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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

婦人補導院

2022年03月23日 | 其の他

3月21日付け東京新聞(朝刊)で、婦人補導院なる施設の存在を初めて知った。売春防止法違反の罪で、“執行猶予”付き判決を受けた20歳以上の“女性”が『補導処分』として入る施設。」で、全員が入る訳では無く、公衆の目に触れる様な方法で、相手を誘う通称5条違反(勧誘等)」に限定されるとの事。6ヶ月間収容され、裁縫や調理、6ヶ月で成長する野菜の収穫体験等、生活指導や職業訓練を受ける。

執行猶予判決にも拘らず、生活環境は刑務所に近い。重厚な扉には頑丈な鍵が掛けられ、自由は無い。1人用の個室の広さは3。部屋の立て板の向こうは便器剥き出しで、食事は小窓から配膳鉄格子の窓の隙間から、小さな空が見えるだけ。」というから、「刑務所に近い。」では無く、刑務所其の物だ。

「婦人補導院」の“婦人”という呼称、「『売春行為、そして売春行為の勧誘も、女性だけでは無く、男性だって存在する。』のに、対象は女性だけ。」という点、「職業訓練の1つが裁縫。」という点等々、非常にアナクロな感じがする。どういう経緯で、婦人補導院は設置されたのだろうか?

終戦日から僅か3日後の1945年8月18日、内務省占領軍向けの性的慰安施設開設を指示。当然乍ら性病蔓延し、1946年に閉鎖。公娼制度は廃止されたが、売春形態水面下潜り、売春女性は蔑視される存在に。

“時代の生け贄”とも言える彼女達の存在は社会問題化し、1956年に売春防止法が議員立法で成立。付帯決議で示された「婦人補導院」は、其の2年後の1958年に設置された。当初、設置されたのは東京大阪福岡の3ヶ所で、1960年には最多の合計408人が収容されたと言う。

記事の中で、実際に施設に収容された1人の女性の事が紹介されている。詳しく書くのも悍ましい程、男性によって心身共に“玩具”にされて来たで在ろう知的障害を抱えた彼女。男を誘う女は、家事正業就く力が無いのだから、隔離して、自立出来る様に支えて上げ様。という発想で設置されたとも言われる婦人補導院だが、そういう女性蔑視的な発想が、社会的に弱い立場の女性達を収容する事になったとも言える。

近年裁判所が補導付き判決を出さなくなり、収容者は激減。施設は東京に残るだけで、平成以降僅か15人。其の存在意義が問われ、国会でも廃止論が散発的に浮上したと言う。

にも拘わらず、廃止はされなかった。2017年以降の新たな収容者は皆無なのに、2019年には東京都昭島市の「東京西法務少年支援センター(東京西少年鑑別所)」内に併設する形で移転。鑑別所の建設費は約20億で、其の中には婦人補導院の建設費も含まれる。「移転後、新品の、一度も使われる事の無い部屋も少なからず在るというのに、廃止されなかった。」というのは、何等か利権の匂いを感じてしまう。

現在、新しい女性支援の議論が佳境を迎えており、売春防止法で婦人補導院の「補導処分」を求めた3章と、「保護更生」を定めた4章を廃止し、其れに代わる位置付けの新法とし様としている。時代に合わない、実にアナクロな施設が、設置から64年の時を経て、漸く廃止となるのだろうか。


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