[go: nahoru, domu]

コンテンツにスキップ

ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/プトレマイオス朝について

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

古代エジプトプトレマイオス朝Πτολεμαῖοι, Ptolemaioi, プトレマイオイ:BC305~BC30年)について解説する。
カエサル著『内乱記』の後半部分(第3巻103節以降)で王朝の内紛について言及されるが、その背景事情について詳しくは述べられていないため、ここで補足する。

プトレマイオス朝とは

[編集]

マケドニアアレクサンドロス3世Ἀλέξανδρος Γ')のエジプト征服後に、属州総督サトラペースσατράπης, satrápēs)としてエジプトを統治していた将軍プトレマイオスが、3世の死(BC323年)の後の後継者戦争Πόλεμοι των Διαδόχων, Polemoi ton Diadochon :BC322-BC301年)を勝ち抜いて、王朝を樹立したものである。

近親婚  プトレマイオス朝の王たちは、出身地であるマケドニアやギリシアの風習を守り、ギリシア語を話し続けた。一方で、エジプトの神々を尊重し、神々の子孫である王が姉妹などの王族と結婚するという近親婚をして共同統治を行なうことにより、王権の神格化をはかった。このため、女性の王族が強大な権力を握ることになった反面、親子や兄弟姉妹などの近親の間で、王位をめぐって血で血を洗う争いが絶えなかった。このことは、やがて大国として台頭して来たローマの介入を受けやすくしていった。

王や廷臣たちの名前について

[編集]

始祖プトレマイオス1世以来、男性の王たちは皆 ギリシア語の男性名であるプトレマイオスΠτολεμαίος, Ptolemaios (Ptolemy))を名乗った。
女王たちは、同じくギリシア語の女性名であるクレオパトラΚλεοπάτρα, KleopatraベレニケΒερενίκη, Berenikē (Berenice)アルシノエἈρσινόη, Arsinoe)など名乗った。


プトレマイオス

[編集]

プトレマイオスΠτολεμαίος, Ptolemaios (Ptolemy)

w:, en:

クレオパトラ

[編集]

クレオパトラΚλεοπάτρα, Kleopatra


プトレマイオス朝に関連する固有名詞のギリシア語名とラテン語名

[編集]
プトレマイオス朝に関連する固有名詞のギリシア語名とラテン語名 の対照表
 プトレマイオス朝に関連する人名
ギリシア語名 ラテン語名 備 考
プトレマイオス Πτολεμαίος Ptolemaîos プトレマエウス
(プトロマエウス)
Ptolemaeus
(Ptolomaeus)
写本ではしばしば
Ptolomaeus
クレオパトラ Κλεοπάτρα Kleopátrā クレオパトラ Cleopatra
(アルスィノエ) Ἀρσινόη Arsinóē (アルスィノエ) (Arsinoē) クレオパトラ
の妹(en
ポテイノス Ποθεινός Potheinós ポティヌス Pothīnus 宦官の名(en
アキッラス Ἀχιλλᾶς Akhillâs アキッラス Achillās エジプト軍
の指揮官(en
(テオドトス) Θεόδοτος Theódotos (テオドトゥス) (Theodotus) ポンペイウス暗殺
の主唱者 (en
(ガニュメデス) Γανυμήδης Ganymēdēs (ガニュメデス) (Ganymedes) アルシノエ
の養育官 (en
ディオスコリデス Διοσκουρίδης Dioskourídēs ディオスコリデス Dioscorides 王の側近の名
セラピオン Σεραπίων Serapíon セラピオン Serapion 王の側近の名
en
 プトレマイオス朝に関連する地名
アイギュプトス Αἴγυπτος Aígyptos アエギュプトゥス Aegyptus エジプト(la
ペルスィオン Πηλούσιον Pēloúsion ペルスィウム Pelusium 北東部の都市
ペルシウムen
アレクサンドレイア,
アレクサンドリア
Ἀλεξάνδρεια Alexándreia‎ アレクサンドリア,
アレクサンドレア
Alexandrīa
Alexandrēa
プトレマイオス朝
の首都(la
パロス Φάρος Pháros パルス
(パロス)
Pharus
(Pharos)
アレクサンドリア
沖の島・灯台(la
'


w:, en:


