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すうちゃんの窓

写真付きで作品・日記・趣味を書いていきます。

パソコンで絵手紙 ピーマン

2015年08月24日 | 日記
  毎日寝屋川市の中学一年生田中さん、星野君の殺害記事 山田容疑者がやっと逮捕された。
  でも 殺害された二人は生きては帰りません。
  どうしてまだあどけない二人が夜中に・・・大人がもう少し気を付けていたら防げていたかもと
  悔やまれます。

  今週の私は地区の夏祭り行事 準備、後片付け朝早くから夜遅くまで色々と忙しい一週間でした。
  終わってやれやれ少し疲れ気味  でも次の行事が待っている・・・

        
     ArtRageで絵手紙

  

8月15日終戦(父の思い出)

2015年08月14日 | 日記
    終戦70年

昭和20年年4月7日、広島の呉から沖縄を目指した戦艦大和が航空攻撃を受け、九州・坊ノ岬沖で乗員2740人と共に撃沈された。
父もその一人 今も戦艦大和と共に深い海の底で眠っていると思います。
幼かった私はなぜか三つだけ父との思い出の記憶がある。
七五三で近くの神社に抱かれて行った事 
時々自転車の前に乗せてどこかに連れて行ってくれた事
一番忘れられない記憶は父が広島の呉から一時帰宅した時 〈大和に海上特攻隊としての出撃命令が下される前と思う)
嬉しくて嬉しくて父から絶対に離れなかった事。三才だった妹は抱かれても父を忘れていたのか泣いていました。
でも又広島に行かれる時の別れの時はなぜか記憶に全然ない。
父はどんな思いで家族を残して戦艦大和で出撃しただろうか。
私には父の思い出がある。妹二人は写真の父しか知らない。
もし終戦が半年早かったら原爆初め多くの犠牲者が父も助かっていたのにといつも思った。
私たちは父が生きていてくれたらと幾度も涙した。
あれから70年
母は5人の子供を育てるのに大変だった事知っている
その母はいつも言っていた。悪いことは絶対してはだめ。人が嫌がることしたらダメ。
明るく笑顔でいたらきっと良いことが来るよ。(笑う門には福来る)を教えてくれた。
父の分まで長生きして99歳で眠たいと言いながら亡くなった。父と同じ4月だった。
今年3月7回忌の法事を終えたばかり
お盆のお墓参りは島根まで私達も歳を重ねて中々行けなくなったけど
忘れていないよ。お父さん お母さん ありがとう。


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