とんねるずのみなさんのおかげです
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とんねるずの みなさんのおかげです | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
演出 | 港浩一、石井正幸 |
出演者 |
とんねるず (石橋貴明・木梨憲武) ほか |
製作 | |
プロデューサー | 石田弘、港浩一 |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送(※レギュラー版) |
放送国・地域 | 日本 |
火曜ワイドスペシャル版 | |
放送期間 | 1986年11月11日(パート1) 1987年4月7日(パート2) 1987年10月13日(パート3) 1988年3月8日(パート4) |
放送時間 | 火曜日 19:30 - 20:54 |
放送分 | 84分 |
レギュラー版 (第1期) | |
放送期間 | 1988年10月13日 - 1990年3月 |
放送時間 | 木曜日 21:00 - 21:54 |
放送分 | 54分 |
(第2期) | |
放送期間 | 1990年10月 - 1994年3月 |
放送時間 | 同上 |
(第3期) | |
放送期間 | 1994年10月 - 1997年3月 |
放送時間 | 同上 |
『とんねるずのみなさんのおかげです』は、フジテレビ系列で放送されたコント番組である。略称は「おかげです」もしくは「みなおか」だが、出演者やスタッフの間では、『とんねるずのみなさんのおかげでした』と合わせて、「みなさん」と呼ばれている。放送時刻は毎週木曜日の21:00-21:54(JST)。
お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。
概要
- 不定期特番時代
元々は同局・火曜日の19:30-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』【現・カスペ!】のスペシャル番組だった(パート1 - 4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格した。とんねるずの肖像権の複雑化の絡みで再放送やDVDソフト化がないものの、放送ライブラリーで1988年10月13日放送分を閲覧する事ができる。
番組名は本番組の誕生のきっかけだった『火曜ワイドスペシャル』のとんねるず起用を決定した日枝久の名を冠して『ヒエダさんのおかげです』にしようと、とんねるずが提案したが、スタッフの反対により『みなさんのおかげです』に落ち着いた。そもそも当時、とんねるずが結成6周年と言う節目もあって『みなさんのおかげです』になったと言われている。
- レギュラー放送時代
レギュラー番組に昇格した1988年10月からはコントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送で放映された。当時はドラマコントがメインの番組構成で番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまで続けられた。後に音楽企画やドラマコントが事実上廃止状態となり、通常のバラエティ番組と同様の内容になったことから、2005年4月以降は総集編特番と音楽企画の回を除いてモノラル放送(地上デジタルテレビ放送はモノステレオ放送)へと変更されたが、2008年6月5日以降は、再びステレオ放送へと変更されている。
- 放送休止
1990年4月から同年9月までにかけてはとんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するため、一旦打ち切り、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が代わりに放送され、ドラマ収録終了後の10月に番組が復活した。何度も放送休止をするバラエティ番組は稀である(他にも8時だョ!全員集合など)。他に1994年4月から9月までに『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から7月までに『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。石橋貴明によれば、どちらも番組のプロデューサー石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが『ラスタとんねるず'94』の方は表向きの理由であり、放送の裏には1993年12月に宜保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地(氷穴)を爆薬などで荒らし、撮影セットのゴミを不法投棄した事が問題となり、当時、各局や各新聞でニュース報道され、スタッフが処分されて番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。
- 内容
その後、フジテレビお台場社屋移転後の1997年7月から『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアル。コントなしでゲストの嫌いな食べ物を見抜く『新・食わず嫌い王決定戦』のコーナーが人気になっている。
コントに登場する名物キャラクターは他のバラエティ番組の追随を許さなかった。チェッカーズや宮沢りえなど、当時一世を風靡した豪華なゲストも毎週出演していた。
- エトセトラ
木曜夜9時という当時では子供向けと言うにはやや遅めの時間帯の番組であったが、「仮面ノリダー」を中心に子供に絶大な人気を誇っていた。しかし、現在では深夜番組でも放映が難しいような下ネタも多かったが逆に子供受けしたのも事実である。石橋が女性ゲストにキスや、押し倒したり添い寝をしたり、口に入れたおかゆを牧瀬里穂の顔に垂らしたり、赤ちゃん役に扮していた小泉今日子が咥えていたおしゃぶりやイチゴなど取り上げて自分の口に入れ「…おいし〜い!」と至福の表情で言うなどといったセクハラギャグや「コンコンコーン」、「オナラじゃないのよ、ちょっと空気が入っただけ」などで、ノリダー人気から家族単位で見ていた茶の間の親を凍りつかせて苦情もしばしば。宮沢りえ、観月ありさ、ともさかりえなどを、まだ知名度が高くない時代に抜擢したことで登竜門的存在でもあったのだが、松嶋菜々子においてはあまりにもエロスな言葉を言わせるそれがかなり問題視され、松嶋サイドも近未来警察072の出演には全く触れずお蔵入り的扱いになっている(松嶋は収録終了後、涙を流していたとの逸話もある)。また石橋が放送禁止用語をアドリブで発しピー音が付くのも晩年では茶飯事であった。子供への絶大的な人気を受け『月刊コロコロコミック』などでも特集記事が組まれたりしていたが、下ネタギャグに関してはほとんど触れられていなかった。
スペシャル版の放送は、人気絶頂期においては通常の延長よりも長くされていたが1時間15分(実際はミニ番組放送の関係上1時間9分延長、予告編を含めて21:00 - 23:03放送)の延長とされることが多く、深夜時間帯に差し掛かる直前にエンディングが流れるなどの配慮がされていたほか、稀に夜19時からの放送となることもあった。
放送末期には楽屋落ちが増え、あまり作り込んでいないという印象を視聴者に与えてしまっていたが、木梨がTRFの振り付けのモノマネをした際には本番の数時間前にスタジオ入りし多忙の中練習に励むなど真剣にやるべき演出は決して手を抜かない一面も持ち続けていた。
出演者
放送期間
火曜ワイドスペシャル版
レギュラー版
- 第1期
- 1988.10-1990.03
- 第2期
- 1990.10-1994.03
- 第3期
- 1994.10-1997.03
レギュラー版全体を通しての放送回数は363回。
コント一覧
ここで挙げたもの以外にも単発で当時のドラマや映画のパロディを多く行っていた。
