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くるり

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くるり
出身地 日本の旗 日本 京都府
ジャンル ポップス
オルタナティブ
活動期間 1996年-
レーベル SPEEDSTAR RECORDS
事務所 Bad News Records
公式サイト くるり on WEB
クルバビロン
メンバー 岸田繁 Vo. G.
佐藤征史 Ba.
旧メンバー 森信行 Dr.
(1996年 - 2002年)
クリストファー・マグワイア Dr.
(2003年 - 2004年)
大村達身 G.
(2001年 - 2007年)

くるり (QURULI) は、日本京都府京都市出身のロックバンドボーカルギター担当の岸田繁ベース担当の佐藤征史の2人から構成されている。現在まで8枚のスタジオアルバムと22枚のシングルなどをリリースし、約80万枚のセールスを記録している。公式ファンクラブ名は「純情息子」である。

概要

1998年にシングル「東京」をリリースしメジャーデビュー。1999年にオーソドックスなバンドサウンドが特徴の1stアルバム『さよならストレンジャー』をリリース。2000年にオルタナティブサウンドに接近した2ndアルバム『図鑑』、2001年にはテクノダンスミュージックに影響を受けた3rdアルバム『TEAM ROCK』、2002年にはエレクトロニカサウンドを展開した4thアルバム『THE WORLD IS MINE』、2004年には再びバンドサウンドに回帰しつつもジャズの要素を取り入れた5thアルバム『アンテナ』、2005年にはザ・フービートルズに代表される60年代のUKロックに影響を受けた6thアルバム『NIKKI』、2007年には遂にクラシック色の強い7thアルバム『ワルツを踊れ Tanz Walzer』、2009年には8thアルバム『魂のゆくえ』をリリースしている。

