三池藩
三池藩(日语:三池藩/みいけはん Miike-han */?)是日本筑后国三池郡三池新町的藩[注 1],元和7年正月10日(1621年3月3日)创藩,文化3年6月6日(1806年7月21日)废藩,庆应4年9月3日(1868年10月18日)再次创藩,明治4年7月14日(1871年8月29日)再度废藩,表高是10,000石,实高是11,979石,藩厅是三池阵屋,藩校是创建于安政4年(1857年)9月的修道馆。人口方面,庆安元年(1648年)时男女分别有1,814名和1,325名,承应3年(1654年)时是1,814名和1,325名,宽文12年(1672年)时则是2,434名和1,787名[1][2]。
三池藩 | |
---|---|
外样 阵屋 | |
日语汉字 | 三池藩 |
平假名 | みいけはん |
罗马拼音 | Miike-han |
所在地 | 日本筑后国三池郡三池 |
藩厅 | 三池阵屋 |
大名家 | 立花家 |
伺候席 | 柳间 |
石高 | 10,000石 |
藩校 | 修道馆 |
藩邸 |
|
江户藩邸方面,文化年间(1804年至1818年)时的上屋敷位于西之丸下,中屋敷是本所椎木和深川灵岩寺后,下屋敷则是本所五之桥、下谷二长丁和本所五目[注 2][1][2],宽政时(1789年至1801年)的上屋敷则位于汤岛天神下[注 3][5]。藏屋敷在延享4年(1747年)时则位于土佐堀玉水町[注 4]。
历史
编辑元和7年正月10日(1621年3月3日),原本领有常陆国筑波郡柿冈5,000石的立花种次获加增5,000石[注 5],以10,000石入主旧领三池郡[2],当时的藩领分别是稻荷村、大牟田村、片平村、胜立村、加纳开村、藤田村、下二部村、舟津村、早米来村、今山村、马笼村、栎野村、臼井村、教乐木村、一部村、新町和下里村[注 6][8]。《筑后封植录》、《筑后地鉴》和《筑后志略》则称是立花宗茂入主柳河藩后获其分知而来[1]。
宽永14年(1637年),岛原之乱爆发,由于当时的藩主立花种长年纪尚幼,因此其叔父立花忠茂代为带领藩兵与柳河藩一同参战。元文3年(1738年),在三池稻荷山开始采掘煤矿,并且于宽政2年(1790年)制定石山法度(炭山取缔规则),奠定后来三井三池煤矿的基础。宽政5年8月25日(1793年9月29日),藩主立花种周就任若年寄,不过由于他在松平定信和松平信明以及一桥派与大奥的纠纷中支持后者,导致他在文化2年11月19日(1806年1月8日)被指泄密而解任,同年12月27日被处以蛰居和谨慎[1][2]。
文化3年6月6日(1806年7月21日),种周嫡子立花种善转封至陆奥国伊达郡下手渡,原本的藩领交由西国筋郡代羽仓秘救管治,秘救死后一度由其子羽仓秘道接管。文化7年(1810年),秘道转至越后国担任代官,旧藩领也改由西国筋郡代三河口辉忠管治,辉忠死后由其子辉光继承。文化13年(1816年),辉光也转至越后国担任代官,旧藩领则在同年8月24日(9月15日)改为柳河藩预地[2]。
嘉永4年12月7日(1851年12月29日),藩主立花种恭以约3,078石换来原藩领今山村、新町、稻荷村、下里村和一部村,总共约5,071石,统称为三池领。元治元年11月14日(1864年12月12日),三池领在第一次长州征讨时出兵至筑前国植木[注 7]。庆应4年2月28日(1868年3月21日),三池领与柳河藩一同参与会津战争。同年9月3日(10月18日),下手渡藩虽然是奥羽越列藩同盟成员,但是立场暧昧,因而遭到仙台藩攻击,阵屋也被摧毁,促使种恭改为定居于三池而重新创藩,并且在11月25日(1869年1月7日)获批准。明治2年6月2日(1869年7月10日),种恭获赐赏典金2,000两。明治3年5月15日(1870年6月13日),设立藩厅。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县,同年11月14日(12月25日)与久留米县和柳川县合并成三潴县[2][9]。
历任藩主
编辑家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 藩领 | |
---|---|---|---|---|---|
立花家 | 外样 阵屋 |
立花种次 | 10,000石 | 筑后国三池郡 | |
立花种长 | |||||
立花种明 | |||||
立花贯长 | |||||
立花长熙 | |||||
立花种周 | |||||
立花种善 | |||||
幕府领 文化3年至明治元年(1806年至1868年) | |||||
立花家 | 外样 阵屋 |
立花种恭 | 10,000石 | 筑后国三池郡 陆奥国伊达郡 |
领地
编辑令制国 | 郡 | 领地 |
---|---|---|
岩代国 | 伊达郡 | 御代田村、下手渡村、小岛村、小神村、羽田村、西饭野村、秋山村 |
筑后国 | 三池郡 | 今山村、新町、稻荷村、一部村、下里村 |
注解
编辑- ^ 三池新町现为福冈县大牟田市新町[1]。
- ^ 对应地名如下[3][4]:
- ^ 现江东区白河2丁目10−2[5]。
