「大野一雄」:修訂間差異
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邁入高齡後,大野著手指導其子大野慶人,並曾一同進行演出。 |
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*1969年 「O氏の肖像」([[長野千秋]]・監督) |
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*大野一雄 『わたしの舞踏の命』 矢立出版、2005年 |
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*大野一雄 『舞踏譜 御殿、空を飛ぶ』 [[思潮社]] 1992年、増補版1998年 |
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*『大野一雄 石狩の鼻曲り』 かりん舎、2002年 |
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*『胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄 細江英公人間写真集』 青幻舎、2006年 |
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於 2022年8月24日 (三) 02:51 的最新修訂
大野一雄 | |
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出生 | 大日本帝國北海道函館市 | 1906年10月27日
逝世 | 2010年6月1日 日本神奈川縣橫濱市 | (103歲)
職業 | 舞踏家 |
日語寫法 | |
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日語原文 | 大野 一雄 |
假名 | おおの かずお |
平文式羅馬字 | Ohno Kazuo |
大野一雄(1906年10月27日—2010年6月1日)是日本舞踏家,開創了「暗黑舞踏」,並因此成為舞踏界權威與精神象徵。
大野生於北海道函館市,1933年受舞蹈家La Argentina啟發,才以近而立之齡正式學習舞蹈,可謂大器晚成。約莫50年後,他以獨舞《阿根廷娜頌》向她致敬。
1960年,大野開始與土方巽直接合作。土方巽稱得上是舞踏技藝鼻祖,但不同於大野做為一位獨舞家,土方較擅長技巧與編舞部分。
大野篤信浸信會,並長期任教於橫濱一所私立基督學校。
邁入高齡後,大野著手指導其子大野慶人,並曾一同進行演出。
映像作品
[編輯]- 1969年 「O氏の肖像」(長野千秋・監督)
- 1971年 「O氏の曼陀羅 遊行夢華」(長野千秋・監督)
- 1973年 「O氏の死者の書」(長野千秋・監督)
- 1991年 「魂の風景」
- 1995年 「KAZUO OHNO」(ダニエル・シュミット・監督)
- 1996年 「書かれた顔」(ダニエル・シュミット・監督)
- 2001年 「001001」(大木裕之・監督)
- 2001年 「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」(大浦信行・監督)
- 2005年 「大野一雄 ひとりごとのように」(大津幸四郎・監督)
- 2005年 「9.11-8.15 日本心中」(大浦信行・監督)
著書・寫真集
[編輯]- 大野一雄 『わたしの舞踏の命』 矢立出版、2005年
- 大野一雄 『舞踏譜 御殿、空を飛ぶ』 思潮社 1992年、増補版1998年
- 『大野一雄 石狩の鼻曲り』 かりん舎、2002年
- 『胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄 細江英公人間寫真集』 青幻舎、2006年
- 『大野一雄 百年の舞踏』 大野一雄舞踏研究所編、フィルムアート社、2007年
- 『秘する肉體 大野一雄の世界』 大野慶人監修/クレオ編・刊、2006年
- 『大野一雄 魂の糧』 大野慶人・大野一雄舞踏研究所編、フィルムアート社、1999年
- 『大野一雄 稽古の言葉』 大野一雄舞踏研究所編、フィルムアート社、1997年
- 『大野一雄』 書肆青樹社、1997年
- 『天人戱楽 大野一雄の世界』 立木鷹志編 青弓社、1993年