メンバー

元メンバー

サポートメンバー

  • 辻村豪文キセル)ギター
    2000年8月2日「Welcome to your spirits」於下北沢QUEサポート。
  • アヒト・イナザワ(元NUMBER GIRLドラム
    2003年1月26日「MANIC STREET PREACHERS」於東京ベイNKホールサポート。
  • あらきゆうこ (THE CORNELIUS GROUP) ドラム
    アルバム『図鑑』、シングル「HOW TO GO」、「ハイウェイ」、オリジナルサウンドトラック『ジョゼと虎と魚たち』、「百鬼夜行2002」サポート。2007年12月2日みやこ音楽祭、12月6日「TAKUTAKU DE KUTAKUTA」、12月11日12月12日「くるりふれあいコンサート ファイナル」、12月29日「COUNTDOWN JAPAN 07/08」、12月31日「COUNTDOWN JAPAN 07/08 WEST」サポート。
  • 臺太郎だい たろう) ドラム、パーカッション
    2002年に森が脱退後、2004年6月15日名古屋クラブダイアモンドホール 〜2005年1月10日「HEAL NIIGATA 中越地震ミュージック・ベネフィット」於横浜BLITZ。シングル「BIRTHDAY」サポート。また、岸田繁・佐藤征史と共にSINGER SONGERに参加している。全国ツアー「安心しろ、秘孔ははずしてある」ではパーカッションとして参加。
  • クリフ・アーモンド (Cliff Almond) ドラム
    2005年7月20日LIQUIDROOM 1st ANNIVERSARY liquid surprise 01day SP「廿日ゑびす」於LIQUIDROOM 〜2006年10月9日「ボロフェスタ」於京都大学西部講堂&講堂前広場(2005年8月20日のRISING SUN ROCK FESTIVALを除く)。シングル「Superstar」、アルバム『NIKKI』サポート。
  • 沼澤尚 ドラム
    2005年8月20日RISING SUN ROCK FESTIVAL」。シングル「Baby I Love You」、アルバム『NIKKI』サポート。
  • 堀江博久 キーボード、ギター
    2004年6月15日名古屋クラブダイアモンドホール〜2006年10月9日「ボロフェスタ」於京都大学西部講堂&講堂前広場(2006年夏フェスは一部でサポート)、シングル「BIRTHDAY」「Superstar」「Juice」、アルバム『NIKKI』サポート。岸田繁とThe かまどうま/エレクトリック・カマドウマというユニットも組む。また、岸田繁・佐藤征史と共にSINGER SONGERに参加している。
  • 菊地悠也 ドラム
    2006年みやこ音楽祭〜2007年ツアー「ふれあいコンサート」まで参加。シングル「JUBILEE」「言葉はさんかく こころは四角」、アルバム『ワルツを踊れ Tanz Walzer』サポート。愛称は「ニャッキー」。
  • 藤井一彦ザ・グルーヴァーズ) ギター
    2007年12月2日みやこ音楽祭、12月6日「TAKUTAKU DE KUTAKUTA」、12月29日「COUNTDOWN 07/08 JAPAN」、12月31日「COUNTDOWN JAPAN 07/08 WEST」サポート。
  • ザ・サスペンダーズ バックグラウンドボーカル
    渕上祥人(テノール)、遠藤由美(ソプラノ)、岡崎昌幸(バリトン&アコーディオン)からなるコーラス隊。12月11日,12月12日「くるりふれあいコンサート ファイナル」に3人で参加。12月29日「COUNTDOWN 07/08 JAPAN」、12月31日「COUNTDOWN JAPAN 07/08 WEST」には渕上と遠藤の2人が参加している。
  • 堀川裕之(ボボ)(54-71) ドラム、パーカッション
    2008年5月のファンクラブイベント以降、同月にスタートした対バンツアー、アルバム「魂のゆくえ」レコーディング等をサポート。それ以前にも京都音楽博覧会でパーカッションのサポートメンバーとして参加、リップスライムとのコラボレーションシングル「Juice」のレコーディングにも参加している。
  • 三柴理(元筋肉少女帯) ピアノ
    2008年5月のファンクラブイベントから京都音楽博覧会までサポートメンバーとして参加していた。アルバム「魂のゆくえ」の一部のレコーディングにも参加している。
  • 内橋和久 ギター
    2008年7月から京都音楽博覧会までサポートメンバーとして参加していた。シングル「三日月」「愉快なピーナッツ」のレコーディングに参加している。
  • 世武裕子 ピアノ・キーボード・ヴォーカル
    くるりのレーベルからCDを出した関係から、アルバム「魂のゆくえ」のレコーディング(ニューヨークにも随行)に参加している。
  • 山本幹宗(The Cigavettes) ギター
    2009年敦煌(ドンファン)の大阪、名古屋公演の際のアンコールで参加。同ツアー、武道館公演の際にも参加。

来歴・概要

立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」出身で同級生だった岸田繁(1999年前期、産業社会学部卒)、佐藤征史(1999年法学部卒)、森信行(1999年産業社会学部卒)の三人で結成された。バンド名の由来は結成当時の京都市営地下鉄の案内板の矢印が「くるり」となっていたことから。

結成からメジャーデビュー(1996年 - 1998年)

1995年4月、岸田繁が立命館大学に入学。大学の音楽サークルであるロックコミューンに入り森信行大村達身と出会う。佐藤征史とは立命館高等学校の1年のときに出会い、大学では同じサークルに入った。その後、岸田と佐藤が後の「くるり」の原型となるバンドを結成。このときのメンバーは岸田と佐藤のほかに別のボーカルとドラマーがいる「毒猿」という4人体制のバンドであった。岸田はこの頃から曲を作ってこのバンドで演奏していたが、あまりいいバンドではなかったとも語っている。ほどなくしてバンドのドラマーが辞めたため森を誘う。そしてバンドのボーカリストも辞めたため岸田がボーカルをとることになり以後、3ピースバンドで活動してゆくことになる。ちなみにメンバー3人は、平行して別のバンドにも参加していた。