- サンバーダード - 『サンダーバード』のパロディ。「火ワイ版4」が初放送。生身の人間が人形劇のように動いて演じるコントで、清水アキラが出演。人形劇なのでセリフはアフレコ。オチは自爆するか、救助先でより甚大な被害を与えて逃げるかのどちらかがお決まりのパターンであった。またザ・ワイルドワンズの鳥塚しげきがペネロープ号の運転手アロイシャス・パーカーに似ていることから出演し、運転中に代表曲でもある「想い出の渚」を歌ったこともある。
- 仮面ノリダー - こちらも初登場は「火ワイ版4」。小林昭二が本家と同じ役で出演、岡田眞澄のファンファン大佐が人気を博したが、本家原作の石ノ森章太郎に許可を取っていなかったためクレームを付けられた。主人公・木梨猛の行きつけの喫茶店のシーンで、入り口側の観葉植物に「でっかくなれ観葉植物」といいながらコップで水をかけるシーンがあったが、後々の回で成長した観葉植物を用意したこともあった。
- 仮面ノリダーV2 - 『仮面ライダー』『仮面ライダーV3』の設定をミックスしたパロディ。
- タカミネーター2 - アメリカのSFアクション映画『ターミネーター2』のパロディ。
- ウルトラマンゼアス・パロディ篇 - 本家の公開終了前日に放送されたパロディで、ラストカットにその旨を伝えるテロップが挿入された。本物のウルトラ兄弟がゲスト出演。『仮面ノリダー』とクロスオーバーしている。
- ○○によくある風景 - 下記「青春の1ページ」シリーズなど、多くのコントのタイトルに使用されていた定型文。
- 青春の1ページ - 2シリーズがあり、一つはノリ男をメインとしたおかげです中学内のコント。チェッカーズが同級生役で出演。その後おかげです高校に入学。
- チェッカーズの楽曲「ONE NIGHT GIGOLO」の前奏にのってノリ男を含めた複数で踊り、歌の出だし「Kill you」の直後にノリ男がスリッパで叩かれるギャグが定番となった。
- もう一つはノリ子が登場するおかげです高校(元々は中学で後に進学)内のコント。宮沢りえ、森川正太、頭師佳孝、田坂都、保積ぺぺが同級生役で出演。※宮沢出演前はチェッカーズが担当。
- 石橋が毎回さまざまなタイプの教師として登場し、また毎回ノリ男・ノリ子だけがどこかを向いてしゃべっていて気付かない間に教師にスリッパで叩かれ始めてそこにいることに気付く。「先生の名前は…」と言って名前を黒板に書いて自己紹介する。書かれた漢字の名前と書いてから口に出す読み方とは、一致していることもあり、まったく関係がないこともある。
- 保毛尾田家の人々 - 保毛尾田の私生活をコントにした。市役所に勤務しているという設定の姉役は岸田今日子、小林昭二も出演。岸田の登場シーンだけは『傷だらけの天使』のパロディ。
- 保毛太郎侍(ほもたろうざむらい) - 『桃太郎侍』のパロディだが一部では『遠山の金さん捕物帳』(主題歌)『伝七捕物帳』(エンディング)や必殺シリーズなどのネタも使用。荒井注も出演。また大河ドラマ『春日局』と放送時期が同じだったこともあり、大原麗子が「お局様」という役でゲスト出演したことも。桃太郎侍のパロディとしてはウォーレン・クロマティが出演した「黒魔庭侍が行く!」も話題を呼んだ。
- HOMO MAN - バットマンのパロディ。石橋扮するHOMO MANが、敵役ジョーカー(木梨)に「初めて?」と言いながら迫り、気持ち悪がられる。プリンスに扮した『BAT MAN』PVのパロディも行なわれた。
- おかげです定時制高校野球部 - 定時制高校の生徒が野球部を結成し、神宮球場での大会出場を目指す。校長役に柳生博、生徒役に別所毅彦、土橋正幸、直江喜一、杉田かおる、ヒロミなどが出演。最終回は実際に神宮球場で試合をした。
- 近未来警察072 - 近未来の日本を舞台に災害や犯罪に挑む4人の戦士の活躍を描く。隊長役に長門裕之。無名時代の松嶋菜々子がナナ隊員として卑猥な言葉を連発(させられていた)。車両に使用されたスズキ・セルボモードには本部[1]や各国の支部がリアウインドウに書かれていた。このオーディションの最終選考に残った2人のうちのもう一人が、遠峯ありさ時代の華原朋美であり、背丈を理由に松嶋菜々子が選ばれたことも後に明かされている。1994年11月3日開始。1995年3月まではほぼ2週に1回の割合で放送されていたが、後に松嶋がNHKの連続ドラマ「ひまわり」に出演することが決定したため、新しいナナ隊員役を募集するも、決定の目途が立たないまま完璧な最終回が作られずに終了した。なお、敵のボス役(ブラック・ダダーン)はアジャ・コングがやる予定であった。
- キャプテンウルタカ - 『キャプテンウルトラ』のパロディ。小林稔侍が本家と同じ役で出演する。
- デビルタカマン - 『デビルマン』のパロディ。「顔が似ている」という理由だけで小野みゆきが起用され、彼女も顔を緑に塗ってデビルマンの扮装でレギュラー出演していた。一度、このキャラクターがあまりにも当たり過ぎて複雑な心境になった小野を、当時同じく『UFO仮面ヤキソバン』というキャラクターを当てていたマイケル富岡が励ますという内容の番外編も放送された。ナレーターは本家『デビルマン』の魔王ゼノンを演じた柴田秀勝が演じている。
- 宜保タカ子(いぼタカこ) - 宜保愛子のパロディ、心霊体験バスツアーを行った。その際石橋扮する宜保が「イボイボ」と唱えながら上唇にできた大きなイボを指で擦りながら悦に入ったり、木梨扮するみのりもんたがタカ子の企みで爆破などのドッキリを受け、みのりが「イボ!てめぇこの野郎!!」と激怒するのが恒例となっていた。宜保に扮した状態で、金井克子の「他人の関係」を振り付きで歌うこともあった。その後、2011年12月8日の「おかげでした」で復活した。
- 不良少年更生ストーリー ロックンロール最高物語 - AURAのライヴを観て感激した田舎のヤンキー2人(石橋・木梨)が自分達もロックをやろうと(コントでは間違えて「ドラムをやろう」と言う)仲間に呼びかけ、賛同したヤンキー2人(徳永善也・鶴久政治)がバンド「矢島工務店」を結成し武道館デビューを目指すサクセスストーリー。ライバルとしてBY-SEXUAL、B21スペシャル(BY-SEXUAL21)が出演。担当は、木梨がボーカル。石橋の担当は琴で、「小室」「教授」を自称していた。「みちのく」「ホテル」とオリジナル楽曲も発表されたが、CD化などはされていない。余談であるが、DJ OZMAはこのコントに影響を受け、後にとんねるずと共に同じ矢島の姓を冠した「矢島美容室」を立ち上げた。
- 貧乏家の人々 - 文字通りの貧乏一家である木梨家の面々が毎回トラブルを起こしては借金を作ってしまうというストーリー。木梨の娘役で荻野目洋子が出演(「火曜ワイドスペシャル」版では中森明菜が演じていた。)。また荻野目のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」の曲に乗って家族で踊り、石橋が曲の冒頭「愛してるよなんて」を「ナイシテルよなんて」と歌い、木梨にスリッパで突っ込まれる一連の流れがあった。スタジオの掃除のおばちゃんとして、帰りなおばちゃん(後述)が初登場したコントである。後年は曲が荻野目がカバーした「コーヒー・ルンバ」に変更された。
- 太陽にぽえろ! - 『太陽にほえろ!』のパロディ。石橋がボス、木梨が山さん、その他の刑事をチェッカーズのメンバーが演じた。また地井武男が本家と同じくトシさん(井川利三)役で出演。
- 太陽にほえるな! - 同じく『太陽にほえろ!』のパロディ。木梨が山さん役、石橋はジーパン(柴田純)役だが名前はバミューダ刑事に、それ以外は全員スタッフが演じている。オリジナルのメンバーとしてクレーン刑事が登場。
- 新畑任三郎 - 『古畑任三郎』のパロディ。犯人役は、和田アキ子や桂三枝(現・六代目桂文枝)など本家に引けを取らない豪華さであり、特に沢口靖子は本家古畑と新畑両方に犯人役として出演した。
- 珍義なき戦い - 『仁義なき戦い』のパロディ。チェッカーズ出演。コント内のあるきっかけからゴングが鳴り、チェッカーズメンバー、とんねるずが入り乱れての大乱闘が始まる。パイ投げや発泡スチロール製の椅子、机などを派手に壊したりと派手に暴れまくり、出演者も軽い怪我が絶えなかった。