- ^ 土佐堀玉水町现为大阪府大阪市西区土佐堀1丁目和江户堀1丁目[6]。
- ^ 柿冈现为茨城县石冈市柿冈[7]。
- ^ 藩领现在均属大牟田市,对应地名如下[1]:
- 稻荷村现为大浦町、稻荷町、瓦町、龙湖濑町、通町、长沟町、平原町、鸟冢町、龟甲町、八本町、旭町、龟谷町、八尻町、浅牟田町、东新町、日出町、柿园町、东泉町、荣町和新荣町一带。
- 大牟田村现为大牟田市本町、大正町、北滨田町、滨田町、新地町、小滨町、松原町、住吉町、中岛町、港町、中友町、鱼町、古町、久保田町、宝坂町、筑町、原山町、不知火町、笹林町、有明町、一浦町、白金町、千代町、桥口町和曙町一带。
- 片平村现为片平町一带。
- 胜立村现为胜立、新胜立町和下池町一带。
- 加纳开村现为加纳町和三里町一带。
- 藤田村现为藤田町、樱町和神田町一带。
- 下二部村现为三川地区一带。
- 舟津村现为船津町和南船津町一带。
- 早米来村现为早米来町一带。
- 今山村现为今山一带。
- 马笼村现为马込町一带。
- 栎野村现为栎野一带。
- 臼井村现为臼井町一带。
- 教乐木村现为教乐来一带。
- 一部村现为一部町一带。
- 下里村现为有明町、常盘町、筑町、泉町、山上町、谷町、左古町、一本町、东泉町、出云町、松浦町、上町、曙町、笹林町、不知火町、宝坂町、一浦町、上官町、宫坂町、宫山町、真道寺町、东宫浦町、西宫浦町、花园町、七浦町、三坑町、烧石町、桥口町、本町和稻荷町一带。
- ^ 植木现为福冈县直方市植木[1]。
参考资料
编辑- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、川添昭二、长洋一、堤启次郎、土井仙吉、野口喜久雄 (编). 三池藩・新町・稲荷・旭町・大牟田・本町・浜田町・新地町・魚町・曙町・片平・勝立・加納・藤田・下二部・川尻・船津・早米来・今山・馬込・櫟野・臼井・一部・下里・大高町・橋口町・植木. 角川日本地名大辞典 福岡県. 角川日本地名大辞典 40 日本文学Web図書館. 角川书店. 1988-03-08. ISBN 4-040-01400-6 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 半田隆夫. 三池藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 九州編 7 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 88–97. ISBN 4-639-10040-X (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次 (编). 西の丸大手御門・五之橋・二長町. 角川日本地名大辞典 東京都. 角川日本地名大辞典 13 日本文学Web図書館. 角川书店. 1978-10-27. ISBN 4-040-01130-9 (日语).
- ^ 安部晃司、陶木友治、仲藤里美. 三池藩. 江戸三百藩 まるごとデータブック. 人文社. 2007-04: 127. ISBN 978-4-795-91750-7 (日语).
- ^ 5.0 5.1 上屋敷 マップ. 人文学开放数据共同利用中心. [2023-07-24]. (原始内容存档于2022-08-15) (日语).
- ^ 胁田修、内田九州男、相苏一弘、今井修平、本城正德、渡边忠司、薮田贯、村田路人、山口之夫、中尾芳治、服部昌之. 玉水町. 直木孝次郎、森杉夫、大月明、河音能平、田代克己、户田芳实、服部昌之、福岛雅藏、三浦圭一、山口之夫、吉田晶、胁田修 (编). 大阪府の地名. 日本历史地名大系 28 JapanKnowledge. 平凡社. 1986-02-07. ISBN 4-582-49028-X (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、志田谆一、佐久间好雄、秋山高志 (编). 柿岡. 角川日本地名大辞典 茨城県. 角川日本地名大辞典 8 日本文学Web図書館. 角川书店. 1983-12-08. ISBN 4-040-01080-9 (日语).
- ^ 大牟田市史编辑委员会 (编). 第三章 近世. 大牟田市史 上. 大牟田市役所. 1965-03-01: 573–575 [2023-07-26]. 国立国会图书馆书志ID:000001066960. (原始内容存档于2023-07-26) (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、小林清治、丸井佳寿子、誉田宏、竹川重男、吉村仁作 (编). 下手渡藩. 角川日本地名大辞典 福島県. 角川日本地名大辞典 7 日本文学Web図書館. 角川书店. 1981-03-08. ISBN 4-040-01070-1 (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2023-07-24]. (原始内容存档于2020-11-25) (日语).
外部链接
编辑- 三池藩. kotobank (日语).