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毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半

2024-07-12 10:37:33 | 山日記

これは鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半の続きです。

 

鶴岡に泊まった翌朝は鶴岡駅前6時発のバスで月山へ向かった。

このバスは、途中羽黒山に寄ってから延々と走り、月山八合目まで行く。

そのバスには、前日鳥海山にのぼってこれから月山へという私と同じ穴のむじな、しかも同年配の男性が2人もいた。

 

バスは長距離を走るので羽黒山の山頂で15分の休憩。

バス停から羽黒山神社までは320mくらい。急げば、バスをおりて羽黒山神社まで往復してくることも可能。

月山八合目まではさらに1時間10分もかかる。駅からだと休憩含めて2時間15分。たいへんな長距離路線バスだ。

 

八合目の駐車場からは昨日のぼった鳥海山が雲海の上に姿を見せていた。

乗ってきた登山者たちはゆっくりと支度をしながら、次々に山へと向かう。

 

この日は月山頂上をめざし、その後姥沢にくだって、シャトルバスと鶴岡発山形行きのバスを利用し、新幹線で帰宅という行程。

 

この日月山は上空に雲はあるもののいいお天気だったが無風状態。暑さにへばった。

暑さだけではなく、旅の疲れも出たのかもしれない。

 

八合目駐車場からゆるやかな斜面を標高差にして60mほどあがると弥陀ヶ原だ。

弥陀ヶ原は広大な湿原で、池塘がたくさんあり、木道で周回できる。

私は妻と以前歩いたことがあるので周遊はしないで直接山頂へと歩き始めた。

高原状に広がる月山の山頂部を道はゆっくり南へと登っていく。それにしても暑い。心の中で「ちっとは吹いてくれよ」と悪態をつきながら登った。

 

少し傾斜が出てきて高原の一段上に登る感じになって登りつくとそこが佛生池小屋だった。

出羽三山のひとつ月山らしく池のほとりには石の仏やお供えの赤い花飾りが並んでいた。

 

佛生池小屋をすぎた斜面から振り返る。

こうして高原台地を一段づつあがっていく感じ。

一段あがるとそのたびにそろそろ山頂が見えるかななどと思っては裏切られた。

 

風があってもう少し涼しければこんないい山道はないだろうと思うが、風は吹いてくれない。

それにしてもこの広大な斜面はどうだ。

 

コバイケイソウが群落をつくっていた。

とてもいい景色なんだけど・・・暑い。

 

ようやく山頂の建物が見えた時にはほっとした。

八合目から山頂まで水平距離で4.5kmほどなのだが、なんだかほんとに長く感じた。

 

山頂に着いた時は軽い熱中症気味でおにぎり1個をむりやり水で胃袋へいれた。

体調はそれ以上悪くはならなかったので山頂の神社には寄らず早めに下山を開始することにした。

 

歩き始め、姥沢へと下り始めるあたりでは一時雲も広がったので日差しが遮られ、足取りも少し軽くなった。

 

山頂から西南西にのびる姥ヶ岳への稜線をくだる。

お盆休み真っ只中なので子ども連れの登山客も大勢いたが、暑さにうんざりした様子で、せっかくの月山にいい思い出が残ってくれるといいなと思った。

 

稜線からはずれて日当たりのいい南斜面をくだる。樹林がないので日陰もない。

何人かが休憩をしているあたりでふと見上げると白い雲に虹のような色がついている。

彩雲だ。結構あざやかな彩りだった。

休んでいた人たちも次々にカメラを向けていた。

 

途中から月山リフトで下るか迷ったが、沢から登り返すのがなんだかいやでそのまま下ってしまった。

でも地図を確認すればわずか30mをゆるやかに登るだけだったのだ。

もう一つは稜線からそれずに姥ヶ岳を経由して月山リフトに至るコースも楽に歩けそうでおすすめだ。

姥沢にはロッジの建物やトイレ、広大な駐車場があった。

 

姥沢からは町営のシャトルバスを利用した。これがかなりの距離を走る。

国道112号線の旧道、六十里越を走り、月山湖の畔で国道の新道、月山道路に合流。

そこからも延々と走って山形自動車道の西川インター近くの高速バス停まで送ってくれた。

 