首都アレクサンドリア

[編集]
プトレマイオス朝時代のアレクサンドリアの地図(訳者が作成)。


w:, en:












『内乱記』の背景

[編集]

w:, en:



女王クレオパトラとプトレマイオス朝

[編集]

w:, en:


年 譜

[編集]
プトレマイオス朝の年譜
西暦年 エジプトの出来事 関連する出来事
BC332年 アレクサンドロス3世がエジプトを征服。 -
BC331年 アレクサンドリア市の建設を開始。 -
BC323年 - アレクサンドロス3世死没。
BC305年 プトレマイオス1世が王を自称し、プトレマイオス朝を創始。 -
BC170年 セレウコス朝アンティオコス4世がプトレマイオス朝の軍勢を破り、
エジプト侵攻しようとするが、ローマの軍事介入により断念する。
-
BC163年 ローマの命令により、エジプトの領土が分割される。 -
BC117年頃 後のプトレマイオス12世が誕生。 -
BC102年頃 - カエサル誕生。
BC82年 - マルクス・アントニウス誕生
BC80年 プトレマイオス9世が崩御し、ローマの独裁官スッラの指示により、
プトレマイオス11世が即位するが、共同統治者であるベレニケ3世を暗殺。
アレクサンドリア市民が蜂起して王を殺害、王朝の直系が断絶する。
プトレマイオス9世の庶子が王に擁立される。
-
BC80-58 プトレマイオス12世Ptolemaeus XII)の治世(BC79-58 クレオパトラ6世と共同統治)
BC79-57 女王クレオパトラ6世(Cleopatra VI)の治世(BC79-58 プトレマイオス12世と共同統治)
BC77年 後の女王ベレニケ4世が王女として誕生。 -
BC69年 後の女王クレオパトラ7世が王女として誕生。 -
BC68-62 この頃、後の女王アルシノエ4世が王女として誕生。 -
BC63年 - 後のオクタウィアヌスがカエサルの大甥として誕生。
BC62-61 この頃、後の王プトレマイオス13世が王子として誕生。 -
BC60-59 この頃、後の王プトレマイオス14世が王子として誕生。 -
BC59年 この年のローマの執政官カエサルが、プトレマイオス12世に買収されて、
彼を「ローマ国民の同盟者にして友人」であると認める法律を成立させる。
-
BC58年 王弟プトレマイオスが統治していたキュプロス島がローマの属州となり、
エジプト民衆の蜂起によって、プトレマイオス12世が廃位される。
プトレマイオス12世の王女であるベレニケ(19歳)が女王に擁立される。
カエサルがガリア戦争を始める。

プトレマイオス12世がローマに亡命(BC58-55)
BC58-55 女王ベレニケ4世Berenice IV)の治世(BC58-57 クレオパトラ6世と共同統治)
BC57年 女王クレオパトラ6世が崩御し、ベレニケ4世の単独統治になったと思われる。 -
BC55年 ローマのシリア総督アウルス・ガビニウスがエジプトへ侵攻して、
プトレマイオス12世を復位させる。ローマ軍によるエジプト駐留の始まり。

プトレマイオス12世が娘であるベレニケ4世(22歳)を暗殺する。
-
BC55-51 プトレマイオス12世(Ptolemaeus XII)の復位(単独統治)
BC51年 プトレマイオス12世(66歳頃)が崩御。子のクレオパトラ7世(17~18歳)とプトレマイオス13世(10~11歳)の姉弟が結婚して共同統治者となる。 -
BC51-48 プトレマイオス13世Ptolemaeus XIII)の治世(クレオパトラ7世と共同統治)
BC51-30 女王クレオパトラ7世Cleopatra VII)の治世(BC51-47 プトレマイオス13世と共同統治)
BC49年 女王クレオパトラ7世がポンペイウスに援軍を派兵する。 カエサルとポンペイウスの内戦が始まる。
BC48-47 女王アルシノエ4世Arsinoe IV)の治世(プトレマイオス13世と共同統治)
BC48年 プトレマイオス13世がクレオパトラ7世を追放し、アルシノエ4世が即位。
王の側近ポティヌスらがペルシウム市に逃げて来たポンペイウスを暗殺。
カエサルがアレクサンドリア市に到着し、王の軍勢に包囲されるが、
ポティヌスを殺害し、アキッラスの軍勢と戦う(アレクサンドリア戦役)。