1996年2月、発売8曲入りカセットテープ『くるりの一回転』を発売し完売。9月にアマチュアバンドのコンテストの賞金10万円目的で正式に結成。しかし、岸田の話によると「普通に結成を持ちかければいいものを、当時凄くひねくれていたので、素直に言えず、賞金稼ぎという建前で結成を持ちかけた」という。演奏曲は「モノノケ姫」「夜行列車と烏瓜」「雫が咲いたら」(未発表曲。ワルツ調らしい)。くるりは見事優勝し10万円を獲得したものの、そのすべてを打ち上げとパチンコに使った。

1997年には、ラジオ番組にも出演する。同年7月には第1回フジ・ロック・フェスティバルをサークル仲間たちとともに観覧、台風の直撃などで色々とひどい目にあったらしい。程なくしてシュガーフィールズ・原の東京の自宅スタジオでレコーディングをする。BAD NEWS RECORDSにデモテープを送ったところ気に入られ、11月にインディーズ1stアルバムである『もしもし』を発売。

1998年1月から、ライブハウスツアー・退屈退治を11月まで行う。また5月にはインディーズ2ndアルバムである『ファンデリア』を発売。同月に行われた大阪城音楽堂でのイベント「SWEET LOVE SHOWER」のオープニングアクトや、スピッツサニーデイ・サービスらと「ロックロックこんにちは」に出演。7月には会場を東京に移した第2回フジ・ロック・フェスティバルを観覧。

さよならストレンジャーから図鑑(1999年 - 2000年)

1998年10月にはビクターエンタテインメントよりデビューシングル「東京」をリリースしメジャーデビュー、同月のFM802のヘビーローテーションナンバーに選ばれる。11月に行われたFM802のイベントであるGottcha!に出演。

1999年2月、2ndシングル「」をリリース。3月に佐藤と森は無事大学を卒業、岸田は留年することとなった。4月には佐久間正英をプロデューサーに迎えて制作された1stアルバム『さよならストレンジャー』をリリース。5月にはワンマン全国ツアー、三日で激ヤセ 驚異のキノコパワーを敢行し全公演SOLD OUT。ツアー後は共同プロデューサーに根岸孝旨を迎えて次回作のレコーディングを開始。7月にはフジ・ロック・フェスティバルに出演しその他の夏のイベントにも出演した。8月、岸田が前期卒業式で大学を卒業。同じく8月には3rdシングル「青い空」、11月には4thシングル「」を立て続けにリリース。12月にはワンマンライブツアーもうじき平成12年を敢行した。

2000年1月、ジム・オルークらとのコラボレーションに挑んだギターロック色の強い2ndアルバム『図鑑』をリリース。4月から「図鑑」発売記念ツアー世田谷線旧型車輌を残そうキャンペーンを敢行。同月には5thシングルである「春風」をリリース。8月には第1回ROCK IN JAPAN FESTIVALサマーソニックなどの夏のイベントに出演する。

TEAM ROCK(2000年 - 2001年)

2000年8月中旬から徐々に次回作のレコーディングに入る。曲の原型はできあがっていたが自分たちでリミックスしてもイマイチの出来であったため、エンジニアの高山徹にリミックスを依頼し曲が完成。10月に6thシングル「ワンダーフォーゲル」をリリース。11月からはThe Dismemberment Planとのカップリングツアーである 百鬼夜行を敢行。

