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既存キリスト教からも爪弾きのサンクチュアリ「ホモ・三位一体論」 | peaceのブログ

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「天の父母様聖会」とは、政治、宗教、経済、学術、メディアなどのの壁を超えたコミュニティーです。
人類の父母である神様の元に人類が一つの家族となり、平和世界の建設という理念を掲げているのが、「天の父母様聖会」です。

 

これこそ、真のお父様が「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストであることの意義であり、神様とキリストと私を繋ぐ、霊界システムによる真の愛の回路なのです。

 

聖霊が女性ではなく、お父様の聖霊であることを実感するためには、夜の神様とキリストが独立した存在でありながら同一の存在であることを、理解し受け入れなければなりません。

聖霊までもが女性でない「男性」、三位一体といっても男性ばかりの「ホモ・三位一体論」、聖書ではソドム・ゴモラのような町々は神様の怒りをかって滅ぼされましたし、LGTBはお父様も嫌悪されていました。

にもかかわらず、この「ホモ・三位一体論」を教えているサンクチュアリ・亨進牧師ですから、既成教会からも爪弾きされることでしょう。

 

この時、私たち一人一人は、イエス様を殺したと同時に、神様をも殺したのです。イエス様の流された血は、神様の血でもあったのです。

イエス様と共に、神様は死なれたのです。私のこの手が、神様の血に染まったのです。

私たちは堕落の根本から、神様とキリストの前に悔い改めなければならないのです。

二代王様による聖霊の役事を受けたからと言って、私の心にキリストが立ってくれるわけではありません。

原理講論のキリスト論の「人間メシヤ」解説によって、強固な信仰となっていた偶像崇拝への悔い改め無くしては、心にキリストを迎えることは出来ないのです。そして、アベルを真のお父様の代身としてきたアベルカイン観の、愚か極まる偶像崇拝への悔い改め無くしては、お父様の聖霊が臨んでくださることはありません。

諸星くると氏の引用冒頭からは、「神は死んだ」とニーチェ先生となってイエス様以降のキリスト教の歴史まで無為にされていました。家庭連合(旧統一教会)は旧教・新教の伝統を継承していますが、サンクチュアリ教会はそれを否定されたことになります。原理講論・キリスト論だけでなく、神様の復帰摂理までも蔑まれる主張は亨進氏からですかね。お父様が解かれた「統一原理」そのものを亨進氏は低級呼ばわりしているように感じられます。

 

さて、ここで自称ルポライターtomy4509の過去記事からサンクチュアリが使い分けている「メシヤ」と「キリスト」の用語について確認してしてみてください(詳細はリンク先にて)。

 

 

サンクチュアリの亨進氏は「人間メシヤ」とホモ・三位一体論の「100%キリスト」とをハッキリと使い分けている

 

諸星くると氏もそれを踏まえて文章を書いていました。しかしながら、原理講論からはヘブライ語とギリシャ語の違いだけであっていずれも日本語では「救世主」との訳です。ここにも亨進氏が何か真新しいことを言っているかのような「言葉のマジック」がありました。さらには、「人間メシヤ」は【偶像崇拝】であり、「アベルを真のお父様の代身としてきたアベルカイン観」もまた【偶像崇拝】だとも書いていました。ところが、自称ルポライターtomy4509からはサンクチュアリにおける亨進氏と国進氏のアベルカイン一体勝利の虚偽については過去記事でも多く書いていました。その偽アベル(亨進氏)を、真の父母様を捨ててまでして夜の神様(男性格)を「天の父」だといって崇める信仰こそが【偶像崇拝】だと思うのですが。

 

 

 

【参考記事】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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