アルシノエ4世がアキッラスを殺害。プトレマイオス13世(13~14歳)が水死。
クレオパトラ7世が復位。アルシノエ4世は廃位されてローマ市へ連行され、
弟のプトレマイオス14世(12~13歳)が共同統治者として即位。
カエサルがパルサルスの戦いでポンペイウスを破る。
BC47-44 プトレマイオス14世(Ptolemy XIV)の治世(女王クレオパトラ7世と共同統治)
BC47年 女王クレオパトラ(21~22歳)とカエサルの間に、後のプトレマイオス15世(通称カエサリオン)が誕生。 -
BC46年 女王クレオパトラがカエサルから招かれ、息子カエサリオンを伴って、
ローマ市を訪問(BC44年まで滞在)。
カエサルの凱旋式で、前女王アルシノエ4世がウェルキンゲトリクスとともに、ローマ市内を引き回されるが、市民たちの同情により助命される。
カエサルが都ローマ市に凱旋する。
BC44年 カエサルが暗殺され、クレオパトラが帰国してアレクサンドリア市に戻る。
女王クレオパトラが弟のプトレマイオス14世(15~16歳)を暗殺して、
息子カエサリオン(3歳)を共同統治者として即位させる。
カエサルが暗殺される。
BC44-30 プトレマイオス15世 (カエサリオン)Ptolemaeus XV (Caesarion))の治世(女王クレオパトラ7世と共同統治)
BC43年 - アントニウス・オクタウィアヌス・レピドゥスの間で三頭政治が始まる。
BC42年 - ピリッピの戦いで、アントニウスとオクタウィアヌスの同盟軍が、カエサル暗殺者ブルトゥスとカッシウスを敗死させる。
BC41年 アントニウス(44歳)が、ブルトゥスらを支援したクレオパトラ(28歳)を、
キリキア(属州)タルソスに呼び出して会見する。
前女王アルシノエ4世が、姉クレオパトラの意を受けたアントニウスによって暗殺される。
-
BC41-40 アントニウスが、アレクサンドリアに滞在。 -
BC40年 - ブルンディシウム協定締結(三頭政治によるローマ領土の分割)。アントニウスが、オクタウィアヌスの姉オクタウィアと結婚。
BC40-39年 クレオパトラが、アントニウスとの間に双子のクレオパトラ・セレネとアレクサンドロス・ヘリオスを産む。 -
BC37年 クレオパトラが、アントニウスと再会。 タレントゥム協定締結(三頭政治の延長)。
BC36年 クレオパトラが、アントニウスとの間のプトレマイオス・フィラデルフォスを産む。 -
BC34年 アントニウスが、クレオパトラ母子にローマの東方領土を与える。 -
BC32年 オクタウィアヌスが、エジプトに宣戦布告。 -
BC31年 アクティウムの海戦で、クレオパトラとアントニウスの同盟軍が、オクタウィアヌスのローマ艦隊に敗れる。 -
BC30年 アントニウスが自害。続いて女王クレオパトラ7世も自害。
オクタウィアヌスがエジプトを征服する。
-
BC30-AD14 ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアーヌスOctavianus (Augustus))の治世(帝制ローマ)
BC27年 - オクタウィアヌスが、ローマの元老院から「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を贈られる(帝制ローマの開始)。
BC年 - -
-

参考図書

[編集]

関連記事

[編集]

古代エジプトの関連記事

[編集]
Commons
ウィキメディア・コモンズに、古代エジプトに関連するマルチメディアがあります。

アレクサンドリアの関連記事

[編集]
Commons
ウィキメディア・コモンズに、古代のアレクサンドリアに関連するマルチメディアがあります。
Commons
ウィキメディア・コモンズに、アレクサンドリアの古地図に関連するマルチメディアがあります。
Commons
ウィキメディア・コモンズに、アレクサンドリアの灯台に関連するマルチメディアがあります。

アレクサンドリア


プトレマイオス朝の関連記事

[編集]
Commons
ウィキメディア・コモンズに、プトレマイオス朝に関連するマルチメディアがあります。


外部リンク

[編集]