- 探偵物語'93 - 『探偵物語』のパロディ。事件が必ずフジテレビ内で発生。被害者、犯人が全員スタッフという展開。予告まで模倣した徹底ぶりだったが、最終的に全員いなくなったため終了。
- 3年D組憲八先生 - 『3年B組金八先生』のパロディ。
- ちょっとあぶない刑事 - 『あぶない刑事』のパロディ。後半は海外ロケを行ったが、予算の都合からか貯め撮りで行われていた。
- それいけマサカズ! - 石橋による田村正和のモノマネ(『ニューヨーク恋物語』をメインにしていた)。本人はふざけた内容に激怒したらしい。なお石橋と田村は1998年のフジテレビドラマ『じんべえ』の収録中に初対面を果たした。また田村が出演していた東芝のテレビ「バズーカ」のCMのパロディもあったが、後にとんねるず自身が「バズーカ」のCMに出演している。
- ちょっと北の国から - 『北の国から』のパロディ。また、舞台設定を南国に変えた「南の国から」なる別方向からアプローチしたパロディもあった。前者では蛍役として渡辺満里奈が、後者では小泉今日子が客演。
- ちょっと聞いてヨ!おもいッきりノリ電話 - 『おもいッきりテレビ』の1コーナー「ちょっと聞いてヨ!おもいッきり生電話」のパロディ、みのもんた本人がゲスト出演して話題を呼ぶ。その後消滅したが、2006年11月2日の『おかげでした』で復活した。
- 演歌のあぜ道 - 『演歌の花道』(テレビ東京系)のパロディ。本物の『演歌の花道』の如く、凝ったセットと情感あふれるナレーションに続き、木梨扮するジョージ山本(山本譲二)やひろし5木(五木ひろし)、サブ北島(北島三郎)、アッキー八代(八代亜紀)などが唄いだした途端、頭にタライが降ってきて卒倒する。その後エスカレートして、セットにある川に頭から転落する水落ち芸にまで発展した。『スターどっきりマル秘報告』の「ブーブークッション」のコーナーの如くマンボNo.5に乗せて逆再生を多用していた。
- ほのぼの演芸 - 『笑点』の演芸コーナーのパロディ。
- 木曜旅情サスペンス - 2時間サスペンスドラマのパロディ。アイキャッチのアタック音は『火曜サスペンス劇場』のものを使用していた。市毛良枝が毎回出演。毎回犯人と疑われるが、毎回「犯行時刻にはウンコをしていた」というアリバイで疑いは晴れている。
- Mr.ノリック - 日本テレビの『木曜スペシャル・Mr.マリック驚異の超魔術』のパロディ。木梨はMr.ノリックとして、石橋は福留功男に扮したトメ福留としてコントの司会を担当。1989年5月4日の初放送では本番組開始前に日本テレビで「Mr.マリック驚異の超魔術パート2」が放送されたことに合わせ、本番組では「木曜ワイドスペシャル・Mr.ノリック驚異の超魔術パート2のつづき」と題して放送された。これを受けてか、日本テレビ側ではMr.マリックのパート3で福留功男が「私はトメ福留ではありません」とこのパロディについて触れている。当時、マリックの超魔術グッズが発売されていたが、安価な便乗商品には「Mr.ノリック」と記されているものもあった。
- CMパロディ
- トヨタ・セリカ - 石橋がエディ・マーフィーのモノマネをする。セリカではなく番組スポンサーであるスズキのカルタスに乗っていた。
- 日本航空 - 「90年代の翼 JAL」というCMのパロディ。オリジナルのジャネット・ジャクソンは石橋が演じる。「JAL」が「ZAL」(ざる)や「SAL」(サル)だったりした。
- ペプシコーラ - 日本で初めて放送された比較CMのパロディ。石橋が演じるM.C.タカー(M.C.ハマーのパロディ)が、「はちみつレモン」を「蜂蜜とレモン」と比較する。
- JR東海 - 当時クリスマス前にオンエアしていた、「クリスマス・エクスプレス」というCMのパロディ。東京駅に着いたタカをリホ(牧瀬里穂)が待つというが、タカはキセルで捕まってしまう。なおJR東海は当時当番組のスポンサーの1社で、このパロディCMの最後には「キセル乗車はやめましょう!! JR東海」というJR東海のロゴ入りのサウンドロゴが表示された。
- PV(プロモーションビデオ)パロディ(石橋→M.C.ハマー(本人も出演)、木梨→マイケル・ジャクソンなど)
- 木梨憲武1人オールスターものまね王座決定戦 - 『ものまね王座決定戦』のパロディ。登場ものまねを全て木梨が担当。似顔絵は本家と同じ針すなお。進行役に西山喜久恵。審査員はスタッフが勤めた。毎回サブ北島が決勝戦に登場するも優勝を逃すのがお約束だった。「紅白ものまね歌合戦」版も放送された。
- ミュージカルフェア - 『ミュージックフェア』のパロディ。石橋または木梨が二役の異なるものまねで異なる歌を2曲同時に歌う。音声は立ち位置に合わせて左右から分かれて流されていた。司会は当時の本家と同じ古手川祐子→鈴木杏樹であった。後に司会変更をネタにしたコントも作られた。
- ストロベリー - 角刈りアフロヘアーの黒人ダンサー、ストロベリー石橋のコント。『セクシー・ユー (モンロー・ウォーク)』『ザ・フライ』に合わせ、両腕を激しく交差させる「ストロベリーダンス」が特徴的。今井美樹扮するラズベリーも登場した。
- テディ・ジャパン・ん〜Go - 木梨による郷ひろみの物真似。
- じじぃとばばぁ - 高齢の男(石橋)とその高齢の愛人(木梨)の話。露骨な性的描写(性交イメージシーンは艦砲射撃→花火のシーンをはじめエスカレート)が多く、苦情も多かった。
- 一杯のかけうどん - 一杯のかけそばのパロディ。
- ノリゴロウとゆかいな仲間たち - 『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』のパロディ。畑正憲もゲスト出演。
- 新・巨人の星 - 『巨人の星』のパロディ。アニメと実写の合成であった。本家に同名の続編が存在するが、当然まったく無関係である。
- 愛のカイロプラクティック - 愛の整体師「回鍋肉」(石橋)による恋愛相談コーナー。司会は中村江里子(ひな)。コーナー最後には相談者(視聴者)にテレビの画面に背中を出すように促し、画面に出た背骨に対し回鍋肉による背骨矯正が行われる。時折回鍋肉の師匠「杏仁豆腐」(いしだあゆみ)や弟子「小龍包」(小泉今日子)、「カニ・シューマイ」(藤谷美和子)などがサポーターとして出演した。
- メリケンキッズ - 中京テレビ『早見優のアメリカンキッズ』のパロディ。観月ありさの参加によるもので、観月が「アリーサ」、木梨が「ノリソン」、石橋が「イエダニー教授」に扮し、英語ではなくヤンキーについて解説するコーナーであった。ヤンキー用語についての解説もあったが、使用例は駄洒落であった(例:血ぃみてえのかよ→地井みてえのかよ、ラリってんじゃねぇよ→ラリーってんじゃねぇよ)。コーナーラストは横浜銀蝿などのヤンキーソングを歌って終わる。後に「早見優のアメリカンキッズ」からTシャツが贈られ、セットの壁に飾られていた。
- ゴウゴウガール - 『ウゴウゴルーガ』のパロディ。ただし『ウゴウゴルーガ』の元ネタとなった言葉は「ゴウゴウ(ゴーゴー)ガール」とされている。このコントにも「メリケンキッズ」同様観月出演によるもの。コーナーのパロディとしては「ブリブリはかせ」(「プリプリはかせ」のパロディ)、「よるのぶんがく」(「あさのぶんがく」のパロディ)、「がんばれのりおくん」(「がんばれまさおくん」のパロディ)などがあった。
- 聖オゲレツ学園 - ともさかりえが主演
- FRANKY%NORI - アメリカのショーパブ風のセットでコメディーショー形式のコント。フランキーというのは全日本女子プロレス(当時)のミゼットレスラー、リトル・フランキー。
- 世にも奇妙な物語II - 『世にも奇妙な物語』のパロディ。
- FNNNスーパータイム - 『FNNスーパータイム』のパロディ。
- 春は、来ない→春一番 - 名前だけ『春よ、来い』(NHK)のパロディ。木梨が冴えない文房具店の店員を演じるドラマとコントの中間のようなコント、途中からヒロイン役で片桐はいりが出演しタイトルが春一番に変更された。このコントの放送中だけは本家同様時刻表示が入っていた。
