1994年4月に今の勤務先に就職してから17年経過し、現在18年目。この間、振り出しの九州から数えて現在まで転勤で5カ所を回ったが、8月17日で現在の勤務地である福島・白河勤務が4年5ヶ月。4年4ヶ月勤務した名古屋を超え、歴代最長となった。
人生とは不思議なもので、苦しくて転勤したいと思うときほどその時はなかなかやってこない。名古屋時代も事務所移転計画があり、最後の半年は毎日深夜帰りの時もあるなどとにかく苦しかった。前のめりになりながら、気づいたら4年4ヶ月が経過していた、そんな感じだ。逆に、快適に過ごしていて転勤したくないと思っていた職場はことごとく勤務期間が短かった。
現在の白河には2007年4月、出向により赴任した。当初は2年との約束だったが今やそんな話はどこへやらという感じだ。原発事故もあり、いつまでもここに残り続けるのは不安だが、今さら首都圏に転勤しても現実はほとんど変わらないし、むしろ柏・三郷・松戸などのホットスポットにはここより線量が高い地区もある。そんなところに異動するくらいならここにとどまった方が安全なくらいだ。西日本に転勤するのでなければ、今やどこがよりましかという相対的選択でしかなくなりつつある。はっきり言えばもう東日本はどこも同じだ。
我が愛する水樹奈々様が、今年5月22日付け産経新聞のインタビューで「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかない。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」ら成功した、と答えている。私もこの言葉を胸に刻み、他人は他人、自分は自分と割り切り、できることに精一杯取り組んでいきたい。
人生とは不思議なもので、苦しくて転勤したいと思うときほどその時はなかなかやってこない。名古屋時代も事務所移転計画があり、最後の半年は毎日深夜帰りの時もあるなどとにかく苦しかった。前のめりになりながら、気づいたら4年4ヶ月が経過していた、そんな感じだ。逆に、快適に過ごしていて転勤したくないと思っていた職場はことごとく勤務期間が短かった。
現在の白河には2007年4月、出向により赴任した。当初は2年との約束だったが今やそんな話はどこへやらという感じだ。原発事故もあり、いつまでもここに残り続けるのは不安だが、今さら首都圏に転勤しても現実はほとんど変わらないし、むしろ柏・三郷・松戸などのホットスポットにはここより線量が高い地区もある。そんなところに異動するくらいならここにとどまった方が安全なくらいだ。西日本に転勤するのでなければ、今やどこがよりましかという相対的選択でしかなくなりつつある。はっきり言えばもう東日本はどこも同じだ。
我が愛する水樹奈々様が、今年5月22日付け産経新聞のインタビューで「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかない。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」ら成功した、と答えている。私もこの言葉を胸に刻み、他人は他人、自分は自分と割り切り、できることに精一杯取り組んでいきたい。