このあと高速路線バスで山形に出て、東北遠征の旅を終え新幹線で帰路についた。

一人で出かけた鳥海山と月山をめぐる2泊3日の夏の山旅が終わった。

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鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半

2024-07-07 12:12:20 | 山日記

2019年の夏、お盆休みを利用して鳥海山と月山に登った。

台風の合間を縫う感じで11日朝新幹線で新潟へ、特急いなほに乗り継いで山形県の遊佐から乗合タクシーを利用した。

乗合タクシーは予約さえすれば1人でも料金は同じ。この日も私一人だけだったが、駅まで出迎えてくれて気持ちよく鉾立まで送ってくれた。

 

象潟口の鉾立から御浜小屋に泊まり翌日鳥海山頂へという計画。

鉾立到着時はすっかりガスに覆われていたが、食堂でカレーライスを食べ、歩きだす頃にはだいぶ見通しがよくなってきた。

 

鉾立から鳥海山への登山道は、昔からの信仰登山の人がたくさん利用してきただけに、スタートはしっかり舗装された遊歩道だ。

 

展望台をすぎると今度は石敷きの歩きやすい道になっていた。

あたりはすでに背の高い木は見当たらなくなっている。

登山道の左側は、奈曽川の深い谷になっているはずだが、展望所以外ではほとんど見えない。

 

花もたくさん見られるので写真を取りながらゆっくり登る。

 

ふと振り返ると日本海が見えた。

タクシーで出発した遊佐の海岸あたりのようだ。

 

奈曽川の崖淵からはなれしばらく尾根上のところを登る。

尾根から開けた谷状のところにさしかかると、御浜小屋につらなる稜線も見えてきた。

シーズンなのでたくさんの人が歩いている。

 

この付近にもたくさんの花が咲いていた。これはコオニユリかな。

 

やがて前方右手の斜面に雪渓が見えてきた。

その上部に歩いている人影が見えた。

そこは鳥海湖を取り囲む稜線のはずだが、登山道はそちらではなく、雪渓の下をかすめて傾斜を増した斜面をななめに登っていく。

 

鳥海の名をいただくチョウカイアザミも重そうな頭を垂れていた。

 

今夜の宿、御浜小屋が見えてきた。この小屋は鳥海湖を囲む稜線の上にあり、鳥ノ海御浜神社の社殿でもある。

まだ早いのだがまずは小屋に入って宿泊の手続きをした。

入ったところはなにもない板の間と左奥の部屋が宿泊所、右手が管理事務所を兼ねた社殿になっていた。

この日は左手奥の部屋は団体が使用していた。

 

まだ2時なので、鳥海湖を一周することにした。

上から眺めると鳥海湖が古い火口であることがよくわかる。

 

御浜小屋は鳥海湖の北側、1700m地点にあり、そこから反時計回りにまわった。

火口湖へと降りる途中で鳥海山の雲の切れ始め、山頂が姿を現した。周囲にはたくさんの花々が咲き乱れている。

 

鳥海湖の西側を下る途中から鳥海山の山頂を撮影。

江戸時代に噴火した新山付近は地肌がむき出しだが、ほかは全体に緑に覆われている。

御浜小屋からは手前に扇子森という山があって山頂は見えない。

 

南側の一番低いところ(標高1600m)をまわって鳥海湖の東側にまわり、ふたたび稜線にむかって登っていくと途中にニッコウキスゲの大群落があった。

 

小屋からまっすぐ山頂へ向かう稜線の道からでは見られなかったかもしれない。

標高差100mを上り下りしてくたびれたが、みごとな景色がみられたので満足だった。

 

お浜小屋には椅子もテーブルもないので食事は床に並べられる。

寝るのも布団ではなく床に毛布を敷いて寝るので少々体が痛くなった。

 

食後はほとんどの人が小屋の外に出て、日本海に沈む夕日の景色を楽しんでいた。

山頂の小屋ではなく御浜小屋に泊まるのはこれが見られるからなのだ。

日本海に長く伸びる光芒の中に飛島の影が見えていた。

風もなく、穏やかな夏の夕暮れだった。

 