- おっぺせ!ゲッペタン - 木梨と腹話術人形によるやり取り(例:人形「僕、ワカメスープ飲んだんだ」、木梨「なんで、ワカメスープを飲んだの?」、人形「……スープなら何でも良かったんだ(ボソッと)」)。そのシュールな内容から、後年の名場面集では木梨の独特な世界観を代表するコント作品として取り上げられることも多い。
- 井上陽水物語 - 貧乏アパートに暮らす井上陽水ととんねるず扮する若者が音楽でメジャーデビューを目指す物語。しかしなぜか出演したのは演芸場らしい舞台で、3人トリオ「アンドレ・カンドレ・チンドレ」として音楽漫談をするというものだった。大御所である井上に対しとんねるずが容赦なくハリセンを叩くシーンが非常に印象的であり、後年の名場面集でも上位にランクインされる作品のひとつ。
- 伊東四朗・小松政夫が出演するコント - シリーズ化されていないが、石橋・木梨共に『みごろ!食べごろ!笑いごろ!』で育った世代で随所に当時のギャグを入れる。ちょっと番組を私物化したコント。
- 嗚呼青春の1ページ - 石橋・木梨の帝京高校時代の思い出を元にしたコント。「SOUL TUNNELS」の参加者募集の告知とのセットで放送される事が多かった。
- 「竹取物語」のパロディ - 沢口靖子が初出演したもので、石橋が沢口の左手を右手でつなぎ、「わー、沢口靖子にさわっちゃったぁ。」といいながらスキップして木にぶつかるというボケがあった。実際の『竹取物語』の「人間の真心、忘れません。」を、とんねるずの演技をふまえて「人間の下心、忘れません。」という台詞に言い代えていた。
- 関東石橋組見参!! - 極道コント。関東石橋組組長(石橋)とその子分(木梨)が田舎から上京して一旗揚げようとするのだが、木梨は常に釣竿を持ち歩き、一般人に釣竿を使って因縁をつけるたびに必ずと言っていいほど石橋に怒鳴られていた。のちに期間限定の子分として諸星和己も加入し、末期はゲームコーナーとなり、特にバレーボールの自動発射装置を用いた人間射的ゲームは、視聴者チームとの対抗戦として数回続いた。
- みなさん演芸劇場
コーナー一覧
- 博士と助手
- 毎回木梨扮する博士と石橋扮する助手が様々な発明を完成させては実験に挑むという趣旨だったが、やがてゲストとの卓球合戦がメインとなる。その後THE ALFEEと後楽園ホールで卓球対決をすることになり、二人はこれに勝利。日本卓球協会からは名誉初段の称号を受けた。しかしその後ALFEEとの日本武道館での再戦で敗北、名誉初段の称号も剥奪された(敗戦後の談話で石橋は東京ドームでの再戦を希望する発言をしたが、実現には至っていない)。
- ひらけ!ポッキンキン
- 『ひらけ!ポンキッキ』のパロディ。オープニングは本家を模しており、ガチャピンとムックも姿を見せていた。
- モジモジ君(モジ男[石橋]/モジ三[木梨・第1期放送は「モジ太郎」])
- 当初は先述の「ポッキンキン」の中のワンコーナーだったのだが、やがて一本立ちした。さまざまなゲームや競技にチャレンジする。ゲストとして小泉今日子(モジ子)、野茂英雄(モジ茂)、YMOも出演。野茂の出演時には、とんねるずとの対決でロシアンルーレット形式でからしが入ったものを含むベビーシュークリームを食べるゲームを行ったときに、野茂がからし入りを最初に引き当ててしまった。
- モジモジ君達が文字を作る時、おねえさん(渡辺満里奈、ともさかりえ等)がひらがな・カタカナの一文字を出題し、モジモジ君達が首をかしげながらその一文字を「○?」と復唱する。続いて「○○○の○」(例:らっこの「ら」)の形で、その文字で始まる(またはその文字を含む)言葉をおねえさん、モジ男、モジ三の順に言う(モジ三は「文章」を言う場合がある)。その後全員でその一文字を叫び、モジモジ君達が自分達の体でその文字を作る。濁点に靴を使うこともある。おねえさんは二文字目以降も出題し、文字をすべてつなげると一つの言葉となり、その言葉にまつわるゲームや競技が行われる。毎回全員で「バーイ、サンキュー」と言って終わる。(「○○○の○」の時にモジ男が放送禁止用語をいうことがあった[2]後に文字を作る場面がカットされ、すぐにゲームや競技にチャレンジするコーナーから始まった。)なお、BGMはアニメ『ドミニオン』のサントラ盤を、オープニング・エンドキャッチは初回放送当時の「ポンキッキ」のオープニングテーマだったうしろ髪ひかれ隊の『ご期待下さい!』を使用している。
- 食わず嫌い王決定戦
- 詳細は「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「新・食わず嫌い王決定戦」の項を参照。
- 実験君(実夫/験三)
- 前述の「ポッキンキン」のワンコーナー。実夫と験三が様々な実験を行う。BGMはアニメ『燃える!お兄さん』のサントラ盤に収録されている曲を使用。
- 算数ちゃん(さんちゃん/スーちゃん)
- 涙目怪人選手権
- 人間離れした技を持つ人のコンテスト。審査員には別所毅彦、土橋正幸、大杉勝男など何故かプロ野球解説者が任されていた。
- ジャグラー君
- ジャー三(石橋)とグラ夫(木梨)のコンビが様々なマジックを披露する。途中からグラ夫に代わって大魔王などの新しい相方が次々と登場した。(演ずるはすべて木梨。)
- 強運冒険王決定戦〜1/64の真実〜
- 赤と黒に分かれた電気椅子のスイッチやゴムパッチンのゴム、パネル(片方は鉄板が仕込まれて、突き破れない)など、様々な2択ゲームに挑戦、正解の色はルーレット抽選で決める。6回連続で安全な方を引けば賞金100万円。木梨が最終ステージまで進んだものの、結局100万円獲得者は誰一人現れなかった。
- 五感王
- 五感の中でも特に「視覚」「聴覚」「触覚」を題材としたクイズで戦った。
- カミカゼ野郎危機一髪
- 簡単なゲームで勝負をして、敗者は罰ゲームとして放送当時東京マリン(足立区西新井。2001年9月に閉鎖)にあったウォータースライダー「フリーフォール・カミカゼ」を滑らないといけない。女子アナバージョンもあった。
- マルガリータブラザース
- ストップウォッチを見ないで指定された秒数を内輪で測って、とんねるずよりも誤差が小さければ賞金10万円、大きければ罰として髪の毛を丸刈り。
- ザ・ルーレットショー
- カジノのルーレットをモチーフとしたクイズコーナー。8人の人物がVTRで登場し、ある技を持っている人、カラシ入りのシュークリームを食べた人は誰か?などの問題が出題され、とんねるずとゲストは8つのうち、正解だと思う人の番号の上にチップを置く。ルーレットと同様、1 - 8の番号マス以外に赤マス(該当者は赤マスの番号のどこかにある)、黒マス(該当者は黒マス番号のどこかにある)、0マス(該当者なし)、00マス(該当者が2人以上いる)がある。なお、持ちチップがなくなると出演者の持ち物を担保にしてチップを借りることが出来たが、コーナー終了までに返済できないと出演者の担保は視聴者プレゼントに回された。
- 翔け!人間黒ひげ危機一髪ゲーム
- 最初の2回はとんねるずの2人が対決し、それ以降はとんねるずの石橋or木梨VSゲストで対戦。双方、巨大な樽に入って巨大黒ひげゲームで対決する。剣を刺す穴は11箇所。前期と後期でルールが異なり、前期は自分の飛ぶ穴をボタンで決定し、クイズに正解した人は相手が飛び出しそうな穴を指名する。後期は相手が飛ぶ穴をボタンで決定し、ゲームに負けた人は自分の飛ばなさそうな穴を指名する。相手の表情を見て(前期は余裕そうにしている表情、後期は怪しそうな表情)1回だけ刺す穴を変更できる。後期のクイズはパネルがあり、前のクイズに正解している方が選ぶ。パネルには「映像問題」、「一般問題」、正解したら剣を2本刺せる「チャンスパネル」、無条件で正解扱いの「エンジェルカード」、その逆の「デビルカード」、トランプがあり7より大きいか小さいか当てる「ハイ&ロー」があった。最終的に逆バンジーで飛ばされた人が負け。ビル13階分の高さ(当時の河田町局舎の最上階)まで飛ばされた。剣を刺す時のかけ声は「いっちゃって!○○さーん」。中には、一番目にデビルカードを引いて自分が飛ぶ穴を選んでしまい、一問もクイズが行なわないまま自滅したケースもあった。
- ベルトクイズQ&急!!