2001年1月、SUPERCARフルカワミキがコーラスとして参加した7thシングル「ばらの花」をリリース。2月に実験的要素を含んだ3rdアルバム『TEAM ROCK』をリリースした。4月から3rdアルバム発売記念ツアーTEAM PARTY 2001〜&〜TEAM PARTY 200,000,001を敢行。7月にはフジ・ロック・フェスティバルのFIELD OF HEAVENに出演。8月にはライジング・サン・ロックフェスティバルへの出演やナンバーガールとの対バンなどを行う。しかし、上記のツアー中メンバー間に軋轢が生じたため、その打開策として外部から新たにメンバーを招聘することとなる。その人物こそ後に正式メンバーとなる大村達身である。しかし当時大村はくるりの曲をまったく覚えておらず、岸田らメンバーは交通費だけ払って帰ってもらおうとしていたそうである。しかしその後、新たな曲作りをする上で大村はくるりに居なくてはならないメンバーとなり、この年の夏のフェスティバルよりサポート・メンバーとしてライブに参加、まもなく正式メンバーとしてくるりへ加入することとなる。

THE WORLD IS MINE(2001年 - 2002年)

2001年秋からくるりは初めての海外レコーディングを行う。この時、アメリカ同時多発テロ事件の影響で出発がひと月延期することとなったが10月にはロンドン郊外にあるサイロを改造した「ブラー・ストリート」スタジオでエンジニア・プロデューサーのニック・ハナンとともに楽曲制作とレコーディングを開始。約1ヶ月の滞在の間に次回作収録予定の曲が多く制作された。帰国後は都内のスタジオでレコーディングが継続されたが、機材トラブルなどで順調とはいかなかった。それでもエンジニアの上原キコウ高山徹中村研一に加えイギリスから呼び寄せたニック・ハナンとともにレコーディングをすすめた。

多忙なスケジュールの中のレコーディングではあったが2002年2月にくるり最大のヒット曲となった「ワールズエンド・スーパーノヴァ」をリリース。レコーディングスケジュール1ヶ月オーバーし何度もリミックスをやり直した後に3月、4thアルバムである『THE WORLD IS MINE』をリリースした。3月31日から京都磔磔を皮切りに「くるりライブツアー2002 〜 うんぽこ どっこいしょ 〜」を敢行。そのツアーの間の5月にはシングル「男の子と女の子」をリリースしている。ツアー終了後の7月、ドラマーの森がバンドを脱退した。森の脱退後はサポートメンバーとして臺太郎を迎えて活動を継続した。9月からTHE DISMEMBERMENT PLANとアメリカ東海岸ツアーを行う。ツアー後はボストン郊外にある「ロングビュー・スタジオ」に滞在しそのとき後にメンバーとなるクリストファー・マグワイアと初めて顔を会わせている。帰国後はくるり主宰のレーベルであるNOISE McCARTNEY RECORDSを設立した。12月にはくるり主催のイベント、「百鬼夜行2002」を開催。矢野顕子遠藤賢司レイ・ハラカミらと共演し全国を回った。

ジョゼと虎と魚たち(2003年)

2003年1月から4月までくるりは映画サウンドトラックの制作を行う。「ジョゼと虎と魚たち」と「リアリズムの宿」の2つのサントラを同時進行で制作するというもの。「ジョゼと虎と魚たち」の主題歌である「ハイウェイ」と『サウンドトラック』が同年11月に発売されている。また、「リアリズムの宿」のテーマ曲である「家出娘」はくるりのベスト盤である『ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER-』にてはじめて音源化された。

アンテナ(2003年 - 2004年)

2003年5月、スコットランドグラスゴーに渡ったくるりはエンジニア・プロデューサーであるトニー・ドゥーガンのもとレコーディングを開始。サポートドラマーには後にくるりのツアーに参加することとなるクリフ・アーモンドを迎えて「RACE」や「グッドモーニング」、「HOW TO GO <Original>」をレコーディングした。帰国後、くるりのプライベートスタジオであるペンタトニックにて「HOW TO GO」をリテイクした。同年の夏からはクリストファー・マグワイアをサポートドラマーに迎えてフジ・ロック・フェスティバルのホワイトステージに出演した。そのほかにも夏のフェスティバルに出演している。9月に1年半ぶりとなるシングル「HOW TO GO」をリリース。そのままマグワイアとともに次回作に向けてセッションやレコーディングを重ねていった。