翌日、山は朝からガスにおおわれ強い風も吹いていた。

この日は、七五三(しめ)掛から、むかし鳥海山が噴火に伴う山体崩壊をおこした旧火口である千蛇ケ谷をへて山頂をめざし、帰りは火口壁でもある稜線をたどって戻る計画。

 

見通しの悪い強風の中を歩くことになるが、こんな雰囲気も嫌いではない。

 

扇子森をこえて千蛇ヶ谷へくだる崖淵にある七五三掛(しめかけ)をめざす。

七五三掛から千蛇谷へ下る頃からガスが薄れ始めた。

 

鳥海山が大規模な山体崩壊をおこしたのは紀元前のことだといわれている。

 

その後の最高地点は今の七高山(2229m)だったそうだが、江戸時代の1800年に水蒸気爆発をおこし、溶岩ドームが形成され、それが新山となって、今はそこが最高地点(2236m)になっている。

 

その新山のふもと、七高山との間の谷に大物忌神社があってそこも宿坊として登山客が泊まれる。

建物はしっかりと組まれた岩壁に囲まれている。

冬、吹き付ける風雪から建物を守るためだろう。

 

いよいよ溶岩ドームを登る。

 

まだ200年そこそこしかたっていないので、大きく割れた溶岩の塊はするどく角が立っている。

 

そんな岩のあいだを縫うようにして登っていく。

 

新山の山頂は、ご覧のように角張った岩だらけ。

落ち着いて休めないので記念写真だけ撮って、外輪山の最高点である七高山に向かった。

 

新山と七高山とのあいだには残雪が残っていて、雪の上には白いもやがながれていた。

 

外輪山の急な壁を登り返す。

 

こちらが江戸時代からつづく山頂、七高山。いろいろな石碑が並んでいる。

 

七高山からは秋田県側の展望がすばらしく、遠く男鹿半島や岩手山も見えていた。

庄内平野から写した鳥海山の写真や映像をよく目にするが、秋田県からも素晴らしい姿が見え、豊かな水の恵みをはじめ、信仰の対象となっていることにも納得できた。

 

帰りは外輪山の稜線にそってくだった。

このあたりには鳥海山の固有種といわれるチョウカイフスマの花がみられるらしいのだが、時期には遅すぎるとあきらめていた。

実は注意すればまだ咲いていたらしい。下山後、鉾立のビジターセンターで教えられた。

 

ガスも消えているので右手に新山の雄姿をながめながら稜線を歩いていくことができる。

子どもをつれたグループもいた。さすがに人気の山だ。

 

チョウカイアザミの群落と花々。

 

登りの時は強風とガスでなにも見えなかった扇子森。

花と展望を楽しみながらゆっくりと鉾立にもどった。

鉾立から予約しておいた乗合タクシーで遊佐駅へ。

ローカルで酒田乗換で鶴岡に向かい、駅から少し歩いたところにある小さなビジネスに泊まった。

翌日は月山をめざす。

鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半に続く)

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夏の苗場山(2014年8月13日~14日)

2024-07-04 08:47:24 | 山日記

10年前の8月に山仲間5人で苗場山に登った。

苗場山は新潟と長野の県境にあり、一時期登ってみたい山ナンバーワンに輝いたこともある人気の山だ。

山のサイトを訪問される方ならかなりの方が登っているのではないだろうか。

なんといっても山頂台地の広大な湿原がすばらしい。

この時は、車1台に5人を詰め込み、かぐらスキー場のかぐらゴンドラの山頂駅より手前にある駐車場から出発した。

 

かぐらメインゲレンデの中間にあるレストランの近くが駐車場になっていて、トイレも設置されている。

ここからゴンドラ山頂駅まではゲレンデの中の道を歩くこともできるが、私たちは登山道を使った。

でもゲレンデを歩いたほうがよかったかもしれない。

足元が赤土で湿っているところもあってあまり歩きよくはなかったのだ。

 

なかなかきれいなヤマアジサイが。少しくらいじめついていてもその分きれいな花に出会えるといわけだ。

 

今回はこの5人のメンバー。もちろんカメラマンの私は写っていない。

 

途中にオカトラノオの大群落があって、これまたたくさんのヒョウモンチョウが蜜を吸っていた。

こんな光景は初めて見た。

さっきはゲレンデを歩いた方がいいと書いたが、そうしたらこれはみられなかったかも。

 