- とんねるずの片方と一般出場者(芸能人の場合もあり)4人を含めた5人で対戦。各自、プールの上に設置されたルームランナーで走りながら、早押しクイズに挑戦。正解なら自分のルームランナーのスピードが1段階遅くなり、他の人は1段階速くなる。不正解の場合は、自分のルームランナーのスピードが1段階速くなる。ルームランナーのスピードに耐え切れず、後方のプールへ落下してしまった人は失格。最後まで残った1名が優勝。この企画は同じフジテレビ系で1969年に放送された『世界一周!!ランニングクイズ』と類似しており、『クイズ!ヘキサゴンII』にて特番で行われている「ベルトクイズ!タイムショック!ショック!」にも生かされている。コーナー名は『ベルトクイズQ&Q』より。
- へら
- 2組が交互に、相手に牛乳を口に含ませ、一発ギャグを見せて牛乳を噴出させるゲーム。
- ダイビングクイズ
- 1964年 - 1974年にMBS系列で放送された、同名クイズのパロディ。参加者はすべり台の頂点に座り、クイズに答える。クイズ選択パネルは「み」「な」「さ」「ん」、「10」「20」「30」と計12個に割られており、パネラーはこのうち1つを選択、クイズに答えて正解すると対戦相手の、不正解なら自分の台がかたむく(本家版の末期ルールに近い)。傾斜は点数によって異なり、10ならば1段階、20ならば2段階、30ならば3段階傾く。このクイズに登場した解答者のヤンキー「松葉さん」は、クイズ終盤に劣勢に陥ったため、すべり台が急角度になり、転落やむなしの状況に追い込まれた。しかし「松葉さん」は、とっさの機転で、体を滑り台と垂直にして足を突っ張ることで、落ちて失格になるのを防ぐという秘技を開発。見た目にもとてつもない角度になっても耐えていた。この技に石橋・木梨を含めた観客は熱狂。以来その技は、体操の新技開発によく見られるように、開発者の名にちなんで、石橋・木梨から「松葉」と命名され、その後の回に別の挑戦者が「松葉」を多用するようになる。しかしやりすぎたために、シリーズ後半にはセットに「松葉禁止」と書かれた横断幕が「by美術スタッフ」との署名入りで掲げられるようにもなった。
- SOUL TUNNELS
- 海外番組『en:Soul Train』のパロディ。一般公募でディスコダンスを競う。ディスコブーム世代である「おかげです」放送当時に30歳以上(とんねるずと同世代)が応募条件であった。DJは北澤壮一郎。ブラザー・コーンや放送作家の大倉利晴らが審査員であり、M.C.ハマーもゲスト審査員として出演した。コーナーは盛り上がりを見せ、本格的なダンステクニックの解説コーナー「テディー団のファンキーダンスワンポイントレッスン」も挟まれた。優勝賞品は、特製のアフロ(ヅラ)とグシであった。また、数回に一回は歴代の優勝者を集めたグランドチャンピオン大会も行われた。なおコーナー初期は、木梨の盲腸入院や石橋の過労もあってか石橋・木梨が交代制でMC役を務めていたが、その後はとんねるず2人でMCを務めている。
- 今週の罰符
人気キャラクター
- 石橋
- 保毛尾田保毛男(ほもおだほもお) - おかげです中学のコントで教師として初登場。一時期はホモといえば保毛尾田保毛男の姿がイメージされるほどのインパクトを誇った。話し方のモデルは井上陽水。このキャラは人気を博しメインとしたコントも多数作られている。どのコントも、ホモということを問いただされると、「あくまでも噂で・・・」とはぐらかすシーンが頻繁に登場する。
- ダーイシ男 - モデルは石田弘(番組プロデューサー)。豪柄が性格で糖がきてるという。「すまなかった!」が口癖。
- バブルス - 元ネタはマイケル・ジャクソンのペットのチンパンジー。タバコを吸うなどふてぶてしい態度を取る。
- 木梨
- ノリユキ - 今で言うストーカーないし(度が過ぎた)アイドルオタク。コントに脈略なく現れてはアイドルに対し「息くれよ。」とせがむが大抵石橋にどつかれる。
- 小港さん - モデルは港浩一(プロデューサー兼ディレクター)。猿みたいな仕草がしながら競馬の予想を気にしている。ダーイシとは犬猿の仲。
- サブ北島 - モデルは北島三郎。本人が出演していた寿司のCMのワンフレーズをよく口ずさむ。「ひとりものまね王座」以降はなぜか身長が縮む。
- ひろし5木 - モデルは五木ひろし。パンストを被った上にカツラをかぶった顔つきで、常に怪しげな動作をする。
- 森進一郎 - モデルは森進一。モデルの歌声を膨張したような奇声と異様に力の入った表情が印象的。
- みのりもんた - モデルはみのもんた。
- スーさん - モデルは鈴木正人(ディレクター)。長髪と白い服という出で立ちで様々なコントに出没。鈴木ほかスタッフ数名と「寝ちゃダメ隊」を結成している。
- その他
- ボブ市川 - とんねるずのマネージャー。
- 玉井しのぶ - デビュー曲「からくり銀座」のリリースの際にたびたび登場し「からくり銀座」を歌おうとするが、タライが落ちてぶっ倒れるというオチ。
準レギュラー
- 渡辺満里奈
- 宮沢りえ
- チェッカーズ
- 飯島愛(デビル愛/愛ちゃん/クラゲデビル)
- 田坂都
- 保積ぺぺ
- 森川正太
- 直江喜一
- 小野みゆき(デビルタカマン)
- 細川ふみえ
- 地井武男
- 小林昭二(おやっさん)
- 岡田真澄(ファンファン大佐)
- 伊藤淳史(チビノリダー)
- 倉田プロモーション(ジョッカーのみなさん)
- 劇団ひまわり(島田雄一郎/麻生雅人/萩野志保子ほか)
- 荻野目洋子
- 観月ありさ
- ともさかりえ
- 松嶋菜々子
- 長門裕之
- ベンガル
- 中村江里子
- 諸星和己
番組に出演したゲスト
- 清水アキラ
- 松田聖子
- 中山美穂
- 中森明菜
- THE ALFEE(ビートボーイズ)
- 井上陽水
- 玉置浩二
- 高橋英樹
- 斉藤由貴
- 薬師丸ひろ子
- 小泉今日子
- 沢口靖子
- 柳葉敏郎
- 田中裕子
- 伊東四朗
- 市毛良枝
- ウォーレン・クロマティ
- 逸見政孝
- 南野陽子
- 三田佳子
- 古手川祐子
- 多岐川裕美
- 大原麗子
- 松本伊代
- 田中好子
- MCハマー
- 岡村隆史
- 工藤静香
- 牧瀬里穂
- 村井国夫
- 荒井注
- 左時枝
- 福井敏雄
- 坂井泉水(旧名「蒲池幸子」時代に出演)
- 武豊
- セクシーメイツ(牧村ふみえの友人達)
- 他多数
おかげです事件史
- ニンジン事件
- 1991年1月17日放送分の沢口靖子と共演したコントの中で、木梨が噛み砕いて吐き出したニンジンの煮物を石橋が「頂きます」と食べてしまった事件。木梨・沢口はおろかスタッフも大いに驚き、木梨は「何故こんなことができるかというと(石橋が)酔ってるからだよ」とコメント[3]。
- 木梨憲武の盲腸緊急追悼特番・騒動事件
- 1991年10月31日、木梨憲武が盲腸による休養から復帰することになっていた放送で、冒頭から『緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…』と題し、木梨憲武が死亡したという設定で、生放送の追悼特番を模したドッキリを放送した。追悼特番司会の石橋貴明と野崎昌一(当時:フジテレビアナウンサー。現:フジMHD投資管理部長)が深刻な気配で会話し2分半程経過したところで、緑のジャージを着た木梨が現れるというシュールなコントであった。木梨が登場した後も2分程無視して喋り続けるものの、石橋が「出口3箇所ふさがれてましたから・・・」といった直後笑い出して木梨に気付き、セットチェンジ。結局『木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編』として番組の総集編が放送された。ニッポン放送『吉田拓郎のオールナイトニッポン』での「吉田拓郎死亡放送事件」が元ネタとされている。