2004年2月、シングル「ロックンロール」をリリースそして3月に5thアルバムである『アンテナ』をリリースした。3月30日より京都磔磔から「くるりワンマンライブツアー2004~安心しろ、秘孔ははずしてある~」をスタート。初の日本武道館公演を含むツアーとなった。7月には初のビデオクリップ集である「くるくる鮨」を、9月にはツアードキュメンタリーフィルムである「くるくる節」を発売した。さらなるレコーディングやライブを行おうとするも10月にクリストファー・マグワイアが脱退した。再び臺太郎をサポートドラマーに迎えて学園祭ツアーを行う。12月、京都大学西部講堂にて岸田と京都大学の学生たちが第1回みやこ音楽祭を開催。

NIKKI(2005年 - 2006年)

2005年1月、岸田と佐藤はCoccoとのプロジェクトバンドであるSINGER SONGER堀江博久、臺太郎とともにスタートさせる。途中、岸田が入院するということもあったがレコーディングを進める。2月、14thシングル「BIRTHDAY」をリリースした。3月、ニューヨークに渡り次回作のための楽曲制作を行う。4月にも伊豆などで同作業を行った。5月、再び渡米。以前、セッションなどをしたボストンにあるスタジオ「ロングビュー」でレコーディングを開始した。約1ヶ月半の滞在で10数曲をレコーディングした。5月末にはSINGER SONGERのシングル「初花凛々」がリリースされている。6月半ば、そのままロンドンへ向かいプロデューサーのリアム・ワトソンとともにレコーディングを再開。今回のレコーディングでは岸田の意向により60年代のレアなアナログレコーディング機材を使用している。6月末にはSINGER SONGERのアルバム『ばらいろポップ』がリリースされた。7月、レコーディングを終えたくるりは帰国し夏のフェスティバルに出演。フジ・ロック・フェスティバルではメインステージであるグリーン・ステージに出演、ROCK IN JAPAN FESTIVALではSINGER SONGERで出演した。8月に15thシングル「Superstar」、9月に16thシングル「赤い電車」、10月に17thシングル「Baby I Love You」と3ヶ月連続でシングルのリリースが行なわれた。9月29日からはサポートメンバーにクリフ・アーモンドと堀江博久を迎えてくるりワンマンライブツアー2005 〜はぐれメタル純情派〜を開催。11月には6thアルバム『NIKKI』をリリースした。12月にはCOUNTDOWN JAPANに出演。最大規模のEARTH STAGEにおいて年越しライブを担当した。

2006年1月には追加スケジュールであるくるりワンマンライブツアー2006 〜はぐれメタル魔神斬り〜を日本武道館公演を皮切り開催。1月31日まで続いた。

ベスト オブ くるり(2006年)

2月からくるりはRIP SLYMEとのコラボレーションに入る。休暇も交えつつレコーディングをすすめ7月にシングル「Juice」をリリース。同じく7月から「くるり対バンツアー2006 〜毎日が地蔵盆〜」をスタート。テルスターLucky Lipsチャットモンチーなどと共演する。そして7月26日にくるり初のベスト盤となる『ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER-』をリリースした。結成10周年の2006年において自分たちを振り返る意味で、レコード会社に願い出てリリースしたものである。8月には6年ぶりのサマーソニックをはじめとする夏のフェスティバルに出演。ROCK IN JAPAN FESTIVALでは岸田が体調を崩しつつもメインステージであるGRASS STAGEで1日目のトリを務めた。8月下旬からは京都系ミュージシャンのコンピレーションアルバムの準備をはじめた。9月からは全国のZeppを回ったくるりワンマンライブツアー 2006 〜まZEPPご飯!〜を敢行した。11月には先述のコンピレーションアルバム『みやこ音楽/V.A.』をNOISE McCARTNEY RECORDSよりリリース。くるりは「五月の海」という曲を提供している。このころからサポートドラマーとして菊地悠也が参加している。時を同じくして次回作のための楽曲制作に入った。12月にはウィーンに飛び、レコーディングスタジオの下見を行った。このときドイツでさまざまミュージシャンのマネジメントを行っているガッツという人物と会っている。12月末にCOUNTDOWN JAPAN 06/07に出演。このライブを最後にギタリストである大村が脱退した。