出発から30分ほどでゴンドラ山頂駅のそばにある和田小屋に到着。

ゲレンデを見下ろしながら一息いれた。

スキー場は木を伐り開いて自然をこわすものだが、見晴らしがよくなる点は捨てがたい。

 

ここから本格的な山道となり、大きな岩も目立つようになってきた。

このときなんと驚くことに私のすぐ後ろを歩いているメンバーは片足にギブスをはめて杖をつかっていた。

足首をねん挫したそうだ。それでも普通に歩いていたからたいしたもの。

登りはそれほど苦労しなかったようだけど、実は下りはかなり歩きにくそうだった。

 

登山道はスキーゲレンデから離れて山の斜面をななめに登っていく感じ。

立派なブナが姿をあらわした。ブナは幹も葉もなんとなくやわらかく感じるので好きだ。

 

ゆったりと幅の広い尾根筋にでると夏の花が姿を見せ始めた。

かなり雪の多いここでは尾根筋でも湿原みたいに湿っていてキンコウカが咲いていた。

 

標高1682mの下の芝のベンチに到着。

薄曇りで直射日光はないのだけれどもやはり真夏は暑い。

みんな水分補給。ここでお昼にした。

 

さらに標高で約200mあがって中の芝のベンチでまた休憩。

湿原植物とまばらに生えている針葉樹のおりなす気持ちのいい景色の中の木道を歩いて少しづつ高度をあげ、2000mの県境稜線へとむかう。

神楽ヶ峰から小松原湿原へとのびるこれもゆったりした稜線を南に進み神楽ヶ峰(2030m)をこえる。

 

ウツボグサのむらさきの群落がなんだか夢のよう。

 

神楽ヶ峰をすぎるとようやく苗場山の本体が見えてきた。

夏の雲がわきあがり、すっきりとはみえない。

 

いったん苗場山との鞍部へとくだり始めるが、そこに水がこんこんと湧き出していた。

 

雷清水だ。冷たい水でのどをうるおし、一服いれた。

ここで山小屋で使うための水を補給していくといい。

私たちも泊まった苗場山頂ヒュッテは雨水をろ過して飲み水にしている。

私たちは自炊だったのだが、自炊の水も有料だった。

私は泊り客の自炊分くらいはもらえるのかと思っていた。

だからここで2リットルくらいいれておきたいところだが、これから急登があるので重荷はつらいけど・・・

 

鞍部はいろいろな花がたくさん咲いていた。カワラナデシコ。

 

リンドウはつぼみを固く閉じていた。

 

シモツケソウなど。

 

花々でいろどられた斜面の道を苗場山をとりまく急崖へとむかう。

 

いよいよ最後の急登だ。疲れてしまったメンバーを叱咤激励。

いやいや叱咤はなし。やさしく励ましただけ。

 

ようやく山頂台地に抜けた。

 

少しガスっているけど広々とした湿原が広がる。山頂ヒュッテも見えてきた。

 

池塘のあいだに続く木道を山頂へとむかう。

 

ようやく苗場山山頂に到着。山頂といっても広い台地の少し高くなったところ。

標識がないと気が付かないかも。

その日は、すぐそばにある山頂ヒュッテに泊まった。

 

翌日も同じような天気だったけど、5時には一人で外に出て写真を撮った。

 

少しづつ明るくなってきた山頂台地を取り囲むように流れる雲の向こうに山影が見えている。

 

大きく深呼吸。見晴るかす湿原の背の低い針葉樹のあいだに池塘が白く光っていた。

 

朝露を含んでゆれる花々と小さな池塘。

静かに風が流れる中を一人で散歩する。

 

ヒュッテの近くの台地の縁まで行ってみた。

流れる雲の間から、すぐ近くにピラミッドのような三角形の山が見えた。

なかなか荘厳な雰囲気で、北アルプスの剣岳がみえているのかと思ったほどだった。

こんなに間近に見えるはずはないので、たぶん西隣、秋山郷の向こう側にある鳥甲山だと思う。

 

朝食をおえて、みんなで湿原散策に出発。湿原の中央部にある苗場神社まで往復した。

 