- この放送を見ていた当時同局アナウンサーで番組レギュラーだった中村江里子は、途中まで本当に信じていたという。もし本当だった場合これだけのタレントなら新聞やニュースで大きく取り上げられるので、ネタであることが誰にでも分かると制作スタッフは踏んでいたようだが、この日の『タイム3』に木梨本人が生出演したこともあり、緊急性を含んだドッキリとして視聴者を信じさせる要素もあった。
- 放送中や番組終了後には、「本当ですか!?」との質問や「ふざけるな!」との抗議の電話が約800件にも上った。盲腸により木梨が入院して放送するネタがなかったことからこのドッキリが企画されたが、多数の菊の花と木梨の写真(木梨のパスポート写真を使用)を配した大きな祭壇を組んだ追悼セット、暗いBGM、現役アナウンサー出演など、あまりにも悪ふざけが過ぎるとの声が多かった。
- 放送内において、野崎は「亡くなられた」とは一言も発しておらず、代わりに冒頭で「信じられないことになってしまいました」と表現しているのみで、石橋が「これからご実家のほうで焼香に行ってですね」「ハゲる前に死ねて良かったな、と」「安らかに眠って欲しい」などと発言しているのは木梨登場後で、「眠って欲しい」といった時には木梨が「眠んねーよ、この野郎」といって石橋の頭を叩いている。本編前の木梨の生涯を辿る前編(BGMとしてダイアナ・ロスの『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』)では、ナレーションで「あまりにも短い生涯であった」という一節が放送されており、「親戚の老婦人に凄い怒られた」と木梨は後に語っている。
- この放送の最中に「『塗装業者の誘拐殺人』などの容疑で手配されていた元警察官が逮捕されました」とのニュース速報テロップが出るという一幕もあった。
- 元々は野崎でなく、当時役員待遇だった露木茂(現:フリー)の出演を予定していたが本人が逃げてしまい、部長待遇だった野間脩平(現:共同テレビ)にも逃げられたため、『プロ野球ニュース』の司会のため夜勤だった野崎が急遽呼ばれた。よりリアリティを持たせるため森光子にもオファーを出したが断られたという。
- この回の視聴率は23%で多くの視聴者を驚かす結果となった。ゼネラルプロデューサー(当時)の石田弘が考えた企画と言われるが、石田は後年「ふざけると言っても超えてはならない一線があり、悪ふざけにはならないようにしなければならない」という、この一件を忘れたか、戒めるかのような発言をしている。この放送について石田の見解は現在まで明らかになっていない。
- それいけマサカズ・ボヤ事件
- 人気コーナー「それいけマサカズ」で、石橋扮する田村正和が燃えたカツラをかぶりながら何食わぬ顔で通り過ぎる、というコントを撮影したが、消防法上大変危険であるとして、当時のフジテレビ本社を管轄していた東京消防庁牛込消防署から抗議を受けた。
- 石橋貴明の試合放棄事件
- カルトQ「おかげです全般」で、司会者の木梨が石橋の解答に対して「正確じゃないとだめです」と何度も不正解とし、怒った石橋が「もういやだ」と言って途中で帰りそのまま試合放棄した事件。退場後は女児の人形が置かれコーナーは最後まで進行した。このとき石橋は「ひな」(中村江里子の愛称)という名前で出場していた。[4]。
- セクシャルハラスメント訴訟事件
- 1992年11月4日、石橋貴明とチーフディレクターがセクシャルハラスメントをしたとして、東京地方裁判所に民事提訴された事件。原告は「帰りなおばちゃん」として番組に準レギュラーで出演していた当時56歳の女優・稲村さち子で、訴えの理由は、同年10月29日放送の番組内、露出度の高いビキニを着せられた稲村に対し、石橋が「ヘアが見える」と発言しテロップで「素人のおばちゃんですからヘアの手入れはしていません」と流されたこと、CMやテレビドラマで芸歴が10年あるにも関わらず「素人のおばちゃん」と2度テロップを流されたことだった。稲村は石橋とチーフディレクターに対し200万円の損害賠償と番組内で名誉回復のコーナーを設けることを請求した。フジテレビの石田弘プロデューサーは取材に対し「素人のおばちゃん役で出演してもらった。傷つけたことは申し訳ない」と回答し、石橋の所属事務所は「本人と連絡取れないのでコメントできない」とした[5][6]。後に稲村は提訴を取り下げたことが報じられた[7]。この時期は番組自体(特に石橋が下半身を露出してゲスト出演者を追い回すなど)下ネタ傾向が強かった時期でもあり、事件以降下ネタ禁止令が下された。
視聴率
1986年秋に石橋が当時フジテレビの編成局長であった日枝久(現・フジテレビ会長)に「僕らにゴールデンタイムの2時間番組を下さい、視聴率30%とってみせます」と編成部まで行って頼み込んだという。ちなみにこの際、日枝局長に「もし取れなかったらどうする?」と聞かれた石橋は、番組プロデューサーである石田弘を「彫刻の森美術館に飛ばしてください」と言った(石田はその場には居なかった。一方で、30%を達成したらフジテレビの食堂で何を食べてもいいという約束を取り付けた)。まもなく『火曜ワイドスペシャル』で番組を持たせてもらい、放送が始まった。結果、視聴率30%には及ばなかったものの常に高視聴率を獲得し(平均20.3%。この結果は放送翌日の「夕やけニャンニャン」で石橋の口から発表され、「まあこんなもんだろ、よしよし」と二人は結果に満足していた)、定期的にスペシャルを行った後に1988年10月からレギュラー番組としてスタート。もう一説によるとこの公約を叩きつけた石橋は「20%に届かなかったら笑いの世界から身を引く」と後年TBSの特別番組でそのまんま東の発言によって語られた。
開始当初からたちまち「仮面ノリダー」の人気などで大ヒットし、番組開始から半年が経過した1989年3月30日(『とんねるずのみなさんのおかげです春休みスペシャル』)に最高視聴率29.5%(関東地区)を記録した(ただし、普段の時間ではなく午後7時スタートのスペシャル版にて)。その後、「仮面ノリダー」終了後も他のコーナーも大人気となり、1989年 - 1994年まではバラエティ番組年間平均視聴率トップ10に常にランクインし、2度にわたる充電期間を経ても人気を保った。
番組晩年にあたる1995年以降も全盛期ほど視聴率は取れなくなったものの安定した数字を残していた。
1997年3月に放送終了(4月に内容変更・改題などのリニューアル)した。 「おかげです」(8年半を通じて)としての平均視聴率は20.2%(最終回の前週に発表)。9年間で使った予算は186億8900万円(こちらは最終回でダーイシが発言)。
最終回
1997年3月27日放送の『おかげです』としての最終回はかつての人気コント「仮面ノリダー」、「保毛尾田保毛男」、「最終回によくある風景」、「太陽にほえるな!」、「貧乏家の人々」など番組の人気コントを全て新作、完結編として放送した。また、番組の冒頭と最後にかつての常連ゲストで番組を愛していた小泉今日子を迎え、石橋扮する石田プロデューサーと木梨扮する小港ディレクターとともに局内に入り「石田プロデューサーの引越しと『みなさん』が終わっちまって大変なんだよォ日記」なるコントを放送。最後は番組を作り終えた石田プロデューサーがテレビマンとして燃え尽き死んでしまいその霊がバブルスとなって木梨、小泉とともに「最後のバァーイ、センキュー」のコールとともに本編は終了。ちなみにこの時、石橋が「以上、みなさんのおかげでした」と発言しているが、これが現在番組のタイトルとして使用されているのと関係があるかどうかはわからない。