ワルツを踊れ Tanz Walzer (2007年)

2007年1月よりスタジオ・ペンタトニックにてプリ・プロダクションを開始。すでにこの時点で多数のアイディアがあがっていた。2月、レコーディングのためウィーンへ飛ぶ。フィードバック・スタジオにてフランス人プロデューサーであるステファヌ・"アルフ"・ブリア、ハウス・エンジニアであるパトリック・パルシンガーとともにレコーディングを開始。サポートドラマーには引き続き菊地が起用されている。2月の間はベーシック・トラックを中心に録る。3月、FM802のイベントBEAT ITのため数日の帰国。その後すぐにウィーンに戻りレコーディングを再開。3月半ばからボーカル録音を含めたオーバー・ダブ作業を行う。また、パトリック・パルシンガーの紹介でウィーン交響楽団のパーカッショニストであるフリップを紹介されストリングスアレンジを依頼した。4月、フィードバック・スタジオに加えてハフナー・スタジオでもレコーディングを進める。5月からウィーンを離れアルフの本拠地であるフランスパリに移動。ボーカル録音やミックス作業を行う。パリ滞在最終日に曲順を決め、ロンドンへ渡りメトロポリス・スタジオにてマスタリングを行うも仕上がりに満足できず、日本でマスタリングをすることに。5月末に帰国。5月30日、18thシングル「JUBILEE」がリリースされる。6月3日にマスタリングが終了しアルバムが完成。6月27日、7thアルバム『ワルツを踊れ Tanz Walzer』がリリースされた。サポートドラマーには引き続き菊地悠也、コーラス隊にはザ・サスペンダーズを迎えて7月15日から戸田市文化会館を皮切りにくるり史上初となるホールツアー、くるり ホールツアー2007「ふれあいコンサート」を行った。7月末には台湾の野外フェスティバルに出演。8月末には3年ぶりに沖縄公演を行っている。9月23日、くるり主催の京都野外フェスティバルである京都音楽博覧会を開催。Cocco小田和正ジェイソン・フォークナーが出演した。10月と11月はパシフィコ横浜公演などの準備に追われる。11月中旬にはくるりの公式HP上でライブで聴きたい曲のアンケートを行っていた。サポートメンバーにはギターに藤井一彦あらきゆうこを迎えて12月のライブを行った。12月6日に京都の磔磔でワンマンライブ「TAKUTAKU DE KUTAKUTA」を開催。12月11日、12日にはパシフィコ横浜で「ふれあいコンサートファイナル」を行った。ふれあいコンサートでファイナルではサポートギタリストに佐橋佳幸を迎えている。12月29日にはCOUNTDOWN JAPAN EASTに、12月31日にはCOUNTDOWN JAPAN WESTに出演。年を越える前にベートーヴェン交響曲第9番を演奏した。

Philharmonic or die (2008年)

