りの庄”です。これより奥には人が住めないという詰りの地です。
では何故そのような彼の地に文化が発生していたかいうと、これはマレビトが媒介したに違いありません。
何故そのようなマレビトが彼の地のような過疎地を訪ねたのか、というと、その時代をつらつら考えるに、天明の飢饉とか天保の飢饉といった異変でトカイでは生計を営めなくなっていた。
文人墨客ついでに宗教人(坊主・山伏・似非御師)が地方の中堅都市ではなく、情報(ニュース)の伝わりにくいその奥の過疎地にまで入り込んだのではないかと思うのです。食い扶持繋ぎにです。
その地に残った(と思われる)特有固有な文化というのは、えてして、このような事がトリガ(引金)となっているのではと思うのです。
と。すみませんすみません、わたしゃ、その詰りの庄から山古志山越した先の奥会津の生まれです(笑)。
(ここまで)
投稿してから、“つまり”の地名のことはどこかで読んだかした気がしてきました、「記憶にない」のですがどこかで聞きかじったか(笑)。
聞きかじったとすれば、どなたからかの文章(か会話)かは思い当たってしまうのです(^^;こら!
||是(これ)余(よ)が発明にあらず諸書(しよしよ)に散見したる古人(こじん)の説也。
としておきます。
雪竿(北越雪譜) ― 2018/01/08 21:03
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪竿(さお)
高田御城大手先の広場に木を方(かく)に削(けづ)り尺を記(しる)して建(たて)給ふ。是を雪竿といふ。長一丈也。雪の深浅公税(こうぜい)に係(かゝ)るを以てなるべし。高田の俳友(はいいう)楓石子(ふうせきし)よりの書翰に 天保五年の仲冬 雪竿を見れば当地の雪此節一丈に余れりといひ来れり。雪竿といへば越後の事として俳句にも見えたれど、此国に於て高田の外無用の雪竿を建(たつ)る処昔はしらず今はなし。風雅をもつて我国に遊ぶ人、雪中を避て三夏の頃此地を踏(ふむ)ゆゑ越路(こしぢ)の雪をしらず。然るに越路の雪を言の葉に作意(つくる)ゆゑ、たがふ事ありて我国の心には笑ふべきが多し。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.15~16)
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○雪竿(さお)
|| 高田御城大手先の広場に木を方(かく)に削(けづ)り尺を記(しる)して建(たて)給ふ。是を【雪竿】といふ。長一丈也。雪の深浅公税(こうぜい)に係(かゝ)るを以てなるべし。
■ 高田城の正面の広場には木に目盛りを印した角棒が立ててあります。
これを雪竿といいます。長さは3メートル、積雪高を正確に記録する為に立ててあるのです。
||高田の俳友(はいいう)楓石子(ふうせきし)よりの書翰に 天保五年の仲冬 雪竿を見れば当地の雪此節一丈に余れりといひ来れり。
■高田の俳諧友人、楓石子こと倉石乾山の手紙が来ていました。
それによると、天保五年の冬の中ごろの高田の積雪量は3メートルを越していると書いてありました。
||雪竿といへば越後の事として俳句にも見えたれど、此国に於て高田の外無用の雪竿を建(たつ)る処昔はしらず今はなし。
■雪竿といえば、越後の国の風物詩として俳句の季語として記載されているが、越後の国では高田以外で無用である雪竿を立てる地域は、昔の事は知らないが今は無い。
【雪竿】冬の季語として簡便辞書にも載っている。雪見竿とも。
||風雅をもつて我国に遊ぶ人、雪中を避て三夏の頃此地を踏(ふむ)ゆゑ越路(こしぢ)の雪をしらず。
■トカイの文化風流人で遊びに来る人は、実は(雪溶け後の)夏場に来遊するので、越路の雪のことをご存じ無いのです。
||然るに越路の雪を言の葉に作意(つくる)ゆゑ、たがふ事ありて我国の心には笑ふべきが多し。
■それなので、見てもいない“越路の雪”を枕詞の様にして作ってしまう、それはほとんど間違い、その地の住民からするとお笑い草のような文も多いのです。
これは、よその人が雪竿について勘違いの指摘をしていることについての反論らしい。
そのやり取りの相手が滝沢馬琴。補註〔一〕(P.303)にあり。
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『北越雪譜』と名づけたのは、滝沢馬琴。
牧之は自作原稿をもって馬琴を訪ねている。それは良い企画であると、大いに賛同したが、自分が流行りすぎて多忙なので、結局文章を作らなかった。
それで、山東京伝が、世話をする事になったが、京伝は45歳にして突然亡くなってしまう。
それを受けて、弟山東京山が、それがしが引き受けようとなる。
そこから、京山と馬琴の確執話が始まる、、、
・・というような事が、石川淳の『諸国畸人伝』(中公文庫)に書かれています・・
雪竿、といえば、「雪の墓標」を検索していただきたい。
http://yebijin.asablo.jp/blog/img/2010/07/22/1166c9.jpg
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