そして、ラストはフジテレビ社屋が河田町から現在のお台場に移転したこともあり、とんねるずが歌う当時の番組のエンディングテーマ『テレビ〜時々の神よ〜』をバックに『おかげです』と共に使命を終えた旧社屋の表情を映し、最後は現お台場社屋の屋上でとんねるずが歌っているシーンに繋がるという映像で番組を締めくくった。これには、ここまで自分らを大きくしてくれた河田町に思い入れがあってのことだろう。
後にコント形態として『おかげでした』に受け継がれたのは「ちょっと北の国から」と「新畑任三郎」のみである。『北の国から』のパロディ「ちょっと北の国から」に関しては「ちょっと北の国から'97冬」として1分にも満たない完結編が放送され、「純と蛍が凍死する」というストーリーであったにも関わらず、『おかげでした』では何事もなかったように続編が放送された。1998年には前編・後編・完結編と3週に渡って放送されたが、2002年には「北の国から コントの記憶」として総集編があったものの、本編は1週しかなかった。
ネット局
- 系列は放送終了時点のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道文化放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1991年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局[8] |
岩手県 | 岩手放送 | TBS系列 | 現:IBC岩手放送、1991年2月まで | |
岩手めんこいテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1991年4月開局から[9] | |
宮城県 | 仙台放送 | |||
秋田県 | 秋田テレビ | |||
山形県 | 山形テレビ | 1993年3月打ち切り | ||
福島県 | 福島テレビ | |||
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
長野県 | 長野放送 | |||
静岡県 | テレビ静岡 | |||
富山県 | 富山テレビ | |||
石川県 | 石川テレビ | |||
福井県 | 福井テレビ | |||
中京広域圏 | 東海テレビ | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
島根県 鳥取県 |
山陰中央テレビ | |||
広島県 | テレビ新広島 | |||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | 遅れネット | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り | |
岡山県 香川県 |
岡山放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
愛媛県 | テレビ愛媛 | |||
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1996年9月打ち切り[10] |
福岡県 | テレビ西日本 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
佐賀県 | サガテレビ | |||
長崎県 | テレビ長崎 | 1990年9月まで日本テレビ系列とのクロスネット局 | ||
熊本県 | テレビくまもと | 1989年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
遅れネット →同時ネット |
1993年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | 1994年3月まで日本テレビ系列とのクロスネット局 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ |
ネット局に関する備考
- 1997年4月に開局を控えたさくらんぼテレビと高知さんさんテレビは、開局前のサービス放送で最終回スペシャルのみ同時ネットで放送された。
- FNS・NNSとのクロスネット局(1993年9月まではANNとのトリプルネット局でもあった)であるテレビ大分は、1993年9月までは日曜10:00からの時差ネットで放送されていた[11][12]が、10月に大分朝日放送の開局に伴うANN脱退に伴い同時ネットに変更されたと同時に、FNS加盟全26局の同時ネット化を達成した[13]
- 1994年3月に先述の理由により一旦休止するが、FNS加盟26局と青森放送・テレビ山梨・テレビ山口・高知放送はそのまま『ラスタとんねるず'94』のネット局となり、同年10月の本番組の再開時のネット局も同様だった。
- 山形テレビは1993年3月まで同時ネットで放送されていたが、第2期の途中である同年4月にANNへのネットチェンジに伴い、打ち切りとなった。
スタッフ
- 構成:秋元康/玉井貴代志、沢口義明、吉野晃章、遠藤察男、井辺清、三谷幸喜、菊原共基、小川浩之、小原信治、浅野吉朗、小野沢実、アラヤ★ダイスケ、岩崎夏海、柄沢正典、丸山桜奈、小板橋健、野口昌良、杉村秋生
- TD・SW:堀田満之・馬場直幸・石田智男(フジテレビ)
- カメラ:藤江雅和、島本健司、小山茂明、高田治、花島和弘、北井勇作、武川圭祐、長瀬正人、小林光行、野々村知彦、河野昌寿、秋山勇人/伊澤明男・勝村信之・長田崇・二見健二・岸田花子(フジテレビ)
- 映像:石井利幸、高瀬義美、田中十内、谷古宇利勝、瀧本恵司、田畑司、水野博道、斉藤雄一、塚本修、松岡浩司、宮本学、西脇貴美孝、青木洋子、高草木直樹、松宮竜一郎
- 録画:原啓教、油谷忍
- 音声:篠良一、杉山直樹、石井俊二、松本政利、深谷高史、森田篤、海老沢俊彦、高橋幸則、本間祥吾、寺川秀和、戸山善裕、奈良岡純一、福沢寿三、平沢晃
- PA:唐松秀弥、後藤龍幸、横島一光
- 照明:小田原敬、谷川富也、蓑島公男、高木一成、吉川知孝、富沢宴令、中原淳一、森本勝、日高栄治、安藤雅夫、安藤雄郎、土倉潤一、岩本泰和、藤本潤一、穴田健二、黒井宏行、谷口明美、佐藤博樹、堀田耕二、宗像徹馬、牧野隆、藪木健太郎、毛利克也
- カメラクレーン:佐藤史郎、高久誠司
- 美術制作:石鍋伸一朗・重松照英(フジテレビ)
- デザイン:根本研二・越野幸栄(フジテレビ)、別所晃吉
- 美術進行:伊藤則緒、小野秀樹、安藤典和、工藤圭介、中村秀美
- 大道具:成井一浩、鈴木康之、塩山勝之、竹島正夫、清水篤弘、関口正晴、畠山健、大原隆、石黒勇二郎、三上晋、迫田康義
- 装飾:小池長寿、今村文孝、加藤登、竹内達、菊池保、望月富夫、門間誠、大串武士
- 持道具:網野高久、平井文朗、山本健史、藤井直也、斉藤広治、竹川京太、中丸慶三郎
- 衣裳:神波憲人、武藤直樹、沖田正次、小林幸子、永野美紀、中山美和、大吉明美
- メイク:興山洋子、塩幡万里子
- かつら:川田明子、矢津田一寛、牧野勇、郡司敏幸、植竹圭一
- 視覚効果:飯塚生臣、大関晃、内山栄一、坂井郁美、中里義明
- 電飾:田中信太郎、飯田修一、菰原大裕、中沢千恵子、小沢崇、崎本光成、井川延郎
- アクリル装飾:平山晃哉、高信作、上川洋行、今井輝彦、木谷伸三
- 生花装飾:坂口曜子、春川興司、武笠博子
- 植木装飾:須田信治、広田明
- アートフレーム:津田忠直
- 楽器:磯元洋一、佐野武史
- 特殊効果:水尾一雄
- 特殊美術:中島豪章(CAVIN)、佐藤むさく
- タイトル:三好登久昭、川崎利治、原野真理子
- タイトルロゴ:染谷淳一
- CGタイトル:Go Go H.I.P.