2008年2月、昨年の磔磔とパシフィコ横浜での公演を収録したくるり初のライブベストアルバム『Philharmonic or die』をリリース。1月中旬にはパシフィコ横浜公演のミックスをするため再びウィーンに飛び、『ワルツを踊れ』のエンジニアであったディーツとともミックスを行った。3月にはラジオ番組の収録で浜松海の星高等学校の〈卒業生を送る会〉に参加。同校の吹奏楽部とともに「ブレーメン」を披露した。同年5月にはパシフィコ横浜公演を収録したライブDVD「横濱ウィンナー」をリリース。そのころ、元筋肉少女帯メンバーのキーボーディスト・三柴理やウイーン在住の内橋和久54-71のドラマー・ボボ(堀川裕之)とともにレコーディングなどを重ねる。そして夏には各地のロックフェスティバルに出演、そして対バンツアー「デラぜっぴん」を行う。9月6日に京都音楽博覧会を開催。それに合わせて9月3日にもシングル「さよならリグレット」をリリース。また、12月6日・7日にはみやこ音楽祭に出演した。10月にはメジャーデビュー10周年を迎え、12月17日よりこれを記念してアルバムおよび映像作品(一部を除く)の廉価版が期間限定で発売される。

魂のゆくえ(2009年 - 現在)

2009年は2月18日にシングル「三日月」をリリース、ニューヨークでTOM DURACKとともにレコーディングを行う。6月6日からワンマンツアー「敦煌-ドンファン-」を実施、6月10日にはアルバム魂のゆくえをリリースする。10月21日には奥田民生松任谷由実矢野顕子ら全16アーティストが参加する初のトリビュートアルバム、「くるり鶏びゅ〜と」をリリース。同時にワンマンツアーくるりワンマンツアー2009~とろみを感じる生き方~を実施。さらに、12月25日には松任谷由実とのGAP 40th ANNIVERSARY キャンペーンコラボレーションソング『シャツを洗えば』をリリース。

2010年は、2月から4月にかけて新しいアルバムに向けてのレコーディング作業等に取り掛かる。この作業で生まれた新曲、「東京レレレのレ」を収録したくるり初のカップリング・コンプリート・ベスト『僕の住んでいた街』が5月26日に、そして初の歌詞集となる『くるり詩集』が5月21日にリリースされた。また同じく5月31日よりホールツアー「くるりライブ興行2010~地獄の団体戦~」を実施。7月28日には初の両A面シングルとなる「魔法のじゅうたん/シャツを洗えば」をリリースする予定。

ディスコグラフィ

インディーズ

  1. くるりの一回転1996年2月、くるりとして初めて出された音源である。デモ音源カセットテープ)
    • 収録曲
      • A面
        1. イントロ Intro
        2. 夜行列車と烏瓜 Midnight-train & Snake Gourd
        3. 雫が咲いたら If That Drop Blooms
        4. Rainbows
      • B面
        1. くるりの一回転 Rotations
        2. オールドタイマー My Old Timer
        3. 家族の肖像 Family's Portraits
        4. 隠しトラック
  2. チアノーゼ/ベースボールゲーム1997年8月30日
  3. もしもし(1997年11月21日
  4. ファンデリア1998年5月15日

シングル

0 発売日 タイトル 順位・規格品番 アルバム
オリコン 規格品番
シングルチャート 通常盤 限定盤
1st 1998年10月21日 東京 64位 VICL-35032 さよならストレンジャー
2nd 1999年2月24日 56位 VICL-35045
3rd 1999年8月25日 青い空 45位 VICL-35075 図鑑
4th 1999年11月20日 59位 VICL-35097
5th 2000年4月5日 春風 29位 VICL-35115
6th 2000年10月18日 ワンダーフォーゲル 20位 VICL-35183 VICL-35183A TEAM ROCK
7th 2001年1月24日 ばらの花 20位 VICL-35225
8th 2001年5月17日 リバー 37位 VICL-35267
9th 2002年2月20日 ワールズエンド・スーパーノヴァ 13位 VICL-35354 THE WORLD IS MINE
10th 2002年5月9日 男の子と女の子 22位 VICL-35393
11th 2003年9月17日 HOW TO GO 7位 VICL-35569 アンテナ
12th 2003年11月5日 ハイウェイ 19位 VICL-35580 ジョゼと虎と魚たち
13th 2004年2月11日 ロックンロール 5位 VICL-35607 VICL-35607A アンテナ
14th 2005年2月23日 BIRTHDAY 10位 VICL-35789 VICL-35788 NIKKI
15th 2005年8月24日 Superstar 11位 VICL-35863
16th 2005年9月22日 赤い電車 14位 VICL-35884 NCS-458
17th 2005年10月26日 Baby I Love You 4位 VICL-35895 VIZL-150
18th 2007年5月30日 JUBILEE 10位 VICL-36281 ワルツを踊れ Tanz Walzer
19th 2007年7月25日 言葉はさんかく こころは四角 14位 VICL-36314 VIZL-248
20th 2008年9月3日 さよならリグレット 8位 VICL-36455 魂のゆくえ
21st 2009年2月18日 三日月 11位 VICL-36489
22nd 2009年4月29日 愉快なピーナッツ 17位 VICL-36496
23rd 2010年7月28日 魔法のじゅうたん/シャツを洗えば(ヴァージョン2) -位 VICL-36599 VIZL-392