南にむかって少しづつ高度を下げながら広がる山頂台地。

朝早くに流れていたガスは消えて見通しはよくなっていた。

広がる湿原の向こうには雲に隠れているけど南にある佐武流山らしき山影がみえている。

 

湿原植物のイワショウブがきれいだった。白く輝く湿原の線香花火。

 

もう8月半ばなので湿原の花を楽しむには少し時期が遅いのかもしれない。

 

文字が彫られた石塔がたくさんあった。

昔々に登った人々が信仰のために担ぎ上げてきたものだろう。

 

そしてそのそばに苗場神社の小さな祠が。

小さな祠は、年とともに古びて壊れ、また地元の人々によって新しくされて受け継がれてきたものだ。

 

イワショウブの群落。

 

こちらはキンコウカの群落。

 

9時半ごろには湿原歩きを終えて登ってきた同じ道を下山開始。

ギブス付きの人もいて下山もかなりゆっくり。

なにせ足首が固定されているのだから、下りの段差は上りよりもずっと歩きづらくなる。

午後4時すぎようやく車に戻ることができた。

 

苗場山、ほんとうにいい山だった。また行ってみたい。

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妻と歩いた夏の八方尾根(2010年8月4日)

2024-06-27 10:51:33 | 山日記

八方尾根は白馬村の中でも人気ナンバー1の有名観光地だ。

標高1850mの八方池山荘までゴンドラとリフトを使って楽々あがれる。

そこから標高2000mを越える八方池までは、樹木の生えていない展望抜群の尾根道が続く。

八方池付近までは蛇紋岩地帯だからだ。

夏ならば高山植物の宝庫でもあり、ここの固有種も豊富だという。

そこを妻と二人で歩いた夏の八方尾根ハイキングを投稿しよう。

 

埼玉から私の運転する車で白馬村へ。午後からゴンドラとリフトを使って八方尾根にあがった。

この日はいい天気ではあったが、やはり午後になると3000mの稜線は雲に隠れてしまっていた。

 

まずは尾根通しの岩まじりの道を登る。

目の下にリフト終点と八方池山荘。高い樹木がないのではるか下界までみはらせる素晴らしい展望だ。

 

8月のはじめなのでたくさんの高山植物が咲いていた。

バックに山を取り込んだりできるので楽しく写真を撮っていった。

 

八方池までは大した距離ではないのでのんびりと花を写しながら歩く。

 

これはハッポウウスユキソウらしい。

八方尾根の固有種といわれる。ミネウスユキソウと似ているが、葉が細いのが特徴らしい。

 

オオバギボウシ。

 

これもハッポウウスユキソウ。

 

マツムシソウ。

 

ツリガネニンジン。

 

またまたハッポウウスユキソウ。

繊細な姿がなかなか絵になる。

 

目の前に白馬三山が姿を見せているのだけど、残念ながら稜線は夏の雲に隠されている。

 

石神井ケルン、別名八方山ケルンの手前のピークまで登ってきた。

尾根がゆるやかにカーブしているので、見下ろした景色が絵になる。

 

山の方は雲が多いので、妻は白馬村をみおろしながらスケッチをはじめた。

お湯を沸かしてコーヒーを入れた。

 

ヨツバシオガマ。

 

八方池についたけど、山を写しこもうにも姿を見せてくれない。

しかたなく池のほとりに咲くニッコウキスゲを写す。

上空は青空なんだけどなあ。

しばらく休んで引き返した。

 

下りは尾根筋からはずれるコースを選んで歩いた。

八方山付近も南斜面の湿地帯をめぐる木道のコースを歩き、そこにはキンコウカが咲いていた。

 

八方池山荘をすぎて、二つあるリフトの上の方はつかわずに脇を歩いて下った。

気持ちの良い半日ハイキングだった。

この日はゴンドラ駅から歩いて15分ほどの旅館に泊まった。

翌日もいい天気だったので青木湖など仁科三湖周辺をドライブしながら帰路についた。

終わってから気が付いたのだが、初日に観光ドライブして、翌日午前中に八方尾根をハイキングすべきだった。

そうすれば白馬三山の展望も満喫できただろう。

今度行くときはそうしようと思う。

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父母と子ども2人を連れて木曽駒ケ岳(1981年8月24日)