- VTR編集:伊五澤守雄・正木俊行・頼信良三・管野邦大・真壁一郎・二宮嘉郎・清水良浩・藤井陽一・飯星岳・永吉敬文・今村猛彦・喜多彰宣・奥山なほみ・松田和茂・上野譲・原靖・大橋一明・小野貴志・吉田亨・吉川奈津子(IMAGICA)
- スキャニメイト:後藤和夫・大沢宏次郎(IMAGICA)
- ペイント:菊池大介・山口由紀子(IMAGICA)
- MAV:寺尾享泰・新野真・森岡浩人・遠山正(IMAGICA)
- 音響効果:鈴木真、松下俊彦、張替正美、波多野精二
- 車輌:ほしのみちあき、桑山朗、島村達也、富川太一、柏田武士、高村徹、岡本貴幸、杉川博志、風見高広、諸星寿伸、倉田知己、本田浩光、小池清治、駒崎浩宣、大塚修、福島真、奥山道明、久保清、森泉澄人、渡辺美夏子
- ナレーター:戸谷公次、中江真司、牧原俊幸、坂口哲夫ほか
- 殺陣:多賀谷渉、菊地竜志、岡田勝ほか
- 編成:原岡健一郎・小林義和・鈴木専哉・石井浩二(フジテレビ)
- 広報:石井道夫・森隆志・大貫伊都子・八木祐子(フジテレビ)
- スチルカメラ:村山篤人、半田一道、久保田栄
- タイムキーパー:杉山清美、安富弘江、江野澤郁子
- デスク:鈴木桂子、長谷川薫、関根弘之、生雲理愛、道山雄一
- 制作スタッフ→ディレクター(1989年4月 - ):光野道夫、鈴木正人、時宗大、北村要、篠原一成、石田英史、菊川正、小澤俊一、鈴木智、小松伸一、白石一幸、清水勇、佐々木裕哉、藤井弘行、松村匠、加賀義則、佐々木俊、畠山典史、太田一矢、李闘士男(第3期)、神原孝、兼則英司、濱田俊也、河津潔、澤田親宏、神尾昌宏(コント「太陽にほえるな!」のメンバーの一部)
- ディレクター→演出(1989年4月 - 第2期まで)→アシスタントプロデューサー→ディレクター・プロデューサー:石井正幸
- アシスタントプロデューサー:尾崎充(第3期)
- 演出→兼プロデューサー(1989年4月 - ):港浩一(フジテレビ)
- プロデューサー:増田晴男(フジテレビ、1988年10月 - 1989年4月)
- プロデューサー→ゼネラルプロデューサー:石田弘(フジテレビ)
- 演出協力:ウイルスプロダクション
- 技術協力:ニユーテレス
- 制作協力:アライバル
- 制作:フジテレビ第二制作部
- 制作著作:フジテレビ
- それ以外のスタッフは野猿を参照。
テーマソング
オープニング
- 曲名不詳(第1期)
-
- 作曲:後藤次利
- 曲名不詳2(第2期)
-
- 作曲:後藤次利
- 「ガラガラヘビがやってくる」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作曲:後藤次利 / 編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「がじゃいも」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「フッフッフッってするんです」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作曲:後藤次利 / 編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「ガニ」(第3期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
エンディング
- 「あした元気になーれ」(第1期)
-
- 作詞:松井五郎 / 作曲:玉置浩二 / 編曲:星勝 / 歌:とんねるず
- 「情けねえ」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「一番偉い人へ」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作曲:後藤次利 / 編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「テレビ~時々の神よ~」(第3期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
脚注・出典
- ^ 本部はスイスに設定されていた。
- ^ もしモジ男がそこで放送禁止用語を言った場合はモジ男の発言部分はカットされるため、(順番がモジ三→おねえさん(渡辺満里奈)となることもあるが、どっちにしろモジ男の部分がカットされていることに変わりはない。)モジ男だけが「○○○の○」を言ってないときはモジ男が放送禁止用語を言ったことが視聴者にも推測できる。
- ^ この日は、フジテレビ以外の民放在京キー局では同日発生した湾岸戦争の報道特別番組を放送していた。
- ^ 次回も「バミューダ」の名前で出場した石橋が、正誤判定の厳格さに腹を立て退場しようとしたが、結局木梨らに説得され未遂に終わった。退場しようとした時に木梨が「ほっといたらいいんです!どうせ人形になるんですから!」と相槌の突っ込みを入れている。
- ^ 「石橋さん(とんねるず)らを提訴 「番組の中で性差別発言」共演女優」『読売新聞』1992年11月5日朝刊。
- ^ 「とんねるずのおかげでセクハラ フジテレビ出演の女性 石橋さんらを訴え」『中日新聞』1992年11月5日朝刊。
- ^ 「TVセクハラ取り下げ」『中日新聞』1992年12月9日朝刊。
- ^ 開始当初から1995年の春改変までは平日の夕方(金曜日16:00-16:55が多かった)に放送されていたが、翌月の『出会いふれあい生テレビ』開始に伴い末期まで火曜日深夜24:45-25:40で放送されていた。
- ^ 実質には1991年3月のサービス放送時から。
- ^ 高知さんさんテレビへのフジテレビ系番組の移行準備に伴う打ち切り。
- ^ このため、8月最終週は24時間テレビを放送するため休止していた。
- ^ 1989年1月9日の放送は、日本テレビの昭和天皇崩御ならびに平成天皇即位の特別番組が放送されたため休止している。
- ^ 『みなさんのおかげです』同時ネット化と同時に、とんねるずのレギュラー番組である『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)も同時ネットでレギュラー放送を開始した(1993年9月までは『生ダラ』は不定期放送)。
フジテレビ系 木曜21時枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
とんねるずの
みなさんのおかげです (第1期) |
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フジテレビ系 木曜21時枠 | ||
ウッチャンナンチャンの
誰かがやらねば! |
とんねるずの
みなさんのおかげです (第2期) |
|
フジテレビ系 木曜21時枠 | ||
ラスタとんねるず'94
|
とんねるずの
みなさんのおかげです (第3期) |