オリジナルアルバム

アルバム 発売日 順位 規格品番
通常盤 再発盤 限定盤
さよならストレンジャー 1999年4月21日 16位 VICL-60365 VICL-61760
図鑑 2000年1月21日 20位 VICL-60530 VICL-61761
TEAM ROCK 2001年2月21日 8位 VICL-60696 VICL-61762
THE WORLD IS MINE 2002年3月20日 5位 VICL-60854 VICL-61763
アンテナ 2004年3月10日 3位 VICL-61306 VICL-61764
NIKKI 2005年11月23日 3位 VICL-61770 VICL-63197 VIZL-156
ワルツを踊れ Tanz Walzer 2007年6月27日 3位 VICL-62510 VICL-63198 VICL-62410
魂のゆくえ 2009年6月10日 5位 VICL-63341 VICL-63340

ライブアルバム

アルバム 発売日 順位 規格品番
通常盤 限定盤
Philharmonic or die 2008年2月20日 9位 VICL-62752 VICL-62751

コンピレーションアルバム

アルバム 発売日 順位 規格品番
通常盤 限定盤
ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER- 2006年7月26日 3位 VICL-61985、6 VIZL-195
僕の住んでいた街 2010年5月26日 1位 VICL-63630、1 VICL-63632、3

トリビュートアルバム

アルバム 発売日 順位 規格品番
くるり鶏びゅ〜と 2009年10月21日 8位 BNCL-40

アナログ

  1. TEAM ROCK2001年
  2. 図鑑(2001年)
  3. さよならストレンジャー(2001年)
  4. 赤い電車2005年

DVD

  1. くるくる鮨2004年7月21日
  2. くるくる節(2004年9月22日
  3. 横濱ウィンナー2008年5月21日

その他

リミックス

未音源化楽曲

  • 鍋の中のつみれ
  • カラスのボーカロ

ラジオ

ライブツアー

  • 退屈退治 vol.3(1998年)
  • 三日で激ヤセ驚異のキノコパワー(1999年)
  • ワンマンライブツアー〜もうじき平成12年〜(1999年)
  • 世田谷線旧型車輌を残そうキャンペーン(2000年)
  • TEAM PARTY 2001 &TEAM PARTY 200,000,001(2001年)
  • うんぽこどっこいしょ(2002年)
  • 安心しろ、秘孔ははずしてある(2004年)
  • はぐれメタル純情派(2005年)
  • はぐれメタル魔神斬り(2006年)
  • くるり対バンツアー2006 〜毎日が地蔵盆〜(2006年)
  • まZEPPご飯!(2006年)
  • くるり ホールツアー2007「ふれあいコンサート」(2007年)
  • くるり 対バンツアー2008 デラぜっぴん 〜混浴四重奏〜(2008年)
  • くるりワンマンライブツアー2009~敦煌(ドンファン)~(2009年)
  • くるりライブ興行2010~地獄の団体戦~(2010年)

関連項目

外部リンク