2024-06-02 15:41:42 | 山日記

父母とまだ小さかった子どもたちを連れて木曽駒が岳に登ったときの写真を探してデジタル化した。

1981年8月24日と25日にかけ、今の宝剣山荘に泊まって宝剣岳と木曽駒ヶ岳を歩いた。

2日目の写真はないと思って投稿していたが、見つかったので訂正して再投稿した。

 

飯田線の電車の前で記念撮影。

 

この時の父は68歳、母は63歳。今の私よりずっと若い。

子どもたちはこの前年、1980年8月に奥多摩の大岳山に、その年の暮れには高尾山を高尾山口から相模湖までのコースで連れて行っていた。

 

子どもたちは、山登りより電車に乗れることの方がうれしそうだったけど。

 

飯田線から伊那谷の車窓風景。

 

カモシカのはく製の前で。たぶんロープウェーの駅だったと思う。

このころはすでに中央自動車道が完成していたが、萱の台のバスセンターなどはなく、駒ヶ根駅からバスでしらび平のロープウェー駅にむかったと記憶している。

 

夏の千畳敷はたくさんの観光客がいた。

中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイは1967年の開通で、千畳敷駅は標高2612mだそうだ。

 

宝剣岳をバックに父母と私。妻は3人目の赤ん坊がいたので留守番をしていた。

 

38歳。今が76歳だからちょうど半分だったんだね。

 

宝剣岳とこれから歩く乗越浄土への道。

 

奥の建物はロープウェー駅に並んで立つホテル千畳敷。ここで長袖シャツをだして着せた。

 

子どもたちは普段着のまま。山用の服なんて用意してなかった。

もちろん防寒着などの着替えは私のリュックに入っている。

 

道端に大きな石を見つけては登ってみていた。

お花よりそっちのほうが楽しいもの。

 

宝剣岳の岩峰の下で小休止。このころは父より母の方が体力があった。母は若いころは少し体が弱い感じだったが、年取ってからの方が元気だった。

父は若いころに気がつかないうちに結核にかかっていたらしく、その後肺の機能が低下して80台後半のころには酸素を使っていた。

 

乗越浄土から千畳敷を見下ろす。奥の山は空木岳。

 

乗越浄土で休憩。父には最後の登りがかなりこたえたようだった。

このころからすでに肺の機能が少し低下していたのかもしれない。

 

乗越浄土からはすぐそばに宝剣山荘が見えている。

 

宿泊した宝剣山荘。40年以上前の写真だけど10年くらい前に泊まった時とあまり変わらない感じだ。

子どもたちは山用に長ズボンに着替え、ジャンパーを用意してこれから私と宝剣岳へ。

父母は小屋で休憩。

 

宝剣岳への途中にある天狗岩。

ほんとうに誰かが彫ったのかと思えるほど天狗の面を思わせる。

 

子どもたちは岩場を歩くのが面白くて楽しそうだった。

 

鎖場を登る子どもたち。

面白いものだからどんどん先に行こうとするのでちょっとはらはらすることも。

 

山頂直下で。

 

宝剣岳山頂(2931m)の岩峰の前で。

 

岩峰のてっぺんに座る私と子どもたち。

 

さて翌日もいい天気だった。

 

夜明けの雲海を撮影。奥には富士山が見えている。

子どもたちはジャンパーを着て出てきたが、「寒い~」とまた小屋に駆け戻ってしまった。

朝日が昇り始めて雲海がばら色に染まっていったが、なんとそこでフィルムが終わってしまった。

そんなわけで2日目の木曽駒ヶ岳の写真はない・・・。

 

と思ったら見つかった。フィルム買わないわけないよね。

別のアルバムに張り込んであった。

 

2日目、宝剣山荘をあとに中ノ岳へとむかう。

 

木曽駒が岳山頂到着。

 

下の子が撮影した写真。

 

山頂から西駒山荘方向の尾根をくだって濃ヶ池へ。ここからふたたび奥に見えるカールの底を登り返す。

 

親父はそうとうへばっていたが無事歩きとおして満足そうだ。

親父は68歳、おふくろは63歳だったことになる。

木曽駒には、これから32年後高齢者仲間と登ったが、その時はガスと強風であまり展望は得られなかった。

 

 

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